四十四章 決戦3
大地を埋め尽くす死者の大軍勢を眼下に見下ろし、アルストロメリアは自分の感情が凍えていくのがはっきりと理解できた。東大陸の玄関口である港街ファイルに到着して驚いたことは、街が壊滅していたことだ。
不死王の行動の素早さは彼女の想像を超えており、四十年前の比ではなかった。
街中から人の姿は消えており、その街にあった死体はたった一つ。
まさか、と思った。
嘘だと信じたかった。
それでもアルストロメリアが目にしたのは―――同じ《七剣》ラグムシュエナの遺体。
腕が折られ、足を砕かれ、胸元を貫かれ、魔眼である左目をくり抜かれ。
辛うじて原型はとどめているものの、死ぬ間際にはどれだけの苦しみを味わっただろうか。
それを想像しただけで、腹が煮えくり返る思いだった。
そもそも《七剣》とは第一席であるアルストロメリアがこれはと思った人物を抜擢し、その地位を与える。
つまりは皆が、彼女に見出された者達ばかりだ。
それこそ二百年を生きる彼女からしてみれば、表には出さないが皆が自分の子供みたいなものである。
《七剣》は常に危険な戦いにかり出されるため、幾ら個人が強くても命を落とすことも数多い。
彼女も一体どれだけの同僚を見送ってきたか―――。
慣れたつもりだ。
感情を殺した振りでもしなければ、耐え切れなかった。
《七剣》の第一席として私情を見せずに、振舞い続けてきた。
だが、それでも―――。
「……我が娘同然の仲間を殺されて、我慢できるほど老成したつもりはあらへん」
口の中で呟いた言葉は誰の耳に届くことも無く消えていく。
左手に持った戦斧を、両手で握りなおす。
頭上に掲げ、一直線に振り下ろし、断ち切った空気が荒波となって傾斜の下にいる死者達を打ち据えた。
それでようやく、新たな生者の乱入にきづいたのか、反応の鈍い動きで西の方角に佇む千の軍勢へと頭をゆっくりと向ける。
「我らは神聖エレクシル帝国が特殲部隊―――《七剣》。もはや意思もない貴様らに名乗るのはそれだけで十分です」
こんな戦場でも聞きほれる、美声が轟く。
長身痩躯の肉体から立ち昇っていく青白い魔法力。それは溢れ出す余波だけで、大地を凍結させていく。
傍に居るほかの《七剣》でさえも、身体の芯から凍えさせてくる冷気に、得体の知れないな圧迫感を感じた。
「彼らは、我等が民を、同胞の命を陵辱しました。それは決して許せることではありません。いえ、もはや難しいことを言う必要は無いでしょう」
ガシャっとアルストロメリアの足が地面を噛んだ拍子に纏っている金属の鎧が軋む。
両手で握った戦斧に魔法力が流れ込み、青く輝き始めた。
「―――敵を一兵残らず殲滅せよ」
ゾクっとその場にいる全ての者の背筋に悪寒が奔る。
そして、騎士達よりも、他の《七剣》よりも早く、その場から疾駆した。
数十キロの重量の鎧を纏っていながら、彼女の動きはこの場にいる誰よりも速く。
巨大な戦斧を掲げながら、彼女の動きは一瞬で死者の大海へとその身を躍らせる。
そして―――戦斧を一振り。
地面に叩きつけられた鋼刃が、数体の死者を両断し、地面を爆発させる。
圧倒的な怪力が、大地に罅割れを起こし、砂や石を周囲に撒き散らす。
「―――永久凍土の果てに眠れ」
周りを埋め尽くす死者を薙ぎ払い、戦斧が青い輝きを放つ。
パキパキと数百にも及ぶ敵を氷柱の中に閉じ込め、大地に戦斧を叩きつける。
それを合図に、数百の氷像は砕け散って、霧散した。
息も乱さず次の敵へと疾走し、キョウの連撃に勝るとも劣らない速度で戦斧を振り回し、叩きつける。
一振りするたびに数体の死者は黒い靄となり、瞬きする間で数十の死者が塵と化す。
だが、死者の王の兵は恐れることも、途切れることも無く単身で乗り込んできたアルストロメリアへと襲い掛かる。
眼前を覆いつくす、絶望的な数を目の前にしても彼女の表情は全く変わらず。
力任せに戦斧で周囲を旋回、四方の敵全てが無情に弾け、飛んでいく。
グっと手元にその鉄塊を引き寄せれば、腐肉と腐汁で汚れていた。
軽く目の前で振ると、それらがパっと宙で散じる。
「永久凍土の地に潰えよ」
天に掲げた戦斧が地面に叩きつけられた瞬間、彼女を中心として半径百メートルにいた全ての死者が地面に叩きつけられ、立ち上がることも出来ず氷像となって、砕け散る。
瞬く間に数千の敵を屠ったハーフエルフは、しかし疲れる様子も全く見せず、次なる敵へと戦斧の切っ先を向けた。
《七剣》第一席アルストロメリア。
二百年―――不敗を誇る神聖エレクシル帝国の魔法戦士。
毎年送られてくる南大陸の大軍勢を薙ぎ払い。将軍級魔族をも軽々と打ち倒す。
かつては帝国は南大陸から来ていた生きた天災を相手取るために魔女の力を借りるしかなかった。
獄炎の魔女ディーティニア。
流水の魔女ティアレフィナ。
神風の魔女シルフィーナ。
撃震の魔女リフィア。
天雷の魔女アトリ。
遥か昔帝国には彼女達しか頼るものはおらず、五人の魔女によって支えられていたといってもいい。
だが、アルストロメリアの登場で事態は一変する。
《七剣》第一席に座った彼女は強すぎた。
戦争を単騎で左右できるほどに。第一級危険生物である魔王の侵略を防衛することができるほどに。
彼女がいれば問題ないと知った帝国の一部の貴族達が動き出し―――ある事件が起きる。
それを切欠として元々帝国の貴族に良い目で見られていなかった多くの魔女が姿を消し、残ったのはリフィアだけ。
突如魔女の力を借りれなくなった帝国は混乱に混乱を極めた。
しかし、それでも―――アルストロメリアは単身で魔族からの侵略を防ぎ続け。
二百年という長きに渡って、神聖エレクシル帝国を守護し続けてきた。
その力は他の《七剣》とは比べるまでも無く。
絶対不敗。絶対無敵。絶対最強。
何時しか彼女は、そう呼ばれることになった。
アルストロメリアの両腕が霞むたびに、死者の軍勢が削られていく。
南門前から死者の軍勢に風穴を開けていくハーフエルフの姿を見ていたキョウは、腹の底から来る震えを抑え切れなかった。我慢できずにハァっと息を吐けば、恐ろしいほどに熱された空気が吐き出される。
人を遥かに凌駕する膂力。
人を遥かに後方へと置き去りにする速度。
人を遥かに超越する魔法力。
キョウの前方には、ディーティニア以来の正真正銘の人の姿をしただけの怪物が身を躍らせている。
そして彼女の技術もまた、キョウに近い。戦場で磨き、戦場で育んできた、命を終わらせるだけの技。
全身にたった鳥肌に気づき、久方ぶりとなる本物の戦士の登場に、身体が喜びを隠せなかった。
「……ディーテ、あいつは?」
「《七剣》第一席。《永久凍土》のアルストロメリア。一言で言うなら怪物じゃな」
「ああ、見ればわかる。あんな化け物、久しぶりに見たぞ」
「そうじゃな……。のぅ、キョウや。今はまだあやつとは戦うでないぞ? お主とあやつでは相性が悪すぎる」
「……人を戦闘狂みたいにいうな。今の状況くらい弁えている」
「戦闘狂じゃろうに」
肩をすくめるディーティニアから顔を背けて、小狐丸で目の前の空間を横に薙ぐ。
並んで迫っていた三体の死者を容易く、骸へ変えると―――目の前に蠢いていた死者の軍勢が一掃されていることにキョウが驚く。
彼方にはまだまだ地平線まで埋め尽くす死者がいるものの、しばらくの休憩を取れるほどに、《七剣》と騎士団によって殲滅されていたのだ。
仮にも指揮官が単身で敵の軍勢に飛び込むなど有り得ないことだ。
だが、彼女の場合は少々事情が異なる。
アルストロメリアは広範囲に渡って発動する魔法が多く、彼女の傍に居ると魔法の発動に巻き込まれてしまう。
それに、彼女自身の近接能力もまた桁外れ。戦斧であらゆる敵を薙ぎ倒しながら魔法で多数の敵を蹴散らす。
その間に、他の騎士達が彼女の邪魔にならないように動く。
アルストロメリアが戦場に出る際、二百年の間そうやって魔族を殲滅してきたのだ。
周囲一帯の死者を塵と化した《七剣》四人と、千人の騎士団が南門の前にいるキョウ達のもとへと近づいてくる。
ピリピリとした奇妙な緊張感がその間にはうまれていた。
四人がキョウ達の目と鼻の先まで辿り着くと、アルストロメリアが戦斧をこちらに向かって歩き出している死者の軍勢の方角へと向けた。
それの意図が伝わったのか、千人からなる騎士団が流れるように陣形を取ると、キョウ達を死者から守るように長槍を手にその場から動こうとはしない。
騎士達に後方を任せたアルストロメリアがディーティニアに向かって一礼。
「お久しぶりですね、ディーティニア。お元気そうで何よりです」
「お主も、息災のようじゃな。噂は聞いておるぞ」
「それはどうもです。貴女の噂は全く聞かなくなったので、てっきり……と思っていましたが」
「ふん。ワシがそう簡単に死ぬものかよ」
「ええ、そうですね。貴女を殺せるものがいるとは思えません。私でも命を賭けねば恐らくは無理でしょうし」
「……お主が言うと冗談にはならぬのぅ」
無表情に話を続けるアルストロメリアと、少々苦々しい表情を浮かべるディーティニア。
だが、地響きをたてて近づいてくる死者の軍勢に気づき、《永久凍土》は獄炎の魔女へと歩み寄っていき、手を差し出した。あまりにも意外な行動に眉を顰めるが―――。
「プラダの街を守護していただき有難うございます。出来れば不死王を倒すまで、共同戦線と行きませんか?」
「……珍しいのぅ、お主から言い出すとは。ワシは神罰対象者じゃが、良いのか? 後でばれたら上から煩いのではないのかのぅ」
「構いませんよ。私が上から睨まれるのは何時ものことです。それに如何に私といえど、流石にあれだけの死者を屠ることは不可能です。今は少しでも戦力が欲しい所ですし」
「……良かろう。ワシらとしても有り難い。よいな、キョウ?」
ようやく得た休息の時間で、静かに息を整えていたキョウは突然のディーティニアの台詞に若干驚いたものの、特に反対する理由もないため素直に頷く。
魔女は口元を皮肉に吊り上げながら、アルストロメリアの手を握る。
「……まさか、再びお主と肩を並べて戦うことになるとはな」
「私としては貴女方にはお世話になっていましたので、是非帝国に戻ってきていただきたいのですが……無理でしょうね」
「うむ、無理じゃな」
グっとしっかりと握り合うと、手を離す。
なにやら友情を確かめ合っているようにも見える二人とは別に、第四席のライゴウが―――カルラの姿に気づく。
「お、おい。何でお前がこんな所にいるんだ?」
「ああ……ライゴウ殿。二十数年ぶりですか」
「俺が里を出たのはそれくらい前だから、確かにそんなものか?」
「ええ。偶には帰ってあげてください。ご家族が心配していましたよ」
カルラもまた体力を使い果たして、地面に座り込んでいるのだが、息を乱しながらもライゴウと会話を続ける。
ライゴウもまさかこんな場所で同じ里の仲間に出会えるとは思ってもいなかっただろう。
「ま、まぁ……そのうちな」
「本当は無理矢理旅にでたから帰るのが気まずいとか思っているのでしょう?」
「……なんのことだか」
「生きて会えるうちに帰ってあげてくださいよ。《七剣》なんて命の危険が幾らでもある仕事なのでしょうし」
「……考えておくさ」
素直ではない昔の知り合いに苦笑しつつ、カルラは疲れた身体を奮い立たせて立ち上がった。
そんな時、アルストロメリアがディーティニアとの話を止めて、キョウのもとへと近づいていく。
ピシリっとそれだけで空気が軋みをあげ始めた。
「初めまして。お噂はかねがね。私は《七剣》第一席アルストロメリア。まずはプラダの街の件について、お礼を申し上げます。セルヴァや他の事に関しては、この戦いが終わった後にでも―――」
その瞬間、異質な違和感を感じた二人が背筋を粟立たせた。
全速にて、キョウが身体を捻って小狐丸を背後に一閃。それと同時にアルストロメリアも戦斧をキョウの背後に向かって振り下ろす。
小狐丸と戦斧が背後に感じた違和感を貫くも、その違和感はゆらりっと黒い影を残して揺らいで消えた。
全身を撫でる静かな殺気。三百六十度、刃を向けられているかのような透明な視線。
キョウが左手に持ち替えた小狐丸で、斜め後方を薙ぎ払った。
だが、それが捉えたのは―――何もない虚空。瞬間、キョウの背後に感じた異質感。
振り返るよりも速く、アルストロメリアがそこにむかって戦斧を叩きつける。地面を砕き、弾けた砂埃が周囲の視界を悪くするも、再度戦斧を一閃。
それがうみだした突風で、砂埃は消えていく。
カツンっと地面を歩く音がして、そちらの方角を見てみるも、それは囮。
二人の死角を見事に渡り歩く一人の怪物が、影に隠れる。
キョウとアルストロメリアの視線が交錯。一瞬で二人は互いの思考を読み取った。
剣士の背後へ迫っていた黒い影に、旋風を巻き起こしながら戦斧が薙ぎ払われる。轟音をたてて影を打ち抜いたが、彼女の手には何の感触も残ってはいない。
だが、今度はアルストロメリアの背後へと移動した何かに即座に対応したのはキョウだった。鋭い踏み込みと呼吸を残し、小狐丸が影を断つ。
しかし、それが捉えたのも影のみで、彼の手にも僅かな手応えは無かった。
二人が背中合わせに体勢を整える。刀と戦斧が、陽射しを反射させてキラリっと煌く。
死角を無くしたというのに、二人の視界の中には襲ってきている人物の姿が入らない。
それは異常だ。並大抵の技術ではない。キョウの気配察知を潜り抜け、微塵も感じさせないような動き。これではまるで影を相手にしているかのような―――。
そこで気づく。
似たような戦い方をする人物がいたことを。
こんな奇妙な戦法を取る相手をキョウは一人しか知らない。
「―――アルマか!?」
「止めなさい、アルマ!! 何を考えているのですか!?」
奇しくも二人の叫び声は同時で、重なり合って周囲に響く。
互いの口から出た名前に驚くも―――今度こそ足音をたてて二人の前に《七剣》第五席のアールマティが姿を現した。
短い蒼髪を風になびかせ、黒い衣服を身に纏った小柄な彼女はようやく気づいたのかと言わんばかりに口元を歪ませて。
「やぁ、数年ぶりかな。元気にしてたかい、識剣使い」
「……本物、か?」
まさかの外界での知り合いの登場に正体を疑うキョウだったが、問われたアールマティは心外だと言わんばかりに首を横に振った。
「偽者か本物か問われれば、本物というしかないけど。あたしとしてはあんたが幻想大陸にいることの方に驚いているんだけどね」
「……三ヶ月ほど前にちょっと訳有りでな。お前はどうしてここにいる、影使い」
「あたしは二年位前に気がついたらここにいたよ。最初は混乱したけどね……事情を聞かされたときは正直幸運だと思ったかな」
キョウとともに世界にて、エレクシル教国をたった七人で滅ぼした七つの人災。
そのうちの一人。影使いアールマティ=デゲーデンハイドは、手に持っていた短刀を両手で弄びながら、ふぅっとため息をつく。
「ようやくこれで世界中から狙われることがなくなった―――というよりも、《操血》と縁を切れたって言う方が嬉しかったよ、いやまじで」
「……甘いな。俺がここにいるということは、あいつもここにいるという可能性が考えられないのか?」
「―――ぇ?」
キョウの言葉にアールマティの表情が固まる。
吊り上った目元と引き攣った口元がやけに印象的だった。
「は、はははは……中々面白い冗談だ、ね? 冗談だよね? 冗談ですよね?」
「―――ふっ」
「う、う、嘘だ!! 知ってるからね、あたし!! セルヴァを倒した時あんたしかいなかったのを聞いてるからね!! もし《操血》がいたら絶対あいつが出てきたはずだし!!」
「ああ、嘘だ」
若干泣き出しそうになっているアールマティが可哀相になってきたキョウが、意趣返しもできたことに満足して、先程の台詞を嘘だと認める。
それを聞いた彼女は、心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。
「折角再会したっていうのに……酷い奴だ。鬼畜だね、キョウ」
「いきなり殺しにかかってきたお前に言われたくない」
「ええ、全くですね」
二人の会話に割り込んできたのはアルストロメリアだ。
どこか冷たい眼で見つめていた彼女に気圧されて、アールマティが思わず一歩下がる。
「どうやら貴女とスメラギ様が知り合いだったようですが、それは構いません。ですが、これから共同戦線をする相手にいきなり攻撃を仕掛けるとはどういうつもりですか?」
「え? いや、ほら。ごめんごめん。知り合いに久々に会えて興奮しちゃったみたい」
心臓を抉るような冷たい視線に、しまったやりすぎたと反省して両手を顔の前で振って誤魔化そうとする。
テヘっと舌までだして可愛らしい顔で謝罪する彼女は、普段とのギャップも相俟って凄まじいダメージを周囲に撒き散らす―――が、アルストロメリアに通用するはずもない。
「ほ、ほら。あたしとキョウの間ではあれが挨拶みたいなものなんだよね、うん」
「……本当ですか?」
「大嘘だ」
「―――減給三ヶ月ですね」
「う、うわぁぁぁぁ!? 話合わせてくれたっていいじゃん!?」
ガクリと両手両足を地面につけて泣き崩れるアールマティを置き去りにして、改めてアルストロメリアが同僚のかけた迷惑を頭を下げて謝罪する。
そんな光景を見ていたアルフレッドが微妙に気まずそうな顔で、立っていた。
まさか自分以外の《七剣》の知り合いがこの場にいるとは思わず、なんとなく仲間はずれにされた気分となる。
本来ならディーティニアに声をかけようとしたのだが、それに気づいたのか彼女はそそくさとキョウの背後に隠れてしまった。
他に話しかけることができる知り合いがいないか周囲を見渡す。
その時、石壁の上に立っているアトリと偶々視線が合い―――。
「……ふっ」
何故か凄く馬鹿にしたように鼻で笑われる。
それがグサリっとアルフレッドの心に突き刺さり―――ほろりっと涙を一筋流した。
何やら和気藹々としているようなしていないようなこの場所のすぐ背後では、千人の騎士が押し寄せる死者を必死で蹴散らしている光景が広がっており、石壁の上に立つ者達は非常にシュールな景色を息を呑んで見守っていた。
「さて、お遊びはこの辺りにしておきましょうか。ディーティニア殿、何か策がおありのようですが?」
「うむ。作戦は単純明快。大元を潰す―――それだけじゃ」
「なるほど。これだけの死者を倒すのも現実的ではありませんしね。問題は、誰が不死王の首をとりにいくかですが……」
「ああ、俺が行こう。あいつだけは俺が斬る」
躊躇いも無く志願したキョウへ、アルストロメリアがじっと見つめて。
「わかっているのですか? 幾らこれだけの戦力が揃っていようとも、周囲の死者を抑えるのだけで精一杯です。つまり、貴方は殆ど単身で、不死王とその周囲の相手と戦わなければならないのですよ?」
「ああ―――わかってる」
「……そうですか。わかりました。出来るだけの援護は致しましょう」
決して退かない意思をキョウの眼に見たアルストロメリアは、幾ら言っても無駄かと判断して戦斧を肩に抱えて戦場へと歩み始めた。
残りの《七剣》とキョウ達もまたそれに続く。アトリだけは動くのが面倒臭いのか、城壁の上から手を振っている。
はっきり言って、キョウとディーティニアの二人による突撃よりも随分と勝ちを拾える確率があがったとはいえ、それでもまだ確実に勝てるかどうかはわからない。
確かに戦力という面では比べ物にならないほどに上昇したが―――それでも、不死王の所有している兵隊の数はそれを凌駕する。
キョウ達が半日かけて削った敵数。《七剣》と騎士団によって倒された敵数。
併せても精々が数万を超えた程度。
言ってしまえば、ノインテーターが有する死者の総数の二十分の一程度でしかない。
このまま消耗戦になれば、キョウ達の方が分が悪くなる。それを理解しているからこそ不死王の首を取る作戦を決行したともいえた。
そしてもう一つの理由。
このまま全員で戦えば確かに死者を全て倒すことができるかもしれない。
それが可能な猛者がここには集まっている。
だが、間違いなくノインテーターを逃すことになるだろう。
形勢が悪くなれば、死者達を捨て駒としてぶつけ逃亡することに彼は何の躊躇いも無い。
確実にしとめるためには、まだ相手が逃げる選択を選ばない今の状態を狙うしかないのだ。
キョウとディーティニア、カルラ。
アルストロメリアを先頭に《七剣》の三人
それぞれが覚悟を決めて、各々の武器を握り締める。
彼らの姿を眼下に見下ろしていたアトリは自分の弓を引くと―――。
「……じゃ、反撃の狼煙は私があげる」
ふぅーと肺の中の空気を吐き出して、軽く首を回す。
周囲に満ちていたマナを全身に取り入れて、眠たそうにしていた目が大きく見開く。
「極北の天雷。巨人を打ち殺す金色の光。霜の巨人。山の巨人。明滅する神雷の輝き。御身に轟かせる激音。弾けよ。潰えよ。墜ちよ。滅びよ。イールヴァルディの血筋に連なる怨敵を、我が力を持って圧壊せよ」
引き絞った弓に顕現する、これまで放ってきた金色の矢を遥かに上回る大きさの矢。
限界ぎりぎりまで引き絞られた弓と矢が、きりきりと悲鳴をあげる。
全身から抜け出ていくマナと精神力を感じながら、久しぶりとなる魔力の全力解放に疲労以上に歓喜に満ち溢れた。
「―――雷神の槌」
解き放たれた金色の矢が天空に打ち上げられる。
キィイっと軋み音をあげながら金色の矢はやがて見えなくなり―――天にて弾けた。
鼓膜を劈く激音が、稲光とともに地上に降り注いだ。幾千もの雷の矢が前方に広がる死者を地面に突き刺し、黒炭に変えていく。それはまるで地上に突き刺さるモズの早贄のようにも見えた。
そして、パシンっと嫌な音をたてて爆砕。死者の軍勢の一部に大穴を空ける。
その大穴目掛けて七人が疾駆した。
彼らの後に続くのは、千の騎士団。
「天高く、夜空に輝く星々よ。いと気高く、いと美しき天上の支配者達。其は旧世界を滅ぼした光。それは燃え尽きることなき天炎の煌き。天から墜ち、地上を浄化する終炎の閃き。齎されるは終劇。下されるは天罰」
アトリに続くのは獄炎の魔女。
天雷の魔女を更に上回る領域の魔法力を全身に漲らせ、走っていた足を止め空に向かって両手を掲げた。
「メギドの閃光」
空に浮かぶ巨大な六芒星。
真っ赤な色で染め上げている六芒星が、急激にその色を濃くする。
次の瞬間には赤光が世界を包んだ。狙いは死者だというのに、余波で感じる圧力だけでキョウ達に死を連想させる炎の閃光が天空の六芒星から解放された。
巨大な炎の柱が地上に落ちようとした瞬間、パシュンっと弾けて雷神の槌のように数千の炎の矢となって地面に蠢く死者を浄化する。
破壊して、破壊して、破壊して、破壊して―――七人の行く道を開け放つ。
だが、それでもまだ波のように死者は絶え間なく押し寄せる。
如何に雷神の槌とメギドの閃光の王位魔法二連撃といえど、それでも無限に続く死者を一掃するには至らない。
「―――永久凍土にて散れ」
三番手はアルストロメリア。彼女は戦斧の大地に叩きつける。
鋼刃が地面を噛んだその時、前方から襲い掛かってくる死者達が動きを止めた。
一瞬で死者達の肉体が凍結。それが次々と広範囲に渡って効果を発揮していく。
息をすれば、吐き出した呼吸さえも凍えていくような冷気が周囲を包む。世界の終わりを連想させる、絶対零度の氷結が連鎖反応を起こしてディーティニアやアトリにも負けないほどの大破壊を繰り返す。
生者に対する際限なき憎悪で行動していた、黒渦の死者達が―――万を超える単位で消滅させられた。
しかし―――まだ死者の大群が減る様子は見られない。
そして、そこを駆け抜ける剣士の姿。
彼方にはまだまだ異常ともいえる死者の数が見える。それらが雪崩のように迫り来る。
そこを突き破るために、カルラが、ライゴウが、アルフレッドが全力で突撃した。
カルラの拳が。ライゴウの拳が。アルフレッドの剣が。
死者の軍勢を突き破る。
圧倒的な個の戦闘能力が、黒い怪異を薙ぎ払い、叩き潰す。
キョウ自身も、小狐丸で前方に無限に湧いて出てくる死者を切り払う。
「―――そこ、か!!」
王位魔法の三連撃。
死者の軍勢には余裕があるものの、それだけの被害を齎した破滅の魔法の連撃に、今の今まで完璧に死者の群れの中で気配を隠していたノインテーターの尻尾をようやくつかみ取ることができた。
ノインテーターの気配を感じた場所に向かってキョウが疾駆する。
彼の動きを理解した他の人間が、邪魔となる敵を蹴散らすが―――。
圧倒的な数の暴力がキョウ達を潰そうと押し寄せる。
マズイ、とキョウが唇を噛み締めた。
彼らの想像を超えて、死者の軍勢の数が多すぎる。
もう少しでノインテーターのもとまで辿り着けるというのに、そのもう少しが届かない。
「―――ああ、もう厄介な。仕方ない、これは貸しにしとくよ、キョウ」
剣士の後ろを走っていたアールマティが、纏わりついてくる死者を短剣で確実にとどめをさしながらぼそりっと呟いた。
「散れ、影法師」
刹那。
周囲一帯の死者の影がざわめく。地上に映っていた影が浮き上がり、それぞれの主を背後から貫いた。
数百の死者の影を操ったアールマティが手を振る度に、その殺戮劇は続いていく。
残虐に、残酷に、影を操る人災は―――ノインテーターまでの道を切り開いていった。
だが、死者は躊躇うことはない。
彼らの王を守るために、歩みをとめることもなく直進を続ける。
そして、それらを盾としてあろうことかノインテーターは―――その場から逃げ出した。
キョウ達の手から逃れるように、王者の誇りを捨ててまで群に全てを注いだ怪物は、配下の死者を操り突撃させる。無限の軍勢がキョウ達を押し潰す。逃げながら死者達の行軍に飲み込まれる怨敵達を見ていたノインテーターは、口元に笑みを浮かべ―――。
「いや、それは幾らなんでもないんじゃないかなぁ? 逃げるなよ、ノインテーター」
瞬間、ノインテーターの眼前に火の手があがった。
一瞬で数千の死者を焼き滅ぼす大火力の炎の塊が、九つ。
逃亡する行く手を塞いだ妖炎が、一直線に数百メートル渡って壁を作る。
カランっと下駄が音をたてた。
数千度に達する灼熱の中から黒い影が一つ。
クスクスっと狂った笑みを浮かべながら、幼い身体を金色に輝かせ。
九つの尻尾がそれぞれの意思を持っているかのように蠢いた。
「今更逃げるなんて僕が許さない。それに何よりもあの娘の願いだからね。だからさぁ―――」
両眼に輝く金色の瞳が獣のように縦に裂け。
「―――さぁ、戦えよ。僕がお前の死に様を見届けてやる」
幻獣王ナインテール。
同じ王位種でありながら、ノインテーターには死神の姿にしか見えず。
危うい気配を漂わせる幼女は、彼に対して絶望を告げた。
今回の話は多分時間あるときに書き直します。
現在の自分的なヒロインランキング
一位 ラグムシュエナ
二位 ディーティニア
三位 ナインテール
四位 テンペスト
五位 アトリ
六位 アルストロメリア
七位 アールマティ
八位 カルラ