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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
三部 東大陸編
40/106

三十九章 ラグムシュエナ3



 非常に厄介ではあったが、陸上で動きも鈍く思考回路も残っていないギガントタートルをあっさりとしとめたラグムシュエナが再び屋根伝いで、正門へと駆け戻る。

 

 途中で探求者達が住民を落ち着かせるために必死に動いているのを確認。

 思ったほどの混乱はないことに、心底安堵のため息をつく。 左目には眼帯をしなおし、既に始祖返り(メタモルフォーゼ)は解除している。

 生憎とこの特異能力(アビリティ)は、体力を異常に消耗するため、長時間の使用は避けないといけない。ましてや、今のこの状況。何時如何なる時に必要となるかわからないため、少しでも温存せねばならないだろう。


 この窮地をどう乗り越えればいいか、思考を続けるラグムシュエナが正門へと辿り着くと。


「おい、どういうことだよ!!」

「《七剣》はどこに行ったんだ、とっとと出せ!!」

「その人を差し出せば私達は助かるんでしょ!?」

「探せ探せ!! 《七剣》を引っ張り出せ!!」


 そこは怒号が響いていた。

 この世の者とは思えない、醜い表情をした住人が門の前にいる警備兵達に掴みかかっている。

 なんとか落ち着かせようと必死に声をかけているが、その効果は全く見られない。


 これはどうしたことかと、屋根の上から眼下に広がる惨状に眼を奪われていたラグムシュエナの帰還にいち早く気づいた、民衆を落ち着けようと奮起していた警備隊長のバルバトスが、視線だけでこの場から身を隠せと語ってくる。

 そんなバルバトスの視線に民衆の幾人かが気づき―――屋根の上にいるラグムシュエナに気づいてしまった。


「おい、見ろよ!! あいつだ!! あいつが《七剣》だ!! 俺知ってるぞ!!」


 そのうちの一人がラグムシュエナの正体を知っていて、屋根の上の彼女に指をさす。

 それが呼び水となって、正門前にいた住民は皆、ラグムシュエナを逃がさないように四方を囲む。

 

「おい、止めるんだ!! 止めないか!!」

「《七剣》殿は西から攻めてきた死者を片付けてくれたんだぞ!?」

「あんな化け物の言うことを聞くのか、お前らは!!」


 警備兵やバルバトス。そして、駆け付けていた探求者の何人かが住民達を冷静にさせようと必死に押しとどめる。仮にも相手は街に住んでいる民。剣を抜くわけにもいかず、数に負ける警備兵達は押し込まれる一方だ。


「あいつを!! あいつを差し出せば俺達は助かるんだ!!」

「なぁ、頼むよ。俺達のために、出て行ってくれ!!」


 民衆達も決死の顔をしている。

 それも仕方ない。相手は不死王。かつて東大陸を蹂躙して回った怪物だ。

 この大陸では魔族よりも竜種よりも、恐れられている生きた天災。 

 しかも地平線の彼方まで埋め尽くす死者の群れを街の前に蠢かせ現れたのだ。

 ラグムシュエナを庇おうとしている警備兵や探求者の方が、少人数となるのは当たり前の話である。


 それはやはり彼らが少なからず実戦を積んできているということがある。

 危険生物の恐ろしさを身を持って知っている彼らは―――例えラグムシュエナを差し出しても、ノインテーターがこのまま何もせずに引き下がらないことを理解しているからだ。

 今ここでラグムシュエナという《七剣》を失うことだけは出来ない。それはつまり、自分たちから死刑執行の封書にサインをしてしまうのと同義となる。

 


「みんな、落ち着け!! 相手は誰だ!? かつて東大陸を荒らしまわった不死王だぞ!? それが《七剣》を差し出したからといって黙って引き下がると思っているのか!?」


 バルバトスの怒号がこの場に轟く。

 それを聞いた民衆が、一瞬動きを止める。

 確かに、そうだ。良く考えれば当たり前の話だ。ノインテーターが約束を守る確実な証拠も何もない。

 それでも―――。


「あんたたちで、外の化け物全部なんとかできるのかよ!?」

「そ、そうだそうだ!! 俺達の命を守ってくれるのか!!」

「あんなに一杯いるのよ、どうするっていうのよ……これしか方法がないじゃない!!」


 怯んだのも一瞬で、興奮した彼らの心には届かない。

 怒りながら。泣きながら。脅えながら。申し訳なさそうに顔を歪ませながら。

 何百という人間の負の感情がラグムシュエナを貫いていた。


 詳しい話はわからない。

 だが、彼らの会話である程度の推測がたった。

 恐らくは不死王ノインテーターが、この街に手を出さない変わりにラグムシュエナ(自分)を差し出せとでも言ったのだろう。当たらずとも遠からず、と言った予想に彼女は相手の狡猾さ両の拳を強く握った。

 

 陸獣王セルヴァや竜女王テンペスト・テンペシアとは異なる方法。

 真正面からぶつかってくる彼らとは違い人間の心を知り尽くした悪魔の甘い言葉。

 

 ここでラグムシュエナが、どれだけ説明しても無駄にしかならない。

 これは相手の作戦で、自分を差し出してもこの街は滅ぼされる。

 それを語っても、命乞いをしていると思われるのが関の山だ。


 厄介なのはノインテーターが住民に希望を与えたということだ。

 絶望の中に落とされた一筋の光。人間ならば間違いなくそれに縋る。

 

「頼む、お願いだ!! この街のために、この街のために―――」

「出て行け!! 出て行けよ!! 頼むから出て行ってくれ!!」


 老人が。老婆が。中年の男性が。中年の女性が。歳若い青年が。歳若い女性が。まだ少年が。まだ少女が。

 憎悪に、嫌悪に、恐怖に、脅威に―――ぐちゃぐちゃになった感情が渦巻かせて。


 頼む。死んでくれ。お願いだ。死ね。  

 俺達のために―――お前が死ぬんだ。


 恐ろしい、と素直にラグムシュエナは感じた。

 ここまで人が、亜人が恐ろしいと思ったことは一度もなかった。

 

 ただの探求者であったならば、ここにいる全ての人間を見捨てたかもしれない。

 だが、今のラグムシュエナは違う。彼女は《七剣》。神聖エレクシル帝国の擁する、最強の矛の一人だ。

 この場から一人逃げ出すことは許されない。

 それに―――こんな憎悪と殺意が満たす空間にいて、なお。


 自分を庇ってくれる人間が僅かでもいるではないか。


 

「……わかった。私が外に向かおう」


 ラグムシュエナの発した声はとてつもなく小さかった。

 それでもその声は、押し寄せてきた住民達には届き―――彼らは明らかにほっとした顔を浮かべる。 

 

「ま、待って下さい、ラグムシュエナ殿!!」


 悲壮な顔をしたバルバトスが声を張り上げ、《七剣》を止めようと言葉を紡ごうとするが、ラグムシュエナの顔を見て、それは言葉になる前に消えた。これ以上時間をかければ間違いなく暴動がおきることを二人とも理解していたからだ。

 彼女は屋根から地面に着地すると、住民は彼女を恐れたように道をあける。

 誰一人近づこうとせず、これで自分たちは助かるのだと喜びの表情を浮かべる者さえいた。


 ラグムシュエナはバルバトスのもとまで歩いてくると、彼にだけ聞こえるように囁く。


「……恐らくは、奴は私が外に出たとしてもこの街を攻め滅ぼすだろう。できるだけ時間は稼ぐ。貴方は住民を連れて北門から逃げて欲しい」

「し、しかし……彼らが言うことを聞くとは……」


 ちらりっと、周囲の住民に視線を向けるが―――恐らく彼らを動かすのは不可能だろう。


「逃げようという意思がある者を優先してくれて構わない。この街の人数全ては……幾らなんでも無理だとわかってる。でも、頼む」

「……了解、しました」


 顔を歪め、それでも敬礼をするバルバトスに、普段通りの笑顔で一瞬だけ微笑み。


「頼むぞ、バルバトス殿!!」


 ラグムシュエナは一人、階段を駆け上り石壁の上に立つ。

 そこには先程見た時と変化しない地平線の彼方まで続く死者の大軍勢。

 蠢く怪異、立ち昇る異臭。果ての無い生者への悪意。


 必死になって呼びかけるバルバトスと警備隊の声をバックコーラスとして、ラグムシュエナは眼下の死者の群れへと飛び込んだ。

 大地を埋め尽くす異形の怪物達を前にして、不思議とラグムシュエナの心は穏やかだった。

 その理由は単純で、自分には帰る場所があるからだ。会わなければならない相手がいるからだ。

 それを思えば、この程度(・・・・)の脅威など、蹴散らしつくして見せよう。


「―――始祖返り(メタモルフォーゼ)


 パチリっと金色の魔法力を身に纏い。

 全身を黄金色に染め上げた、《七剣》は自分の目の前の敵を薙ぎ払った。


 圧倒的とも言える死者の軍勢を前にして、ラグムシュエナの剣が振り払われるたびに必ずどれかの死者を切断し、両断する。一太刀白銀が舞うたびに、死者は崩れ落ち、冥府に戻っていった。

 群を凌駕する彼女の剣風が、彼女を取り巻く敵を切り刻み、黒い靄を噴き出す腐肉の塊となったそれらを次々と積み上げていく。

 

 四方から群がる緩慢な動作の死者たちを相手取りながら、彼女の口が詠唱を紡ぐ。

 射手座の千矢(サジタリウス・アロー)という呟きとともに、現れ出でた緑に発光する魔法弾が彼女を囲っていた死者ごと消滅させていく。


 開けた視界の中、数を減らしたようには見えない軍勢は腐臭を漂わせながら向かってくる。

 無限にも見える死者を前にしながらラグムシュエナは笑みさえ浮かべ―――。


「悪いっすね。今のうちはわりかし最強モード入っちゃってるっすよ? 恋する乙女ってのは―――無敵なんっすからね!!」

 

 迫り来る亡者を薙ぎ払い、切り払い、切り落とし―――数百の亡者を倒してなお、ラグムシュエナには疲れは見えず。

 たった一人で、百万の軍勢と真っ向からぶつかり合った。

 

 その小さな身体は疲れを知らず。

 その小さな身体の紡ぐ一刃を防ぐことは出来ず。

 その小さな身体が放つ魔法は周囲に屍山血河を作り上げる。


 この場にて、剣を振り続ける少女は間違いなく―――不死王の敵と認められるに十分な力量を備えていた。

 

 屍の群れは恐れもなくラグムシュエナへと襲い掛かってくる、その最中。

 隙間なく這い寄る死者の中に、明らかに()が異なる気配を発する、何かが見え隠れしていた。

 死者のように緩慢な動作ではなく、ラグムシュエナでさえも上手く捉え切れない俊敏な動きをする黒い襤褸を纏った何か。


 一体だけではなく。二体……いや、三体かとゾンビの心臓の位置を貫いてそのまま薙ぎ払いながら油断なく気配を窺う。

 人や亜人の死者が放つ悪意を遥かに超えた、邪悪を放ちながらラグムシュエナの隙を狙っているようだった。

 背後から襲ってきた猫耳族を振り返らずに切り伏せて、それが大地に倒れ伏し消え去ろうとしたその刹那。


 ゾワっと背筋を這う圧迫感。

 遂に死者達の合間から飛び出してきた三体の影。

 姿形は人そのもの。ただし、それらは全て青黒い肌をしていた。背中には翼が生え、手から伸びているのは長く鋭利な爪。額には第三の眼があり、襤褸で申し訳ない程度身体をかくしているだけ。

 ただし、それらから感じる気配は尋常ではなく、周囲のただの死者とは訳が違う。


「―――第四級危険生物、騎士級魔族っすか!?」


 他の死者と同じく身体中を腐らせながらも、彼らがラグムシュエナに向ける敵意は恐ろしい。

 まさかここまで凶悪な手駒を用意していることに驚きを隠せないが、愚痴を言う相手も暇もなく。

 ましてやそんな暇があるはずもなく―――騎士級魔族が一斉に躍りかかってきた。


 意思をなくし、生者を屠る本能にのみ従うことになったとはいえ、それでも相手は第四級危険生物。

 容易く相手を出来ないという彼女の想像通り、三体の魔族の攻撃は苛烈であった。

 死体でありながら彼らの速度は尋常ではなく。生前の時よりも深い敵意をむ剥き出しに、鉄をも切り裂く爪でラグムシュエナを切り刻もうと特攻を仕掛けてきた。

 身体を捻り魔族の爪から逃れるが、そこにフォローに入ってくるかのような動きで他の魔族が詰め寄ってくる。死んでいるくせに、思わず褒めたくなる連携だ。

 短い呼吸を一つ。目の前で一閃した剣が、爪を弾く。怯んだ相手に追撃を放つ。

 しかし彼女はそれを止めて、横に飛んだ。そのついでに逃げた傍にいた死者を薙ぎ払う。

 突っ込んできた魔族を避ければ、それに巻き込まれた死者が馬車に弾き飛ばされたように、吹っ飛んでいく。


 どうやら他の死者を慮る思考は残っていないようだ。

 三体の魔族から注意を逸らさず、迫ってきていたソンビの頭を斬りとばす。

 その隙をついた三体の魔族が我先にと獲物へ飛び掛り、ラグムシュエナに向かって爪を振り下ろした。

 爪は彼女がいた場所を貫き、地面を抉った。

 しかし、彼らの手には肉を裂いた感触は残らず。

 

 慌てた彼らが獲物の姿を探し、顔をあげたそのすぐ傍。

 後方へと逃げていたラグムシュエナの剣が煌く。音もなく、僅かな躊躇いもない―――白銀の剣閃は、三体の魔族の首を薙ぐ。手には肉と骨を断った感覚だけを残し、動きが鈍った間隙をつき縦一閃。

 両断に至った魔族三体には微塵の注意も払うことなく、小さな身体一つで新たなる脅威を切り払う。

 

 《七剣》第七席ラグムシュエナ。

 彼女はただの《七剣》ではない。

 陸獣王セルヴァと竜女王エンペスト・テンペシアと、さらには悪竜王イグニード・ダッハーカを見ながら生き残った数少ない亜人だ。

 あの化け物達と比べれば、たかがこの程度の死者の群れなど、恐れるに足らず。


 呼吸も乱さず、蠢く死者の大軍勢に視線を戻せば、巨大な何か(・・)が、他の死者を踏み潰しながら歩いてきていた。

 腐りきった巨大な体躯。肌の色が何色かもわからない、体長数メートルの巨人。

 中位巨人種―――ギガス。


 巨大な拳を振り上げて、ラグムシュエナに叩きつけてくる。

 それに巻き込まれた数体の死者が叩き潰されたが、彼女の姿を捉えることが出来ず、足を斬られ体勢を崩したところに止めをさされる。

 

 如何なる敵もラグムシュエナを止めることはできない。

 そう思わせるほどの獅子奮迅。単騎で真っ向から死者の軍勢と渡り合う。


「―――ああ、もう良い。これ以上本命の前に死者()は減らしたくない。下がってろ」


 ピタリっと襲い掛かってくる死者が行動を止めると、ゆっくりと後方へと下がっていく。

 その命令を下した男―――ノインテーターが死者の間から足を踏み出してきた。


「……あんたが、ノインテーター? 随分と普通っぽい奴っすねぇ」

「おい、聞こえてるぞ。人の気にしていることを言うな」


 自分にしか聞こえない呟きだったことを聞き取られるも、意外と人間臭いところがあるのだと少しだけ驚いた。

 改めて不死王ノインテーターの全身を観察する。はっきり言って、見かけからは第二級危険生物の片鱗は到底見えない。身長も百七十程度。長身痩躯というよりも、ただの痩躯だ。第一級危険生物が放つような威圧感は全く感じられない。

 これならばなんとかなると確信を抱いたその時―――。


「一分でも持てば大したものだぞ、お前」

  

 キシリっと、空間が軋みをあげた。

 今の今までそこらの人間と大差なかった雰囲気のノインテーターの周囲が、蜃気楼のように揺らぎ始める。

 意思を持たないはずの死者が恐れ、怖れ、さらに後方へと下がっていく。

 この場にいるだけで全てを飲み込む威圧感を発しながら、不死王の肉体が疾風と化す。

 呼吸をするのも一苦労。ラグムシュエナの想像を超え、生きた天災はそこにいた。


 四十年前の事実を知る者は皆が勘違いをしている。勘違いをしていないのは当事者のディーティニアだけだ。 

 ノインテーターは獄炎の魔女の手によって退けられた。配下の軍勢ごと焼き払われ、他の不死王種に邪魔をされたとはいえ、東の辺境に逃げ延びることに成功する。

 

 ディーティニア一人に敗れ去る怪物程度(・・)の認識を持たれている彼だが、逆の考え方も出来た。


 本気(・・)の獄炎の魔女が、退けることが限界(・・・・・・・・)だった敵なのだと。


 勿論、四十年前はノインテーターの完全敗北だ。

 まともにやりあったならば確実に負ける。

 だが、それでも―――彼の()としての力は、確かに王位種の域に達している怪物なのだ。


 空気を打ち抜きながら迫り来るノインテーターに、反射的にあげそうになった悲鳴を噛み殺し、背後へと跳び下がった。

 直後無造作に打ち下ろされた拳が今までラグムシュエナがいた地面を直撃。砂と土をばら撒きながら地面に大穴を穿っていた。

 視界が塞がれる中、危険だという第六感が脳内に響き渡る。

 その場からさらに後ろへと後退。予感を肯定するように、凶悪な破壊力を秘めた拳が、寸前まで身体があった場所を通過していった。

 砂埃が治まる前に、そこから飛び出したノインテーターが優しく。だが、悪意を内包した右腕でラグムシュエラの左腕を掴んでいた。

 

 マズイと思う暇もなく。

 メキリっとやけに場違いな音がしたのを彼女の耳は拾っていた。

 次いで一秒の遅れの後にやってくる灼熱の激痛。痛みで叫びたくなるのを必死で堪え、鬼気迫る表情で右手で持っている剣をノインテーターの頭に叩き込む。


 おお、と驚いた様子の彼は、掴んでいた左腕を手放し一歩後ろに移動して、彼女の斬り下げの一撃をやり過ごす。

 歯を食い縛りながら、間合いを取って自分の左腕の状態を確認。

 見事というしかないほどに、左腕は本来ならば曲がり得ない方向へと曲がっている。

 左腕に感じるのは泣き叫びたくなる灼熱だ。第二級危険生物を相手取っているというのに、片腕が使い物にならないのでは話にならない。


 このまま戦って果たして勝ち目はあるだろうか。

 黒い絶望がラグムシュエナの心に這い寄ってくる。

 まず勝利は掴めない。僅か十秒にも満たない戦闘で、ノインテーターの尋常ではない身体能力は理解できた。

 悔しいが認めねばならない。彼の力は、確かに生きた天災というに相応しい敵だということを。


 剣の切っ先をノインテーターに向けていたが、彼は散歩をするような気楽さで間合いを詰めてきた。

 今度は慌てず、踏み込んできたノインテーターの心臓目掛けて体ごと叩きつける刺突を放つ。自分と相手の力を利用したカウンターとなる突きが吸い込まれるように敵へと迫っていき―――それに酷薄な笑みを浮かべたことに気づくも遅く。


 ラグムシュエナの背後から襲いかかってきた魔族の爪が、肩を貫いた。

   

「―――っ!!」


 溢れ出る鮮血。はしる激痛。香る血臭。

 声にならない悲鳴をあげて、背後の魔族の首を剣で刎ねる。

 

 だが―――その隙を逃すほど甘い相手ではなく。


 ノインテーターの拳がラグムシュエナの脇腹を強かに殴りつけた。

 鉄製の金槌で殴られたような打撃に、彼女の小柄な身体は放物線を描き港街ファイルを覆う石壁に激突。

 ずりずりと音をたてながら、そのまま地面にずり落ちていく。

 自分の一撃をまともに受けて意識があることに驚いているノインテーターだが、手に残された衝撃は思っていたよりも軽い。彼女が自分から飛んで衝撃を和らげたのと、風の魔法で多少は打撃を吸収したのだろうと判断。

 

 霞む視界の中、追撃を仕掛けてくるノインテーターの拳が地面に腰を落としているラグムシュエナの顔目掛けて打ち下ろされ―――。


 必死になって転がってかわした彼女の背後にあった石壁に拳が着弾。

 鈍い音を響かせ、石壁が容易く弾け飛ぶ。

 ついでとばかりに、二、三連撃を壁に叩き込み街の内部へと続く穴を作りだした。

 そして、それを合図に動き出す死者の軍勢。一度に大勢の死者が入り込めないにしろ、今の状況では十分すぎる数だ。

 内部に侵入してきた怪物達を見た住民達が悲鳴をあげながら逃げ出し始める。

 その悲鳴を聞きながらはっきりとした愉悦を浮かべ。


「約束通り()は手は出さんぞ。俺は、な」


 楽しそうな不死王を前に、ラグムシュエナが剣を杖にして立ち上がる。

 左腕を折られ、肋骨も数本は軽く逝ってしまった状態。

 街の中から聞こえるのは阿鼻叫喚。不死王に手間取っているわけにはいかない状況だというのに―――。


「―――あんたはぶっ殺す」


 これ以上ないほどに冷たく。

 心も体も冷え切ったラグムシュエナが静かに宣言する。

 そこにはとてつもない殺意が秘められていた。お前を殺す、という揺ぎ無い殺気が漲っていた。


「東の突風。西の天風。南の疾風。北の神風。四方に轟く万風の支配。血と盟約の制約により、天空から墜ちる、雷撃の鉄槌。世界より吹き付けし四方の極地。今こそ開き、万物一切を必滅せよ」


 ラグムシュエナの震える唇から魔法の詠唱が漏れる。

 なにをするのか興味深そうに窺っていたノインテーターだったが、次第に膨れ上がっていく彼女の絶大な魔法力に眼を見開き、頬を引き攣らせた。

 幾ら《七剣》とはいえ一介の亜人が使用していい魔法の領域を超えている。

 それはまるで、四十年前に見た獄炎の魔女の王位魔法にも似た―――いや、似たのではなく、間違いなく匹敵していた。


「―――きさまっ!!」


 狂気と焦燥に彩られた表情で、ノインテーターがラグムシュエナへと飛び掛る。

 だが、それは一歩遅く。


「―――天風の四重奏(クアトロ・テンペスト)!!」


 ごっそりと抜けていくマナと体力。

 そして削られる精神力。

 一日一度しか使用できない、ラグムシュエナの奥の手だ。

 一ヶ月以上前に、第一級危険生物に手も足もでなかった彼女がディーティニアに協力してもらい編み出した風属性の王位魔法。本職が魔法使いのディーティニアほどではないにしろ、戦況を一変させるには十分すぎる超魔法。


 襲い掛かってきたノインテーターに目掛けて翠の嵐が吹きつける。

 色付いた爽やかな―――だが、凶悪な質量を持って荒れ狂う。

 風が狂う。ここにあるだけで狂う。明確な破壊の衝撃を撒き散らしながら狂い続ける。

 一つ目の突風が、周囲に蠢く死者ごとノインテーターを吹き飛ばし、二つ目の天風が物理的な衝撃を叩き込む。三つ目の疾風がかまいたちで切り刻み、最後の神風が周囲のマナを奪い去り、爆撃へと変換させた。

 何度も何十も続く爆発の大連鎖。鼓膜を破りかねない衝撃と爆発、破壊の限りを尽くす。

 

 残されたのは、数百メートルに渡って更地と化した大地。

 それでも、彼方にはまだ無限に等しい死者の軍勢が見える。馬鹿らしくなるほどの大軍勢。

 ごほっと咳き込めば、大量の喀血が地面を濡らす。両手両足が疲労で言うことを聞かない。

 体力の限界を迎えた彼女ではあるが、街に入り込んだ死者をまずはどうにかしないといけない。

 

 ノインテーターに開けられた壁から、足を引き摺りながら町の内部へと戻ると―――中には地獄が広がっていた。

 既に侵入した死者達によって、原型を留めないほどに喰いちぎられた死体があちらこちらに転がっている。

 だが、まだ悲鳴が聞こえるということは、まだ生きている人間がいるということだ。 

 声が聞こえる方角へと激痛がはしる身体で向かう。角を曲がったところで、死者から逃げ惑っている住人を発見。その顔には見覚えがあった。ラグムシュエナを糾弾していた男の一人だ。


「た、助けてく―――」


 言い終わる前にラグムシュエナの剣が、背後に迫っていた死者を斬り伏せた。

 茫然と、彼女を見つめる男だったが―――そんな腰を抜かして地面に座り込む男の頬を叩く。


「さっさと、北門に、逃げるっすよ。まだ死者は、幾らでもくるっすから」


 コクコクと無言で頷いた男は必死になって北の方角へと逃げ去っていく。

 ラグムシュエナもまた、悲鳴が聞こえる方角へと痛む身体を押して歩き続ける。


 そんな彼女を嘲笑うように、グチャリっと地面に転がっている遺体を踏みつけて新たな死者の群れが姿を現した。

 その数は軽く十を超える。普段の彼女であれば、問題もなく一掃できる敵ではあるが―――今の状況は不味すぎた。


 霞む視界。

 歯を食い縛り、剣を一閃。

 ゆったりと迫り来る死者の群れ。

 その中でも突出した怪物が一体、ラグムシュエナへと飛び掛ってきた。


 だが、彼女が剣を振るうより早く―――背後から突き出された幾つもの長槍が死者の身体に大穴を空けて侵攻を押し留めた。次いで迫ってきていた死者を、さらに別の長槍が貫いて止める。

 ラグムシュエナを庇うように僅か十人にも満たない警備兵が彼女を守護するように死者の群れの前に立ち塞がった。

 その中には隊長であるバルバトスも青白い顔をしながらも、長槍を手に立っている。


「遅くなって申し訳ありません。後は我らファイル警備隊が引き受けましょう」


 身体を震わせ、その震動で金属製の鎧をガチャガチャと鳴らし。

 幾ら虚勢を張ろうとも、彼の声は裏返っており―――他の警備兵も似たような状態だ。


「なにやって、るんっすか……あんた達には、住民の避難を……」

「最大限の出来ることはしました。残っているのは我らの誘導に従わなかったものだけです。後は、貴女が逃げ延びるまで時間を稼ぐのが我らの役目!!」


 襲い掛かってくる死者を長槍で貫き、黒い靄となって消えてゆく姿を見送り、バルバトス率いる六人の警備兵は前に出る。

 十体の死者を倒した彼らの前にさらに多くの死者が現れる。まるで地獄を連想させるほどに、無限に溢れ出る怪異の群れ。

 今度は十ではきかない。五十どころか百を超える。

 

 あまりの多さに息を呑む。

 荒い息遣いが、意識せずとも聞こえてくる。

 顔の青白さはより濃くなり、進む足も震えていた。手に持つ長槍もカタカタと音をたてている。

 恐怖で脅えている。心の底から怖がっている。目の前に広がる怪物達に、絶望を感じている。


 だが彼らは―――決して(ひる)んではいない。

 

「エント!! お前がラグムシュエナ殿をお守りするんだ!!」

「―――ご武運を!!」


 長槍を持ってラグムシュエナの前を守護していた七人とは別に、背後にいた一番歳若い青年が小柄な狐耳族の少女の身体を抱きかかえ、北の方角へと駆け出した。


「―――っ」


 唇を噛み締める。

 彼らの覚悟が痛いほど伝わってきたからだ。

 例え死ぬことになろうとも―――それでも命を賭して戦う覚悟を彼らの背中に見た。


 自分の娘と変わらない歳の少女が一人で戦っていた。

 自分と歳が変わらない少女が一人で戦っていた。

 自分よりも遥かに年下の少女が一人で戦っていた。


 地平線の彼方まで埋め尽くす大軍勢を前にして決して退かず、自分を糾弾した相手を救うために。

 そんな姿を見てしまった以上―――次は自分達の番だ。


「バルバトス揮下ファイル警備隊―――」


 裏返った声で腐臭溢れる空気を肺一杯に吸い込み。


「―――目の前にいる敵全部をぶっ殺せ!!」


 焼け付くような熱さを全身に感じながら、たった七人の漢達が長槍を両手で握り締め死者達を迎え撃った。 



    

  

   

 


 
















「大丈夫ですか、《七剣》殿?」

「だいじょう、ぶ。問題ない」


 胸元で抱きかかえた青ざめているラグムシュエナに心配の言葉を送るが、彼女もまた返事をするだけで精一杯なのが一目見れば明らかだ。

 無理もないとエントという名の青年は考えていた。

 あれだけの大軍勢を相手取り、さらにはノインテーターとも戦う。

 それだけの戦いを繰り広げ、生きているほうが奇跡なのだ。


 それ以降、無駄話をせずにエントはひたすらに北に向かう。

 街の中では悲鳴が轟く。それと同時に腐臭が強くなっていく。

 

 突如エントが足を止め、前方の横道から溢れ出てくる死者の群れを鋭く睨みつける。

 逡巡は一瞬。走る速度を加速させ、死者の群れを持っていた剣で薙ぎ払いながら突き進む。

 その群れを抜け、離れた場所にラグムシュエナを下ろすと、死者達の群れに一歩を踏み出した。


 死者の数はとどまるところを知らず、次々とその数を増やしていく。

 

「……申し訳ありません、《七剣》殿。此処から先はご一緒できないようです」


 震える両手で剣の柄を握り締める。


「後は私に任せて、お逃げください!!」


 恐怖で慄きながらも、エントは迫り来る死者を迎え撃つ。

 彼もまた決して退かぬ覚悟を胸に秘め。不退転の意思でその場で剣を握る。


「―――武運、を」


 この場に相応しい言葉を見つけられず、かすれる声でラグムシュエナは北門へと足を引き摺りながら向かっていく。

 まだこちらの方角には死者がきていないのか、北門が見える位置まできたというのに、視界には死者の群れは見当たらない。

 咳き込むたびに口の中に血の味が広がっていく。

 全身を襲う激痛に耐え、歩みを止めることはない。 


「……お兄さん、お兄さん……お兄さん……」


 今にも座り込みそうになる疲労と激痛が、キョウのことを口に出せば和らいでいく。


「……一杯、守れなかったっす……」


 ふらつく両足が地面を確かに踏みしめる。


「……でも、駄目な女っす……このまま逃げて、お兄さんに会おうとしているのに……」


 喉から血の塊がせりあがってきて、それが地面を赤く濡らす。


「……それでも、嬉しいっす……会いたい……お兄さん、会いたいよぉ……」

 


 足を滑らせ、地面に転んだ。

 強かに身体を打ちつけながら、必死に立ち上がる。


「……お兄さん、お兄さん、お兄さん……」


 何度も何度も虚空に呼びかけるラグムシュエナ。

 だが―――。

 

「ああ、全く。苦労をさせるな。漸く追いついたぞ、狐耳族」


 彼女に答える者はキョウ=スメラギではなく―――。


 

 屋根の上から飛び降りてきたのは、全身を傷だらけにした不死王ノインテーターだった。

 怒りに燃えた彼が、ラグムシュエナの首を片手で掴むと軽々と持ち上げる。

 骨が軋む音が、この場に鳴り響く。苦痛に彼女の顔が歪んでいった。


「―――くっ、かはっ」

「おい、貴様。たいしたものだ。ああ、本当にたいしたものだ。俺に一瞬とはいえ死の恐怖を思い出させやがった」


 ラグムシュエナの身体を、振り回し地面に叩きつける。

 激しい音と震動。地面を揺らすほどの衝撃がラグムシュエナを襲う。

 あまりの衝撃に呼吸が止まり、パクパクと陸の上の魚のような姿となり―――。


 ボキっと何かが圧し折られる音。

 地面に転がっていたラグムシュエナの右足に体重をかけて骨をへし折ったのだ。

  

「―――っっっ!!」


 激痛のあまり地面を転がりまわるラグムシュエナだったが、それを喜悦を浮かべて眺めているノインテーターが嘲笑う。

 もはや抵抗もできないと考えていた彼の想像を覆し、ラグムシュエナは片足で剣を地面に突き刺して立ち上がる。

 左腕は折られ、右足も圧し折られながら―――それでも、眼光だけはギラギラと輝いていた。

 どうしようもない状況でありながら、ラグムシュエナはこの状況でも絶望など微塵も感じず、最後の最後まで剣を握る覚悟ができている。


「なめるな……不死王、うちは《七剣》。お前如きにやられる、うちじゃない」

「気に喰わん。ああ、気に喰わん。なんだ、お前。何故怖れん。何故恐れん。何故畏れん。お前は―――」

「ぁぁぁぁああああああああああああああ!!」


 ノインテーターの言葉を遮り、ラグムシュエナが無事な片足だけで跳躍。

 上空から身体ごと叩きつける一撃が眼前の敵に叩き込まれる。

 しかし、その斬撃が叩き込まれるよりも速く―――ノインテーターの拳が彼女の腹部を捉えた。


 今度はまともに直撃したラグムシュエナは、十数メートルも軽々と吹き飛ばされ、壁に激突して止まった。

 ぶつかった壁は彼女の肉体の衝撃で大きく罅割れて、石の欠片がパラパラと落ちる。

 肋骨が砕けただけではなく、確実に内臓もぐちゃぐちゃになった感触に酷薄な笑みを浮かべたノインテーターは、とどめを刺そうと壁を背に倒れているラグムシュエナへと歩み寄っていく。


 そんな彼を驚かせることが一つ。


 確実に致命傷を与えたはずの狐耳少女は、それでも立ち上がった。

 ハラリっと殴られた衝撃で結んでいた真紅の後ろ髪が解けていく。

 結んでいた青色のリボンは、ノインテーターの足元に転がっていて―――リボンを探していたラグムシュエナの視線に気づいた彼が、鼻で笑いながらリボンを拾う。


「なんだ? 大切なものなのか、小娘?」

「―――それに、触るんじゃない!! くそ野郎!!」


 ぞっとするほどに冷たくも熱い激情を込めたラグムシュエナが吠えた。

 ギリギリと歯を噛み締めながら、憤怒の形相で剣を向ける彼女に気圧されたように一歩後退する。

 圧された自分を恥じたのか、持っていたリボンを地面に落とすと、グシャリっと踏み潰す。


「―――ぶっ殺す!!」

「ああ、お前をな」


 最後の力を振り絞り、ラグムシュエナが疾駆する。

 目を瞑っても対応できる遅さに呆れつつも、薙ぎ払った剣をかわし―――手刀で目の前の狐耳少女の胸を貫いた。

 

 鈍い音。肉を貫く感触。濃厚な血の香り。

 芳醇ともいえるその香りに酔いしれたノインテーターが生んだ一瞬の隙。

 ラグムシュエナの胸から手を引き抜いたと同時に崩れかけた彼女の目が輝く。

 解き放たれた獣の如く、宿敵の首に噛み付いた。


「―――っな!?」


 ラグムシュエナの口の中に広がる、自分以外の血の味。

 ぶちぶちっと皮膚と肉を喰いちぎる感触。数秒もかからず、ノインテーターの首の肉を喰いちぎった。


「―――小娘、お前!! このクズがぁ!!」


 怒りに燃えたノインテーターの拳がラグムシュエナの横顔を打ちつけ吹き飛ばす。

 地面に叩きつけられ、幾度も転がっていき壁にぶつかってようやく止まった。   

 

 胸に開けられた風穴から溢れ出る血がみるみるうちに血の海を作り出し、彼女の瞳からも生気が抜けていく。

 首から出血するノインテーターも、自分がここまでの怪我を負うことは想定しておらず、ましてや格下の相手に血を流したことに怒りに燃えていた。


「ああ、くそが。なんてことだ、お前みたいな雑魚に。ふざけるなよ、小娘。お前はただ殺すだけじゃ飽きたらん。俺の配下に加えてやってからも、心も身体も陵辱してや―――」

「いやいや、うん。それはちょっと認められないねぇ、ノインテーター?」


 パキリっと世界が凍った。それはある種の合図でもある。

 この世界に君臨する選ばれた超越種。真の意味で王位種と呼ばれる怪物達。

 それらの王位種が現れた時に起こりえる現象だ。

  

 身体を包む、ノインテーターをして身動き一つ取れなくなる圧迫感。

 桁が異なる威圧感。恐怖と脅威を撒き散らす、獣の王。

  

 十歳程度の肉体。

 金色の髪をツインテールに纏めて、左目を瞑り、右目は金色に輝いている。  

 髪と同じ金色の着物で着飾り、腰からは九つに分かれた尻尾が揺れていた。


 そんな幼女が屋根の上に腰を下ろしてノインテーターを見下ろしている。


「……な、なぜ、お前が。こんなところに?」

「僕相手に、お前(・・)だなんて偉くなったもんだねぇ、そう思わないかなぁ?」

「―――っ」

「いやいや、冗談さぁ。笑っておくれよ、ねぇ?」


 やけに甘ったるい響きを言葉に乗せ、クスクスと幼女は笑う。

 ギリっと悔しさを隠し切れないノインテーターが歯軋りをするも、真っ向からこの化け物に戦いを挑むわけにはいかない。

 配下を真正面からぶつけられる状態ならともかく、この間合いからでは一瞬で焼き滅ぼされる(・・・・・・・)


「悪いけどさぁ、その娘はキミの配下にしてやるわけにはいかないんだよね。何せ、その娘は僕の血を色濃く残す直系だから。キミに操られるとか気分が悪いなんてモノじゃないよ」

「……」

「だからさぁ―――消えろよ、小童。細胞一つ残さず灰燼と化すぞ?」



 右目の金色の瞳が大きく獣のように裂けて、ノインテーターを睨みつける。

 脳髄を引きぬかれ、氷柱をぶちこまれたかのような悪寒に、彼は即座にその場から姿を消した。

 残されたのは屋根の上で座っている幼女―――幻獣王ナインテールと瀕死の状態のラグムシュエナだけ。


 ナインテールは屋根から飛び降りると、地面に血の海を作っている少女の元まで足を進める。


「やぁ、遠い遠い僕の子孫。まさか大昔に僕がキミ達に与えた《九尾の瞳》を開眼させるに至った者が現れるとはねぇ。正直驚いたし、楽しめたよ」


 金色に光るナインテールの右目(・・)と、生気を失っていくラグムシュエナの左目(・・)の視線が交錯する。

 

「キミのおかげでここ数十年はおおいに楽しめたよ。そのお礼をキミにあげよう―――ああ、ただキミを助けることはできないよ? 生憎と僕の属性は炎。回復魔法は凄く苦手なんだ」


 聞こえているのかわからないが、それでもナインテールは瀕死の少女に話しかけ続ける。


「さぁ、意識が残っているうちに願い事をいうんだね。どんな願い事でも……とはいえないが、王位種を滅ぼせくらいなら聞いてあげてもかまわないよ? 流石に竜王種は僕も負けそうだけどね」


 笑顔のナインテールの視線が、ラグムシュエナの口元に注がれる。

 パクパクと言葉にならない声を、彼女の喉が発していた。

 それを見ていた超越存在は―――。


「……それでいいんだね(・・・・・・・・)?」

「―――っ」


 力なく頷くラグムシュエナに、呆れた表情を向けて―――だが、ナインテールは笑った。


「最後がそれ(・・)か。全くキミってやつはどれだけ、あの男が好きなんだい。まぁ、聞いてあげるよ―――その願い。どうせ僕は無限に近い寿命を持っているしね」

「―――あ、り……が、と……」


 自分の願い事を聞いてくれた存在に、最後の力を込めて謝礼を述べる。

 それに再び呆れたように両肩をすくめる幼女。


 そして―――それに安堵したかのように、ラグムシュエナの全身から力が抜ける。

 意識が遠くなっていく。靄がかかったように、思考が纏まらない。

 深いまどろみ。

 閉じかけた視界。

 映るのはキョウ=スメラギの顔。

 初めて会った時恐ろしい男だと思った。

 底知れない男だと思った。

 だが、不思議と心惹かれた。

 彼なら魔眼の呪いに身体を蝕まれている自分でも受け入れてくれるのではと、望みの薄い願望を抱いた。

 陸獣王セルヴァから助けて貰った。

 挙句の果てには超越存在を倒すまでの剣士だった。

 

 彼の横顔が好きだ。

 彼の声が好きだ。

 彼の匂いが好きだ。

 彼の困った顔が好きだ。

 彼の真剣な表情が好きだ。

 彼の普段の顔が好きだ。

 彼の雰囲気が好きだ。

 彼の怖いところが好きだ。

 彼の―――全てが好きだ。

 

 好きで好きで堪らない。

 生涯かけて一緒にいたい。

 許されるのならば生まれ変わっても一緒にいたい。

 永遠に、輪廻転生を繰り返してでも一緒にいたい。

 

 ああ、好きだ。大好きだ。彼が、彼が―――。 

 

 

   
























 ―――大好きだった(・・・)
































「もしも、もしもの話っすけど。死の霧が無くなって外界(アナザー)を旅することが出来たなら―――お兄さんに案内してもらいたいっすね」

「―――まぁ、外界(アナザー)くらいは案内するさ」

「……約束っすよ?」

「ああ、約束だ。波乱万丈な旅になることだけは確定しているが」

「……それでもいいんっすよ。お兄さんと一緒ならどんな旅でも凄く楽しくなるっすから―――」

























「―――約束っす」



















この世界には回復魔法はありますけど、蘇生魔法はありません。

そして今日は帰って四時間で20,000文字を書きました。多分一年で一番タイピングした日だと思います。

ゼロの領域にはいった気分だぜ……。

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