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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
三部 東大陸編
36/106

三十五章 出立







 カルラとの戦いが終わった後、キョウとラグムシュエナは十分もかからずに部屋を取っている宿へと到着した。

 途中幾人かにすれ違いはしたものの、時間も時間だけに出歩いている人間は減ってきているのだろう。

 

 カウンターにいた店主らしき男と軽く挨拶を交わし、二階へとあがる。

 借りている部屋に戻れば食事に行く前と変化しない内装が二人を迎え入れてくれた。

 部屋の隅にあるベッドの一つは布団が小さく盛り上がっている。ディーティニアが丸くなって寝ているのかと思えば少々微笑ましくて、キョウの口元に苦笑が浮かんだ。


 寝ていると考えてキョウもラグムシュエナもディーティニアには声をかけずに二人は寝間着に着替えると、寝る準備を整えた。ちなみにキョウは狐耳少女が着替えをする時、きちんとキョウは廊下に出るか、部屋が二つに区切られている時はそちらに移動する。

 結構大胆な行動をするラグムシュエナだが、流石に着替えを見られるのは恥ずかしいらしい。もう少し自分の身体に自信を持てたならば、誘惑をすることも可能なのだが―――。


 ―――これじゃあ、無理っすねぇ。


 はぁっと失望のため息を一つ。

 ラグムシュエナは絶壁に等しい胸に両手をあてて、何時も通りの感触にがっくりと頭を垂れる。

 いや、絶壁は言い過ぎではあるが、本当に極僅かな膨らみしか彼女の胸には存在せず。

 人はこれを何と呼ぶのだろうか―――微乳か虚乳か。それとも無乳……までは決していかないはずだ。絶対に。

 ラグムシュエナとてまだ若い。未来に賭けたいところだが、それも中々に難しい。人間の年齢に換算すればおおよそ十八歳前後の彼女だが、何時か成長するだろうという期待は十年以上前から持ち続け―――現在に至る。

 決して胸だけが女性の魅力ではないにしろ、多少はあったほうが良いに決まっている。大は小をかねるともいうし、色々(・・)とマニアックな要望に答える事もできるからだ。

 生憎と今の自分では、特殊な趣味がある人間しか喜ばないかもしれないと自嘲気味に口元を歪めるが、それは考えすぎで身体的魅力は厳しいが、容姿自体は優れているのだから本来であれば幾らでも相手には事欠かないというのもまた事実である。


 実はラグムシュエナの悩みは彼女だけにとどまらない。

 亜人―――特に猫耳族や人狼族、狐耳族やエルフは血筋なのかスレンダーな体型の者が多い。例外も勿論存在するものの、彼女と同様の悩みを持つ者の数は圧倒的だ。

 他の亜人は不明だが、狐耳族に関しては何でも彼女達の始祖にもあたる存在が胸が大きくならない呪いをかけたという噂まであるが―――それが本当かどうかは定かではない。

 あくまでも都市伝説程度の話である。


 ―――まぁ、ディーテさんには勝ってるんっすけどねぇ。


 掛け布団の中で丸まって寝ているディーティニアの体型を思い出して、手を握り締めるがすぐに力が抜け、またため息をついた。

 八百年を生きる獄炎の魔女に勝ったとしても、特には嬉しくはない。どれだけ低レベルな争いをしているのか、と彼女自身に呆れてくる。 

 

 それを考えたら先程会ったカルラ・カグヅチは底知れない相手だ。

 着物姿のため直視できなかったが、ラグムシュエナなど歯牙にもかけない巨大さだったからだ。

 決してそれを妬んで本気(メタモルフォーゼ)を出したわけではないのだが、あれだけの大きさがあれば……と、心底カルラの胸に嫉妬を感じていた。

 ギリギリと部屋に響く音が何かと思えば、知らず知らずのうちに彼女は歯を強烈に噛み締めていたらしい。

 いけないいけない、と深呼吸することによって冷静さを取り戻す。


「―――それにしても、なかなか大きいな」

「いや、小さいっすけど……」

「ん? 俺は大きいと思っていたがそれほどでもなかったか?」

「お兄さん……慰めはいらないっす……」

「いや、待て。お前は何を言っている?」

「え? うちのおっぱいのことっすよね?」

「……ベッドのことだ」


 きょとんっとしたラグムシュエナに、かなり本気で呆れた視線を送り、キョウは腰を下ろしていたベッドをポンポンと叩く。それで自分の勘違いに気づいた彼女は、頬を赤くしながら―――三度目となるため息をつく。

 冷静になったつもりでも、全く冷静になっていなかったらしい。


 胸のことをずっと考えていたからといって、とんでもない勘違い発言をしてしまったことに羞恥心に襲われる。

 突然おっぱいなどと口にだしたラグムシュエナを、若干可哀相な目で見てくるキョウに、耐え切れず自分用にあてがわれているベッドに飛び込みディーティニアのように布団のなかで丸くなった。

 狐らしいといえば狐らしい行動をとった彼女ではあるが、長い尻尾が布からはみ出してぷるぷると震えている。

 反射的に鷲掴みにしたくなる欲求をなんとか押さえ、灯りを消しながらキョウも自分用のベッドへと潜り込んだ。


 暗闇に支配される部屋の中。暫しの間、静寂が訪れ。

 ごそっと隣から寝返りする音が聞こえた。


「……お兄さん、起きてるっすか?」


 ディーティニアに配慮してか、キョウにだけ聞こえるほど小さい囁きが耳に届く。

 それに合わせるように声をかけられたキョウもほぼ同じ声量で返答を返す。


「ん、起きてるぞ」

「随分と前に話したことなので忘れてるかもしれないから確認するっすけど……うちらの目的地覚えてるっすか?」

「ああ、勿論だ。確かこの街から乗り合い馬車で南へ五日ほど。プラダという街にいるドワーフを訪ねるんだったな」

「正解っす。結構な偏屈もので仕事を選ぶせいであまり世間一般には知られてないんっすけどね。その筋では有名っすよ、ドワーフでも一、二を争う若き天才鍛冶師って」

「それは有り難いが。突然行って刀を鍛えてくれるかどうかが問題だな」

「多分大丈夫と思うっすよ。ただ、他の仕事をしてたら多少滞在することになるかもしれないっすけどね。問題があるとすれば一つだけ……こっちはお兄さんじゃなくてうちの問題になるっすけど」 


 後半はさらに小さい声になったため、キョウの耳に届くことなく消えていく。

 ラグムシュエナはドワーフの知人を思い出して嫌な予感が治まらなかった。

 プラダの街にいる偏屈ドワーフ。正確にいうならばエルフとの間に産まれたハーフドワーフなのだが、一言で言ってしまえば変わり者。ハーフということで結構な苦労をしたというのに、世間に対して全く恨みも抱いていない。そこは尊敬に値するが、鍛冶に関しては全くの妥協を許さない。注文を受けたものは自分が納得するまで鍛え続けるため、納期を高確率で守れない。一般的な商品を取り扱うことが出来ない原因がここにある。


 さて、このハーフドワーフの名を《フリジ-ニ》という。愛称はジーニ。 

 可愛らしい容姿のラグムシュエナが羨むほどの美女である。エルフの血が混じっているせいかドワーフとは思えないほどの身長―――といっても、それでも百五十ほどのラグムシュエナと同じくらいだが。

 美しく長い深緑の髪を後ろで無造作に束ねている。髪を切るのが面倒くさいという理由で伸ばしているのだから驚きだ。

 当然求婚されることも数多く、本人は鍛冶を打つことしか興味がないため全て断っているのだが……それが問題である。

 彼女の興味があることといえば、鍛冶。自分の打った武器をどれだけ上手くしようしてくれるかだけにしか興味を持たない。だが、そこにキョウが現れたとしよう。尋常ならざる剣の腕を見せる彼に、剣を打たないという選択肢をフリジーニが選ぶはずが無い。逆に打たせて欲しいと懇願するはずだ、とラグムシュエナは読んでいる。


 しかし―――。


「お兄さんは変な人を惹き付けるっすから……面倒なことにならなきゃいいんっすけどねぇ」


 主にラグムシュエナ(自分)のために。

 来るべき未来にかかる暗雲を予想して―――彼女は眠りにつくのだった。



 














 ―――翌日。


 昨晩の十分な睡眠のおかげかディーティニアも船酔いから完治して、完全復帰となった。

 三人は南へ向かう乗り合い馬車の時間を確認しようと、食事もかねて―――勿論爆睡したディーティニアのせいで既に昼食に近い時間帯になっているが、宿から出立する。

 本来はもう一泊ほど部屋をキープしようとも考えていたが、もし馬車の出発が今日だったならば、一日分の料金を丸々損してしまうことになるため、満室になったらなったで別の宿を探せば良いと決断して外に出た瞬間。


「お待ちしておりました、旦那様」


 ディーティニアとラグムシュエナを連れ立って宿から出た途端、そんな声をかけられて動きを止めたキョウは訝しげな視線を発言者へと向ける。

 キョウの視線の方向、宿の壁にもたれかかっていたカルラ・カグヅチが壁から離れてキョウ達の方角へと歩み寄ってきた。

 ニコリっと見惚れるような笑みを一つ。恭しく一礼をキョウへと送る。


「……なんじゃ、こやつ? お主の知り合いか?」

「いや、知り合い……ではないな」

「あら、そんなことを言われては悲しくなります。あれほど熱い夜をともに過ごしたではありませんか」


 にこりっと悪気を微塵も感じさせず、爆弾発言を投下してくるカルラ。

 それに、ほぅっと若干視線を鋭くしたディーティニアがキョウの背中を見つめてくる。

 

「別にお前が思っているようなことはしていないぞ? 昨夜喧嘩を売られたから買っただけだ」

「……むぅ」


 別段慌てた様子を見せない相棒に一瞬だけ厳しい視線を送り、とてとてとキョウの前に回るとじっと表情を窺っていたが、ディーティニアは数秒見つめただけで視線をカルラへと移す。


「どうやら嘘は言っておらぬようじゃな。のぅ、鬼人族。お主も紛らわしいことを言うでない」

「随分と信頼しているご様子で。少々驚きを隠せませんね」


 全く驚いている様子を見せていないカルラは、細い目でディーティニアの頭から足元までをじっくりと観察して呆れたように肩を竦める。


「全く。貴方がたはどんな組み合わせですか。《七剣》に、怪物級の剣士殿。そしてさらには、底知れない魔法使い殿までご一緒しているとは。世界は広いものですね」


 ディーティニアの実力の一端を掴み取ったカルラが、降参というように両手を挙げる。

 彼女を油断無く見つめる三人はカルラの狙いが何なのか読み取ろうとするも、どうにも悪意や害意といった負の感情は見られずに、逆に三人に対して好意的な態度を示しているのが負に落ちない。

 昨日あれだけあっさりと倒されたというのに、鬼人族ならば怒りに身を任せて再戦を申し込んできてもおかしくはないはずである。


「ところで一つ気になった単語が聞こえたんっすけど……ちょっといいっすか鬼人族?」

「はい、なんでしょうか。《七剣》殿」

「旦那様ってなんっすか?」

「言葉通りの意味ですが……何かおかしな点でもありますか?」

「徹頭徹尾おかしな点しかないっす。何故お兄さんのことを旦那様だなんて呼ぶんっすか!!」


 ビシっと人差し指をカルラの鼻先に突きつけながら、ラグムシュエナが吠え出した。噛み付かんばかりの勢いに、キョウもディーティニアも発言を躊躇われ、仕方なく傍観に徹することになる。

 指を指されているカルラはというと、全く慌てず口元に涼やかな微笑を浮かべ糸のように細い眼で狐耳少女と真っ向から相対した。


「実は鬼人族には決して破ってはいけない掟がありまして。他種族の異性に負けたときは、その異性に生涯を尽くし続けろというものです」

「―――え、まじっすか? いや、騙されないっすよ……だってうちが第四席の《ライゴウ》をボッコボコにした時、そんなこと一言も言ってなかったっすからね!!」

「ライゴウ殿? ああ、あの方まだ生きていたのですか。二十年ほど昔に鬼人族の里から飛び出していったと思ったら……まさか《七剣》入りしていたとは……今度里に帰ったら無事を伝えてあげましょうかね」

「さぁさぁ。あんたの言う掟は嘘だってばれてるっすよ!!」

「いえ、本当なんですよ? 多分ですが、ライゴウ殿が貴女のことを男性だと思ってたんじゃないですかね」

「そ、そ、そ、それはないっすよ!? あるわけないじゃないっすか!! 何ほざいてくれてるんっすか、張っ倒すぞ、この鬼人族!!」


 最後の方は興奮して普段の語尾をつけるのも忘れているようで、ギリギリと歯軋りが凄まじい。

 カルラが、ラグムシュエナの胸元をちらりと見てから鼻で笑ったのが拍車を掛けているのかもしれないが、今にも飛び掛らんとしている狐耳少女の頭をキョウが鷲掴みで掴む。


「少し落ち着け。それと……キミもあまり挑発はしないでくれると助かる」

「あらあら。キミ(・・)だなんて他人行儀ですね。私のことは是非カルラとお呼びください」

「……それで、一体どんな思惑で待っていたんだ?」

「はい。腹芸は苦手ですので本音を暴露させていただきますが、是非私も貴方様の旅に加えていただきたくお待ちしておりまし―――」

「ふむ、お主には申し訳ないのじゃが断る」


 カルラに最後まで言わせることなく、ディーティニアが有無を言わせずに反対を告げる。

 普段は大抵のことをキョウの判断に任せている彼女にしては珍しい即断即決の発言に、違和感を感じるキョウだったが―――決してディーティニアがカルラの胸を親の仇の如く凝視していたのと関係は、多分無いと思い込むことにした。


「え、いや。あの……私が聞いているのは旦那様に対してであって……」

「話し合う余地もない。行くぞ、キョウよ」

「そうっすそうっす。あんたみたいなおっぱい大きい女はこっちからお断りっすからね!!」


 真昼間にとんでもない大声をあげるラグムシュエナに、もう駄目だコイツと感じながら彼女達に続く。

 一応は、すまないという意味を込めた視線を送り、頭を軽く下げておくが―――それが伝わったかどうかはわからない。

 遠ざかっていくキョウ達の姿を唖然と見送っていたカルラだったが、暫くして我を取り戻す。

 断られることは予想していたのか特に残念がっている様子は見せず、彼女は静かにキョウ達の後を追跡し始めた。


 十分な距離を保っての追跡に、流石の三人も気が付かないまま港町レールの南門近辺に到着。

 そこを目指して向かっていた三人はすぐに乗り合い馬車を取り扱っている建物を発見。

 どういった日にちと時間で出立しているのか聞いたところ、運がいいことに今日の昼過ぎに一本馬車がでるという。

 時計を見てみれば、残された時間は二時間程度。中々に厳しいところだが、次の馬車の予定を聞いてみれば明後日になるという話だ。

 二日間ここに滞在してもいいのだが、ラグムシュエナの《七剣》としての仕事がいつ入るかもわからない。

 そのため多少急ぎにはなるが、二時間後の乗り合い馬車で南へ向かうことに三人の意見は一致した。


「ワシとユエナは食料の買出しに行ってこよう。お主は水を頼むぞ」

「じゃあ、行ってくるっすよ。お兄さんも変な人に絡まれないように気をつけるように」

「ああ。お前達もな」


 一時間後を目安に三人が町へと散らばる。

 目的のプラダまで馬車で五日かかるとはいえ、途中で二箇所ほど村に立ち寄るということを聞き、そこまで用意しなくてもいいかと考えながら町を歩く。

 大手を振って町を歩けるというのは本当に素晴らしい、と僅かな感動を覚えながら通りかかる人に道を聞きつつ、目的の場所まで辿り着いた。

 

 生憎と共同井戸まで行って戻ってくる時間は厳しいところがある。

 仕方なしに近場の店で買い揃え、重量が増した荷物の重みを背中で感じた。

 少し早いが集合場所まで戻ろうとしたキョウは雑踏の中で足を止める。

 

 ちらりと振り返ってみればある一定の距離を保って、尾行を続けているカルラの姿があった。

 尾行といっても姿を隠すつもりは微塵もないらしく、振り返ったキョウへ小さく手まで振ってくる有様だ。

 どうしたものかと考えるが、彼女の気配は宿からずっと感じていた。つまりそれは、キョウ達の目的―――乗り合い馬車の場所に集合するということも知られていると見てもいい。今から尾行を撒くにしても、鬼人族の彼女を振り切るには相当な時間を要するだろう。そもそも集合場所を知られていては尾行を撒いたとしても意味はないし、ついてくるなと言ったとしても、偶々歩いている道が同じだとカルラに言われてしまえば打つ手はない。 


 結論。

 色々と諦めたキョウはそのまま乗り合い馬車の待合の馬車まで帰ることにしたが……。

 一時間後再び集合したディーティニアとラグムシュエナ連合とカルラの睨み合いが勃発することになるのだが―――キョウの予想通り、偶々(・・)行き先が同じ南の方角だと悪びれもせず発言し、空気が冷たくなっていった。

 年の功というべきかディーティニアは馬車が出発する頃には諦めたようだが、ラグムシュエナとカルラはどうにも相性が悪いらしく、事あるごとに馬車の雰囲気を重くするのだった。

 

 




 



















 中央大陸。神聖エレクシル帝国首都エンゲージ。

 馬鹿げた広さを誇る首都の中央にそびえる、皇城。

 その城もまた広大だ。少なくとも北大陸のトリニシア王城のおおよそ倍という敷地面積である。

 当然その中には騎士団も少なからず駐在しており、十分な大きさの鍛錬場所も準備されていた。

 もはや鍛錬室ともいえない巨大さのそこには、日々様々な者達が現れる。

 

 例えば六将軍。

 一騎士からしてみれば雲の上の人物であるが、彼らもまた常に前線にでるために腕を鈍らせないように鍛錬に励む。

 それ以外にも《七剣》という名の化け物集団。

 たった七人で構成されている遊撃部隊でありながら、その七人で戦況を軽々と覆すことができる一騎当千の猛者達だ。


 この日、とある騎士が鍛錬室へと足を向けたとき、中心に激しい熱気が渦巻いていた。

 何事かと思えば熱気を中心に多くの騎士が円陣を組み、黙って立ち尽くしている。

 この場所に来て何故素振りの一つもしていないのか、と不思議に思いつつ騎士もその円陣に加わり、中心を見て納得した。


 円の中心には二人の人物がいた。

 一人は長身痩躯の美丈夫然とした女性。エルフの証明である長い耳。灰色の髪に同色の眼。

 《七剣》第一席のアルストロメリア。神聖エレクシル帝国が認める最強の矛。

 百八十近い彼女ほどもある巨大な戦斧を両手で掲げ、目の前の相手に超重量兵器を向けていた。


 もう一人は百八十センチはあるアルストロメリアよりさらに大きい。

 実に二メートルを超える大男。離れている騎士達からでもわかるほどに、筋肉が盛り上がっていた。

 両手にはめた鈍い色を放つ手甲が、光を反射してキラリと輝く。

 夜の闇のような黒髪を短く刈っていて、額には二つの短い角が異彩を放っている。

 《七剣》第四席のライゴウ。鬼人族である。


 《七剣》同士の手合わせは、そこまで多くない。

 魔族との戦線に刈り出され、雨季に入るときには中央大陸や他大陸に起きた重大な事件の解決に動くことが多々ある。騎士団一つ動かすよりも、《七剣》一人動かす方が遥かに経済的だからだ。

 そのため《七剣》は皇城にいることがあまりない。

 しかもアルストロメリアは第一席という座にいるため、現場にでるよりも机に向かっていることの方が多い。

 

 そんな彼女と第四席の試合ともなれば、お金を支払ってでも見たいと考えている騎士ばかりである。


「さて、ライゴウ。本日はどれだけ戦りましょうか?」

「……そうですな。三分……それで宜しいか?」

「わかりました。それくらいが丁度良い時間でしょう。魔法の使用は?」

「肉体強化のみでお願いしたい」

「はい、構いませんよ。では、始めましょうか」


 

 ドッガンと何かが爆裂したと勘違いする大音響が鍛錬室に木霊する。

 言い終わるや否や、長身のエルフが間合いを一瞬で詰め、左手一本で戦斧を叩きつけていたのだ。その動きを追えた者は、見学していたものの中にはいなかった。何かが移動したな、程度の認識しか出来なかったということだ。しかも、人の身長を超える戦斧を持った女性の動きを、だ。   

 

 戦斧を叩き付けた鍛錬室の石畳が、容易く粉砕し粉微塵となって舞い上がる。

 この空間でただ一人アルストロメリアの動きを見抜いていたライゴウは、咄嗟に後退することによって戦斧の破壊から逃れていた。たった一度の攻撃で寒くなった背筋を体感しながら、ハッと荒い息を吐く。


 化け物め、と吐き捨てたくなる気持ちを押し殺す。

 アルストロメリアはエルフである。正確にいうならばハーフエルフ―――鬼人族とエルフの間に産まれた禁忌の子だ。エルフは自分たちの種族に誇りを持っている。そのため他種族姦を非常に嫌っている故に、ハーフの彼女は幼い頃から苦労してきたという。両親に早死にされた彼女は、誰を頼ることも出来ずとある森で一人暮らしていたのだ。

 数多の危険生物が蠢く森にて、まだ幼かった彼女は―――生き延び続けた。

 見目麗しかった自分の容姿までも利用し、誘き寄せたゴブリンを喰らい、コボルトを喰らい、オークを喰らい、多くの危険生物を喰らい―――毒がある生物以外を食料とし続けた。


 ある日その森を探索していた撃震の魔女リフィアに拾われるまでの十数年。

 アルストロメリアは幼い身でありながら、危険生物が蠢くその森の頂点として君臨し続け―――。


 何故そんなことができたのか。

 彼女はハーフエルフでありながら、エルフとしての魔力と鬼人族としての能力を十全に使いこなすことが出来たからだ。  森の囁きを理解し、鬼人族としての闘争本能を持った彼女だからこそ、生きながらえたとも言えた。

 

 そしてこの女が恐ろしいところは―――巨大な戦斧を左手一本(・・・・) で振り回しているこの状態でさえも、肉体強化(・・・・)を行っていないということだ。

 彼女は単純な話―――武の神がいるのならば、其れに愛されている。


「考え事は済みましたか?」


 アルストロメリアは床を叩き割った戦斧を担ぎなおし、長い柄を首を支点としてクルリと回す。

 分厚い金剛刃がぬらりと光沢を放ち、それをライゴウに向けた。斬る(・・)というよりも叩き砕く(・・・・)というに相応しい戦斧だ。


 まるで通常の剣で薙ぎ払うかのごとく、巨斧が横薙ぎに払われる。

 物騒な轟音をあげながらライゴウの上半身を両断しようと迫ってきた。腹に力を入れて身体を沈め、前に出ると同時に戦斧をかいくぐる。

 下から突き上げた手甲をはめた拳が、ギャンと金属同士が噛み合う音を残し、戦斧を上空へと跳ね上げた。

 

 二メートルを超える大男の一撃らしく、とてつもなく重い衝撃を鋼刃に受けたアルストロメリアの痩身が後方へとたたらを踏んだ。

 床を踏み砕く勢いで地面を蹴りつけたライゴウの身体が浮上し、見下ろす形となったアルストロメリアに向かって袈裟懸けとなる軌道で振り下ろす。

 その拳が彼女に叩きつけられる間際、寸でのところで柄を盾として拳を防ぐ。

 だが、柄ごとアルストロメリアを粉砕しようと拳に力を込めてきた影響でミシリっと柄が悲鳴をあげかける。

 

 密着された以上、戦斧の長所を塞がれたに等しいというのに《永久凍土》には焦る様子は僅かにも見られず。

 押し潰そうとするライゴウの拳が全く動かない。ギリギリと歯を食いしばり、全身の筋肉が躍動するもそれに変化はなかった。完全に拮抗した状態での押し合いが続くこと数秒、ふっとアルストロメリアの腕から力が抜ける。

 拮抗していた潰し合いが終わり、行き場の無くなった全力を込めた身体が前方へと流れた。たたらを踏み、ライゴウの肉体がたじろいだ。

 

 今度は身体を支点としてクルリと回した大戦斧がアルストロメリアの背後を通り、ライゴウの死角となる下から跳ね上がった。ブオンっと凶悪極まりない大旋風が、天井まで届く衝撃を編み出した。

 触れてもいないのに、数メートルの高さを誇る天井から埃がハラリと舞って落ちる。

 

 半ば無理矢理に横へと転がり逃げていたライゴウが、即座に体勢を整えようとした彼に向かって、最上段に構えた状態から重力を加えての撃ちおろし。

 容赦も躊躇いもない一撃は、ライゴウの脳天を砕き割るその寸前―――ズンっと激しい地震が鍛錬室を襲う。

 アルストロメリアしか気づかなかったが、それの発生源はライゴウで、彼の足元の床は放射状に皹割れが広がっていた。

 一直線に撃ちおろされた鋼刃の横腹に右拳をちょこんっとあてる。そこからの拳の超加速。再度金属音が鳴ったかと思えば、戦斧が真横(・・)に弾かれ飛んだ。


 ビリっとアルストロメリアが戦斧を握る手に痺れがはしる。

 その隙に踏み込もうとしたライゴウの背筋を這う悪寒。大きく弾かれた戦斧を―――圧倒的な膂力で強引に斜め右上からの切り落とし。


 ちぃっと舌打ちを残したライゴウが身を翻し、後方へと跳躍しつつ戦斧の一撃をやりすごす。

 鳥肌が立つ恐怖を秘めた刃が足元を通過していった。


 止めるつもりは微塵もない鋼刃が床に接触。床を砕き割り、火花を散らす。

 片手で床から戦斧を持ち上げると、それを後方へと逃げたライゴウへと突きつけ。


「そろそろ準備運動は終わりですね。では、行きますよ」

「―――くそっ、化け物め!!」

「……どうやら手加減はいらないようですね」


 今までよりも一層冷たくなった雰囲気を纏い、アルストロメリアが両手(・・)で柄を握り、軽く一閃。

 戦斧の切っ先が断ち切った空気が、遠く離れて円陣を組んでいる騎士達の全身を強かに打って、消えた。

 見学している騎士達でさえも、凍えていくような錯覚を感じ―――ライゴウは、戦いへ対する喜びと恐怖が綯い交ぜになった感情に背筋を震わし。


 両者が地面を同時に蹴りつけようとしたその瞬間。


「アルスって、ここにいる?」


 感情の起伏のない平坦な声がその場に響く。

 アルストロメリアとライゴウの間の緊迫した空気はあっさりと霧散する。二人のみならず、騎士達も声がした方角へと振り返った。鍛錬室と城の通路を隔てる扉をあけて入ってきたのは一人の少女だ。

 蒼空を思わせる蒼い髪。首にかかるかどうかの長さのショートボブ。細い眉に鼻筋が通っており、やや吊り上った目尻。見るものに多少きつめの印象を与える顔立ち。身長はアルストロメリアやライゴウほどではなく、百六十程度。女性としては平均的な背丈とも言えた。服装は黒一色で、動きやすい上下で纏めていた。

 ただし、奇妙な点が一つ。彼女から受ける印象が非常に薄い。気を抜けばその場に居ることを忘れてしまい、見失ってしまうような違和感を受けていた。


 少女は円陣の中心に目的の人物を見つけると、ゆらりっと姿を消す。

 その場に居た数十人の視線の死角を移動し、気がつかれることなくアルストロメリアの下まで辿り着いた。

 完全ともいえる気殺と死角を渡る歩法に流石の第一席も舌を巻く。


「何か御用ですか、《アルマ》?」


 《七剣》第五席―――《人災》アールマティ。愛称アルマ。

 二年程前に魔族との戦争の最中にふらりと現れて、一人で屍山血河を築き上げた少女。

 第三級危険生物である将軍級魔族をも撃滅した戦果を認められ、当時空席となっていた第五席に選ばれた人間である。

  

 アルストロメリアの手を掴み、鍛錬室の隅へと連れて行く。

 誰にも聞こえない位置まで引っ張っていくと、声をひそめて用件を切り出した。


「東大陸で少しおかしい事件が起きてるらしいよ」

「おかしい事件ですか?」

「うん。東の辺境にある村とそこに近い町から定期連絡が途絶えたらしいけど。それで偶々南の街から寄った行商人が村をみたら、荒らされた後はあるけど誰もいなかった(・・・・・・・)ってさ」

「東の、辺境?」


 ゾクっと嫌な予感が背筋を襲った。東大陸にも幾つかの天災と呼ばれる危険生物がいる。

 東大陸からやや離れた孤島には第一級危険生物である海獣王ユルルングル。

 大陸の南西にある迷宮の森から決して出てこない幻獣王ナインテール。

 

 そして東の辺境に住まう者といえば―――。


「……不死王、ノインテーター?」


 四十年沈黙を保ち続けた不死王種が何故今更と、口に出してからまさかと思ったが……一つのある報告を思い出す。

 キョウ=スメラギとともに、獄炎の魔女(・・・・・)が東大陸へ渡った、と。

 

 それはただの予感だ。ただの予測だ。ただの思いつきに過ぎない。

 だが、それは確信に至った。間違いなく、奴が動き出したのだと戦慄が彼女の背を迸る。


「―――アルマ、ライゴウ!!」

「……うん?」

「何か、用ですか? アルストロメリア殿」 


 巨大な戦斧を片手で支え、長身痩躯の肉体が鍛錬室の出口へと向かう。

 ただ事ならない彼女の気配を感じたのか、アールマティとライゴウもアルストロメリアの背を追って歩き出す。


「魔族との戦線はリフィア殿と六将軍にお任せします。私達《七剣》は全員で東大陸へと向かいますので直ちに準備をしなさい」

「……はい」

「了解しました。ああ、しかし鳳凰丸とティターニアは如何なさるおつもりで? 彼らは前線に出ているようですが……」

「今は時間が惜しいです。アルフレッドを呼んできてください。まずは私達四人と、自由に動かせる騎士を連れて先遣隊として東大陸へと向かいます」


 冷静沈着な《永久凍土》の慌てように、驚きを隠せない二人だったが―――ライゴウは次の一言で全てを理解するに至った。


「―――不死王ノインテーターが動き出しました」


 冷たいアルストロメリアの声が、鍛錬室に静寂を作り出し―――誰もが息を呑んだ。

 そんな中ただ一人。アールマティだけは、何が起きているのかわからず首を捻っているのだった。

 


 


 

 

 

 




 

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