三十三章 鬼人族2
「お兄さんって、女難の相が出てると思うんっすよねぇ」
一度は止めた両手を動かしステーキを切り分けていくラグムシュエナはどこか呆れたように口をへの字に曲げる。
それに続き、キョウもまたテーブルに置かれている肉塊に取り掛かるが、どう考えても全てを食べきれる自信が微塵もない。彼の胃袋では精々が半分程度までで限界を迎えるだろう。
「そうか? ああ、そういえばそうかもしれん。《操血》やらディーテやらお前やら。俺が知り合った女性は一癖二癖ある人物ばかりだしな」
「え? うちも勘定に入ってるんっすか?」
「俺はむしろお前が何故入らないと思っていたのかが不思議だ」
そこはかとなくショックを受けているラグムシュエナだったが、その鬱憤を晴らすかのごとく肉を頬ばり始める。本当に噛んでいるのか怪しくなるほどの速度で皿の上に乗っている肉が消えていく。
小さい割には大食漢だな……と、感心しつつ、キョウも自分の敵を退治しようとするが。
「いえ、あの。私のことも相手してくれたら嬉しいんですが……」
テーブルの前で、相席の返事待ちをしていたカルラ・カグヅチと名乗った鬼人族の女性は所在なさげに佇んでいた。
キョウもラグムシュエナも話しかけてきたカルラの相手をせずに久しぶりのステーキに夢中になっているところで、自信満々に二人に話しかけた彼女は―――少しだけ悲しそうな表情でもう一度キョウ達の会話に割ってはいる。
「相手しちゃ駄目っすよ、お兄さん。絶対お兄さん狙いなんっすからね、この人」
ビシっとフォークでカルラを指すラグムシュエナの視線は鋭い。
一方のキョウは淡々と細かく切った肉を口に運んではいるが、まだまだ四分の一も減っていなかった。隣の狐耳少女は逆に残り四分の一だというのに。
「人をフォークで指さない」
「―――うっ。申し訳ないっす」
注意を飛ばされ、素直に謝るラグムシュエナの狐耳がショボンっと垂れ下がる。
自分が悪いと思ったらどんな時でも謝罪が口に出せる彼女を内心で大したものだと褒めながら、口の中の肉を咀嚼して嚥下する。そして改めてテーブルの前に立っている長身の美丈夫然とした女性へと視線を向けた。
「相席は構わないが一つ条件がある」
「はぁ、何でしょうか?」
「……これを食べるのを手伝って欲しい」
嫌になるほどの量が残っているステーキに、胃袋と気分が重くなるのを防げないキョウの提案に対してカルラは毒気を抜かれたように目の前の男とその前の肉の塊を交互に見比べた。
「別に構いませんが……なんですか、その馬鹿みたいな肉の大きさは」
「さぁ? 本日のお薦め、だそうだ」
「……それだけの量を食べきれる者は限られるでしょうに。店側も中々に気前が良いというか、冒険心に溢れているというか……」
キョウとカルラの二人揃って、店に対して呆れていると―――。
パチンっと両手をあわせる音が響く。
発生源は言うまでもなく、キョウの隣に座っているラグムシュエナで、彼女の前のテーブルに少し前まで置かれていた肉の塊は何処かへと姿を消していた。
一キロ近いステーキを瞬く間に食べ終えた、この店内で最も小柄な狐耳少女は満足したように、幸せと喜びが入り混じった吐息を漏らす。
「いやー、美味しかったっす。久しぶりに食べるとやっぱり肉の偉大さがわかるっすよ……」
「もう食べたのか!?」
「勿論っす。腹八分目ってところっすけど……お兄さん全然減ってないじゃないっすか」
「いやいや、俺の食事の速度が普通だと思うぞ。むしろお前の小さい身体のどこにこれだけの量が入るんだ?」
「小さいは余計と思うっすけどねぇ。亜人ならこれくらいペロリっといけちゃうっすよー」
そうなのか、と意味合いを込めて席に着いたカルラへと視線を送るが、彼女は黙って首を横に振った。
如何に鬼人族といえど、これだけの肉の塊を食べきるのは少々骨が折れる。
そんな二人の様子に不服そうに頬を膨らませるが―――ラグムシュエナの場合は他の亜人とは異なっている部分があり、左目に宿した魔眼のせいともいえた。常に封印の魔法が込められている眼帯で魔眼を封じているとはいえ、それが彼女にかける負担は少なくない。そのため、彼女の身体は魔眼を維持するためにどのような時でもエネルギーを必要としているため、他の者たちと比べて食事の量が随分と多くなるのだ。
「それで、お姉さん―――カルラ・カグヅチさん? 何か用っすか?」
「ええ。大した用事ではないのですけどね」
「大した用事じゃないのなら、別にいいっすよね? お兄さん宿に帰るっすよ」
残り半分程度まで減らしたステーキをカルラの前へと移動させ、腹をさすっていたキョウの手を取って会計へと向かおうとするラグムシュエナに慌てたのがカルラだ。
食べかけていたステーキを急いで飲み込むと、立ち上がって二人の前に立ち塞がる。
「い、いや。ちょっと待っ―――」
「心配しないでも料理の代金はしっかりと払っておくから心配しないでも大丈夫っすよ?」
「そうじゃなくて!!」
身も蓋もないラグムシュエナの言葉に、カルラが声を荒らげた。
彼女の声が店内に大きく響き渡り、食事を取っていた旅行者や探求者の会話がピタリと止まり、何事かとキョウ達三人へと突き刺さる視線が一気に増大する。
ラグムシュエナとカルラは店内中からの視線には全く気にも留めず睨み合い―――狐耳少女に手を引かれているキョウはどことなく居心地が悪そうに顔を壁側へと背けた。
「ふふん。あんたの魂胆はわかってるっすよ、カグヅチさん」
「……魂胆? はて、何のことでしょうか」
「一時間ほど前に、市場通りであんたを見かけたっす。その時にあんたもうちらを……いや、お兄さんを見つけたっすね?」
「……私は偶々食事をしようとこの店に立ち寄っただけですよ?」
「それを信じるとでも思ってるっすか? 市場通りを過ぎたあたりから妙な違和感がビシビシとしていたので何かと思えば、あんたが気配を消して尾行してたんっすね」
徐々にだが、ラグムシュエナの言葉が鋭くなっていき―――それに比例するように気配も研ぎ澄まされていく。
対するカルラも細い目をほんの僅かばかり開け―――何を考えているのかわからない黒く深い瞳で眼前のラグムシュエナを睨み付けていた。
「何故そんなストーカー行為をしたのか。うちがはっきり言ってやるっすよ、鬼人族」
すうっと息を深く吸い込み。
「あんたはお兄さんと―――戦りたいんっすね!!」
キョウの手を掴んでいる反対側の手の人差し指でビシっと、カルラの顔を指差した。
ラグムシュエナの叫び声にも似た発言は当然、店内の余す所なく聞こえるわけで。
酒を飲んでいた幾人かが、ぶはっと口に含んでいた液体を噴出していた。二次災害として、彼らの噴出した液体がテーブルの料理や向かいにいる人間に降りかかったりしたのだが、そんな余裕がある者はこの店内にいるわけもなく。
「おいおい、まじかよ。修羅場か? 修羅場なのか?」
「いや、お兄さんとか言ってるし……兄妹じゃねーのか」
「恋人に兄を盗られたくない妹が頑張ってるのか……泣けるねぇ」
「ちょっと待て。あの小さい娘って狐耳族じゃん? でっかい兄ちゃんの方は人間だぞ?」
「まじか。兄妹プレイでもしてんのか。なかなかうらやま―――ごほごほっ。けしからんやつだ」
周囲からの視線が痛い。
痛烈に突き刺さってくる雨あられの注目に、長身のキョウが若干縮こまる。
一方白熱していくラグムシュエナとカルラは店内の声など全く聞こえていなかった。
カルラは、眼前にいる小さな狐耳族の少女の発言に薄ら寒い笑みを浮かべて。
「流石は音に聞こえしラグムシュエナ殿。私の考えなどお見通しでしたか。そうです、認めましょう。私はそちらの剣士殿と心ゆくまで戦りたいのです」
もはや隠すこともない、と。
ドンっと効果音が鳴りそうな勢いでカルラは胸を張る。着物の上からではわかりにくいが、彼女の胸囲の戦闘力はラグムシュエナを遥かに上回る脅威であり―――女性としての本能が彼女を一歩後退させた。
しかし、駄目だと唇を噛み締めて後退した一歩を取り戻すように足を踏み出す。
その程度で退くものかと、彼女は確固たる意思を垣間見せる。メラメラと瞳を燃やして自分の怨敵を睨みつける―――主にカルラの胸のあたりを。
「本性を現したっすね、鬼人族。この戦闘狂め。うちがいる限りお兄さんには手出しはさせないっすよ」
「ふふ。鬼人の里から旅立って一年。この東大陸の猛者は制覇したと考えて、北大陸へ渡ろうとこの街にきた途端。まさか到着した今日この日に貴方のような怪物に巡り合うとは。わかりますか、貴方を先程見た時に全身に感じた感動にも似た甘い電流を。これが一目ぼれというものなのでしょうか?」
ゴテゴテとした金属の籠手を付けた右手を自分の胸にあて、ほぅっと口から漏れ出た吐息をついたカルラはどことな艶っぽく見えて。
その場にいた男達全員が知らず知らずのうちにごくりっと唾を飲み込んだ。
自分たちがカルラに視線を釘付けになったことに気づき、慌てて咳払いをして誤魔化す者が多数現れる。
「一目惚れって……今時あるのか」
「いやそれより、逢ったばかりでいきなりヤらたせてくれとかドン引きじゃねーの?」
「そうか? 俺だったら何時でも歓迎だぜ、あんな美人さんなら」
「やっぱり、修羅場だったのか……。じゃあ、あの兄ちゃんは本命はちびっこ狐耳族なのか? 年下好きにもほどがあるぜ……だが、漢だ」
カルラの台詞に野次馬はどんどんと加速してゆく。
キョウの耳に届く店内の野次馬のひそひそ話は、まったく内緒話になっておらず痛いほど聞こえてきていた。
どうやってこの場から逃げ出すかを本格的に考え始めたキョウを置き去りに、二人の少女と女性の対峙はさらなる白熱をむかえ―――。
「お兄さんと戦りたいならまずはうちが先に相手するっすよ、鬼人族!!」
「あら? 宜しいのですか? 噂に名高きラグムシュエナ殿が相手をしてくださるなら私としても是非はありませんが」
ピシャンっと二人の視線が交錯し、火花を散らす。
どちらも退くことはない。不退転の意思を胸に秘め真面目に相対しているのだが。
「おいおい、まさかの百合展開……」
「恋人を守るために自分の身体を張ろうっていうのか、あのちびっこ狐耳族」
「いや、もしかしたら三人でっていう流れになるかもしれんぞ……」
「くっ……なんて男だ。守備範囲広すぎだろ……」
やはり外野の声は耳に届いていないようで、ラグムシュエナとカルラは二人揃って天外へと飛び出していった。
残されたキョウに皆の視線は集中。だらだらと脂汗を流していた彼は、懐から食事分の料金に多少上乗せした金額の貨幣を取り出すとそっとテーブルの上に置く。
「―――釣りは、いらん!!」
二人を追って外へと走り出たキョウの背後から聞こえる、ありがとうございましたーという女性の声。
自然すぎるその声に、客商売としてのプロ根性を感じ取りつつ、先に出た二人の姿を探す。
てっきり外の通りで始めるかと考えていたキョウの想像を覆し、ざっと見た限り彼の視界には目的の二人は見当たらない。
仕方なしと諦めて、意識を集中。普段よりも多少知覚感知の範囲を広げれば、即座に網にかかった二人の気配。
高速で移動しているのか、キョウから多少離れた場所に向かっているのに気づき、後を追う。本音を言えば宿に帰りたいのだが、流石にこのまま放置してしまうのもラグムシュエナが可哀相である。
恐らくは本気でぶつかりあえる場所を探しながらレールの夜の街を駆け回っているのだろう。
ふざけているようにも見えたが、二人ともかなりの本気だったことは間違いない。
そう―――《七剣》のラグムシュエナが本気を出さなければならないほどの相手ということだ。
カルラ・カグヅチ。
彼女の名前は聞いたことがない。
キョウはまだ幻想大陸に来てから浅いのだから当然―――というわけではなく、ディーティニアから聞いた事がないという意味だ。それなりに名声を轟かせている者の名前は人間、亜人問わず教えてもらい記憶しているが、その中にカルラという名前の者はいなかった。
決して油断できる相手ではないのは確実で。そんな相手とラグムシュエナを二人っきりにさせておくわけにもいかない。
置いてけぼりをくらったキョウは、肉の塊を先程まで入れていた胃袋をさすり―――地を駆ける。
通りすがる人が皆、風かなにかと勘違いする速度で裏路地を疾走した。
黒い服を風に靡かせ、魔法の街灯がない裏路地に落ちてくる月の光が、キョウの姿を映えさせる。
追跡を始めてからほどなくして、キョウは二人に追いついた。
二人が向かい合い対峙している場所に到着すれば、裏路地を抜けた先にあるとは思えない多少の大きさがある広場だ。この一帯の住人が共用で使用していると思われる、小さな井戸が一つポツンと広場の中央に鎮座していた。
相対する二人の距離はおおよそ五メートル。
ラグムシュエナは右手を腰の剣の柄に添え、左手で眼帯を押さえている。キョウの予想通り本気を出す気は満々のようで、普段の朗らかな笑顔はなりを潜めていた。
もう一人のカルラは、特に構えもしていない。動きにくそうな着物に、見るからに重量を感じさせる金属製の籠手を二つ身につけているというのに、静かに佇む彼女からは余裕が感じられた。この距離からならば相手の如何なる攻撃にも対処できるという自信。《七剣》相手にそこまで余裕を見せることができるのは実際に対したものだとキョウは思ったが―――それは甘すぎる。
「―――見誤ったな、鬼人族」
カルラが計算していたのは、現在の状態のラグムシュエナの力量だ。
なるほど、確かに今の二人の力を見比べればカルラの勝利は揺るがない。驚いたことに、カルラ・カグヅチは仮にも《七剣》の第七席であるラグムシュエナを凌駕する戦闘者だ。
だが―――。
「始祖返り」
空間が軋む。
ガラスを引っ掻いたかのような深い音。
眼帯を外し、左目を開けたラグムシュエナが特異能力を発動させる。
周囲のマナを取り込み、一瞬で体内に蓄積―――展開。
身体全体の隅々まで行き渡らせたと同時に、真紅の髪が金色に染まる。赤く輝いていた右の瞳も黄金色へと変化して纏うのは太陽を連想させる光の魔法力。
「―――っな!?」
驚き、慌てるカルラの声が夜の静寂を突き破る。
ぞっとするほどに冷たい視線が茫然とするカルラの全身を貫き、圧迫した。
倒すのは容易いと考えていた相手の変化に付いていけず驚いていたのは一瞬。さすがというべきか、カルラは一秒もかけずに我を取り戻していた。
ズンっと大地を踏みしめ、重心を落とす。即座にどんな攻撃にも対応できるように、ラグムシュエナの肉体を凝視する。
「一つ聞く、鬼人族。退く気はあるのか?」
「―――くっはっは。馬鹿か、貴女は? ここまでの極上の強敵が、二人。味見をせずして、退くことなど出来るはずもないでしょう」
「……そうか」
ゆらり、と金色の肉体がぶれた。
ラグムシュエナの全力は《七剣》最高の身体能力に至る。
それはつまり、《七剣》に在籍する鬼人族をも凌駕するということを意味していることを、カルラが知る由もない。
油断、という言葉は有り得ない。
意識を集中させていたカルラの視覚できる速度を上回り、間合いを詰めたラグムシュエナの拳がカルラの腹部へと繰り出された。それを、カルラは右腕の籠手で辛うじて防ぐ。意識してでの行動ではなく彼女の闘争本能がとらせた結果だ。
ぶわっと背筋をはしった緊張感に、舌なめずりをしたカルラとは真逆に―――ラグムシュエナが眉を顰めた。
金属を手で叩いた行為による痛みなのかと勘違いしたキョウだったが、すぐに気づく。何かがおかしいと。
突如としてラグムシュエナを襲う激しい頭痛。魔眼の使用による影響かとも考えたが、それはないと確信を持っている。確かに始祖返りは体力を削る能力だが、使っただけで頭痛が襲ってくるということはない。
ならば何故か―――。
―――ああ。なんだぁ。そこにいたんだ。
ギシリっと脳髄が痛む。
―――折角北大陸まで来たのに、無駄足になっちゃったなぁ。
発狂しそうなほどに左目の魔眼が痛む。激痛に左目から涙が溢れ出る。
それはまるで左目を通して、得体の知れない超越存在が覗き見ているかのようで。
ラグムシュエナの限界を容易く超える何かが溢れこんできた。
本能がマズイ、と雄叫びをあげる。
これ以上この状態を保つのは、絶対にマズイと。
「―――くっ」
パシュンっと気が抜ける音がして、ラグムシュエナが纏っていた金色の魔法力が消失する。
身体中を襲う倦怠感と激痛。そして、嘔吐感。左の金色の瞳を両手で押さえながら、ふらつくように後退するが―――彼女の残された片目は目の前の敵を睨みつけている。
意味が分からないのはカルラで、苦しんでいるラグムシュエナを不審が混じった目を向けていた。
じっと睨みあう二人だったが、そこに割ってはいるの一人の男。言わずと知れたキョウ=スメラギだ。
「大丈夫か、ユエナ?」
カルラへと平然と背を向けてキョウがラグムシュエナに声をかける。
今の一瞬で起きた異常な事態に彼も気づいたからだ。一瞬―――そう、ほんの一瞬ではあったが、ラグムシュエナから迸ったのは彼女以外の誰かの気配。
その強大さは、気配の一端しか感じられなかったとはいえ陸獣王にも匹敵するもので―――キョウの背筋を冷たくさせるのに足るものであった。
「何か、よくわからないっすけど……何かがまずいっす」
「ああ、それは言われなくてもわかるが。まずは宿に帰って休むぞ」
「……でも」
「心配するな。今日や明日でどうにかなるようなことは多分ない」
何かを言いたげにしているラグムシュエナの肩を抱いて有無を言わさずこの場から離れようとしたキョウだったが―――それを許さない人物が一人。
「いやいや。まさかこのまま―――はい、さようならなんて行くと思っていませんよね?」
キョウの背後から鋭い声が一声かかる。
ざしゃっと地面を踏みしめる鬼人族。カルラ・カグヅチは薄暗い空間でもはっきりわかるほどに不満を露に肩をいからせていた。彼女の言葉通り極上の敵と戦えると期待に胸を膨らませていた結果がこれだ。
不満が爆発したとしてもおかしくはない。
「悪いが見ての通りだ。出来れば今すぐにでもユエナを休ませたい。俺としては、はいさようなら―――といきたいんだが」
「残念ですが通りませんよ? ええ、通しません。この火照った身体がそれを許しません」
両手にはめた籠手を胸の前で力強くぶつける。
ガキィっと金属音がその場に鳴り響く。彼女の細い眼が開き、歓喜に輝く暗い瞳がキョウの全身を嘗め回すように這う。
「ラグムシュエナ殿はどうやら調子が悪い様子。ならば貴方と是非お相手願いたいですね」
「……何故そこまで俺にこだわる?」
「何故? あらあら……何故、ですか? 貴方がそれを問いますか?」
静かな怒号と言えば良いのか。
キョウの問いに嘲笑染みた笑みを口元に浮かべ。
「私と貴方は同じでしょう? 強さを求め続ける求道者。強さを得るためならば、強くなるためならば、全てを捨てきれるのが私達でしょうに」
人が持つという三大欲求。
性欲よりも、睡眠欲よりも、食欲よりも―――遥かに強い、戦闘欲。
それは全てに勝る。相手の気持ちよりも、事情よりも、何よりも。
「単純でしょう? 明快でしょう? でも仕方ないじゃないですか。私達にとってこれは生理現象みたいなものです。自分よりも強い者がいることが許せない。それが、私達でしょう?」
クスクスっと狂気を匂わせる微笑をこぼし。
カルラ・カグヅチはゆっくりと近づいてくる。
もはや彼女は止まらない。止められない。
止めることができるとすれば、彼女を超える純粋な力のみ。
「ユエナ、すまんが……」
「大丈、夫っす……まだ頭痛はとまらないっすけど……さっきよりは随分マシになったっすから……」
到底そうは見えないラグムシュエナは、気丈に笑顔を浮かべた。
そんな彼女の背中をポンっと軽く叩き―――。
「一分待っててくれ。それだけあれば十分だ」
緊張も、気負いもせずに―――キョウ=スメラギはカルラに向けて一歩を踏み込んだ。
東大陸の東の辺境。
不死王種であるノインテーターが居ると言われている居城から最も近い村。
人口は僅か数百人。人狼族が生活している場所なのだが―――何故こんな場所に住んでいるのか。それは単純な理由で、村と居城を結界のように挟んでいる広大な森。そこは、東大陸でもっとも動物や果物が豊富であるためだ。
食料に決して困らないがために、危険を承知して村を建てたのだが……ノインテーターは既に四十年近く行動を起こしてはいない。
彼の危険性と恐怖は四十年も前に経験しているとはいえ、それだけの月日が流れれば薄れるもので、この村に住んでいる者達は忘れかけていた。
不死王種。第二級危険生物の恐ろしさというものを。
その日、森がざわめいていた。
夜の森が恐怖に慄いていた。
圧倒的な絶望が、動き出していた。
その村は僅か五分もかからずに壊滅することになったのだ。
ノインテーターの居城から、出撃した死者の軍勢。
その数は広大な森を陵辱し、埋め尽くし、破壊し尽くす。
人。エルフ。ハイエルフ。ドワーフ。猫耳族。人狼族。狐耳族。鬼人族。魔族。魔獣。危険生物。
この幻想大陸に住まう全ての生物―――の、生なき死体の軍勢が行進する。
彼らの王はただ一人。
不死王ノインテーター。
彼は四十年前に、東大陸を蹂躙して回っている時に一人のエルフによって敗北を喫する。
十万にも及ぶ死者の軍勢を単騎で薙ぎ払い、挙句の果てには一騎打ちで東の辺境に追いやられた。
全身を襲う業火の残り火に苦しみながら彼は考えた。何故自分が負けたのか、何故勝てなかったのか。
その理由は単純で、ノインテーターの力がディーティニアに及ばなかった。ただ、それだけだ。
ならば、どうすればいいのか。どうすれば、獄炎の魔女を殺すことが出来るのか。
彼は考えた。何度も何度も思考を繰り返した。
自分の力とはなんなのか。
人をゴミのように引き千切る力なのか。圧倒的な速度なのか。自分の肉体を変化させる能力なのか。王位種の中でも優れた魔法力なのか。
違う。違ったのだ。それではない。それではディーティニアを凌駕することはできない。
考えて考え抜いて、ノインテーターは答えに辿り着く。
自分の力は―――死者を操ることだ。
それから彼は行動を開始した。
あらゆる死体をかき集め、時には証拠を残さないように自分の手を汚し、兵隊を増やし続ける。
魔女の魔法力は絶大だ。超越的だ。笑うしかないほどに最強に近い。
だが―――無限ではない。
ならば、ディーティニアの魔法力を超える兵隊を用意すればいい。
十万ではたりない。二十万ではどうか。それでもたりないかもしれない。ならば、過剰ともいえる数を揃えればいいだけだ。
死者を用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意して用意し続けて―――。
三十余年の月日が流れ。
ようやく彼が恋焦がれた相手が現れた。
全ては獄炎の魔女のためだけに。
彼女を殺すためだけに、ノインテーターは王者の誇りを捨て去った。
個ではなく群にて自分の力を高め続けた不死王種。
彼は月の光を浴びながら、哄笑をあげた。
自分の眼前に広がる地平線の彼方まで埋め尽くす軍勢を見下ろして。
「―――ああ、楽しみだ。今度は俺がお前を凌駕しよう」
百万を超える死者の軍勢を配下に置いた怪物が―――最強でも最高でも、不敗でも無敵でもない、最悪が東大陸の蹂躙を開始した。
主人公とは相性最悪な不死王種登場。
そして5/26が初投稿なので丁度一ヶ月たちました。
皆様のおかげで続けることができました。有難うございます。
一ヶ月330,000字程度なので良いペースかと。
プロットの1/8は消化しているので250万字くらいが目標ですが、適当に削って200万字くらいで完結目指したいと思います。




