十四章 探求者
時間の流れは早いものでキョウ達が村の警備についてから五日が経った。
基本的にキョウが村の警備にあたり、ディーティニアは日中はぶらぶらと散歩に出かける毎日である。村の外に出かけていく姿を見た村人は、外見の小ささための心配していたようだが、ディーティニアは自分と同等くらいには強いという一言で黙らざるをえなかった。
外見だけではそうとは思えないが、サイクロプスを容易く凌駕する怪物がそう言った以上、認めるしかない。
村人達もキョウには多少は慣れ、ガイウス以外にも幾人かは話しかけてくれる人間も増えてはきていた。
生憎と若い男性からは相変わらず突き刺すような、嫉妬の視線が送られてくるがこればかりは仕方ない。それにキョウ達がここに滞在するのもそろそろ終わりを告げる予定だ。
先日南にある工業都市ネールにある探求者組合に依頼しにいったところ、運がいいことに依頼をだした途端に受領されたのだ。その依頼を受けたのは、偶々工業都市ネールに来ていたギルド《コーネル》。ミリアーナの兄であるカラムートがギルド長を務める北大陸で五本の指に入る大手のギルドだ。
奇跡とも言えるスピードで、それを見つけたカラムートがすぐさまに請け負ったというわけだ。ギルド《コーネル》は第七級探求者ギルド。相手がサイクロプス級となると、それくらいの大手でなければ太刀打ちできない。当然費用も馬鹿にならないわけだが、村の壊滅と天秤にかければどちらに傾くかは明らかである。
彼らとて準備が必要なためすぐには出発できないということだったが、今日あたりに到着してもおかしくはない。つまりはキョウ達もそろそろ御役御免になるというわけだ。
兄であるカラムートが来ると聞いて喜んでいたミリアーナとミリスだったが、それはつまりキョウ達も村から出ていくことを意味しているため、どこか複雑そうな表情で日々を過ごしていた。
初めミリアーナは、キョウに剣を教えて欲しいとやや躊躇いながらも願い出てきたが、キョウはそれを断っていた。
元々彼の剣技は正統派というわけではなく、戦場で磨き、戦場で育てた邪道の剣技。出会ってきた剣士達の技を戦いの中で見切り、奪い、自分に最も相応しい形として最適化したものだ。つまりは、キョウの剣技はキョウにしか扱えない。ある程度基礎ができているミリアーナに今から教えたとしても余計な悪影響を及ぼすと判断したためだ。それを伝えたところ、渋々といった様子で納得はした。
その代わりに一緒に狩りにいったり、試合形式で剣を交えたりはしたのだが、それがまたミリアーナを感動させることになったのだった。
「……おはようじゃよー」
そうこうするうちにこの日も昼時になり、ようやくベッドから起き上がってきたディーティニアが、ふらふらと体を泳がせながら土間に姿を見せる。見る限りまだ半分は寝ている様子だ。テンションが恐ろしいほどに低い。
土間にいるのは現在キョウとディーティニアとミリアーナの三人。ミリスは近くで農作業の手伝いにかり出されているところだ。半日近くは眠っているというのに、眼を瞬かせて夢遊病者を連想させる歩みでテーブルまでやってくると椅子に腰をおろした。
ここ数日でディーティニアの朝の弱さを知ったミリアーナは、そんな様子の魔女の前に暖めたスープだけを置く。先日捕らえた猪肉が細かく刻んで入れてあり、それ以外にも体に優しい野菜が幾つかよく煮込まれている。
そのスープを半分寝ながらスプーンで掬い、口に運んでいく。カクっと頭が前に倒れた拍子に、口に含みかけたスープが口元から少し垂れてゆく。
「溢すな溢すな。行儀が悪いし、ミリアーナが折角作ってくれたものを無駄にするんじゃない」
「……ぬー」
この朝の弱さは本当にどうにかして欲しいと考えながら、キョウは使用していない手拭いを手に取ると彼女の口元を拭く。
口を拭かれているディーティニアは為すがままである。そんな二人の様子を見ていたミリアーナはポツリと呟く。
「なんかお二人は、お父さんと娘さんって感じですねー」
ニコニコと笑顔の彼女の一言に、確かにと納得してしまうキョウだった。ディーティニアが起きている状態だったら、凄い勢いで反論をするだろうが、何処からどう見てもこの光景はそう見えるだろう。
「……むぅー、ワシはこう見えても、八百年を―――」
「あー、まだ汚れてるぞー」
危険な発言をしでかしそうになったディーティニアの口元を無理矢理閉じさせるために、やや強引に手拭いで拭き続ける。その拍子に三角帽子が頭から落ちて地面に転がった。口を閉じさせゴシゴシと拭いていると、ディーティニアは完全に眼が覚めたのかその手を強く叩き止めさせた。自分が何を言いかけたのか自覚があるのか、咳払いをしてキョウに対してその場で掴みかかるような真似はしない。
「……助かるがもうちょっと優しくしてくれるとワシも嬉しいぞ」
「次回は努力しよう。期待しないで待っていてくれ」
「や、少しは期待させてほしいんじゃがなー」
「それよりもまずはその寝起きの悪さをどうにかするのが一番いいと思うが」
「……努力するとしようかのぅ」
寝起きの悪さを指摘され、ふっと明後日の方角を向いてそ知らぬ顔でスープを飲むことに専念する。
絶対に改善する気はないなと思わせる態度のディーティニアに、ふっと苦笑をしたキョウは落としてしまった三角帽子を拾うと頭に被せてあげる。
ああ、やっぱり親娘みたいですねー、と微笑ましい笑みを浮かべているミリアーナの視線から逃れるように、キョウは立ち上がった。
キョウが立ち上がったのと同時に、ディーティニアの眉もピクリと動いた。スープを飲んでいる彼女が何かを言いたそうにしているのを見て、ミリアーナにばれない程度で頷いた。
「……少し出てくる」
「うむ。何かあったら呼ぶのじゃよ」
「ああ、多分大丈夫だろう」
意味ありげな二人の会話だったが、それに気づくことが出来なかったミリアーナが家から出て行くキョウの背を見送った。ミリアーナに見送られ村の中を歩いて行くキョウは、村の入り口へと向かう。その途中で村人と出くわすがここ数日の期間のおかげで、即座に逃げ出されることはなくなった。まだ信用はできないが、見知らぬ怪しい旅人から多少は信頼度が増えたといった感じだろうか。
挨拶もそこそこに、入り口に到着。
野生動物の侵入を防ぐための簡易な柵が左右に広がっている場所で、そのうちの一つの杭に背中をもたれさせて両腕を組んだ。どうやらまだキョウのお目当ての相手は到着してはいないようだが、それも時間の問題かと考えながら静かにその場で待ち続ける。
「それにしても、ディーテの奴……化け物か」
思わず心の声が自然と漏れた。
タイミングを見計らったわけではないだろうが、それと時を同じくしてキョウの視界に村へと近づいてくる馬車の姿を見つけた。馬にひかれ村へとやってきたのは二台の馬車だ。どちらともが若い男が御者をやっている。前方を走っている馬車には金属板を繋ぎ合わせた頑丈そうな鎧を纏った重騎士といった風貌の青年だ。二十代半ばくらいの青い髪が印象的だった。後方の馬車には、軽装備の若者が乗っている。金の髪がさらさらと風に流されていて、重騎士よりも随分と細身に見えた。恐らくはスピードを重視する剣士なのだろうとあたりをつける。
これがキョウがわざわざ村の入り口に来た理由だ。
人の限界を容易く超えている気配察知の領域。達人でも精々が十数メートルだといのに、それを遥かに超える異常なまでの広さを誇る。これにはそれなりの理由があり、気配察知を磨かねば生きてこれなかったという単純なものだ。
外界では、全てが敵だった。七つの人災と呼ばれる人智を逸した人間達―――それぞれが特有の特異能力を持つ彼らによって、一つの国が滅ぼされた。七人で一国を敵に回した結果、毎日が戦争の日々。敵国の一人一人は容易く倒すことができても、数とはそれだけで一つの武器となる。そんな戦争の最中常に敵の気配を探っているうちに、知らず知らずのうちに察知できる距離が伸びていき……気がついたら他の七つの人災からも呆れられる範囲となっていた。
キョウの気配察知の範囲を知る者は、誰もが呆れたものなのだが―――。
ディーティニアはそんなキョウが気づくのとほぼ同時に気づく。
今日のこと然り、この村に最初に訪れた時に隠れていた巨人に気づくの然り、旅の最中然り。
ただの魔法使いが、人の限界を遥かに超えた気配察知の使い手であるキョウと同等を誇る。それこそが異常。それこそが異端。
キョウをして、未だ底が知れない大魔法使い。幼き肉体のエルフ。八百年の時を生きる、女神へと牙を向けた最初の反逆者。
もしもディーティニアと《操血》が戦ったならばどうなるだろうか。そういった疑問が時々浮かぶ。
二人ともが底が見えない怪物同士。周囲を更地と化すような尋常ではない勝負になることだけは間違いないだろう。
そうこうするうちに馬車が村の入り口までやってきた。
馬車を止めると、幾人かが馬車の荷台から姿を現す。御者をしていた二人以外にも降りてきて、合計五人の探求者がキョウの前に立つこととなった。
重騎士と剣士の若者以外に合計三人。その三人の割合は女性二人男性一人だ。
一人は赤髪の大男。装備は金髪の剣士の男と同じ様な軽装備。背中には長い槍を背負っている。
二人いる女のうちの一人は、黒いローブを羽織っている。全身を覆い隠す、顔も目元近くまで隠されているのでどのくらいの年齢の女性かもわからない。片手に持っているのは不思議な圧迫感を発している杖である。
もう一人は槍使いと同じ髪の色。燃える様な赤髪だった。男性は短い髪だが、それとは真逆で腰近くまであるロングヘアー。細い眉にすっきりとした鼻筋。静かな笑みを湛えている口元。目尻がさがったややたれ目の妙齢の美女。髪の色とは反対で、青と白が入り混じった神官服。
五人が五人ともかなりの腕前なのは、すぐに掴み取ることができた。
女性二人は魔法使いだろうが、ある程度の力量くらいはキョウにも理解することは可能だ。
特に青髪の青年は、五人の中でも頭一つ飛び抜けている優れた戦闘者。ミリアーナ曰く、北大陸でも五本の指に入るほどの探求者ギルドということで少々期待していたのだが―――キョウは、ハァっと失望のため息をついた。
―――この程度か。
そんな五人も入り口に立っているキョウの姿に気づいたのか、馬車を入り口に繋いでから五人ともがキョウから若干離れた位置で足を止めた。
青髪の重戦士が腰に下げている鞄から丸まった紙を取り出し、それを広げキョウに手渡してくる。
「俺達は探求者組合から派遣された、第七級ギルド《コーネル》です。この村から依頼された件で訪問させていただいています。こちらが依頼書となりますので、ご確認をお願いします」
探求者の割りにやけに礼儀正しい青髪の重騎士の対応に、若干拍子ぬけしたキョウだったが、差し出された依頼書を見る。はっきりいって依頼書を初めて見るのでよくわからないというのが本音だが、書いてある内容は大体理解できた。要約するとコーネル村にサイクロプスが出たのでなんとかしてくれといった内容だ。それに対して、まずは先遣隊であるギルド《コーネル》が派遣され、その次には国からの騎士団まで来るという。なかなか大袈裟なことになっていた。
キョウは大袈裟だと考えたが、相手は第七級危険生物。本来はそれくらいの戦力は導入しなければ対抗できないのだ。内容を確認して、差し出された依頼書を青髪の青年に返す。
しかし、青髪の重騎士は依頼書を受け取った後もそこから動こうとせずに、じっとキョウの姿を見つめている。
「……何か?」
「いえ、貴方がこの村を救ってくれたという旅の剣士殿でしょうか?」
「ええ、まぁ。たまたま通りがかっただけですが」
「そうですか……有難うございます。実は僕はこの村出身でして。故郷を救っていただいたことを深くお礼申し上げます」
「ああー、では貴方がミリアーナの……」
「はい、僕はカラムート。ミリアーナの兄です」
青髪の青年―――カラムートは、深々と頭を下げる。
ここまで丁寧な対応をしてくるのは、流石ミリアーナの兄であると思わせるところがあった。
確かギルド長を務めていると聞いていたが、なるほど、とキョウは納得する。他四人に比べてカラムートの腕が良い理由が分かった。
「俺はキョウ。キョウ=スメラギです。生憎と今日中に村を出る予定ですがお見知りおきを」
「え? 今日中に出立されるのですか?」
「ええ。元々探求者組合から人が派遣されるまでという約束でしたので。工業都市ネールでかさ張っている荷物を処分しなければなりませんし」
「そうですか……あの第七級危険生物をお一人で倒せる方と肩を並べて戦えると期待していたのですが」
「偶々ですよ。運が良かっただけです。決死の覚悟が天に通じたのかもしれませんね」
肩をすくめてキョウは一礼する。
探求者組合から送られてくる人間の力量を見定めにきたのだが―――あまりにも期待はずれすぎて本人達を前にしてため息をもう一度吐きたくなるほどだった。
ディーティニアと行動をともにしていたせいもあるだろう。幻想大陸に来た最初に会ったのが力量の読めない怪物―――それ故に他の相手への期待も大きかった。それがものの見事に外れた分の反動は大きい。
「たまたまで倒せる相手ではないと思いますけどね」
キョウとカラムートの会話に割り込んできたのは一番年若い金髪の剣士だった。
口調は丁寧だが、どこか詰問する厳しさがそこには混じっている。
それも無理のないことだ。単独でサイクロプスを三体撃破するなど、この場にいる五人の誰であろうと不可能。五人がかりでチームを組んで戦えばなんとかいけるかもしれないが、間違いなく死闘となる。それほどの相手を運が良かったで済ませられるはずも無い。
「できれば、是非ともお手合わせを願いたいのですけれど」
「……バーン。キョウ殿に失礼だぞ」
カラムートが金髪の若者―――どうやらバーンというらしいが、彼に叱責を飛ばすが、全く聞いている様子を見せない。他の三人も止めない所をみると、どうやら噂の剣士の力量を見てみたいという気持ちが少なからずあるのだろう。
そしてそれはカラムート自身も否定できない。報告を信じるならば、サイクロプス三体を瞬く間に屠ったという剣士。それほどの男を前にして、力量も確かめずにこのまま旅立たせるのはおしいと心のそこから思っていた。
じっと見つめてくる五対の瞳。
それに射抜かれているキョウの内心は―――。
―――さて、面倒なことになったな。
本来ならばキョウから彼らに戦いを挑もうと考えていたのだ。
そのためにわざわざ入り口まで来て相手の到着を待っていたのだが、彼らと相対して気が変わってしまった。
戦おうという気持ちすら湧いてこない。キョウが予想していたよりも遥かに下。つまりは圧倒的な力量差。キョウにとっては間違いなく、戦ったとしても何のプラスの材料にもならない相手だったのだから。
期待はずれだった分のテンションの低下は止めることはできず、今は戦おうという気分になれなかった。
「是非とも一手ご教授願いたい」
有無を言わさぬ口調のバーンは、剣の柄に手をあて今にも抜き出しそうになっている。
おいおい、探求者組合から派遣された人間は礼儀正しいんじゃなかったのか……と考えながら、頭をかく。
この調子では戦わない限り退いては貰えないと判断したキョウがバーンの挑戦を受けようとして―――。
「のぅ、小僧。お主誰に剣を向けようとしているのかわかっておるのか?」
ズンっと周囲の空気が音をたてて重くなった。《コーネル》のメンバーは例外なく自分にかかる重力が数倍に感じられ、反射的に膝をつきそうになる。
時には叫び。時には泣き。時には笑い。時には喜ぶ。時には怒る。
キョウ=スメラギと共にいるときの喜怒哀楽を言葉に込める、美しき銀髪の魔女とは思えぬ凍えた言葉。それだけで息の根を止めかねない、圧倒的な敵意。その場に居る者全てを平伏させる、強い威圧。
それが八百年の時を生き続ける幻想大陸最高の魔法使い―――獄炎の魔女の本当の姿。あらゆる存在を地に沈める、大魔法使い。
ざっと砂を踏む音が聞こえ、何時もの姿のディーティニアが―――何時もと違う全てを見下す表情で五人を順番に視線を送る。見られただけで、心臓を直接握られた圧迫感が全身を襲ってきた。呼吸が乱れる。彼らとて多くの危険生物と戦ってきたが、それらの比ではない死の恐怖を叩き込まれる。
まず最初に反応したのは赤髪の神官だった。腰から力が抜けたのか、地面に尻餅をつく。ガクガクと全身を震わせながら、その状態で後ろに逃げようとしていた。
次いで、ローブを被った女性だ。頭を抱えてその場に座り込む。ディーティニアの視線から逃れるように丸くなった彼女はまるで子供のようにも見えた。
二人ともが魔法使い。だからこそ、他の三人よりもはっきりと分かった。
目の前のこの小さな少女―――の姿をしただけの怪物は、瞬き一つでこの場にいる全員を殺せることができると。
他の前衛三人もまた、身動き一つ取ることができなかった。
魔法を使うことはできないが、ここまで圧倒的な重圧を受ければ、格が違うことくらい容易く理解できる。
悲鳴もあげれないほどに、喉がひりつく。食べたものを戻しそうになる圧迫感。このまま気を失ったほうが楽だと思えるほどの絶望を感じた三人は―――。
「……そのへんにしておけ」
「ぎゃふっ!?」
パシンと頭を叩いてディーティニアを止めたのは、キョウだった。
荒れ狂う重圧のなかでただ一人だけ自然体でいた彼は、そろそろ止めないとまずいなっと判断しての行動だ。五人を押し潰すように戦闘モードに切り替わっていたディーティニアの後頭部を叩いて止めたのだが、まさかの攻撃に銀髪の魔女もやや間抜けな声をあげていた。
後頭部に受けたダメージにやや涙目になって、キョウへと振り返る。
「なにをする、キョウ!? いきなり叩くとは酷いではないか!?」
「あー、すまん。ちょっと強く叩きすぎたか。でも、お前も悪い。そんなに威圧してどうする、かわいそうだろう」
「それは、あの小僧が悪い!! 折角お主が見逃してやろうとしておるのに、生意気にも剣を向けようとは片腹痛いわ」
ビシっと杖を、バーンに向けてディーティニアが吼える。
杖を向けられたバーンは、ヒィっとかすれた声をあげて、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。脂汗をだらだらと流しながら、茫然自失としている姿は先ほどまでの強気の様子は全く見られない。
「まぁ、その辺にしてあげてくれ。彼だって悪気があっての行動じゃない。強い者がいれば剣を交えてみたくなるのが剣士としての性というものだ」
「お主がそういうのならば、ワシがこれ以上どうこういうつもりはないが……。良かったのぅ、小僧。もしもお主がキョウに剣を向けて抜いてたら、お主死んでおったぞ―――キョウに斬られてな!!」
「……え、なに? 俺が斬ってたの?」
ディーティニアの発言で、キョウへ対する視線に恐怖が混じっていくのがわかった。
斬るつもりなんか全くなかった、と言い訳をしたかったが―――恐らく弁解は不可能だと本能が理解する。
外界最凶と呼ばれはしたが、ディーティニアの方が余程最凶なのではないかと少しだけ悩むキョウ。
このまま一緒に旅を続けたらどうなるかを想像して、暗雲の未来を想像しつつ、ディーティニアの襟を掴むとズリズリと引っ張りながらミリアーナの家へと向かおうとする。襟を引っ張っているがために首が絞まっているのだが、苦しくて何も言えないディーティニアと、それに気づいていながら引っ張るキョウの姿を見送った《コーネル》の五人は、二人の姿が見えなくなってもその場から動けなかった。
一分ほどが経ち、ようやく激しく息を乱した全員が地面に座り込む。
誰も何も言わない。
喉が異常なほどに渇いて言葉を話すことができなかった。
さらに一分が過ぎて、呼吸がおさまりつつあった頃になって漸く赤髪の槍使いが、引き攣った表情で呟く。
「は、はははは……なんなんだ、ありゃ……」
他の四人は沈黙する。
なんと答えればいいのか咄嗟に言葉に出すことができない。
キョウは基本的に自分の気配を抑えていたから《コーネル》のメンバーでは強さを計ることができなかったが、ディーティニアはそんなつもりはさらさらない。何の遠慮もしない、大魔法力による威圧。それに耐え切れるほどの力量は今この場にいる人間には存在してなかった。いや、そもそも幻想大陸を探しまわってもどれだけ見つけることができるかといったレベルの話だ。そこまで桁外れのディーティニアの重圧が支配していたこの空間で普段通りだったキョウが、《コーネル》からしてみれば異常に映るのも当然のことだ。
「……わから、ない。だが、あれで無名などとは、ありえるのか……?」
カラムートが呼吸を必死で整えようとしているが、なかなか戻らない。
心臓が激しく波打っており、今にも破裂しんばかりだ。
「……あ、あの……ライラさん。あの少女、一体どれほどの魔法使いなんですか?」
「……」
バーンが、ライラと呼んだ顔をフードで隠している魔法使いは沈黙で返す。
返答するつもりが無いのではなく、単純に彼女も呼吸が乱れすぎていて、出来ないだけである。
やがて全員の呼吸が落ち着いてきた頃を見計らって―――ライラがやや躊躇うように口を開いた。
「私では、わからない。だけど……もしかしたらお師匠様よりも、上かも……」
「お、おい!? まじかよ!? あの天雷の魔女よりも、上ってありえるのか!?」
愕然と叫んだのは、赤髪の槍使い。
彼が叫んだおかげで、他の三人は叫ばずにいられたのかもしれない。
それほどまでにライラが語ったことは信じがたい話なのだから。
大陸に五人しかいない魔女の名を冠する大魔法使い達。
全員がエルフであり、遥か太古から幻想大陸を見守ってきた。
ライラの師匠―――それは、その五人の魔女の一人。
幻想大陸の人類が有する最強戦力の一人。
第二級探求者。ハイエルフ―――天雷の魔女アトリ。
単騎にて、第三級危険生物に属する将軍級魔族さえも退けることができる魔法使い。
そんな天雷の魔女より上かもしれないという評価を下したのだ。
有り得ない……この場にいる誰もがそう思った。だが、今の今まで感じていた気配は、それに納得してしまいそうになるほどのものだ。
空恐ろしい空気が周囲を包む。暑い筈の日差しが、冷たく感じる。
誰も動こうとしなかったためギルド《コーネル》のメンバーが村長の家まで行くのに、暫しの時間がかかることになるのだった。
まさか自分達が原因で、ギルド《コーネル》がそんな事になっているとは知らずに、キョウとディーティニアは出発の準備を行っていた。
ミリアーナは、まだ泊まっていってほしそうにしていたが、キョウが言ったとおり探求者が派遣されるまでの約束であったため泣く泣く諦めたようだ。
荷物は昨日のうちに既に用意してあったのですぐ準備を終えた二人は、先に村長のもとへと挨拶に向かう。
探求者がきたということで、心持ち表情に余裕ができたのか、先日までは見られなかった笑顔を向けてくれた。
「貴方達にはお世話になりました。このご恩は決して忘れませんので、また近くを通った時には是非いらっしゃってください」
「ええ、その時は宜しくお願いします」
本当かよっと反射的に突っ込みたくなる社交辞令を述べた村長に別れを告げ、村の入り口へと向かう。
すると入り口へと向かう途中で《コーネル》のメンバーと鉢合わせをする。キョウ達の姿を見た途端、ビクっとこれ以上ないほどに慌てる姿を見て、申し訳ないと思いつつ素通りした。
村の入り口にはたった三人の見送りしかいないのが少し寂しくもあったが、それも仕方ないとキョウ達は割り切る。
ミリアーナとミリス。そしてガイウスの三人だ。この三人とだけはそれなりに仲良く過ごせれた自信が―――キョウには少しだけあった。ガイウスの手には二匹の馬の手綱が握られていて、それをキョウとディーティニアに押し付けてくる。
「村を救ってくれた餞別だ。持っていってくれ」
「いや、有り難いんですが……いいんですか? 安い代物ではないでしょうし」
「なに、構わんよ。うちの嫁さんの命に比べたら安いものだ」
男前の台詞を発し、ニヤリと笑う。感謝を述べつつ、譲り受けた馬を見てみる。
毛並みや肉付きも良く、落ち着いている見た感じなかなかの良馬であったが、ディーティニアが何故かそわそわと落ち着きをなくしている。それは馬を見てからであり、一体どうしたのかと暫し考えるが―――まさかという理由に思い当たった。
「まさか、ディーテ。お前馬に乗れないのか?」
「……」
ばつがわるそうに視線を地面に向ける。
大陸中を旅して回っていたのだから馬くらいのれるのではと思っていたが、そうではないらしい。
良く考えなくても、ディーティニアの身長では乗馬は確かに難しいかもしれないと今更ながらに思い当たった。
キョウの予想が悪い意味で当たってしまい、どうしたものかと考えていたが、もうこれしかないという結論に達する。
「あー、ガイウスさん。一頭だけ頂いても宜しいですか?」
「ん、まぁ、お嬢ちゃんも乗れないみたいだし、しかたねぇか」
キョウとディーティニアのやり取りで、馬に乗れないと気づいたガイウスも仕方ないという風に苦笑いで馬を一頭返して貰った。折角渡したというのに返してもらってやや気恥ずかしそうにしている。
キョウは左手で手綱をしっかりと引き、タテガミを掴む。
左足を上げ鐙に引っ掛けると、自由な右手を鞍にかけて右足で地面を蹴りつけた。右足を大きく上げ馬体を跨ぎ、鞍に跨る。見本のように美しく乗ったキョウが、ディーティニアに向けてチョイチョイっと手招きをする。近寄ってきたディーティニアの手を掴むと、ひょいっと軽く持ち上げた。見かけ同様に、体重も少ないらしい。
「ぉ、ぉぉぉお!?」
キョウの前に跨る形となったディーティニアは、自分の身長が高くなった錯覚を覚え、なにやら感動している。
二人乗りは馬に負担をかけることになってしまうが、あまり酷使させなければ大丈夫だろうと判断して、ポンポンと馬の尻を優しく叩いた。
「あの……キョウさんとディーテさん、短い間でしたけど有難うございました!! 本当に楽しかったです!!」
「私も、その……楽しかったです。キョウさん……また来てください」
最後の最後まで元気一杯の笑顔のミリアーナが、村中に聞こえるのではという大声で感謝を述べた。
対してミリスも恐る恐るだが、礼を告げる。最初は怖がられていたが―――今もかもしれないが―――少しは慣れてくれたのかとなんともいえない気持ちになる。
「いや、二人には世話になった。また近くに来た時は宜しく頼んでもいいかな」
「はい。何時でも来てくださいね、待ってますから!!」
最初から最後まで慕ってくれたのは結局ミリアーナただ一人。
人懐っこい子犬みたいなイメージの彼女に苦笑する。
「ああ、ミリアーナ。俺とディーテからのお礼をキミの家の納屋に置いておいた。キミは多分近い将来に探求者として名を馳せるだろう。その時にそれを鍛えて愛用の武器にするといい」
「え? あ、はい。有難うございます」
キョウの突然の言葉に、ミリアーナが頭を下げる。
一体何だろうと首を捻った彼女に優しい視線を向け―――馬を走らせた。
徐々に遠ざかっていく三人の別れの声。速くも無く遅くもない速度で二人は向かう―――西へと。
「鬼が出るか、蛇がでるか……期待させてもらうとするか」
「……さて、どちらともいえんが。どちらが出ても蹴散らすのみじゃよ」
ミリアーナ達と話していた時のキョウとは思えないほどに冷たい表情となり、馬で駆ける。
ディーティニアもまた、自分が背中を預けている男の温もりを感じながら、楽しそうに微笑んだ。