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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
二部 北大陸編
20/106

十九章  七剣

 探求者組合の建物の内部はキョウが想像していたものとはかなり違っていた。

 《勇敢なる野兎の館》の食堂で見た探求者たちは殆どが荒くれ者といった身形をしていたため、探求者組合もそれ相応の建物なのだろうと予想をしていたのだが、キョウの第一印象は清潔感に溢れている、というものだった。

 扉を開いてすぐにそこそこ大きな空間があり、そこの壁には組合の建物の地図が書かれている。そこから奥に向かって入り口とは比較できない縦長に続く待合室。そこと区切るようにカウンターが置かれており、それを挟んで探求者とは明らかに雰囲気と服装が異なる人間が座っていた。その両側は小さな壁で区切ってある。恐らくは他の探求者の姿を見えなくするためだろう。つまり、カウンターを挟んで座っている彼らは、探求者組合の職員というわけだ。

 

 待合室には巨大な掲示板がかけられており、そこには大量の羊皮紙が張られている。まだ朝早いということもあってか、混雑は全くしていなかった。探求者の数も掲示板を見ている者、受付にいる者も合わせてたった五人。

 メウルーテは、掲示板の前まで歩いて行くとそれらに順番に目を通し始めた。

 キョウもメウルーテを倣って右上に張られた羊皮紙に書かれた文字を追っていく。

 

 内容は簡単なもので、何日までにこれこれこういった薬草を揃えて欲しい。どこどこにこんな危険生物がでたので退治してきて欲しい。どこどこの町に商隊で向かうので護衛を求む。といった内容が多い。

 どうやらここに依頼書が貼られるのか、とキョウが興味深そうに眺めていると、はっとした様子でメウルーテが振り返った。


「あ、すみません。キョウさん放って自分だけ集中して依頼書見てて」

「いや、構わない。これくらいなら見るだけでも大体理解できるから。依頼は早いもの勝ちなんだろう? それなら先に良い依頼を探してからでこっちは構わない」

「うー、甘えて申し訳ないです。もうちょっと待っててくださいね」


 メウルーテは再び依頼書に目を通し始める。

 ざっと見た限り数百を超える依頼が出されており、この中から選ぶのも確かに一苦労だ。

 目が痛くなるな、と考えながらキョウはメウルーテとは逆方向から依頼書を見て回る。はっきりいってどれが割りの良い依頼なのか分からないのだが。メウルーテとニルーニャがどれほどの力量かはおおよそわかっているが、危険生物の強さがまだいまいち理解できていない。

 キョウが幻想大陸へきてからの危険生物の討伐平均が高すぎるため、第十級や第九級の相手を想像し難いということもあった。一応コボルトはみかけたのだが、群れで生息している彼らと戦うには少々今のメウルーテ達では心もとないのではと感じてしまう。


 適当に見ているうちに左の方向に貼られている依頼書はランクが高いことに気づく。

 推奨階級が、第七級や第八級のものばかりだ。そこから右へ行くにつれて第九級となり、第十級となっていた。といっても、依頼書の殆どは第九級から第十級のものばかりだ。それ以上のランクの第八級は十分の一程度だろう。第七級ともなれば僅か数枚しか見つけることが出来なかった。


「キョウさーん!! お待たせしました」


 パタパタと、足音を立てながら駆け寄ってくるメウルーテの手には一枚の依頼書が握られている。猫耳が機嫌よさそうに動いているのを見ると、割の良い仕事を見つけ出したようである。


「いや、色々見て回っていたし気にしないでいい。その様子を見ると納得いくものがみつかったようだな」

「はい!! 早起きして見にきたかいがありましたよ。西に向かう商隊の護衛なんですが、欠員が出たみたいで追加募集しているんですけど……報酬が相場よりかなり高めです」


 にこにこと微笑みながら周囲の人間に聞こえないように、キョウの耳に顔を寄せて囁いてくる。

 密着してきたメウルーテの頭からは、昨夜あれから風呂に入ったからなのか、淡い花の香りが漂ってきた。

 ニルーニャと比べて髪は短いとはいえ、双子のためかほぼ同じ顔。髪をかきあげる仕草が妙な艶っぽさを醸しだしている。

 これは確かに宿屋の主人の言うとおり、他の探求者に人気があるのも頷けるというものだ。粗野な男性が多い探求者の中では珍しいタイプのメウルーテは、女性からさぞかし人気が高かろうと簡単に予想が付く。もっとも女性からだけではなく、そっちの趣味がある男の探求者からもこのままでは言い寄られそうだ、と心配になってくるキョウであった。


「―――それでは、僕は依頼受けてきちゃいますね。少し待っててもらえますか?」

「ああ、行っておいで。俺はもう少しここでどんな依頼があるかみておく」

「はい、わかりました。行ってきます」


 ルンルン気分のメウルーテは依頼書を片手に受付カウンターの方へと姿を消した。

 確かにキョウが見た限り、片道二日の往復で四日の護衛。滞在一日で合計五日の護衛期間で、一人当たり小白銀貨一枚というのはかなりの破格ともいえた。道中の食事なども提供され、滞在先の宿泊費用も依頼者持ち。西へ向かう先には大した危険生物も生息していないので、命の危険も少ない。

 駆け出しともいえるメウルーテ達にとっては実りのいい仕事というのは間違いないだろう。討伐系報酬の方が高いのは当然だが、そちらは命の危険が大きい。それを考えたら今回の護衛の仕事はまさに早い者勝ちの良条件だった。


 両腕を組んで掲示板を見上げていたキョウだったが、ふとした違和感に気づく。

 魚の骨が喉につっかえたかのような、奇妙な感覚が背筋を這う。

 その違和感の元を見つけようと、周囲を見渡す。掲示板がある待合室は、まだ探求者の数もまばらで部屋の広さの割には数えられるくらいしかいないのは変わっていない。そう、メウルーテを除いてたった六人(・・)だけだ。

 

 ―――六、人?


 ざざっと靄がかった違和感が突如明確になる。

 キョウが無意識に広げている気配察知の領域には、あれから新たに探求者組合の建物にやってきた人間の気配は感じられていなかった。だが、現実に待合室には六人がいる。つまり、一人知らない間に増えていたということだ。

 別にそれ自体は問題はない。あるとすれば、キョウの感覚をすり抜けてこれるほどの人間が、一人いるということだけだ。

 幾ら気を張っていなかったとはいえ、キョウに気づかれずにそんなことができる相手はそうはいない。


「―――凄いな。正直なところ驚いた」


 だからこそ、キョウは()にいるフード付きの白ローブを被った小柄な人物を称賛した。

 顔が見えない位置までフードをおろしたその人物は、いつのまにかキョウのすぐ横に居て、同じ様に掲示板を見上げていたのだ。キョウとてここまで気がつかずに接近を許したのは実に久しぶりだった。悪意や敵意がなかったせいもあっただろうが、それも含めての称賛だ。


「いやいや、うちもまさか気がつかれるとは思っていなかったっすよ?」


 やけに気安い声をあげたのは白ローブの人物だ。

 その声はやや甲高く、女性であることは明白であった。

 隠すつもりはなかったのか、白ローブ姿の女性はあっさりとフードから頭を出す。フードから零れ落ちたのは白とは対照的な真っ赤に燃え上がる真紅の髪。後ろ髪を首のあたりで結っており、はらりと背中で纏め上げられた髪が揺れていた。印象的なのは勝気そうにやや吊り上った目元。しかし顔全体のバランスが良く、街中にいればそれなりに注目を集める容姿をしていた。化粧ッ気が全くないが、それでもキョウの視線を集める当たり、素材が相当にいい筈である。身長はそれほど高くなく、キョウの胸辺りまで。精々が百五十半ば。年齢もキョウの予想より随分と低い。二十はまだいってない様に思われた。頭には猫耳―――いや、違う。他の種族の耳が生えている。犬や猫とは違った―――狐耳だ。メウルーテ達よりも若干耳が長く、金色に輝いているのが特徴だった。

 

 髪と同じく赤く輝く右の瞳と―――金色に輝く左の瞳。

 両眼で瞳の色が異なるもの珍しさに、一瞬魅入られそうになるが―――その瞬間、戦慄がはしる。

 右の赤い瞳はまだいい。だが、左の金色の瞳を覗き込んだ途端、キョウは無意識の内に少女から距離を取った。まるでキョウの全てを知ろうと、心の中まで這い寄ってくる得体の知れない感覚を感じたからだ。

 異常なほどに気味が悪い。あの金色の瞳は、駄目だ(・・・)と本能が警告を繰り返す。


「うーん。まさか初見でここまで警戒されるなんて初めてのことっすね」


 警戒しているキョウの前方であっけらかんと両肩を竦めると、少女は大人しく左目を閉じる。そして、なれた手つきで左目を覆う眼帯を付けた。黒い、まるで海賊がしているかのような眼帯。可愛らしい少女にはどこか不似合いの装飾品だ。

 瞳を閉じた瞬間、キョウを襲う悪寒が消え去った。それでも警戒だけは怠らず、鋭い視線を少女へと送り続けていた。


「いやー、いきなり魔眼を向けたのは謝罪するっすよ。でも、こんな街にお兄さんみたい(・・・)な人がいたらそりゃーこっちだって警戒するとは思わないっすか?」

「……お前は、何者だ? 探求者か? いや―――本当に()なのか?」

「うーん、うちはこの耳を見ていただいたらわかると思うっすけど……人ではないっすよ。しがない狐耳族の一人っす。でも、お兄さんが聞きたいのはそんなことじゃないっすよね?」

「―――ああ」

「うちは、突然変異ってやつなんっすかねー。他の狐耳族よりはちょっとばかし強いだけの、しがない一般人っす。まぁ、それより問題はお兄さん―――あんたこそ、本当に()っすか?」

「ああ、勿論だ。なんならこの場で服でも脱いで証明してみせようか?」

「……や、それはいいっす」


 キョウの軽口にきょとんとしたのも一瞬で、すぐに破顔した少女は手をぶんぶんと振って拒否してくる―――ちょっと興味はありそうな様子ではあるが。


「それにしても、お兄さんみたいな人間初めてみたっすよ……さっき二階から降りてきたとき正直ちびりそうになったくらいっす」

「……いい歳の女性がはしたないぞ」

「おっと、これは失礼。でも、そんくらいびびったのは本当っすからね。第一席にも匹敵するような人間がこんな場所にいるとは思わなかったっすよ。あー、良かったらうちの組織に来ません? 今ならうちの副官として大抜擢しちゃうっすけど」

「いや、有り難い申し出だが遠慮させて貰う。生憎と一緒に旅をしている連れもいるしな」

「ふーん。残念っすけど、仕方ないっすね」


 言葉では残念と言って置きながら、表情は全く変化はしない。

 落胆といった感情も見せることはないのは、断られることが最初から分かっていたかのような反応だった、

 

「じゃ、うちはもう行くとしますか。お兄さん……ええっと?」

「ああ、キョウだ。キョウ=スメラギ」

「変わった名前っすねー。送り人の家系か何かっすか?」

「似たようなものだ。それでキミは?」

「おっと、失礼。うちは《ラグムシュエナ》。言い難いって評判の名前っすよー」


 にやにやっと悪戯小僧のような笑みを浮かべて、ラグムシュエナと名乗った狐耳族の少女は建物の出口へと向かう。

 その途中、脱いでいたフードを再びかぶり顔を隠し直す。

 

「お兄さんには特別にユエナって呼ばせてあげるっす。多分うちらは縁があるっすからそのうちまた顔を合わせる気がするので―――また会おう(・・・・・)っすね」


 歩きながらひらひらと後ろ向きで手を振りつつラグムシュエナは扉を開けて出て行った。 

 それを見送っていたキョウだったが、ふと周囲を見渡してみれば待合室にいる誰一人としてキョウ達に注意を向けている者はいない。あれだけ話していたのだ、良くも悪くも注目を集めてもおかしくはない。

 それなのに反応さえもしていないというのには、些か納得がいかないところがあった。


 そうこうするうちにメウルーテが受付で依頼の受領を終えたのか、小走りでキョウのもとまで駆け寄ってくる。

 依頼を問題なく受けれたのか、満足そうな表情を浮かべたままだ。


「遅くなって申し訳ないです。きちんと依頼を受けることが出来ました」

「いや、大丈夫だ。退屈(・・)はしなかったさ」

「……?」


 意味深げなキョウの発言に、きょとんとメウルーテが小首を傾げる。

 それに何でもないと、話を切った。声を抑えていなかったので受付にいるメウルーテにも聞こえてもおかしくはない声量だったが、恐らくはメウルーテにも聞こえてはいない(・・・)

 

「なかなかに、興味深い(・・・・)やつだ」

「ええっと?」


 既に姿は見えないラグムシュエナの消えた方向を見つつ、どこか心ここにあらずなキョウにさらに首を傾げるメウルーテ。自分が居ない間に何があったのか、と疑問を感じているようだ。しかし、キョウはそれには答えない。彼自身、何が起きていたのか説明できなかったらかだ。だが、面白いと感じていたのは事実だ。

 まだ旅をし始めて一ヶ月は経っていない。しかし、北大陸有数のギルドが期待外れだっただけに、幻想大陸の人類へ対しての期待は知らず知らずのうちに下がっていた。

 そんな時に出会ったラグシュエナという名の狐耳族の少女。キョウに感知させないまま近寄ってくる妙技。そんな相手を見かけて心が躍らないわけがない。


「いや、すまない。気にしないでくれ」

「そうですか? 何か気になりますけど気にしないようにします。あ、ついでにキョウさんの探求者登録していきますか? 多分今の時間帯ならすぐに出来ると思いますけど」

「そうだな……いや、止めておこう。ディーテに報告せずに登録したら拗ねるかもしれん」

「そうですか。それなら仕方ないですね」


 残念そうな顔はするものの、特に嫌な表情をするわけでもなく依頼書を腰に回してつけているポシェットの中に丁寧に仕舞う。そして、何かを思い出したのか、あっと短く声をあげた。


「そういえば受付でちょっと面白い話を聞いたんですよ」

「……面白い話?」

「はい!! なんと中央大陸から王都トリニシアへ訪問していた《七剣》の二人が例のサイクロプスの情報の件で今この街に来ているらしいんです!!」

「……《七剣》?中央大陸の最強と噂されている対危険生物の?」

「そうなんですよー。僕は会ったことないのでどんな方か知らないんですけど……会ってみたいなぁ」


 《七剣》と聞いて、キョウが起こしたのは反射的な行動だった。

 再度建物の外へ出て行ったラグムシュエナの方向へと視線を送る。まさかな、と口の中で誰にも聞こえないようにキョウは意識しないうちに呟いた。


「……なぁ、メウルーテ」

「はい? なんですか?」

「《七剣》のどんな奴が来ているか聞いているか?」

「ええっと、聞いてますよ。確か―――」


 受付から聞いたことを思い出そうと、視線を床に向けつつ口に指を当てる。

 

「第六席の《猟犬》の《アルフレッド》様と第七席《静寂》の―――《ラグムシュエナ》様です」

 

 そして、キョウの予感は確かに的中した。





















 ガタンっと後ろで扉が閉まる音がする。

 ラグムシュエナと名乗った狐耳族の少女は、どこか機嫌が良さそうに探求者組合の前の階段を降りていく。

 

「おい、おせぇぞ。ユエナ」


 そんなラグムシュエナに声をかけたのは、入り口のすぐ傍の壁に背中をつけて腕組みをしながら待っていた男性だった。見たところキョウと同じくらいの年齢の美青年だ。身長は百七十を少し超えたくらいで、さらさらとした茶色の髪が風に流されている。女性も嫉妬せんばかりの艶やかさ。全体的に無駄な筋肉がなく、しなやかなでシャープな印象を与えてくる。この青年もまた頭から二つの耳が生えていた。猫とも狐とも異なる―――犬耳だ。

 腰には二本の剣が差してあり、雰囲気だけで尋常ではない使い手ということが理解できる。


「いやー申し訳ないっすね。でも、《アルフ》も少しは手伝ってくれたら助かるんっすけど」

「……いやだね。俺は堅苦しいところは嫌いなんだよ」

「そんな事言ってて、またアルス姫様にぼこぼこにされても知らないっすからね」

「……いや、ほら。それはあいつには秘密にしてほしいかな……」

「アルス姫様のことになると急にへたれるっすねぇ……アルフって」

「馬鹿、お前!? あいつの怖さを直にみてねーだろ!? まじ怖いんだぞ!? 夢に見ちまうくらいやべーんだぞ!!」

「や……そんなびびってるんなら真面目に働いてくださいっすよ……」

 

 強気だったアルフと呼ばれた犬耳の青年はガタガタと震えながら言い返してくる。

 哀れな姿にラグムシュエナは涙を誘われるが、それでも少しでも目を離すと仕事をさぼる同僚をなんとかして更生させたいと考えていた。


「残念だけどな、ユエナ。俺にはやらなければならないことがあるんだよ」

「……まーた。例のあの人を探してるんっすか。いい加減諦めたらいいと思うんっすけどねぇ……どう考えてもアルフじゃどーにもならない相手じゃないっすか」

「俺が《七剣》に入ったのもあの人の情報を手に入れるためだしな。そう簡単に諦めてたまるかよ」

「でも、探してる人は二年目撃情報ないんっすよねー?」

「……だから、最後に目撃された北大陸にきてるんじゃねーか」


 相変わらずこの人は……本気で呆れてしまうラグムシュエナ。

 神聖エレクシル帝国が擁する最強部隊―――《七剣》。その中でもこの男はエレクシルへ対する信仰心が欠片もない。それは実に珍しいことだ。それが認められている理由は簡単で、彼にはそれが許されるだけの力がある。それだけのことだ。

 そんなアルフが、珍しく真剣な表情となり―――。


「それで、だ。俺の方からも一つ聞かせてもらうけどよ」

「んー、なんすか?」

「お前……なんでそんなにびびってる(・・・・・)んだよ?」

「―――え?」


 アルフに指摘されて、ラグムシュエナは漸く気づく―――自分の両腕が震えていることに。 

 小刻みに、カタカタと静かな音をたてて。べっとりと嫌な汗が手の平から滲み出てきている。

 慌てて懐に入っているハンカチで手の平を拭うが、震えが治まる様子は見られなかった。気づけば、ぽたっと珠の汗が額からしたたり落ち地面を濡らす。


「はは、ははは……いや、まさかこれほどとは予想以上っすねぇ……」

「おい、大丈夫か?」


 引き攣った口元を片手で隠しながら、ラグムシュエナはもう片方の手で眼帯を押さえる。

 押さえている左目がズキズキと痛む錯覚を感じた。 


「―――()を見すぎたっす。うちの魔眼でさえも、読みきれない深淵……化け物っすねぇ」


 じわりっと眼帯が染まっていく。黒一色だったそれに、不気味な色が混じり始めた。

 魔眼の限界を超える存在の深奥を見てしまったがために、彼女の左目もまた限界を迎え傷ついてしまっていた。

 激痛が襲ってくる左目を押さえているラグムシュエナにアルフは声をかけようとして―――その手を止める。


「はっは……あっはははっは―――見つけたっすよぉ」


 ぬるっとした底知れぬ深淵から這い出る声が聞こえた。

 左目を押さえ、口元を歪めている。自由な右の瞳が、ここではないどこかを見つめていた。真紅に輝く瞳が、怪しく爛々と輝いている。ぞっとするほどに美しく、人の心を魅了する。


「うちの魔眼でも見切れない―――うちだけの王子様」


 アルフの本能をも畏れさせ、ラグムシュエナは凄惨な笑顔を浮かべて哂っていた。 


 


 














 巨人の山々ジャイアントマウンテンの東―――平原の民が集落としていた場所からさらに東。

 馬で一日駆け抜けたファルは、町に到着すると探求者組合の支部に飛び込んだ。

 

 陸獣王セルヴァ襲来の報告をしたファルの言葉は最初信用されなかった。それも当然の話。確認されている限りセルヴァは王の森から出なくなって既に五百年近くの月日が流れているのだ。

 それが今更、巨人の山々ジャイアントマウンテンを超えてくるなど、眉唾な話この上ない。

 それでも何回も何十回も泣きながら訴えてくるファルを納得させるために、探求者を西に偵察に行かせた。

 そして、その探求者は半日ほどして混乱しながら帰還して口にだした報告は、組合を騒然とさせる。


 誰もが冗談だと思った。誰もが嘘だと願った。誰もが見間違いだと信じたかった。


 しかし、それは現実で―――。


 陸獣王セルヴァの襲来。その情報は、この日から間もなくして北大陸を駆け巡る。

 北大陸に有史以来、最凶最悪の危機が訪れた。





 

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