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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
二部 北大陸編
29/106

二十八章 剣士と魔女と竜女王2




 この周辺にあったのは間違いなく絶望であった。

 周囲の風を翠色に染め、あらゆる生物を恐れさせる伝説の危険生物。

 竜女王は雄叫びをあげながら、喜びで猛り狂っている。


 ラグムシュエナとて、ここまで巨大な危険生物を見たことがない。

 かの陸獣王とてここまでではなかった。巨人種といえど、テンペストの足一つ分にも足りない。

 圧倒的な体躯。人など軽く潰すことができる巨躯。

 伝説は、偽りではなかった。やはり竜王種には触れてはならない存在だったのだ。

 

 足を一歩動かせば、地震が揺り起こされる。

 咆哮をあげれば、それだけで大気が震動する。

 

 巨躯を動かすだけで周囲を轟かせる翠の巨竜が、ラグムシュエナの前で前足を、尾を振るう。

 大地が削れ、岩を吹き飛ばし、地形を変えていく竜女王。

 だが、それはまるでこの化け物と何か(・・)が戦っているようにも見え―――。


 いや、違う。

 戦っているようにも見える。ではない。現実に戦っているのだ。 


「ぁぁぁああああああああああああああああああ!!」


 先手を取ったのはキョウ=スメラギだった。

 喉を震わせ、最後の力を振り絞り大地を疾駆する。

 だが、それはあまりにも遅すぎて。彼の全力を出したときと比べれば、比べ物にならない遅さだ。

 ラグムシュエナでさえも、容易く見切れる速度であった。神速の動きを可能とする剣士が、あそこまで疲弊しているのだと、実感してしまい不思議と涙が出た。

 

 満身創痍の肉体を動かし、駆ける剣士の刃に―――息を呑む。

 もはや満足に動けない身でありながら、彼が放つ一閃一閃、全てに一撃必殺の気迫が込められていた。

 斬撃の重さは、比較にならないほど軽くなり。斬閃の速さは、比較にならないほど遅くなり、剣閃の軌道は、比較にならないほど雑になる。

 普段の完成されたキョウの剣とは思えない。今ならば、ラグムシュエナでも対処することは可能な連撃だ。

 可能な筈だ。可能な―――。


「な、んで……なんでそれで、戦えるんっすか……」


 ぼろぼろと彼女の目から大粒の涙が零れ続ける。

 今のキョウならば、ラグムシュエナの方がまだましだ。まだまともに戦える。

 彼に残されたのは意思だけだ。相手を殺すという明確な意思しか残されていない。

 それでも、剣士は剣を振るい続ける。強固な翠の鱗に刃を叩き続ける。

 無駄だ。その程度では無駄なのだ。現に、金属が悲鳴をあげる音がして―――パキィっと金属が軋む。振り切ったキョウが両手にもった刀が砕けて折れた。アレは知っている。彼が最初から持っていた愛刀だ。

 その相棒が砕かれてなお、剣士は怯みもしなかった。


「―――お前を斬るぞ(・・・・・・)!!」


 剣士が吠える。抜刀とともに振り切られた刀から剣閃が―――迸らない。

 奇跡は起きない。如何に気力を振り絞ろうとも、特異能力(アビリティ)を発動させるための体力と精神力が絶対的に足りていない。決定打となる技も使えず、勝機はない。だが、キョウは諦めていなかった。

 残された一振りの刀を握り締め、剣士は戦い続ける。


 竜女王は慈しむように、軽く前足を薙ぎ払う。

 辛うじてかわしたキョウの肉体を、発生した余波の暴風だけで弾き飛ばす。

 空中に浮いた彼の肉体に、打ち下ろされる巨大な尾。これまた、軽く振り下ろしてきた尾の一撃で、大地へ叩きつけられ遠方へ転がっていく。

 

「踊れ、狂え。導くは焼き尽くす白き聖炎。我望むは滅亡。混濁する欲望の渦。天より降り注ぐ宙の牙。地より這い出でる大地の爪。天地併せて森羅万象を水泡へと帰す混沌と化せ」


 吐血を続けながらディーティニアが詠唱を続ける。

 彼女もまた、無事なところを探す方が難しい。白い服は、既にもとが赤い服だったのではないかと思わせるほどに血に染まっている。


「―――超重の超炎(グラビティフレア)!!」


 地面に描き出される赤い線で描かれた六芒星。

 テンペストを中心に創造された超重力が襲い掛かる。体重が増した分、全体にかかる重さが人間の形態のときよりも重くなると判断しての魔法だ。

 だが―――絶望を打破するには至らない。

 

 テンペストが口を開け、放たれる翠の光線が大地を消し炭にかえていく。

 大地の六芒星とぶつかりあい、パシュンっと気が抜ける音を残して相殺された。


「―――連続魔法(ダブル)、発―――」


 最後まで言葉に出すことは出来ず。

 どろりっと力が抜けていくのが、理解できた。

 信じがたい量の血が、魔女の口から零れ落ちる。震えていた膝が遂に耐え切れずに、地面に付いた。 

 トレードマークの三角帽子が、頭から風に飛ばされて後方へと飛んでいく。


 もはやどうにもならない、圧倒的な戦闘の結果だった。

 竜女王テンペスト・テンペシアの勝利は揺るがない。

 剣士と魔女の二人は間違いなく敗北する。


 だが―――何故なのだろうか。

 ラグムシュエナは、自問自答する。

 奥の手も使えず、魔法も使えず、それでも後方へと叩き付けられた筈の、剣士は立ち上がった。

 愛刀を折られ、残りはたった一振りの刀。

 まともに動かない身体をおして、竜女王へと刀を振るう。

 

 何が彼をここまで支えるのか。

 いや、何が彼ら(・・)をここまで支えるのか。


 口元の血を拭い、魔女もまた立ち上がる。

 その光景が眩しくて仕方がない。

 絶望に喰われ、恐怖に戦く自分の手を見るラグムシュエナ。


 今まで何のために剣を振るってきたのか。

 今まで何のために魔法を学んできたのか。

 今まで何のために数多の敵と戦ってきたのか。


 ―――全ては今このときのためにあったのではないか。


 諦めない二人の姿に心が震える。

 ちっぽけな自分でも戦って守れるものがある筈だ。

 四肢の震えを無理矢理押さえつけ、立ち上がろうとするラグムシュエナだったが―――。

   

 ギラっと彼女の戦意を感じ取った竜女王が睨みつけてきた。

 まともにあった二人の視線。振り絞った勇気は、圧倒的な絶望に喰われ、押し潰された。

 身体に漲っていた力は散り散りとなり、ペタンっと地面に腰が抜けるたように座り込む。

 

「―――ちくしょ、うっす」


 此方と彼方。

 決して届かない差というものが、そこにはあった。


















 炎が爆ぜる。爆撃が舞い飛ぶ。

 剣閃が迸る。白銀の円月が宙を斬る。


 ディーティニアの魔術が。

 キョウの刀が。


 容赦なく、間断なく、テンペストの巨躯に叩き込まれる。

 決死の覚悟が、命を燃やす魔法力が蝋燭の火のように最後の力を振り絞り輝く―――それでも、竜女王の命には届かない。


 完全状態の竜女王に、満身創痍の二人が意地や覚悟でどうにか出来るはずもなく。

 或いはセルヴァと戦っていなかったならば。或いは最初からこの状態のテンペストであったならば。

 決して有り得ない、もしもの可能性。互いの全力同士でぶつかりあっていたならば、勝敗は果たしてどちらに転んだろうか。それはまさに神のみぞ知る、もしもの未来。


 キョウがディーティニアの襟を掴んで後方へと飛び退いた。

 二人が立っていた場所を巨大な爪が抉り、小規模なクレーターを作り出す。

 巻き起こった暴風が、二人の身体を吹き飛ばし遠方の大地へと強かに叩き付けた。


 散ってゆく。最後に振り絞った力が。

 散ってゆく。命をかけて高めた魔法力が。


 巨躯を響かせ、ゆっくりと歩いてくる竜女王の視線は暖かだった。

 竜形態となった彼女に結局傷一つ、刻み込むことさえ出来なかったというのに、テンペストは二人に敬意を表しているようにも見える。


「―――見事だった。我が好敵手。最後の最後まで諦めないその姿。尊敬に値する。剣を極めた人よ。偉大なるエルフよ、そなたらは間違いなく我が生涯において最大の敵だった」


 歩くたびに地響きを巻き起こし、竜女王が転がっている二人に近寄っていく。

 二人は地面に転がったまま動くことができない。二人の身体から溢れ出た鮮血が血の海を作っていった。

 人にして、エルフにして―――それらを超えた強き者たち。二人の強さの源が何だったのか、心に纏わりついてくる疑問を振り払う。興味が尽きることはないが、これ以上無意味に苦しめるのは非礼となる。


 

「―――我は満足だ。我は幸福だ。ああ、素晴らしい。そなた達に会えたことが、我が生涯における宝となる」


 ズシンっと地震がおき、テンペストの歩みが止まった。

 彼女が見下ろす眼下には、立ち上がれずとも顔だけは敵へ向け、揺ぎ無い意思を秘めた鋭い視線だけは送られている。

 最後の最後まで諦めない姿に、ズクンと心が打ち震えた。地面に這い蹲っていようと二人の戦意には頭をたれるしかない。


「さらばだ、我が好敵手よ」

「いや、さらばすんじゃねーし。阿呆か、お前さん」


 聞きなれた―――だが、この場所で聞けるはずのない声が轟く。

 声がした上空を見上げたテンペストの視線の先には、竜の翼を背にはためかせて浮かぶ一人の男の姿があった。


「何故、そなたがここにいる―――イグニード!!」

「勝手に飛び出して行った、我が儘姫さんを連れ戻しにきたんだっつーの」


 テンペストの怒声に対して悪竜王イグニードは、ガシガシと頭をかきながらため息をつく。


「女神の奴が枷を外した途端外に飛び出していきやがって。ヴァジュラの野郎を押さえ込むのがどんだけ面倒だったか。お前さんが協力してくれたらもっと楽だったんだがな」

「……女神が言ったではないか。送り人を探せ、と……」

「だからっていきなり俺達が行ったら幻想大陸ぶっ壊れるだろうが。少しは考えろ、頭の中まで筋肉なのか?」

「くっ……」


 か細い声で言い訳を述べるテンペストをばっさりと切り捨てた辛辣なイグニードの言葉に、悔しそうに歯軋りしながら睨みつける竜女王だったが、睨まれた当の本人は全く気にせず翼を数度動かす。風を支配し、地上に降りるとまだ立ち上がれないキョウとディーティニアに近寄っていった。


「よう、うちのテンペストが迷惑かけたみたいですまねーな。俺はイグニード・ダッハーカ。一応は悪竜王って名乗ってはいるが、どこらへんが悪竜なのかいまいち俺自身わかってはいねーからあんまり突っ込んで聞かないでくれよ?」


 軽薄にも聞こえるイグニードの台詞は―――キョウとディーティニアの二人の死への予感を感じさせるに十分足るもので。

 この超越存在もセルヴァとは桁が違う。同じ生きた天災でもここまでの差があるのかと、愕然とした暗い影が心に差し込んできた。


「俺たちはこのまま帰るから、できるだけすぐに治療して貰ってくれ。流石にその状態で放っておいたら間違いなく死んじまうからな」

「イグニード!! 我の戦いを邪魔する気―――」

「―――あっ?」


 テンペストの怒声に対して、眉を顰め空恐ろしい低音で彼女の言葉を遮ったのは他でもない、イグニードだった。

 急激に周囲の温度が上がっていく。空気が熱をはらみ、風を食い尽くしていった。人間大の大きさと、数十メートルの巨竜。向かい合っている二人のうち気圧されているのは―――間違いなくテンペストだ。

 彼女の巨体が一回り小さく見えるような錯覚さえ感じる。


「馬鹿か、お前? いや、馬鹿だな。大馬鹿だ。お前の戦い? ふざけるなよ、小娘が。お前のような若造が一丁前に吠えてるんじゃねーぞ」


 イグニードが放つ底知れぬ悪炎が、パチリっと火花を散らして彼を包む。


「あの剣士は陸獣王を一騎打ちで打倒した。ああ、そりゃ見事な戦いだった。この俺でも驚いたくらいだ。これこそが人間の秘めた無限の可能性だ。ああ、すげぇ。惚れちまいそうなくらいすげぇぜ。で、その後お前がやった行動はなんだ? 乱入して、魔女とやりあってぼこぼこだ。その後負けそうになったからといって竜変化かよ。笑わせんなよ、小娘が」

「……しかし、これは戦いだ。万全な状態で戦えないからといって卑怯だとは……」

「ああ、そりゃそうだ。だがな、それは他の奴らの理屈だ。俺たちは何だ? 世界最高の生命体の頂点―――竜王種だ。その俺達には誇りがある。王者としての誇りがな。そんな俺達が、他の超越存在と戦って弱っているたかが人間を狙って倒す? それは流石に認められねーな」


 イグニードの淡々とした言葉に、テンペストが黙り込む。

 いや、言葉だけではない。彼が放つ常軌を逸した、この場にいる者達すべての臓腑を内側から抉りこむような圧迫感。

  

「それにな、折角の敵と巡りあえたんだ。こんな所で終わらせるなんて勿体無いことしてんじゃねーよ。終わった後に、お前はこれからの長い人生必ず後悔することになるぞ? 何故あの時、万全ではないあいつらを殺してしまったのかってな」

「……」

「納得できねーところも多々あるとは思うけどな。今は俺のいうことを聞いておけ。後悔するようなことには絶対ならねー」


 それに、とイグニードは心の中で自分にだけ聞こえるように考えを纏める。


 ―――こいつを殺すのは、多分マズイ。


 キョウに視線を一つやり、事態の成り行きを窺っている彼と視線が合った。

 イグニードを前にしても不退転の意思を瞳に宿す人間に、ぞくぞくっと背筋に得体の知れない快感が駆け巡る。そして、もう一つ。それ以上のどこか懐かしさが心の奥底から這い出てきた。



「うーん。なんつーか。お前さん名前はまさかスラエとかいわねーよな?」   

「……いや、違う」

「そうか……まぁ、普通はそうだよな。悪い悪い」


 一瞬残念そうに顔を歪めたことに気づいたのは丁度正面にいたキョウとディーティニアの二人だけ。

 イグニードはすぐに表情を戻すと、二人から離れていき、テンペストの足元へと辿り着く。


「この勝負、お前さんの負けだ―――テンペスト。人間とエルフのたった二人相手に調子こいて竜変化なんて反則技まで使ってるんだからな」

「……ふんっ」


 巨竜が光を発しながら徐々に縮小していく。

 十秒程度過ぎた後には巨竜の姿はなくなり、人間形態に戻ったテンペストの姿がその場にはあった。

 斬りおとされた右腕は白磁のような白い肌をそのままに生え変わり、焼き焦がされた美しいエメラルドグリーンの長い髪もまた元の状態に戻っている。

 

「じゃあ、帰んぞ。お前さんは素直でいいな。もし言うこと聞いてくれなかったら、ヴァジュラの野郎みたいに両手両足圧し折って地下の湖に放り込むところだったわ」

「……そ、そうか」


 その光景を脳裏に描いたテンペストは、ヴァジュラにそっと黙祷を送る。

 きっとあの雷竜帝は、地下で苦しみながらもイグニードへ対する呪詛を吐き出し続けているのだろう。

 そんな同胞のことは一秒で忘れて、テンペストはキョウ達へと振り返り―――。


「イグニードの言うように、此度は我の負けだ。だが、次は最初から全力でいかせて貰う。再び出会える時を心から楽しみにしているぞ、キョウ=スメラギ。そしてディーティニアよ」 

「かっかっかっか。まぁ、お前さんたちなら死にはしねーと思うけど、早めに医者にかかれよ? ああ、そうそう。もし俺と戦いたかったら竜園の奥まできな。そうしたら幾らでも相手をしてやるからな」


 言いたいことだけを残して、ばさりっと二体の竜王は翼をはためかせ空中へと飛び立っていった。

 何が起きたのかわかっていないのはラグムシュエナだ。絶望的な状況で、もう終わりだと考えていた間際―――本人の名乗りを信じるならば悪竜王イグニードが現れた。そして何故かテンペストを説得して連れ帰る。  

 奇跡。奇跡としか言うしかない出来事だ。それこそ天文学的な確率で命を拾うことが出来たのだから。

 竜女王に睨まれてから止めていた息をようやく再開させる。無意識に止めていたようで、激しく何度も足りない酸素を補おうと呼吸を繰り返す。

 

 そして―――最も重大なことに気が付いた。

 下半身が湿り気を帯びているのだ。まさか、とは思う。気のせいであってくれ、と願う。

 しかし、現実は非情であり―――そっと自分が座り込んでいる地面に視線を落とす。

 

「……ちくしょうっす……」 


 地面には暖かな水が僅かばかり水溜りを作っており。

 幻覚や錯覚ではない事実を受け入れたラグムシュエナは―――ほろりと涙を流す。

 果たしてそれは命が助かった安堵の涙だったのか、羞恥の涙だったのか。

 真相はラグムシュエナのみぞ知る。



 



 そしてキョウとディーティニアの二人は、竜王種が飛び去っていった方角を睨み付けていたのだが、限界を迎えたのかごとりっと音をたてて仰向けに地面に転がった。

 体力も精神力も全てが底を付き、命を削ってまで戦い通した二人は限界を突き抜け、もはや指一本動かすことが出来ない状態といっても過言ではない。敵が消えたという事実が、二人が最後まで保っていた意志を消し去るのは至極当然の話だった 

 呼吸をする力が辛うじて残されているだけで、二人は天を見上げて身を大地に投げ出している。

 

「……ふざける、でない。何が、ワシらの、勝ちじゃ」


 ぎりっと歯軋りの音がする。

 ディーティニアが彼方に消えたテンペストのもはや見えない姿に怨嗟の声をあげた。


「……いい、や。俺たちの勝ちだ。何故なら、俺達は生きているんだから、な……」

「生きていれば、勝ちだと、お主は言うのか?」

「……ああ、そうだ。死んだら終わりだ。それ以上、強くなれない。それ以上、高みを目指せない。女神(あいつ)を、殺せない」


 絞りだすように声を出すのは、キョウだった。

 彼の言葉に黙り込むのはディーティニアだ。確かにキョウの言うとおりだ。死んでしまっては全てが終わる。

 二人の最終目標は神殺し。それを為すまでに死ぬことこそが真の意味での敗北なのだから。


「だが―――」


 キョウの口が開く。

 ディーティニアと同じくバキっと歯軋りをした剣士が、魔女とともに竜王種が去った方角を再度睨みつけ―――。


「―――借りは、必ず返す」


 悔しさと怒りを綯い交ぜにした、底知れない執念。

 決して折れることはない強き意思。果てしない強さを求める妄執を宿した心。

 黒い刀をイメージさせる鋭い切っ先を秘めたそれは―――今はまだ竜王種には届かない。

 

「……そう、じゃな。今度は、負けぬ。あやつにも、イグニードにも」

「ああ、そうだ。なんだ……あの化け物(・・・)、は?」


 二人ともが意識が朦朧としながら会話を続ける。

 少しでも気を抜けば、気を失うことは二人とも理解していた。


「……悪竜王イグニード・ダッハーカ。竜王種の一にして―――現在確認されている超越存在、最強の怪物じゃよ」

「あいつが、か……」


 意識が底なし沼の泥に包まれていく錯覚。

 口を動かすのも億劫な状態で、キョウはイグニードの姿を思い浮かべ。


「……幻想大陸は、広いな……」

「……まったく、じゃ……」


 そして二人は同時に意識を手放す。

 慌てたのはラグムシュエナで―――湿り気を帯びている下着を水魔法で必死に洗い流してから二人の治療に当たり始めた。

 二人は結局死にはしなかったものの完治するまでに相当な時間を必要とし、どこも旅することなく雨季の時期を終えることとなる。


 そして―――この時を持って、幻想大陸に住まう王種とキョウ達の戦端は、確かに開かれることとなった。




  
























 一方、竜園に向けて天空を駆け抜ける巨大な影一つと二つの人影。

 魔法が届かない高さまで必死に逃げていた高位竜種ムシュフシュの背に腰を下ろしているのはイグニードとテンペストの二人の竜王種だ。


 途中で戦闘を止めてしまったためか、テンペストは臍を曲げイグニードとは顔を合わせないようにしている。

 子供だなぁ……イグニードはそう考えながらも一万年前の自分を思い出し、あの頃の自分もこんな感じだったと急激に懐かしさを感じてしまった。

 ぽんぽんっとテンペストの頭を撫でるが、バシっと音がなるほど強く弾かれてしまう。びりびりとした痛みがイグニードの手にはしり、反抗期の娘を扱っているようだと、内心でため息をついた。


「あー、まぁ。これは俺の独り言になるけど……あの剣士の坊主が使ってた特異能力(アビリティ)気にならねーか?」

「―――っ!?」


 ビクンっと一目でわかるほどに反応したテンペストだったが、平静を装うようにそっぽを向いたままだ。

 ただし、耳だけはピクピクとどんなことも聞き逃すまいとしているのが丸分かりである。


「いや、実は俺もわからないんだけどな」

「―――死ね!!」


 期待させておいて落とすイグニードに、裏拳を叩き込む。

 横にいた彼の頬に直撃すると、鈍い音がしてムシュフシュの背から弾き飛ばされた。激痛とともに、イグニードの耳が風の軋みを聞き取る。当然足元に大地がないのだが―――ばさりっと翼を動かして事なきを得た。

 頬を押さえながら、高速で飛ぶムシュフシュに追いつき、彼を睨みつけているテンペストの隣に座りなおす。


「なんだよ、いきなり殴るなよ。あーあ、赤くなってるんじゃねーの、これ」

「煩い。もうお前は喋るな、黙っていろ」

「全く、酷いやつだ。言葉よりも先に手が出る女は男から嫌われるんだぜ?」


 イグニードのからかい発言に、ピシャーンっと雷に打たれたかのように眼を大きくあけて固まってしまうテンペスト。

 その様子に、アレっと首を傾げるのはイグニードだ。これまでの反応とは百八十度異なっている。以前だったならば、ふんっと鼻で笑われて終わりの筈だったのに、何故こんな状態になってしまったのか。

   

「そ、そうなのか……?」

「―――お、おう?」

「ら、乱暴な女というのは、嫌われるものなのか?」


 ふるふるっと捨てられた子犬のように身体を震わせてイグニードに問いかけてくるテンペストが―――彼からして見れば正直言ってかなり気持ち悪い。天上天下唯我独尊を体現した竜女王が、こんな状態になっている意味がわからない。まさか、偽者かとも考えたが、そんなことがあるわけもなく。

 竜種の中だけで言えば、嫌われるわけではない。竜種は力こそ正義を地でいっているような種族の集まりだ。下位や中位竜種は特に喋ることができる知能までは持っていないため、力というわかりやすい物に従ってしまう。

 だが、それ以外の種族にとってはどうか。

 好かれる要素は微塵もない、ということを竜種の常識しか持っていないテンペストにはっきりと伝える。

 その真実に、彼女は大層ダメージを受けたようでムシュフシュの背に四肢をついて本気でへこみ始めた。 


「ど、どうするべきか……。屈服させようと散々攻撃してしまったじゃないか……もしかして嫌われてしまったのか……途中から本気になって半殺しにしてしまったけど……」


 自分の世界に入りながらぶつぶつと独り言を呟いているテンペストに、何と声をかけてやればいいのかわからず、イグニードはそっと前を向く。

 

「あー。太陽が眩しいぜ」


 自分でもよくわからない発言をしつつ、テンペストの抱いている感情に予想が付いた。


 

 ―――うーん。竜種と人間っていけんのか? 本能の枷が外されたせいもあるのか? 人間形態だったら案外問題ない気もするけど、子供とか孕めんのか……こいつ? いや、でもなぁ……本気かどうかもわからねーし。気狂い女神の件もあるし……。ああ、でもあれかもしれん。俺がスラエに抱いた気持ちみたいなもんか……。や、でもスラエは男だったしなぁ。もしあいつが女だったら……ああ、やばい。こいつはやばい。ヴァジュラの野郎が荒れるぞ……。あいつら(・・・・)はどうでるか……案外応援するかもしれんが。それよりも、そんな相手を躊躇いなくぶち殺そうとするこいつが本気でこえーわ。竜種以外の常識も教えておくべきか……?

 

 悪竜王イグニード・ダッハーカ。幻想大陸最強の存在。

 称号の割には竜種の中でも一番まともな常識を持っている男でもある。

 そして、そのせいでこれからもっとも苦労を背負うことになる男でもあった。












  

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