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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
三部 東大陸編
46/106

四十五章 決戦4




 ノインテーターは行く手を遮る炎の壁を目の前にして、逃げ出そうとしていた足を止め、背筋が寒くなるような笑みを浮かべているナインテールを忌々しそうに睨みつける。

 死者の王の眼光は鋭く眼前の幼女の顔に突き刺さるも、睨まれている当の本人は気にしている素振りを見せてはいない。

 逆に微風のように受け流している様子は、彼と彼女の差を如実に現している印象さえ受ける。

 

「何故だ。何故お前が人間の味方をする!?」

「別に人間の味方をしているわけじゃないさ。ただ、僕の子孫の願い事を叶えてあげているだけだから」

「……子孫? あの、《七剣》か?」

「そうそう。僕が願い事を一つだけ叶えてあげるって言ったら、あの娘はなんて言ったと思う?」


 今はもういないラグムシュエナの姿を思い出しながら、ナインテールはクスクスっと笑みをこぼしながら。


お兄さん(・・・・)を助けて(・・・・)あげて欲しい(・・・・・・)、っていったのさぁ。今にも自分が死にそうだっていうのに。いやいや、不覚にもキュンっときちゃったものだよ」


 獣のように裂けた瞳を、爛々と輝かせながら。


「わかるかい? 僕は人間の味方をしているわけじゃぁ、ない。僕が味方をしているのはキョウ=スメラギという人間にさ。本来ならこのままお前を焼き殺して終了といきたいんだけど……今回の僕の手助けはここまでかな」

「な、に?」

 

 ナインテールの視線から逃れようと身構えていたノインテーターがかすれる声で聞き返す。  

 相手の真意を推し量ろうと目の前の怪物の表情を凝視するも、彼女の感情一つ読みとれない。


「だって、キミを殺すのは僕の役目じゃないし。キミに相応しい死神が―――ほら、来たよ?」

「何を言って―――」


 ノインテーターの台詞を途中で遮る神風が一陣その場に吹き付ける。

 背中を打ち付ける殺気という名の風を全身に浴びた彼が慌てて背後を見やれば、死者の荒波を乗り越えて一人の剣士が姿を現した。他の者達はそれぞれが押し寄せる死者を蹴散らし続けている様が見て取れる。

 死者の大海原を遂に駆け抜け、キョウとノインテーターが相対した。


 キョウが不死王よりも、彼の背後にいる幼女に鋭い視線を送る。

 幻獣王ナインテール。キョウにとっては彼女が何者かはわからないものの、一目で尋常ならざる相手なのは確信を得た。

 剣士の視界に映るのは―――幼い肉体に極限にまで凝縮され、濃縮され、圧縮された超越種の気配。

 目の前のノインテーターなどよりも遥かに危険な存在が、心を鷲掴みにするような危うい笑みを口元に浮かべて、キョウを観察している。

 その気配の重さは陸獣王セルヴァをも超えているようにも感じられ、警戒を強めた。


 風が、さぁっと不浄の空気を消し飛ばす。

 金色のツインテールが、風に揺らぐ。黄金色の着物が、背後で燃える妖炎に照らされて奇妙な色合いをしていた。

 木で出来た下駄を履いた彼女の素足が、着物の隙間から見え、白磁のような美しい肌色が艶かしい色香を放っている。

 まるで魅了されるような容姿と雰囲気を纏う彼女は、警戒しているキョウとは真逆に何か行動を取ろうともせずに両腕を組んでその場で仁王立ちしているだけだ。


「安心していいよ、剣士殿。僕は戦いに来たわけじゃない。ノインテーターとキミとの戦いを見届けにきただけさぁ」


 気を抜けば地に這いつくばってしまうような甘い声に耐えながら、それでも警戒を緩めないキョウに対してどうしたものかと思案していたが、何かを思いついたのかにこりと笑って―――。


 右手で自分の左手を掴むと、軽々と圧し折った。

 バキィっと木片が砕き折れる音と勘違いしそうな軽い響きを周囲に轟かせる。

 あまりに突然の行為に、唖然とするのはキョウとノインテーターだった。


「これで信用できるかな? もし心配ならもう一本いっておこうか?」

 

 自分で腕を圧し折っておきながら、表情には苦痛が全く浮かんではいない。

 逆に先程より濃くなった笑みが、キョウの視線を掴んで離そうとしなかった。

 

「……いや、もういい」

「あれ? いいの? それなら僕もこれ以上痛い思いしなくてすむから助かるけどねぇ」


 折れた左手をさすりながらあっけらかんとしているナインテールに薄ら寒いものを感じつつ、不死王を視界の端に捉えながら見た目十歳程度の幼女に注意のほぼ全てを割いていた。

 自分の手を折ってまでキョウの信用を買おうとしたのは驚くべきことだが、それが罠ではないとは言い切れない。その程度で完全に信用して、隙を見せるほど彼は甘くは無い。目を離した瞬間に奇襲を仕掛けられたら、ナインテール程の相手から回避することは流石のキョウとて不可能に近い。


「うんうん。いいねぇ。その完全に信用していないところとかぞくぞくしちゃうよ」 


 そんなキョウの内心を読み取っているのか、ナインテールはどこか陶然とした様子で呟いていた。

 ちろりっと赤い舌が唇を軽く舐め、それがまた幼い容貌の彼女の仕草とはかけ離れていながら―――あらゆる異性を惹き付ける魅力が溢れ出していて、彼女の姿は獲物を見つけた肉食獣のようにも見えた。

 

 そんなナインテールの様子から突然奇襲を仕掛けることはないだろうと一旦は判断したキョウが、改めて本命であるノインテーターへと小狐丸の切っ先を向けた。

 剣士が放つ物理的な圧力さえ伴う殺意に不死王は反射的に逃げようとするも、後ろには剣士以上の化け物が佇んでいることを思い出し踏みとどまる。


 まさに前門の虎。後門の狼。

 両者とも仮にも不死者の王であるノインテーターに十分すぎる死の香りを匂い漂わせる。

 そんな中でも彼は頭の中でめまぐるしく最善の一手を導き出そうとし、即座に今の状況を乗り切る方法を考え出した。


 方法としては幾つかあるが、まずは後方のナインテールを打倒する。

 これはほとんど不可能に近い。ここまで近づかれてしまった以上、彼女に少しでも戦意を向けたならば盾となる死者を動かす前に焼き滅ぼされる。彼女から逃れようにも、逃げ道は火の壁で塞がれているうえに、これをどうにかするにはナインテール本体を叩かねばならない。つまり、彼女と敵対するということは実質的な積みである。


 もう一つの方法は、目の前の剣士を倒すこと。

 会話の中でナインテールは自分の手助けはここまでだ、と語った。

 ならば目の前の剣士を倒せば、彼女は人間への助力を辞める可能性もある。

 逆に激情して襲い掛かってくるかもしれないが―――ナインテールに限ってそれはないだろうと希望的観測にしか過ぎない考えを持つ。

 目の前の剣士は恐ろしいほどに手強いが、それでも可能性という点で考えればまだナインテールよりは生存できる確率が高い。


 もはや自分で戦うしかこの場から生き残る手段はないと確信したノインテーターは、この戦争が始まってから初めて―――自分の手を汚す覚悟を決めた。


「……全く。まさかこれだけの盾を揃えながら、俺が戦わなければならない事態に陥るとはな。世の中はわからんものだ」


 両手の指をゴキゴキと鳴らしながら、不死王はキョウへと一歩足を踏み出してくる。  

 追い詰められているというのに、何故か彼の顔からは余裕が消えていない。

 キョウの戦闘力は、開戦の時の一撃で嫌というほど身体に叩き込まれただろうに、まるでそれを覚えていない―――或いはあの程度では脅威とみなしていない様子に、流石の剣士も若干訝しんだ視線を送った。

 確かにノインテーターの力は普通の人間にとっては恐るべき領域に達している。

 それこそ彼の肉体一つで都市一つを落とすことは容易いだろう。

 だが、幻想大陸に来てから戦ってきた相手の強さは不死王の比ではない者ばかりだ。

 

 陸獣セルヴァや竜女王テンペスト・テンペシア。

 悪竜王イグニード・ダッハーカと見比べれば天と地ほどの差がある。

 

 疲労を感じ、動きが多少鈍っているキョウ自身でも敗北するとは微塵も思わない。

 

 だからこそ、キョウはノインテーターの異常とも言える自信に違和感を感じた。

 まさか王位種ともあろう存在が、自分と相手との力量差を感じ取れないわけがないと考えながら―――。


「……ユエナの仇ここで討たせてもらおうか」


 小狐丸を両手で握り基本となる正眼の構えを取る。

 多対一ならともかくこの状況ならば、周囲を気にする必要もない。

 吐き出す息の熱さを自覚しながら、キョウは意識を不死王のみに集中させた。確かにナインテ-ルは注意しなければならない敵だが、奇襲も許さない一瞬で葬り去ることを心に決め。


 とんっと地を蹴る音が一つ。

 地を踏み締めていた両足が鈍い震動を残し地面に罅割れを起こし、ノインテーターの懐深く踏み入ったのは彼が瞬きをした一瞬だった。

 おおっと心底感心したナインテールの驚きがあがる。

 幸いにも本当に邪魔はしてこないようで安堵をするも、その直後には小狐丸がノインテーターの脳天目掛けて唐竹に叩き込まれる。

 当然避けることも防ぐこともできない一撃が、見事と周囲が口に出すほどに躊躇い無く不死王の頭に直撃し―――皮膚一枚も斬れずに額で止められていた。


 ぐにゃりっと気色の悪い感覚が柄を握るキョウの手元に残され、怖気が奔る。

 半日ほど前の開戦の時にノインテーターを斬った時と同じ感触に、眉を顰め流れる動作で袈裟懸けを見舞う。 

 しかし、やはり小狐丸をもってしても相手の皮膚一枚も切り裂くことが出来ていない。

 

 戸惑ったキョウへと不死王の振り上げられた拳が、容赦なく打ち下ろされた。

 速く鋭い打撃とはいえ、キョウにとってはかわすのは容易い。最低限の見切りで避けようとしたキョウの第六感が突如喚きたててきた。やめろ、死ぬぞっと。頭に痛いほど忠告を繰り返す。

 咄嗟に後方へと大きく逃げたキョウの一瞬前までいた場所が、爆弾で炸裂したかのように大きな激音と衝撃を巻き起こす。砂埃が舞い、しばらくたってそれが治まった後には、まるで巨人の腕と思わせるほどに肥大かした腕を大地へ叩きつけているノインテーターの姿があった。


 よじれた右腕。黒く腐ったような肉で包まれ、腕だけで数メートルの大きさがある威容。

 ぐじゅぐじゅと腐った油のような腐臭を漂わせ、それを全く気に留めない不死王が、嘲るような笑みを浮かべ。


「よく避けた。ああ、見事だ。人間に俺の本気を見せねばならないとは。それをもはや屈辱だとは言わん。お前は、ここで殺さねば、俺が殺される。生きるか死ぬか―――今ここで決めてやろうじゃないか」


 生物としての禁忌の枷を外し、荒ぶる情動を身に宿す。

 命なき人間。エルフ。ドワーフ。猫耳族。人狼族。狐耳族。鬼人族。魔獣。巨人族。竜種。魔族。幻想大陸に住まう他のあらゆる死者をかき集め、それを取り込んだ唯一の怪物が、()という姿を打ち破り、産まれ出でる新たな死者の王の誕生を証明するかのように世界に邪悪を撒き散らす。


 ミシリっと骨が軋む音。

 ノインテーターの肉体が巨大化していく。

 圧倒的な質量で、肥大化していく。 


 視線を送ることさえ躊躇う化生。

 キョウの前に現れたのは全長十数メートルを超える巨人。

 ただし、不死王の面影はなく―――それはまるで死者をそのまま巨大化させたような姿。

 腐肉と腐液のみで構成された黒い巨人が、目も口も鼻も残されていない相貌で眼下のキョウ=スメラギを見下ろしていた。

  

「……何をしたんだ、キミは? 不死王種にこんな変態する能力はなかったはず。女神の定めた在り方から外れすぎているよ……いや、違う?」


 ナインテールは目の前に現れた巨人に珍しく驚いたのか、ぶつぶつと独り言を呟きながら、黒い化け物を見極めようと目を細めていた。


「……あれは、腐肉? 変態じゃない……まさか、特異能力(アビリティ)で操るのではなく、取り込んだ?」


 何かに気づいたのか、あっと声をあげて巨人となったノインテーターを見上げる。

     

「ク、カカカカ。少しだけ違うが大体は合っているぞ、ナインテール。これが、俺が目指した特異能力(アビリティ)の終着点―――()で最強を目指した成れの果て。数万もの死者を圧縮し、凝縮し、己の()として纏ったのがこの姿だ」


 口もないというのに、どこからかノインテーターの声が聞こえる。

 ただし、それは直接脳に響く不快さを持っており、その場にいた二人が反射的に眉を顰めた。


「俺は、個では獄炎の魔女には及ばん。だからこそ、群で全てを凌駕しようと考え続けた。それが百万の死者であり、この死者の鎧だ。わかるか、ナインテール。今のこの俺を傷つけるということは、圧縮された数万にも及ぶ死者の肉体の壁を越えねばならんということだ」

「……いやいや。それは流石に僕でもちょっときついかなぁ」


 どこか呆れたようなナインテールがハァっとため息をつきながら両肩を竦める。

 無理とは言わずに、キツイという表現を口に出した彼女に、ノインテーターが纏う空気が引き締まった。


「本当にたいしたものだよ、うん。キミのことは嫌いだけどよくそこまでやろうとしたね? それを鎧とは言ったが―――恐らくそれは解除できない(・・・・)というのに」

「ああ、その通りだ。俺はこの姿のまま生き続けねばならないだろう。だがな、獄炎の魔女を倒すことができるのならば、それくらいは安いものだ」


 たった一度だけ使える本当の意味での奥の手。

 死者の肉体を自分の身体に纏わせる外法。

 それを一目見て、ナインテールは黒い巨人の姿から元には戻れないということを瞬時に見破っていた。

 もしも、何時でも変化可能であるならばここまで追い込まれてから出すというのは少々腑に落ちない。もっと速くこの力を発現させていてもおかしくはないからだ。

 ならばある程度のリスクがあって然り。元に戻れないというのは半ば予想でいったことだが、それが当たっていることに多少彼女も驚く。


「普段の状態でも多少は肉の鎧が扱えるとはいえ、やはりこの姿には及ばん。さて、またせたな―――人間。改めて始めようか」


 黒い巨人の何も無い相貌に、突如ギョロリっと生気の無い目が二つ。グパっと巨大な口が一つ。 

 薄気味悪い眼で眼下のキョウを睨みつけてきた。


 ノインテーターの眼が鋭く細まると同時に、キョウはその場から大幅に飛び退いた。

 キョウが立っていた場所を、黒い巨人の拳が打ち抜き、小規模なクレーターを作り出す。

 巻き起こった暴風に吹き飛ばされながら体勢を整えたキョウへと、黒い巨人が容赦なく突進してきた。

 一歩歩くごとに巻き起こる地響きと突風。巨体から発せられる圧力は、尋常ではなく。

 獄炎の魔女だけを殺すために四十年を捧げてきた一体の怪物の全てがそこには濃縮されていた。


「お前を殺し!! 《七剣》を殺し!! 獄炎の魔女を殺し―――俺は俺の宿願を叶えてみせる!!」


 天地を揺るがす雄叫びと、爆走する巨人の足音が重なって鳴り響く。

 身の丈からは予想も付かない俊敏な動きで、キョウを逃すまいと迫ってくる怪物の拳が大地を陥没させた。

 周囲に撒き散らされる土砂がこの場にいる全ての者の視界を覆い隠す。

 

 砂煙に隠れ、小狐丸で巨人の腕に横一閃。 

 だが、その一撃はやはり皮膚を斬ることさえも出来ずに、表面で受け止められる。

 ノインテーターが言ったように、数万の死者を圧縮させた鎧となれば、なるほど―――さしもののキョウと言えど、破壊することは不可能だ。

 これが不死王を切り裂くことができなかった理由か、と納得しながら腕を振り回してくるノインテーターから逃れるように動いていく。


 死を感じさせる圧力と衝撃を連続で巻き起こしながら拳を叩きつけてくる不死王に、隙あらば小狐丸で斬撃を叩き込むも、巨人の動きを止めることはおろか、皮一枚さえ断ち切れない状況が続く。

 

「―――無理だ、人間!! お前では、俺の鎧は超えられん!! 傷つけることなどできん!! 我が死者の鎧を打ち破ることなど決して不可能だ!!」


 不死王の哄笑が響き渡る。

 それを聞きながらもキョウの動きは鈍らない。

 ノインテーターの攻撃を華麗にかわしつづけ、時折反撃まで叩き込む。

 その戦いを見ていたナインテールは、首を捻る。


 そうだ。確かにノインテーターの言うとおりだ。

 キョウ=スメラギの動きは素晴らしい。腐臭を漂わせ、腐肉に包まれた魔性の怪物と真っ向から戦っている。

 その勇気。その精神力。その強き意思。どれもがナインテールを惹き付けるには十分な要素だ。

 

 ましてや彼の刀が放つ一閃一閃に心惹かれる。

 斬撃の重さ。剣閃の速度。斬閃の角度。

 一太刀に込められる全てが、ナインテールでは理解できないほどに洗練されている。

 彼女にわかったことはただ一つ―――とてつもなく美しい。それだけだ。

 一瞬とも言えない隙を逃すことなく、矢継ぎ早に繰り出される刃の輝きに、子宮がキュゥと心地よい圧迫感を感じている。

 何時の間にか修復されている左手の人差し指を唇にあてると、軽くなぞった。

 

 金色の瞳を危うい光で煌かせ、キョウの姿を追い続ける。

 そんな彼は何故戦うことを諦めないのだろうかと、ふとした疑問が鎌首をもちあげてきた。

 ラグムシュエナという知り合いを殺された怒りからだろうか。多くの人間を殺されたからだろうか。それとも剣士としての性だろうか。 


「……まぁ、なんでもいいかぁ」


 思考をあっさりと投げ出したナインテールの眼前で、黒い巨人の鉄槌が大地を砕いた。

 紙一重でかわしたもののその攻撃で身体を浮かされたキョウへと迫る、裏拳。風を打ち抜く狂暴な音。

 直撃したらあっさりと肉塊に変えられるその攻撃が、剣士へと激突。遥か彼方へと飛ばされていくキョウの姿を見て―――ナインテールはぞくっと背筋に冷たい悪寒が駆け抜けるのを体感した。

 血の気が引く思いとでもいえばいいのか、これまで感じたことの無い失望感が胸を支配して―――黒い巨人に向けて咄嗟に攻撃を加えようとして、押し止まった。

 半ば茫然としながらノインテーターに向けた自分の手の平を見つめる。

 

 自分が今何をしようとしたのか、彼女自身わかっていない。

 もやもやとした感情が全身を支配していき―――兎に角、この気持ちが不快としかいいようがなかった。  

 

 だが―――弾き飛ばされたキョウは、空中で体勢を整え遠方で着地する。

 ごほっと吐血するも、それだけで済んだことに見ているナインテールが驚き、それ以上に何故かほっとした。

 

 打撃を喰らう瞬間に、ほとんどの衝撃を殺していたことに気づいたのは、実際に殴りつけたノインテーターだけだ。

 あまりのしぶとさに、ノインテーターがポッカリと開いた口の中に見える腐った牙を剥き出しにして、闘争本能を全開にしながら走り寄ってきた。


 ノインテーターだけではなく、弾き飛ばされたキョウの周囲には数多くの死者が蠢いている。

 ディーティニア達が相手取っている死者の軍勢とはまた別の方向にいる怪異がキョウの逃げ道を塞ごうと襲い掛かってきていた。四方から迫り来る死者を斬り殺し、それでも脱出できない包囲網。


 これはまずいっと敗北の予感がチリっと目の前で火花を散らしたその時。


「―――なーにやってんのさ。こんな奴に苦戦してるんじゃないよ」


 数百の影が舞う。

 地上に映っていた死者の影法師を操り、キョウの周囲の敵を薙ぎ払ったアールマティが、地面を擦りながら着地した。

 それと時を同じくして叩き落される巨人の拳に、少しだけ慌てながら左右に散って避ける二人に、地面から弾け飛んだ土砂が激しくぶつかってくる。

 

「いや、というか。なに怪獣大戦争やってるわけ?」

「……知らん。気がついたらあんなにでかくなっていたんだ。俺が悪いわけじゃない」

「そうなんだろうけど……幾らなんでも防御力が半端ないんだけど、あれ」


 ノインテーターの影を操り背後から串刺しにしようとするも、厚過ぎる肉の壁をやはり突破できない。

 横目で見ていた限り、キョウの小狐丸でも断ち切れないとなると、取れる手段が皆無といっても過言ではなかった。


「幾ら増えようと無駄だ!! これ(・・)は数万の死者を圧縮した俺の()!! 俺と言う()を守護する無敵の()の鎧だ!!」


 相変わらず脳に響くしゃがれた声で、だがはっきりと喚き散らすノインテーターが、二手に分かれた二人のどちらを狙うか一瞬迷うが、キョウを捉えることは困難と判断して今度はアールマティを狙って突撃する。

 自分に向かってくる黒い巨人の姿に嫌そうに口元を歪めた影使いは―――しかし、相手の叫びにキョトンっとした表情となり、クシシっとチャシャ猫のような笑みへと変化した。 

  

「―――聞いたかい、キョウ。こいつは、今自分で言ったよ? この無敵を誇る肉壁は、自分という()を守護する()の鎧だってね。それなら後は簡単だ。それなら(・・・・)あんたに斬れないモノはない」


 黒い巨人の追撃から逃れながら、アールマティはノインテーターの注意を集め続ける。

 周囲を満たす死者の影を操り、自分だけに攻撃を集中させるように動き続けた。


「さぁ、やりなよ。キョウ=スメラギ!! 対個人にのみ特化して特化して特化して、制約に誓約を重ね、尖りに尖ったあんたの特異能力(アビリティ)!! この化け物にぶち込んでやれ、《言霊》使い!!」


 自分を遥かに凌ぐ巨大な体躯の巨人を相手取り、絶望も諦観も見せずに影を操ってノインテーターの進撃を防ぎ続けるアールマティの宣言にも似た咆哮が聞こえるのと同時に、彼の本能がひたひたと這い寄ってくる死神の足音を聞き取った。


 パチン。


 爆音と轟く戦場にて、穏やかな納刀の鞘鳴り。

 全身を鉄壁である肉の鎧で覆っているというのに、ノインテーターはそのことを忘れてしまった。

 数十メートル離れた場所で、キョウが小狐丸を黒鞘に納めて、抜刀の体勢を取っている。これまでの戦いから彼は魔法も使えないことにノインテーターは気づいていた。だからこそ、あれだけ離れた位置から取れる手段はなにもないはず。

 頭ではわかっていても、本能と肉体がそれを拒絶した。

  

 数秒もあれば容易く辿り着けるキョウのいる場所へ、不死王が駆ける。

 大地を揺らし、轟音を響かせて。


 左の腰に差してある黒鞘を、若干後ろに押しやって右手で軽く小狐丸の柄を握っておく。

 大きく引いた左足で大地を掴み、その感触を感じ取る。

 やや前方に踏み込んでいる右足で、自分の立ち位置を確かめた。


 チャキ。


 左手親指で鯉口を切り、呼吸を深く。

 身体を沈め、迫り来る黒い巨人を見据えた。


「―――お前を斬るぞ(・・・・・・)


 戦場に響き渡る、剣士の一声。

 死者も、騎士団も、アルストロメリアも、ライゴウも、アルフレッドも、アトリも、ディーティニアも、カルラも―――果てはナインテールでさえも聞き惚れる死を内包した声だった。


 迸る剣閃が、誰の目にも止まることなく世界を渡る。

 空間を断ち切った優美な斬撃が曲線を描いてノインテーターの視界を埋め尽くす。

 風よりも、音よりも、光よりも速く。

 必滅呪詛とも呼ばれる対個人に特化した奇跡が、キョウの描くとおりに剣の軌跡を構成する。

 万物の輪郭さえもぼやけるような、白銀色に染まった視界に反応も出来ずにいた不死王は身動き一つせず。


   

 次に聞こえたのはパチンっという納刀の鍔鳴りで。

 誰一人として何が起きたのか理解できない戦場にて、アールマティだけは漸く終わったと言わんばかりの態度で肩を回しながら歩いて行く。

 途中で動きを止めてしまっている黒い巨人の横を平然と通り過ぎ、お疲れさんーと気安くキョウの背中を数回叩くと、剣士もまた、深い息をついて抜刀の体勢を崩した。 

 

「―――な、ぜ、だ」


 しゃがれた声が轟いた。

 ノインテーターが、自分に起きた現象を理解できないように、茫然と二人を―――いや、キョウの姿を凝視している。

 

「……これ(・・)が俺の特異能力(アビリティ)。如何なる鉄壁の防御を敷こうとも、如何なる魔法の障壁を張ろうとも―――俺の一撃は狙った対象を斬殺する」


 答える義務はない。

 だが、それでもキョウは口を開いた。

 哀れんだわけでも、憐れんだわけでも、情けをかけたわけでもない。

 ラグムシュエナを殺した憎悪は尽きることは無いが、それでも自分の全てを賭けてまで戦おうとした相手に多少の敬意を抱いたからだ。


「―――もしも、お前がその肉の鎧を自分自身(・・・・)だと認識していれば、俺の刃はお前の命まで届かなかっただろうがな」

「……そ、うか」   

  

 詳しい内容はわからない。

 だが、わかったことは一つだけ。

 不死王ノインテーターは、完膚なきまでに人間に敗北したと言うことだ。


 最後の最後まで()としての力を求め続けた彼は、だからこそ敗北した。


 黒い巨人の中心に一筋の亀裂が迸る。

 そして―――空間がずれた。

 大地に立ち尽くす黒い巨人が、頭から股下までの一直線に亀裂が広がっていく。

 ずるりっと左右対称に断ち切られた二つの肉体が、崩れ落ちていき地面に倒れて地震と轟音を高鳴らせた。

 不浄な空気が。おぞましい腐臭が。不死王ノインテーターを纏って構成する数万の死者の肉体が。そして、彼の魂までもが。


 歪み。軋む。


 戦場を駆け抜ける旋風が、この場にいる全ての存在を優しく撫でつけ。

 パシャっと黒い水飛沫をあげて、残された数十万の死者を灰燼と化す。

 

 

 東大陸最悪の危機と後世に言い伝えられる不死王ノインテーターの侵略は、今ここに終焉を告げた。









 

主人公の能力説明やらは後日また出ます。

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