四十二章 決戦
ノインテーターは不死者の王である。
第二級危険生物として恐れられる、東大陸最悪の不死王種。
南西の迷いの森と呼ばれる場所の最奥に住み着いている幻獣王ナインテールは決して森から出てこないため、彼女よりもノインテーターの方が東大陸では危険度は高く見られている。
死者を操るだけでなく、彼自身の戦闘力も桁外れ。
真っ向から対峙して生き残っているのは獄炎の魔女ただ一人。
その彼が。不死王ノインテーターともあろう怪物が。
「―――殺せっ!! その男を、殺せぇええ!!」
悲鳴をあげた。
恥じることも外聞も顧みず。
不死王は、名前も知らない人間の男を―――脅威と認めた。
否、この人間は、王位種達を滅ぼせる殺意の塊だ。
王の命令により、蠢く怪異は行動を再開させた。
ノインテーター目掛けて迫り来る人間の前に肉の壁が作り出される。 どろりっと憎悪に満ちた視線のキョウ=スメラギと、眼前を埋め尽くす死者の群れが激突。
彼の両足が大地を踏み鳴らす。
遠雷のような轟音が、この場にいる全ての存在の鼓膜を打ち破らんと響き渡る。
それと同時に―――肉の壁が弾け飛んだ。
下方から斜めに打ち上げられた戦斧の鋼刃が、キョウの眼前に蠢いていた死者を数体纏めて薙ぎ払う。
腐肉と腐臭を撒き散らし、両断され弾き飛ばされた死者達が凄まじい勢いで他の死者に激突し、薙ぎ倒す。
それでも怯むことなく、各々の両腕を彼に向けゆっくりと、だが歩みを止めない死者の足元を掬う。
足を断たれた死者の肩に足の裏を乗せ、跳躍。
着地場所にいる死者を戦斧で脳天から叩き斬る。斬った死者を踏み潰すように着地、四方を囲まれた状態になりながら、くるりと戦斧を回転。次の瞬間には、彼を囲んでいた死者達の上半身が、ずるりと音をたてて大地に滑り落ちる。
そして、前方を埋め尽くす死者と再度激突。
薙ぎ払われた戦斧が、彼の眼前の死者の上半身を消し飛ばす。
まともな反応を許さない。超神速の連撃が、腐臭漂う黒の大海原に風穴を開け始めた。
キョウが戦斧を振るうたびに、数体の怪物が活動を止め黒い靄を立ち昇らせながら消えていく。
彼が行動を開始して。ノインテーターが叫び声をあげて僅か数秒。
それだけの時間でキョウ=スメラギは、分厚い肉壁を潜り抜け、怨敵を見据える距離まで詰めていた。
それに反応をしたのはノインテーターの虎の子。
第三級危険生物将軍級魔族。ぐずぐずと腐り落ちた肉体。生気のない死んだような魚の目。
それでもその三体の動きは他の死者と比べ物にはならず。
肉壁を抜けてきたキョウへ向けて、拳を、爪を、足を―――叩き付けて来た。
彼らが放つ重圧と、速度は確かに恐るべきものがあった。
だが、高位巨人種ペルセフォネほどの領域には到底及ばない。
身体を低く、弾丸のようにそれら全てを潜り抜け置き土産とばかりに戦斧を三閃。
柔らかい肉と骨を断つ感触を手に残し、宙を舞うのは彼らの腕と足。
キョウへと向けてきた部位を切断し、それらが宙に浮かんでいる間に彼の姿は―――ノインテーターの懐深くに踏み入っていた。
「―――ば、馬鹿っ―――な!?」
驚愕。焦燥。憤怒。恐怖。
様々な感情が入り混じり、間合いに入ってきた人間に反射的に拳を振り下ろす。
だが、当たる直前。それより速く袈裟懸けに戦斧が駆け抜けた。
躊躇いも、容赦も、手加減の一つもない一撃がまともにノインテーターに直撃。
不死王の肉体を遥か後方へと吹き飛ばし、彼の身体は死者達の群れに飲み込まれ姿を消した。
まさかの瞬殺劇に静まり返る事の成り行きを見守っているプラダ警備兵と探求者。そしてカルラ・カグヅチ。
一瞬だ。目の前で起きたのは、それこそ目を離したらそれで終わっているような戦いだった。
死者の軍勢にその身一つで立ち向かい、潜り抜け、ノインテーターを打破する。
そんな奇跡をしてのけた。一体誰がこんなことを想像しえただろうか。
だが、この状況に違和感を持つ者が一人。
そして、確信を持つ者が一人。
「……なんだ、今のは」
戦斧の柄を握るキョウが訝しむ。
手に残されたのは肉を斬る感触だった。だが、それは―――まるで数十の肉を纏めあげたかのような重厚さ。
幾ら得意とする刀ではなかったとしても彼の戦斧の斬撃で―――断てなかった。
「―――キョウ!!」
戦場に響く魔女の声。
僅かに焦燥が混じった彼女が、キョウを呼ぶ声には忠告が込められていた。
それを聞いた剣士の行動は迅速だ。
思考をする前に戦斧を振り回し、周囲の死者を撃破。
それを援護するように炎の雨が降り注ぎ、キョウの行く道を作り出す。
無造作にばら撒いているように見えて、炎の雨のことごとくは剣士に当たることはない。
完全な信頼を置いているキョウは炎の雨に気をつけることも無く自分に襲い掛かってくる死者を無視して、ディーティニア達がいる方角へと疾走する。
迫り来る敵を切り裂き、薙ぎ払い、踏み越え。
程なくして魔女の前に、地面を足で削りながら辿り着く。
戦斧を握る力を僅かに弱め、止めていた呼吸を再開させた。
「……どうじゃった?」
「わからん。何かがおかしかった。恐らくはしとめ切れていない」
「それは間違いない。不死王が死ねば、奴の特異能力で動いている死者は行動を停止させるはず。それがまだ奴が生きている証拠じゃな」
「そうか。出来れば今ので殺すことができたら良かったんだが甘くはないか」
「当然じゃ。仮にも不死王種。あれで死んだら後世の笑いものにしかならぬ」
軽口を叩きあう二人。
そんな二人の前には進軍を開始している無限に近い腐臭漂う黒い波。
戦斧を握る手に、再び力を込めたその時。
ディーティニアがドンっと小さな拳でキョウの胸板を叩いた。
「お主がその感情を持て余すのはわかる。だが、それに呑まれるでない。怒りに支配されるのではなく、怒りを支配せよ」
「……中々に難しい注文だ」
「それくらいお主ならできると思っての言葉じゃよ。まぁ、今すぐにしろということでもない。今回の戦い、危ういところがあればワシがカバーしてやるわ」
ディーティニアが鼻息荒く、自信満々に薄い胸を張った。
それに少しだけ胸の中のわだかまりが解け、力が抜ける。
「ああ、頼むぞ。ディーテ」
「任された」
言葉短く、迫り来る死者の軍勢の前に戦斧一つで立ち塞がる。
彼の背中を目の前にして、ディーティニアの顔に場違いな笑みが浮かび上がった。
不謹慎だと彼女自身思うが、それでも笑みを消し去ることはできない。
四十年前も似たような状況に陥っていた。
ただし、あの時はディーティニアただ一人で十万からなる死者の軍勢を迎え撃った。
それが今はどうだ。目の前には誰よりも信頼できる、同胞の力強い背中が見える。
如何なる敵も通しはしない。彼の背中が無言で語っている。何とも心強い話だ。
「―――爆炎の火球|」
ディーティニアのかざした手に出現した巨大な火球が最前線に出ている死者を通り越し、後方で着弾。
火球を形成していた火が炸裂し、着弾した周囲を炎で包み込む。
死者だけあって、見る見るうちに焼き焦げていき、黒い靄となって数十の怪異は消えていった。
歩み寄ってきた死者数体を、戦斧で蹴散らした。
頭を吹き飛ばし、胴体を両断し、頭から股下までを一刀両断にする。
死者が一歩を動く間に、キョウは数度の攻撃を可能とするほどに圧倒的な速度の差がそこにはあった。
近づいてくる死者には恐怖も脅えもない。死んでいて、意思も感情もないから当然の話だ。だが、そんな彼らでさえも歩みを躊躇うような残酷なまでに美しい戦舞が目の前で行われる。
あまりの流麗さに、隣で戦っているカルラでさえも息を呑む。
こんな状況でなければ見惚れていたに違いない。そう断言するほどに、キョウが舞う死の舞踏は完成されていた。
しかし、今は手を止める暇はない。一瞬の油断が命を落とす危険を生む。
カルラもまた、短い呼気とともに地面を踏みしめ、迫り来る死者の頭を打ち抜いた。
霊白銀製の双甲ということもあり、死者の肉体を容易く貫通させることができる。勿論、それだけではなく、彼女の力量だからこそカルラ・カグヅチが放つ一撃は十分な必殺の攻撃として死者を骸へと変えていくことを可能とする。
カルラの拳が、蹴りが、寸分の狂いも無く死者の活動を停止させていった。
そんな彼女に雪崩のように黒の軍勢が押し寄せる。
傍で戦っていたキョウが目の前に迫る死者を薙ぎ払った直後、反射的にカルラの手助けをしようとしたその時、彼女は視線でそれを拒絶した。この程度の脅威など、自分一人で十分だ―――無言の視線がキョウと交錯。
それを信じた彼が、新たに襲い掛かってきた死者を、下から掬い上げるように戦斧を振るい、逆袈裟懸けに切り裂いた。
キョウの信頼に答えるために、カルラの身体に力が漲る。
撓る枝を連想させる動きで腰を捻り、肉体を回転。殺到してきた死者達の一体を横からの回し蹴りが腐った彼らの横腹をぶちぬいていった。次いで繰り出される逆足の回し蹴り。ほぼ同時に放たれた蹴りが、彼女を食い尽くそうとした死者全てに二度目の死を与えた。
しなやかな肢体が、一歩後退。
自分のいる位置と呼吸を整えつつ、蹴散らされた死者を押しやるようにして無限の死者が押し寄せる。
怯む様子の見られない死者を前にして不思議と心は穏やかで、両手に嵌めた双甲の感触を感じながら、カルラの肉体が地を這うように前方へと踏み込んだ。
左右同時に放たれた裏拳が死者二匹の顔面を陥没させ、背後の死者を巻き込んで崩れ落ちる。
更に一歩を踏み込む。踏みしめる大地の感触を完全に捉え、放たれるのは紫電の前蹴り。
前方の死者の胸元を全力で蹴り抜いた。翻る長い黒髪。死者の腐臭漂うこの空間で、爽やかな花の芳香が僅かに香る。
重い地響きが周囲に轟き、胸元を打ち抜かれた死者は、馬車に撥ねられたかのような勢いで宙を飛び、遥か後方から迫り来る死者数体を巻き込んで大地へ激突。それだけでは済まずに、さらに後方へと多くの怪異を弾き飛ばしながら転がっていき漸く止まった。
一瞬の空白がうまれるが、さらに殺到する死者の軍勢。
手を伸ばし地獄の亡者を思わせる死者を、キョウには劣るもののそれでも神速の領域に達したカルラの両の拳が近づく敵を
打ちのめしていく。
彼女の拳が数多の敵を地に沈めているその時、一撃一殺を心がけていたカルラに僅かな油断を作り出した。
地面に転がっていた死者の一体が、最後の力を振り絞り彼女の左右の足首をそれぞれ掴んで捕らえる。
死者が掴んだ足首を、骨を砕く勢いで締め付け上げ、カルラは地から動くことは適わず。
慌てて地面の死者を粉砕しようと拳を向けたが、それを許さないように目の前を影が遮っていく。
次々と歩み寄ってくる死者の多さに、逡巡が一瞬。
しまったと声に出す暇もなく、襲い掛かってくる眼前の死者が―――横から投げつけられた戦斧の鋼刃が両断して行った。
視界の端には、戦斧を投げつけて死者からカルラを救ったキョウの姿が映る。
素手となったキョウに無数の亡者が飛び掛っていくが、それらは瞬く間にディーティニアの魔法で焼き尽くされて塵と化した。
カルラが謝罪を送るよりも早く、キョウは地面に突き刺さっている武器の列柱から手近にあった剣を引き抜くと迫り来る死者を切り刻む。
彼が新たに手に取った剣は一言でいうならば異様。
剣ならば両刃が普通であるが、今キョウが手に持っている物は片刃。
幾つもの細かな刃が連なっている。それだけではなく、刀身の幅も尋常ではないくらい広く、よく見なければ只の鉄塊と勘違いするものもいるだろう。まさしく有り得ないくらい巨大なノコギリ―――と、表現するのに相応しい。
一般的には間違いなく見ない代物だ。
大昔にフリジーニが行き詰っている時に試しに造ったと言っていた色物の武器。
だが、この状況では贅沢は言っていられないし、何よりもコレだけ刀身が大きければ戦いやすい。
目の前に広がる死者の肉を挽き、骨を砕き、彼らの命を終わらせていく。
腐りきった肉体が弾け、黒い液体が音をたてて地面に飛び散る。
縦か横、又は斜めに斬られた怪異は無残にも地に倒れ、死体の山を作り出していった。
それらは斬られた順番で黒い靄を出しながら塵と化していく。だが、かつて立ち寄った村の墓場で死者と戦った時のように―――今回もまた、塵と化す速度を遥かに凌駕していた。
何時の間にか太陽は西に落ちつつある時間になっており、赤い夕陽が大地を照らし始めている。
その夕陽を浴びて、キョウの異剣が銀閃を描くたびに周囲の亡者は叩き切られ、潰され、弾き飛ばされていった。
圧倒的な破壊力を示す剣士の横をかいくぐり、なんとか背後に回ろうとした亡者もカルラの拳によって屠られる。
無論キョウとて無限に剣を振り続けることができはせず、一息つきたいと感じた瞬間。
まるで心を読んだかのように、ディーティニアが広範囲に渡る魔法を放ち、無限の軍勢に一拍の空白を作り上げてくれる。
その空白は僅か十秒程度で新たな死者によって埋められる。
たった十秒。僅か十秒。されどその十秒がキョウにとって救いとなるには十分で。
ハァっと深い呼吸を繰り返す。
強張っていた異剣を握る手の平の力を多少緩め数度深呼吸をした後、十秒の休息は終わりを告げ死者の猛攻が開始された。
その時、ズシンと一際大きい地響きが一つ。いや、二つ三つと増えていく。
前方の死者の軍勢の奥から、巨大な体躯の怪物が進んでくる。肉体を腐らせているが、巨人種のサイクロプスとギガス。それらが入り混じり、歩くたびに足元の死者を踏み潰し猛進を続けてきた。
そのうちの一体が先行し、巨躯から放たれる拳がキョウへ向かって振り落とされた。
轟音をあげる巨拳が彼を巻き込み、大地を陥没させる。死者であるがゆえに自分の肉体の損傷も顧みない。
意思がない分、純粋な破壊活動という点においては、これ以上ないほどに特化されていると言っても良い。キョウなど容易く挽肉とされるその一撃。
無論―――あたればの話となるが。
拳よりも身体の内側へと踏み込んだキョウが跳躍。異剣を逆袈裟に切り上げ、上半身を軽く蹴って後方へと跳び下がる。斬られた上半身が、下半身と別れ蹴られた拍子に後方へと崩れ落ち幾体かの死者を潰す結果となった。容易く巨人種の一体を斬ったキョウが次の獲物に目をつけたと同時に。
「炎の連閃」
かざしたディーティニアの手から炎の閃光が放出され、瞬きした次の瞬間には迫りつつあった巨人種の胴体に風穴を開けていた。
両足から力が抜け倒れた巨体が死者を巻き添えに、地面に転がっていく様は中々に見物ではあったが、生憎とそんなことに注意を払う暇がない。
未だ数を減らしたように見えない死者の群れを前に、僅かに重心を落とし異剣を強く握り締めると横一閃。
真横からの一撃が死者の脇腹を打ち抜いて、その隣にいた死者も斬り倒す。
返す刀で湧き出てきた亡者の頭を消し飛ばし、そのままの勢いで縦に両断。
ちらりと隣で戦っている鬼人族へ視線を向ける。
武器の射程が短くなった分、カルラへの援護がし難くなったキョウの心配を他所に、彼女は獅子奮迅の活躍をしていた。
カルラの肢体を貪ろうと不用意に近づいてくる死者達が、彼女の間合いに入ったその瞬間―――地面を強く叩いた両足の反動をそのままに、左右の拳が死者二体の顎を跳ね上げた。
顎を砕かれ、さらにはそこに連続して叩き込まれる前蹴りが垂直に死者を彼方へと吹き飛ばす。
それから逃れた死者が四体。腐臭を漂わせ、おぞましい朽ちた肉体が押し寄せる。
「ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
両脚が踏み締める大地の力を余すことなく下半身から上半身へと連動させ、筋肉を最大限にまで解放。
死者に反応を許すことは無く、白銀の流星群となった拳が前方の四体を粉砕する。
流れるように地を滑り、迫る死者の群れを前に拳と足が霞む度に、命無き肉体が叩き潰され、蹴散らされていく。
舞い散る腐汁がキョウの足元まで届き、その心強さに僅かに苦笑が浮かんだ。
キョウの異剣が。ディーティニアの魔法が。カルラの拳が。
それぞれが最大最高の戦果を挙げ続け―――やがて夕陽が落ちる。
戦いが始まって既に五時間は流れた戦場は、戦闘開始前までとは何一つ変わってはいなかった。
地平線を埋め尽くす死者の群れ。それを迎え撃つ三人の人間と亜人。
石壁の上から戦場を悔しげに見つめている多くの探求者と警備兵。
あまりの力の違いに援護することさえ出来ない自分達を恨めしく思いながら、それでも目の前の戦いに魅入られる。
大陸一つを軽々と滅ぼすことが出来るだろう死者の大軍団を相手に、一歩も退くことなく立ち塞がるその姿。
この光景を見ている者は、英雄と呼ばれるに値する戦士達を見守っていた。
彼らに出来ることは、魔法の光で彼らの視界を照らすことだけ。
ザパンっと肉を圧し砕く音を残し、キョウの前に群がる死者を薙ぎ払う。
迫り来る怪異のことごとくを断ち切る斬撃の鋭さは健在で、キョウ=スメラギという怪物は疲れを見せることなく死の軌跡を描き続ける。
絶対的で超越的な白銀が迸り、眼前に漂う死者を遍く滅ぼす光の剣閃となって死者を冥土に誘う姿は―――。
まるで物語の死神のようにも見えた。
「炎の壁」
キョウの前に赤く燃える壁が発現。
パチパチと火花を散らしながら前方へと駆け抜けて、通りすがった死者を焼き尽くす。
アイコンタクトも必要とせず、完全完璧な連携をこなす二人だからこそ、未だ息を切らすことも無く戦えていた。
キョウとディーティニアは特別だ。
今何をすればいいのか、まるで心が読めるように。まるで息を吸うかのように当然に。彼らは互いを理解できている。
「カルラ、下がれ」
異剣を払いつつ、横にいたカルラに声をかけるのはキョウだった。
何をと声に出す前に鋭い視線で睨まれ、声が喉で止まる。
理由はいわなくてもわかるだろう。そう視線が語っていたが―――唇を噛み締め頷いた。
流石のカルラとて、これだけの長時間の戦いは体に限界を迎えていたのだ。
呼吸は乱れ、身体中が疲労で震えている。腕をあげるのも一苦労。カルラはそれほどまでに追い込まれていた。
「……は、い」
力なく返事を返したカルラが、ふらつく足取りで後方へと下がる。
しかし、橋を渡り南門へと到着した彼女を迎え入れるべく門を開けようとした兵士達を下から見上げ、カルラは首を横に振った。
「ここで、いいです。体力が回復次第―――また行きます」
門にもたれるように背中をつけて座り込む。
彼女の瞳は、未だ休むことなく死者の軍勢を退け続けているキョウとディーティニアの後姿を黙って見つめていた。悔しさと申し訳なさを視線に乗せて、二人の怪物の戦いを決して見逃さないように。彼女が目指す理想の果てが、そこにはあった。
カルラの離脱により、残されたのは一人の剣士と一人の魔法使い。
だが、彼らは一歩も退くことなく剣を、魔法を放ち続ける。
変わり映えの無い大軍勢を前にして、それでも決して折れることなくキョウは眼前の敵を屠り続けた。
あまりにも異常すぎる光景にどこかに隠れている不死王が業を煮やしたのか、ぶわっと異臭を匂わせる空気を吹き飛ばし三体の将軍級魔族が死者を蹴散らしながら疾走してくる。
虎の子の突入に、多少は焦っているのかと僅かに溜飲を下げたキョウが、迫り来る三体の怪物を迎え撃った。
長く伸びた鋭利な爪が空気を引き裂きながら振り下ろされるが、かわしざま斜め上へと跳躍したキョウの右手が静かに霞んだ。真下の地面に爪を突きたてた魔族の脳天に異剣が叩きつけられるその瞬間。
横から飛び掛ってきた他の魔族が拳を打ち据えてくる。
舌打ちを残して、無理矢理に身体を捻り、足元の魔族を蹴り飛ばしその場から離脱することに成功した。
着地したキョウを狙い、三体目の魔族が翼をはためかせて突撃してくるものの、突如ピタリと動きを止めて後方へと逃げ去った。
理由は簡単で、逃げたと同時にディーティニアの放った爆炎の弾がその空間を焼き尽くしていったからだ。
魔族を直撃することはなかったものの、それ以外の死者を巻き込み数十体を灰燼と化す結果を残していった。
流石は第三級危険生物だけあって、死してなお戦いに関する嗅覚は無くなっていない事を確認。
剣を軽く振り、握りの感触を確かめる。油断できる相手ではないことが嫌でも理解できた。
しかし、この魔族相手に何時までも手間取っているわけにもいかない。
ましてや怪我を負うのは愚行。まだまだ死者の群れの数は呆れるほどに存在しているのだから。
「―――フォローを頼む」
「任せよ。行け、キョウ」
短く言葉を伝え、ディーティニアの後押しを受け、大地を踏み締める両脚に力を込めた。
これまで以上に目の前の敵に集中する。一瞬とはいえ他の敵を視界から消し去ると、腹の底に溜めていた力を解放。踏んでいた大地が抉れ、砂埃が舞い立つ。
《操血》に封じられている力の一部を解き放ち、肉体が久々の全力を出せることに歓喜の雄叫びをあげた。
目に映る世界は色をなくし、人の肉体の出せる限界ぎりぎりの速度で魔族との間合いを詰める。
突然速度が跳ね上がったキョウの動きに対応が僅かに遅れた魔族は、それが生死をわける一瞬となった。
慌てて爪を突きたてようとするも、魔族が動き出すよりも早く異剣が一閃。
鈍い手応えとともに、魔族が一体軽々と頭から両断されて、露と散る。
同胞の仇を取ろうとキョウへと迫る、爪と牙。かわしざまに、左右の魔族に剣をそれぞれ薙ぎ払った。
それでもまだ抵抗しようと、動きを止めない魔族が二体。
最後の力を振り絞った彼らから間合いを取ったキョウの上空から降り注いだ炎の雨が残された魔族に止めを撃った。
ディーティニアの手前まで戻ったキョウを気づかうように魔女が視線を背中に突き刺してくるも―――問題ないと片手をあげて彼女に答える。
一瞬とはいえ身体を酷使したキョウだったが、ディーティニアの心配を他所に現在の状態は特に問題はなく安堵し、新たに襲い掛かってくる死者を真正面から叩き斬った。
そんな時、敵の合間から素早い黒い獣が飛び出してくる。
異常に動きの鋭い獣が、牙を煌かせキョウの顔に喰らいつこうと飛び掛ってきたが、身体を開き避けきると、かわすついでにその獣の胴体に剣を奔らせた。
容易く上半身と下半身に断ち切られた獣の頭が地面にぶつかり、バシャっと黒い靄となって消えていく。
今までが鈍い動きばかりの敵だったために、多少面倒な相手だと異剣の切っ先を死者の合間を縫って駆け回っている獣へと注意を向けた。
ザシャザシャっと土を蹴り、地をから飛び上がった四体の獣がキョウの前にて四重に交錯すると、彼の視界から姿を消すように四方に飛び散った。
刹那の瞬間。
上下左右の死角からそれぞれの牙と爪が、キョウを狙って放たれる。
彼の決断もまた一瞬だ。上空からの気配に異剣の切っ先を合わせ、刃を振り切った。
頭蓋骨を叩き割る感触を手に感じ、そのまま下から迫ってきていた獣を両断する。
同時に左右から襲ってきていた獣は、ディーティニアの炎閃が貫いて消滅させた。
だが―――。
パキィっと金属が小さな悲鳴をあげたのをキョウの耳が拾っていた。
ちらりと視線を向ければ異剣の半ばに皹が入っているが見て取れ、即座にその異剣を前方にいる死者に向けて投げつける。
回転しながら剣が死者を切り裂いていき、途中で死者の腹部に突き刺さったまま、倒れた。まるでその剣が死者の墓標にも見えて、どこか寂しさを感じる。
地面に刺さった剣の列柱からまた新たな一本を引き抜くと、その剣を片手に終わることなき大軍勢の前に立ち塞がった。
「……まだ、終わりは見えないか。五千くらいまでは斬った数は覚えていたんだが―――もう面倒だな」
「全く。一体どれだけかきあつめたのか……先は長いのぅ」
「いっそのこと、全力で不死王までの道を切り開くか?」
「いや……まだじゃな。今はまだ機ではない」
「機、か?」
「うむ。恐らく、この戦い一筋縄ではいかぬ。どこかで、必ずワシらの流れになる時が来る。その時まで今は耐え忍ぶべきじゃとワシは思うぞ」
「そうか。ならばそれまで―――」
「―――見敵必殺といこうかのぅ」
未だ無限に蠢く死者の軍勢を前にして、二人は不敵な笑みを湛えて―――。
キョウの長剣が敵を切り裂き。
ディーティニアの魔法が亡者を焼き尽くす。
それでもまだ―――死者との饗宴は終わらない。
戦争開始より十二時間。
夜が明け、太陽が顔を出し始める時間帯。
プラダの街は誰もが恐怖に慄いていた。
敵はかつて破滅を撒き散らした生きた天災。
皆が神に祈るように、天に向かって両手を合わせている。
そんなおかしな空気が充満しているプラダにて、異彩を放つ少女が一人。
なめらかな金の髪。
誰もが手にとって触ってみたいと感じる極上の髪質。肩まで伸びている髪を後ろで集め、リボンで縛っている。
日に焼けた後がないと思わせるほどに白い肌。どこか眠そうに目をとろんっとさせ、全くの無表情。
身長は低く、百四十程度の幼い身体だ。黄色と白色が調和したゆったりとしたローブを纏い、片手に杖を持った少女は明らかに他の住民とは違っていた。恐怖も脅えも諦観もない。
エルフ特有の長い耳をピクピクと動かしながら、ふらふらと大通りを歩いている。
欠伸をしながら歩いていた美少女が、突如裏道から飛び出してきた人影によって体当たりを喰らい、放物線を描くように吹き飛ばされて頭から地面に落ちた。
ゴキンっと首が変な方向に曲がっているのは―――きっと気のせいだ。
ピクピクと痙攣している金髪の少女に慌てたのが、裏道から走り出てきた人影。
古いあつらえの黒鞘に納められた刀を一本。大事そうに胸に抱えた―――フリジーニその人だ。
自分が起こした大事件に頬を引き攣らせながら彼女は、地面に転がっている少女の身体を揺さぶった。
「ご、ごめん。急いでいたんだ。って、大丈夫? ねぇ、キミってば!? だ、大丈夫なの!?」
道端で突然起こった殺人事件に、しかし反応する住民はいない。
皆が絶望していたからだ。皆が恐怖していたからだ。
他の人間に関わっている余裕などあるはずもない。
何度も身体を揺さぶっていたフリジーニだったが、数度目の呼びかけで漸く金髪のエルフは目を開けた。
「……痛い……」
むくりと起き上がった少女は捻った首を押さえて、何度か左右に動かす。
どうやら首の骨は折れてなかったようで―――折れたら流石に死んでいるが―――無事だったことにほっと胸を撫でおろす。
「本当にすまないね。後で南東の家に来てくれたら必ず謝罪はするから。フリジーニって人に聞けば絶対にわかるからさ」
頭を下げて、刀を胸に抱いたまま立ち上がろうとするが、ズキリっと痛む足首に顔を顰める。
ぶつかって倒れた拍子にフリジーニも身体を痛めたことに気づくが、それでも彼女は痛む足を引き摺りながら南へと向かう。
エルフの少女もフリジーニの様子に気がついたのかトテトテと近寄ってくると首を傾げた。
「……大丈夫?」
「ああ、問題ないよ。自業自得だし、キミが気にすることは無い」
「うん、気にしてないけど……」
「そ、そうかい」
言葉通り全く気にしていないエルフに、マイペースな娘だと考えながら痛む身体を押して歩き続ける。
必死になって歩くフリジーニの姿に興味を惹かれたのか、彼女と平行して歩き出した。
「……どうかした?」
「―――これをね、どうしても届けないといけない相手がいるんだ」
「……なに、それ?」
無表情なエルフの目が初めて大きく変化した。
驚いたような呆れたような―――そんな表情で、フリジーニが胸に抱く刀に視線を向ける。
それに、私が打った刀だよ、と短く答えると更に少女の驚きが強くなった。
「私も信じられないけど、私の知り合いが―――南の門前で不死王ノインテーターと戦っているんだってさ。刀を打ち上げ終えたと思ったらまさかそんな話を聞かされて驚いたのが今さっきの話さ」
「……え? ノインテーター? 嘘?」
「本当。キミは知らなかったの? 凄い大騒ぎだったらしいけど」
「……昨日の昼間くらいから、今まで寝てたから」
「そ、そう……」
金髪のエルフが何やら考え込むように上空に視線を向けながら、フリジーニと並んで歩き続ける。
ノインテーターの名前を聞きながら、少女の表情には全くの変化がない。それが不思議で仕方なかった。
東大陸に住むものならば誰もが恐れる存在だというのに―――。
「それじゃあ、私は行くから。キミもこんなところにいないで、少しでも安全な場所にいきなよ?」
足を引き摺って南門へと急ぐフリジーニには返事をせずに空を見上げていたエルフの少女は―――。
「……この魔力。ディーティニア?」
ぼそりと呟いた金髪の少女の囁きは誰にも届かず。
暫しの間佇んでいた少女は―――どこか決心をしたかのように、南門へと急ぐフリジーニの後姿を追って歩き出した。
最後にでてきたエルフがわかった人は超凄いです。
ちなみに本編には未登場ですが名前だけはでてきています




