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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
三部 東大陸編
51/106

過去話2 言霊使いと影使い2







「お茶、お願い」

「はい。畏まりました」


 暗殺失敗の次の日の昼。

 当の本人は驚くことにまだ街に留まっていた。

 人通りが激しい中央通りに面している茶屋の椅子に腰掛け、店主の返事を聞きながら彼女は大きく息を吐く。ただし、そこには疲労や失望といったマイナス方面の感情は全く込められていない

 顔の口元までを隠していた黒マスクを外している以外は、標的の邸宅に忍び込んだ時のままなのだが、それを彼女は気にした様子も見せずに、通りを行き交う人をボーと眺めている。

 

 長い髪を弄りながら、ふと天を仰ぐ。

 彼女の蒼い髪と同色の清浄な蒼が天空に広がっており、それを眩しそうに眼を細めて見上げていた。

 暫くすると雇われているウェイトレスらしき女性がお茶と茶菓子を盆にのせて運んできたので、それを受け取る。

 茶を啜りながら、どうしたものかと考えていると、彼女の背後の椅子がひかれ老人が腰をおろした。


「……お前が失敗するとはな。何があった?」

「別に。凄く手強い相手がいただけ」

「ほう。お前が手強いと称する相手か……」


 老人とは思えない若々しい声が影使いの耳に届く。

 それに驚きもせずに、昨夜の失敗の理由を簡潔に説明するものの、老人も影使いも互いに口の中で呟く程度の大きさで話し合っている。

 二人の聴覚が鋭いためになんとか聞き取れているが、普通ならば気にも留めない程度の声量だ。


「私以外を送るのはやめたほうがいい。確実に、殺されるか捕らえられる」

「……信じられんな。どんな特徴の人物だった?」 

「黒髪だから多分和陽方面の出身だと思う。身長は百七十。見た感じ体重は八十ちょいくらいかな、脂肪はなくて殆ど筋肉だった。歳は十五か六。大きくは外れていないと思う。武器は長槍とかナイフも使用してたけど得意とするのは間違いなく刀。顔は結構格好良かった」

「……最後の情報はいらんが。黒髪で歳若く、刀使い? 最近そういった特徴のガキの情報が流れてきた気が……」


 一旦口を閉じると、タイミング良くか、見越していたのかウェイトレスが注文の品を老人へと運んできた。

 老人は注文していた茶を受け取ると、礼を言いながら頭を下げる。

 周囲に人が居なくなったのを確認して、茶を啜りながら―――ああ、と何かを思い出したように老人が声をあげる。


「思い出した。キョウ=スメラギ。最近頭角を現してきた傭兵だ。剣鬼とも呼ばれているな」

「……傭兵?」

「ああ。不思議な奴で必ずといっていいほど劣勢な方に味方して、勝利目前で浮き足立っている相手国に甚大な被害を撒き散らす」

「弱い者の味方ってこと?」

「……そんな甘い理由じゃない。ある時一人の傭兵仲間が聞いたそうだ。何故敗北が決定している側ばかりに雇われるのか、とな。その時の答えが、その方が名前(・・・・・・)が売れるから(・・・・・・)、だそうだ」

「……へぇ」


 影使いの瞳に興味の色が混じった。

 当然背中を向け合っている老人にはそれに気づくことが無かったが、もし見ていたならば驚きで固まっていたに違いない。

 

「この前和陽の北国で起こった戦争でも確か小国の方に雇われていたはずだ。単騎で敵陣に突撃して将軍首を持ってかえってきたとか。他にも東国でも悪名高い裏の住人達が集い組んだ暗殺集団九十九(・・・)を壊滅させたりとか、眉唾な情報まで流れてきてはいる」  


 実際に九十九の活動が停止している以上、その噂に信憑性を持たせている。

 老人も自分で話しておきながら、あまりに現実離れした内容に口に出して後悔したほどだ。

 一分程度の時間の空白。ズズっと熱いお茶を啜る音のみが二人の間に流れ、先に飲み干した影使いが立ち上がると、その場に支払う代金を置いた。


「……それなら決定。あの少年を殺さなければ、標的は仕留める事ができない」

「待て。無駄な危険を冒す必要はない。数字持ちから何名か行かせよう。それに明後日の夜に行われる夜会には出向くのではないぞ? 流石に警戒されすぎている。しばらく様子を見ておけ」

「必要ない」

「これは命令だ。いいか、我らは任務を確実にこなせば―――」

「―――必要ない(・・・・)


 平坦で、静かな声。

 だが、臓腑を抉られたかのような冷たさを閉じ込めた彼女の言葉が老人の耳から侵入し、脳を直接刺激した。

 老人の喉に短刀が突き刺さり、どろりっと濃厚な赤黒い血と血臭が匂い立つ。

 心臓を高鳴らせ、反射的に喉を両手で押さえた老人の手は、普段通りの自分の喉を押さえるだけであり、血の影も形も見られなかった。

 影使いが口に出した言葉だけで、明確な死のイメージを叩き込まれたことにようやく気づく。

 

 いや、これは勧告だ。

 これ以上邪魔をするならばイメージ通りにお前を殺すという意思が、今の言葉には込められていたのだ。

 それを知った老人は影使いにこれ以上干渉できるはずもなく―――人混みの中に消えていく彼女を黙って見送っていた。


 残された老人は、ぶるぶると震える両手で湯飲みを持っていたが、数分もそのままでいただろうか。先程まで影使いが座っていた椅子に別の客が腰をおろした。

 彼女とは似ても似つかない、厳つい顔と体格の男性だ。彼もまた、茶を店主に注文すると両腕を組んで空を見上げた。


「……あいつの最近の行動は眼に余るものがあるようですが」

「確かに。優秀故に許されると思っているようだが、そろそろお灸を据えねばなるまい」


 影使いと老人が話していた時のように、今度も両者ともが微かに唇を動かして二人のみに聞こえる程度で会話を始めた。


「いえ。下手に手を出してもこちらに牙を剥く可能性があります。何せあやつは教育を受けていながらエレクシル様へ対する信仰が全く感じられないのですから」

「……そうか。それが一番の問題だな。何事にも例外をつくるわけにはいかん。それに、奴に匹敵する数字持ちも出来上がってきている。ならば話は簡単だ」

「ええ。今回が丁度良い機会となるでしょう。近辺にいる部隊に声をかけておきます」

「うむ。頼んだぞ両者ともに潰し合ったところを狙えば我らにとっても漁夫の利となろう」


 それを機会にピタリと会話が止まり、やがて老人は席を立ち影使いと同じ様に雑踏の中へと姿を消していった。  

















 話を終えた影使いはふらふらと人で溢れている大通りをなにをするでもなくゆっくりと歩いていた。

 暦の上ではもうすぐ冬に差し掛かる時期なのだが、今年は暖冬のせいか全くといって良いほど寒さを感じない。いや、逆だ。汗ばむほどにじっとりとした暑さが肌を焼いてくる。

 まだ昼の時分であるからかとも彼女は考えたが、それにしては異常すぎる熱気を感じた。昨晩を思い出せば特に空気が冷たかった記憶も思い出せない。

 寒いのも暑いのも慣れているとはいえ、正直どちらも好ましくは無い。

 これくらいの温度は中々にきついと考えながら、彼女は組織が用意してある宿に戻ろうと足を進めていた。

 

 彼女が今いるのはこの国の首都でもある。

 そのため戦争中だというのに人の数は少女が鬱陶しく思ってしまうほどに多く見えた。

 幅十メートル程度の大通り。その両側には石造りの民家。人々の行き交う石畳の街路。

 小さい国ではあるが、首都というだけあってそれなりに栄えているようだった。

 

 この厄介な温度と湿度に辟易した影使いは四方の遠くに見える天まで届く山脈を細目で見通し、大まかな理由を理解することができた。

 首都の周囲は大きな山で囲まれ、盆地となっている地形と、周囲の山々が作る気流の関係で一種の蒸し風呂のような暑さを首都全域に送ってくるのだと考えた彼女だったが―――その考えに至ったからといって涼しくなるわけでもなく足取りも重く大通りを歩いて行く。


 少女がパっと見た限り旅行者然とした姿の人間はあまり多くない。

 仮にも戦争を行っている国なのだからそれも当然なのだが、それ以外の町の住人はこの暑さに慣れきっているのか冬に近いというのに随分な薄着の人間が多かった。

 老若男女問わず、薄着で出歩くために非常に眼福と思う男性が大多数なのは仕方ない話だ。


 そんな薄着の人間が殆どの街で黒一色の姿の少女が歩いているのだから目立つのは当然の筈なのだが、誰一人として影使いに注目していなかった。

 彼女の周囲を通り過ぎる数百の視線から容易く逃れて、進む彼女の足がピタリと止まる。


 彼女の真正面の方向から一人の少年が歩いてきたからだ。

 影使いとは正反対。彼女が人の隙間を移動していると表現するならば、少年は身体から発する威圧にも似た狂暴な気配で周囲の人間を近寄らせない。

 自分に近寄る人間を自然と排する雰囲気を纏う彼もまた、影使いの姿を視界に捉えて足を止めた。


 影使いは腰に差してある短刀に手を重ねる。

 人が多く暗殺者としてはやり難いが、幸いにも遮蔽物はそれこそ山のようにあるのが救いであった。

 

 相手の出方を見ながら、どのような攻撃にも対処できるように全身から無駄な力を抜く。

 小さく短く呼吸を繰り返し―――。


「―――よう」

「……」


 緊張を隠せない影使いとは真逆で、少年―――キョウ=スメラギは気軽に声をかけてきた。

 思わず短刀に伸ばしていた手がだらりと力なく垂れ下がる。

 影使いは自分が警戒したのが馬鹿らしくなるほどに、自然とキョウが近づいてくるのを黙って見つめていた。

 特に武器を抜こうともせず、戦意も殺気もなにもない。昨日とは別人かと勘違いしそうになるほど気配の質が違っていることに影使いは驚きを隠せない様子だった。


「今、暇か?」

「……?」

「暇なら昼飯でも一緒にどうだ?」

「……いや、別にいらな―――」

「そうか。じゃあ、行くぞ」


 影使いの断りを聞く前にキョウは、彼女の手を掴んで強引に引っ張っていく。

 完全に油断していたこともあるが、それでも自分の腕を掴まれたことに驚きつつ、彼女はキョウに引き摺られていたが―――流石にその状態では非常に目立つ。

 仕方なく、掴まれていた腕を外すとキョウの横に並んだ。


「……どこにいくの? 兵士の詰め所?」

「はっはっは。中々面白い冗談だな。先程も言ったが、昼飯だ。昼飯」

「わけがわからない。私と貴方の関係でどうして食事になる?」

「細かいことはいいんだよ。とにかく俺は腹が減ってる。そのついでだ、付き合ってくれ。勿論代金は俺が持つ」

「……はぁ」


 有無を言わせない強引さにため息を吐いた影使いは、これ以上反論しても無駄だと感づいたのだろうか、心底面倒そうな表情でキョウと並んで歩いて行く。

 彼女は歩きながらちらりと横目で隣を歩くキョウの姿を見てみるが、背筋はすらりと伸び堂々とした歩く姿が映る。それが決して罠を仕掛けるような人間ではないことを訴えてきていた。

 チロチロと街中を流れる川の水音が、心地よいせせらぎを聞きながらキョウの足が止まる。

 

 古い煉瓦作りの建物。木製の扉の手前には数段の階段がせり出していた。

 玄関口の横には、看板がかけられていて、そこにはレイニー食堂と達筆な字で書かれている。


 キョウは躊躇いなく背中を向けて階段を登り玄関を開けて中へと入っていった。

 暗殺者である自分に背中を見せる愚行に呆れつつ、特に攻撃することもなく彼の後に続いた。


 建物の内部は外の外見と比例して古臭く汚れていたが、その割には多くの客が入っているのが印象的であった。

 ざっと見渡すとテーブル席は全てが埋まっているようで、どうしたものかと悩んでいるとカウンターに座っていた二人の客が丁度食事を終えたのか会計を済ませて去っていく。

 そこに着席すると、キョウはメニュー表に目を通しながらどれを注文するか考えていたが、影使いは特にメニュー表を見るでもなく手持ち無沙汰に足をぶらつかせていた。


「なんだ。もう注文するのを決めたのか? はやいな、お前」

「……別に。あたしはいらない」

「なんだ。本当にもう昼飯食べたのか?」

「いや、食べてないけど……」

「それなら遠慮するな。子供が遠慮するなんてつまらんぞ?」

「子供って、なにさ。あたしはこう見えても十四歳なんだから」

「はっはっは。なんだ、それは? なかなか面白い冗談だな。十四歳は十分に子供だ」

「……うるさいな。じゃあ、あんたは幾つなのさ?」

「俺か? 俺は十五になったばかりだな」

「あたしと一歳しか変わらないじゃない」

「一歳も、と言い換えておこうか。例え一年でも俺の方が年上なんだから、子ども扱いしてもいいだろう? おっと、とりあえず今日のお薦め二つにしておくか」


 影使いの皮肉をあっさりと聞き流しながら、店の人間に二人分の注文をすると近くに置いてあったコップに水差しから水を入れて彼女へと手渡す。

 戸惑っている様子の暗殺者の顔を見て、キョウは苦笑をこぼす。


「それにしてもまさか昨日の今日でこの街に……しかも真昼間から出歩いているのに驚いたぞ?」

「別に。あたしの姿を見つけることができる人間がそう簡単にいるはずがない」

「まぁ、それはそうだな。俺でさえ今でも気を抜けば見失いそうになるくらいだし。昨晩戦ったときの動きは正直見事だった。ほぼ全ての動きを見切れなかったのは久々だ」

「……見えなかった割にはことごとく避けていたけどね」

「勘だな、勘」

「……それで避けられるならあたしは廃業しないといけなくなる」


 勘で全てを避けきったと言い切るキョウに、影使いは表情を変えてはいないがどこか呆れた表情であった。

 今まで必殺必中を誇ってきていた彼女の攻撃を、例え勘であっても避けきった相手はそれこそキョウ=スメラギが初めての相手だ。

 自分と同等の怪物だと確信を得ていたのだが―――今の彼には昨晩の危険香る気配は微塵も感じられなかった。

 確かに人を寄せ付けない雰囲気を発してはいるが、それはあくまで通常の人の範囲内に収まっている。昨晩のような、人を外れかけた怪物染みた様子が見られず、それに少しだけ影使いの内心はざわついた。


 そうこうするうちに料理が二人の手元に運ばれてくる。

 パチンっと手を合わせて。


「そんじゃ、とりあえず食べるか。話は後だ後」

「……」


 分厚いステーキが何枚かにカットされた豪快な肉を口に運びながら、御飯をかき込む。

 ガツガツと食事をすすめるキョウに対して、影使いは手元に置かれている料理に手をつけるかどうか迷っている様子で、それを見越してヒョイっと彼女の肉を一つ箸で摘んで口に入れる。


「毒なんか入ってないぞ? そんな小さいことなんかしないから安心して食べろ」

「……うん」


 恐る恐る肉を口に運び、モグっとほんの少しだけ齧った彼女は―――無表情だった顔に驚愕が浮かび上がる。

 信じられないほどの旨みが口内に広がっていく。これまで食べてきた食料など比べ物にならない味わいに、手が止まらない。こんな美味い食べ物があったのか、と彼女の姿が表しているようだった。何故なら今まで彼女が食べてきたのは完全に管理された食事だったからだ。味ではなく栄養を優先された食品。そのため、今目の前に出された料理など、生まれて初めて口にする類の味わいだった。  


 キョウにも負けない勢いで食べ始めた影使い。

 僅か数分でかなりの量の食事を腹におさめた二人は、満足そうに腹をさすりながら水を飲んでいたのだが―――突如はっと今の状況を確認。食欲に負けた自分を恥じるように俯く。

 ただし、そんな彼女の口元にはステーキのソースがついていることに気づき、キョウはニヤニヤと笑みを浮かべながら飲み干したコップに新たに水を注ぐ。


「どうだ? なかなか美味いだろう? 俺がこの街にきてから殆ど毎日世話になっている食事処なんだが」

「……べ、べつに」

「素直ではないな。まぁ、別にいいけど」


 コップをカウンターに置くと、カタンっと軽い音をたてた。

 今までの緩みきった雰囲気が消失して、真剣な眼差しで影使いを貫く。

 突然の変貌に影使いはごくりっと息を呑む。

 

 ―――ああ、これだ(・・・)


 歓喜に全身が打ち震える。

 昨晩の時と同じ、人外の域に達した怪物の登場に口角がつりあがった。

 日常に突如現れた二人の異質に、周囲の人間は全く気がつく素振りを見せてはいない。

 二人ともが放つ異様な気配は、至極狭範囲―――即ち、互いにだけ感じられる範囲に向けて発せられていたのだから。


「それで、当然お前は標的に暗殺を諦めていないわけだ」

「当たり前。それが仕事だから」

「そうか。まぁ、傭兵やってる俺からは何も言えんが、一つ賭けをしないか?」

「……賭け?」


 訝しそうに首を捻りながら、キョトンっとした顔でキョウの発言を繰り返す。

 口元についたソースがやはり少しばかり間抜けにも見えた。


「ああ。恐らくお前は明後日の夜会で標的を狙うだろう? その時に俺がお前を止める事ができたら俺の勝ち。標的を殺すことが出来たらお前の勝ち。敗者は勝者の願い事を一つ聞く。それがどんな願い事でも、だ」

「……それはあまり意味がないと思う」

「ん? それは何故だ?」

「だって、戦えば―――あたしは貴方を(・・・・・・・・)殺してしまう(・・・・・・)


 勝つのは自分だと臆面も無く言ってくる影使いに、キョウはへぇっと口元を歪める。

 死んでしまう貴方には願い事を叶えることはできないと、彼女の台詞の裏には込められていた。


「意味はあると思うぞ? 戦えば―――俺はお前を殺さずに倒すことが出来るからな」


 キョウもまた、挑発するように発言をして、それにピクリっと眉を動かす少女。

 二人の視線が交錯。パチリっと火花が音をたてる幻聴と幻視を巻き起こす。

 建物の中の温度が急激に下がっていく。それを不思議に感じた店内の客が不可解気に店の中を見渡している。

 一触即発。そんな雰囲気を醸しだしている二人だったが、ふっと笑みを浮かべたキョウが椅子から立ち上がることによって険悪な空気を霧散させた。


 それを合図に店内の温度も元の蒸し暑さになり、この店を日常の世界へ戻すことになった。

 二人分の会計を済ませると、キョウは出口へと足を向ける。


「さて。そろそろ休憩時間が終わりだから先に失礼しよう。ああ、それと賭けを忘れるなよ?」

「……そっちこそ。死んでから後悔しないように」 

「はっはっは。いいな、やはりお前は。多分だが、お前とは長い付き合いになるような気がする」

「そう? あたしはそんな気がしない。次の戦いで終わりだから」

 

 そうなるかもしれないな、と薄く笑ったキョウは影使いに手拭いを投げつけた。

 それは放物線を描き寸分の狂いも無く彼女の手元にポスリっと小さな音をたてて落下し、この意味がわからなかった影使いは何の意味なのか聞こうと口を開こうとして―――。


「口元。ソースついてるぞ? 可愛らしい顔が台無しだ」


 くっくっく、と含み笑いを残し、自分の口元を指差してからキョウは即座に店内から出て行った。

 慌てて口元を拭えば、確かに手拭いはソースの汚れが残されており―――冷静沈着な彼女が、恥ずかしさと悔しさで、顔を僅かに赤く染めていたことをキョウはおろか、当の本人さえも気づいていなかった。















 

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