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幻想大陸  作者: しるうぃっしゅ
二部 北大陸編
14/106

十三章  ミリアーナ




 キョウとディーティニアがコーネル村に到着した翌日。

 陽が昇る前の時間に眼を覚ましたキョウは、一人森の中で剣を振っていた。

 村の中でするのが一番手っ取り早かったのだが、その光景を見られてまた脅えられても困るという判断から、人目につかない場所を探し、この場所に落ち着いたのだ。


 念のため昨日斬った巨人種の屍骸を見に行ったところ、見事に骨だけになっていた。夜の間に他の肉食動物やら危険生物に後始末をされてしまっていたのは、考えてみればそれも当たり前のことだ。

 この巨人種らしき生物の特徴をディ-ティニアに伝えた所、サイクロプスと同じく第七級危険生物の下位巨人種に属する【グレゴリ】という名前の怪物らしいことがわかった。

 一応は第七級危険生物らしいが、それはカメレオンのように限定的ではあるが、体色を変化させることが出来るからだという。あくまでも限定的であり、基本的には黒色か緑の二色だけである。だが、夜の闇に紛れたり、木々に隠れたりする分には脅威である。そのため、戦闘能力という点ではサイクロプスには遥かに及ばないが、第七級危険生物に属しているというわけだ。


 この巨人種が村を監視していたことはまだ知らせていない。

 下手に騒ぎ立てて不安がらせることも無いと判断したためだ。勿論報告をしないわけにもいかないので、午前中にでも村長のところに行かねばならないと考えると、少々面倒くさいのが本音だ。

 

 二人の正直な考えを言うと、キョウとディーティニアの意見として、自分達がこの村に居る限りは襲撃はないということで一致していた。

 この村を監視していたグレゴリは二体。そのうちの片方は逃亡したか、別の仲間に報告しにいったかのどちらかの行動を起こしている。二人の意見としては逃亡はないと踏んでいた。もし逃亡したのならば、一体だけいなくなるのは少々不自然だからだ。二体とも姿を消すのが普通ではないかと判断したわけだ。もしその予想が外れて本当に逃亡したのだとしても、自分達のような圧倒的な強者の姿を見た以上、キョウ達がここにいる限り村を襲ってはこない。

 

 そういった理由で可能性が高いのはグレゴリは逃亡したのではなく、どこかにいる仲間―――彼らを纏め上げているリーダー的存在に報告しにいったと考えるほうが無難だと考えている。

 それが中位巨人種なのか高位巨人種なのか、それとも別の何か(・・)なのかわからないが、そのリーダーの下まで報告しにいき、配下を纏めて再びコーネル村までやってくるのは暫く時間がかかるはずだ。ましてや、どんな種族でも高位種ともなれば強さと同様に慎重さも兼ねそろえている。サイクロプス三体を十数秒で屠った人間がいるときけば慎重にならざるを得ない。そして、配下をまとめあげ攻め入ろうとしても、まずはグレゴリで村の様子を偵察させるだろう。昨日の段階でもそうさせている以上、相当に用心深い相手なのがはっきりと理解できる。そんな相手であるからこそ、キョウ達がいるとすれば手は出してこない可能性が高い。二人を確認すれば、自分が勝てないと理解してしまうからだ。


 もちろん、この二人の考えは全くの見当違いの場合もあるのだが、その時はその時だと二人して納得している。

 例えどれだけの危険生物が来たとしても、返り討ちにできる自信があるからだ。その結果村人に被害が出たとしても、それは仕方の無いことだと割り切っている。


「む……どうも、集中しきれていないな」


 様々なことを考えていたキョウは、独りごちると刀を鞘に納めた。

 これ以上鍛錬を継続しても意味はないと判断したためだ。傍の木の枝にかけておいた手拭いを取ると汗をふき取る。

 空を見上げれば、頭上を覆う木々の合間から太陽がのぼりつつある時間になっていた。

 集中しきれていなかったとはいえどうやらある程度の時間を過ごしていたことに気づき、村に帰るかと足を向ける。村にはディーティニアがいるので心配は無いが、あまり留守にするのも村人に不安を与えると考えたためだ。

 その時、森の奥から動物らしき生き物の雄叫びが聞こえた。小さかったそれは、徐々に大きくなっていく。しかも、キョウの方角へ向けて近づいてきていた。

 

「―――プゥギャァァァァァ!!」


 がさっと真正面の茂みが揺れる。

 そこから飛び出してきたのは体長一メートル超の猪に見える生物だった。外見は猪そのものだが、鼻の横からはえる牙が大きく肥大化しており、十分人を刺し殺せる大きさのモノだ。よく見れば身体のあちらこちらに矢のようなものが突き刺さって。そこから血が流れ出していた。それが原因か血走った眼で、猪は雄叫びをあげながらキョウに向かって突撃。大地を駆ける激しい音が森中に響く。


「もー!! まちなさいよー!!」


 ついで同じ茂みから飛び出してきたのはミリアーナであった。両手に小さな弓と矢を携えて、走りにくい森の中であるにもかかわらず、全速で走っていた。腰元には鞘に納まったショートソード。猪を追っている視線の先に、キョウがいるのに気づき、あっと声をあげた。


「キョ、キョウさん!? どうしてここに―――って、そんな場合じゃなかった!! 危ないですから逃げてくださいー!!」

「ん、ああ。こいつを捕まえればいいんだな?」

「え、ええ!? そ、そうですけ―――」


 ミリアーナが最後まで言う前に猪はキョウへと牙を向けて突撃した。

 対してキョウは刀を抜くでもなく、迫ってくる猪へと一歩を踏み出す。悲鳴を上げそうになったミリアーナの想像を覆し、猪とキョウが重なり合った瞬間―――猪の巨体が宙に舞った。眼を白黒とさせた猪は、宙で四肢をばたつかせるも、すぐに地面へと頭から叩きつけられる。ズシンと地面に頭をめり込ませ、猪は一本の塔のように天に向けて立っていたのだが、やがてふらふらと大地へ横倒れピクピクと痙攣し始めた。


「え、えっと……す、凄いです!? 今なにをしたんですか!?」


 目の前で起きたことが信じられない様子で、ミリアーナが駆け寄ってくる。

 

「気合だ」

「き、気合ですか……」


 力の流れを操作するという技術。以前教えてもらったのだが、キョウ自身も感覚的にしか理解できていないため、ミリアーナに上手く説明できる自信がなかった。そのため気合という一言で片してしまった。


「わかりました!! 私も今日から気合で頑張ります!!」


 ぐっと両の拳を握り締め、笑顔で奮起するミリアーナを見て、やはり心配になるキョウ。その笑顔はキョウへ対する疑いが微塵もない。

 こんな辺境に住んでいるからここまで純粋なのだろうか、と。街にでたら絶対に悪い人間に騙されてしまいそうだ。

   

「あ、そうだ。ちょっと失礼しますね」


 ミリアーナは矢を背の筒に戻すと、ショートソードを手に取り猪へと近づいていく。

 そして、何の躊躇いも無く猪の胸―――前足のほんの少し後ろのあたりに突き刺した。突き刺した瞬間、そこから一気に血が噴出してくる。勢いがよい血がショートソードはおろか、ミリアーナの手まで赤く濡らしていく。暫くそのままでいると、血が流れきったのか、出血が収まっていく。痙攣していた猪の動きも鈍くなっていく、完全に生命活動を停止した。


 一切の躊躇もなく命を奪ったミリアーナが、頬に飛んできた数滴の血を手の甲で拭う。鉄臭い匂いがこの場にいる二人の鼻をくすぐった。十七歳という若さでここまで命を容易く刈り取れる手腕にキョウは少し感心する。


「えっと、その……キョウさん、凄く申し訳ないんですが。村まで運ぶのを手伝って貰えませんか?」

「ああ、構わない。流石にそれを一人では無理だろうし」

「有難うございます!!」


 にこりと太陽のような笑みでお礼を返すミリアーナ。そんな彼女の足下には、心臓を一突きされた猪が横たわっているのが少々シュールかもしれない。

 キョウが前足を持ち、ミリアーナが後ろ足を持つ。持ち上げると、手に加えられる重み。キョウは兎も角細身のミリアーナでさえも不平不満も言わず運ぶ姿に素直に感心できる。


「先ほどの心臓への一突きは、見事だった。手慣れているのか?」

「―――っえ!?」


 まさか褒められるとは思っていなかったミリアーナが素っ頓狂な声をあげる。

 言われた言葉は耳から入ったのだが、脳が理解をしていないという。

 あわわっとパニックに陥りそうな彼女だったが、深呼吸を繰り返し落ち着こうと努力する。何度か呼吸を繰り返して、漸く落ち着いたミリアーナは、恥ずかしそうに俯きながらも小さく頷いた。


「はい……その、本当は狩猟は男性のお仕事なんですけど……私にはこれくらいしか出来ないので」


 ミリアーナが狩猟を職としているのには理由がある。

 彼女の両親は少し前に亡くなっていて、多くの農地は残されていたのだが、残されたミリアーナとミリスではその土地の全てを世話することは出来ない。かといって、放置してしまうと荒れてしまい他の村人達に迷惑をかける。そのため、農地の殆どを村人達に譲り渡したのだ。

 それを知った兄が毎月生活費を送ってはくる。さらに基本的に助け合いの精神を持つコーネル村は、ミリアーナ達にも十分な支援をしていた。だが、それに甘えて何もしないというわけにはいかない。そのため彼女は磨いてきた剣の腕を活かして、森の中に潜む危険生物を狩ったりしていたのだ。今では村の誰よりも上手い狩人だと認められているくらいである。

 外見はこんな辺境にいるとは思えないほどの美少女。街に出てもそれなりに眼を引く容姿であることは間違いない。そんなミリアーナが森を駆け抜ける姿を見ている村人達には、もう少しお淑やかになってほしいと常々言われているのだが―――なかなかにそうはいかないのが現状だ。


「やっぱり、変ですか? その―――私みたいな小娘が、こんなことをしているのって」

「そうだな。確かに変わっていると言えば変わっている」

「で、ですよねぇ……」


 あっさりと肯定されたミリアーナが、笑顔から一転。

 人生のどん底を経験したかのように落ち込み始めた。まさかこうまで躊躇い無く肯定されるとは思っていなかったのだろう。村人たちでさえオブラートに包んだ言い方をしてきたというのに。 ショックを隠しきれずに、肩を落とすミリアーナを不憫に感じたわけではなかったが、キョウは言葉を続けた。


「それでも自分のできることを全力でやっている姿を、俺は好ましいとは思う」

「―――っ!!」



 その言葉で、パァっと暗くなっていたミリアーナの表情が花が咲くような笑顔となる。

 暗くなったり明るくなったり忙しい子だと内心で思いながら、スキップでもしだしそうなほどテンションが高くなっているミリアーナと一緒に猪を運んでいると、少しずつ木々が薄くなっていき、やがて村の二つある入り口の一つに到着した。

 森側の入り口の近くには今から狩りに出かけるであろう男達が数名、弓矢やら鉈やら様々な武器を持ち、村から出てきたところだった。

 キョウとミリアーナが抱えている猪を見ると、全員がおおっと目を丸くする。


「今日は大物だな、ミリア。その兄さんにも手伝って貰ったのか?」

「お早うございます、ガイウスさん。恥ずかしながら逃げられそうになったところをキョウさんに仕留めてもらったんです」


 あははーと笑いながら自分の失敗を語っているミリアーナの頭をくしゃりと撫でるのは、この場にいる男達でもっとも年配の男性―――ガイウスだった。村長よりも少々年上に見えるが、キョウよりも身長が高い。百九十を超える大男で、太い腕周り。服で隠されていない箇所には幾つも傷が見えていた。髪も短く、男臭い笑みが相手に良い印象を与える―――そんな男だ。


「ああ、話には聞いている。あんたが村を救ってくれたんだって? 昨日は俺も遠出していてお礼の挨拶が遅れちまって申し訳なかった。本当に感謝してる」

「いえ。偶々通りがかっただけですから」

「それでも、だ。その偶々がなかったら俺は一生悔やんでも悔やみきれないところだった。あんたには感謝の言葉もない。俺に出来ることがあったら何でも言ってくれ。できることならなんでもする……っと、そういえば名前をまだ名乗ってなかったな、俺はガイウスだ」


 何の迷いも無く片手を出してきたガイウスにつられて、キョウもその手を握り返す。

 ゴツゴツとした男らしい手と、こちらに向けてくる笑みに好感を抱けた。


「俺はキョウと呼んでください。敬称や敬語はいりません」

「そうか、俺としては助かるが。そういえば暫くこの村に居てくれるんだよな? 困ったことがあったらウチにきてくれ。家の場所はミリアが知ってるからよ」

  

 話している最中に、ガイウスの背後にいた若者の一人が上着の裾を引っ張る。

 

「ガイウスさんそろそろ出発しないと……」

「おお、そうだな。それじゃ、またな。二人とも」


 ガイウス以外は、キョウへ対する脅えを感じていた。恐らくは彼らは昨日村の惨劇を生き延びた連中なのだろう。

 サイクロプスの脅威を知って、それを超える力を持つキョウへ対する恐怖が隠しきれていなかった。

 しかし、それ以外にも他の感情が感じられる。敵意や妬みといった、恐怖とはまた違った感情を向けられ、首を捻る。 


「いってらっしゃーい。皆気をつけてね!!」

「お気をつけて」


 元気一杯に森へ入っていく男達を見送るミリアーナに、笑顔を返す男達を見てキョウは悟った。

 ガイウス以外は全員が若い男だ。二十手前から二十を少し超えた程度の年齢の者達ばかりだが、彼らの視線には隠しようの無いミリアーナへの好意が向けられていたのだ。


 手を振っているミリアーナを改めて観察する。

 なるほど、確かに彼らの気持ちもわかった。綺麗な髪をしているし、可愛らしい顔立ちだ。狩りに出ている割には肌に傷も無く、天真爛漫な明るさも持っている。これだけの好条件がそろった女性ならば、同じ村に住んでいる以上、多少なりとも好意を抱くのが当然だ。そんな彼女の家に、泊まりこんでいる男―――キョウに対して良い感情を持てるはずも無い。


 気持ちよく泊めて貰えたからといって、もう少し考えればよかったかと少し後悔するも、別にいいかと気持ちをあっさりと切り替えた。間違いを犯したら問題だが、特にそう言った状況に陥るわけもない。変に気にする方が面倒なことになる筈だ。

 

「え、えっと……どうかしましたか?」

「ん……いや、何でもない」


 キョウがじっと自分の顔を見ていたことに気づいたミリアーナが、照れたように俯く。

 それに答えて、キョウは村の中へと足を進めて行った。慌ててそれを追ってミリアーナも歩き出す。二人で一匹の猪を抱えているため、相手の歩調に合わせねば転んでしまう。

 途中何人かの村人に声をかけられたが、それは皆ミリアーナに対してであり、キョウには恐る恐るといった挨拶がとんで来る。ここまで怖れられるのも久々だと、少しだけ外界(アナザー)を懐かしんだ。幻想大陸へ着てからは、ディーティニアとずっと行動を共にしていたため、人に怖れられるということを忘れかけていた。それを考えれば、ディーティニアとの旅は新鮮で興味深いものともいえる。


「あ、すみません。こっちにお願いできますか?」

「ああ、分かった」


 ミリアーナの先導で、家の横にある空き家に猪を運び込む。

 空き家の中はそこまで広くなく、十畳程度の大きさだった、隅のほうには農作業に使っていた器具が置かれている。それ以外にも様々な物が所狭しと見受けられた。

 ミリアーナは傍に置いてあった桶を持って外に出ると、水を汲んですぐに帰ってくる。

 

 ショートソードを抜くと、上向きになっている猪の腹に切り込みを入れた。既に血抜きはしているので、切った箇所から血が溢れ出ることはない。腹を大きく裂くと、中から内臓を取り出していく。肉に張り付いている内臓もあるが、それは器用に肉ごと上手く切り取っていった。

 内臓を全て取り出すと、空いている桶にわけて入れる。肛門や腸の部分とそれ以外というわけかたをしているのだろう。ぽっかりと空いた猪の腹に、桶の水を掬ってかけることを何度か繰り返す。内部に残っていた血を綺麗に洗い流すと、部屋の隅にぽっかりと底が浅い穴まで持って行き、その穴に落とした。


「……ふぅ。後はこの穴に冷水を入れて、一晩くらい冷やせば大丈夫です」


 手早く猪の解体を済ませ、満面の笑顔を送ってくるミリアーナに対して少しだけ戦慄が走る。

 ここまで容易くかつ躊躇い無く生き物を解体できる女性もなかなかいないだろう、と。可愛らしい外見とは真逆で、意外と野生児溢れる内面のようだ。流石は幼い頃から剣の腕を磨いてきただけはあると、心の中で称賛を送った。


「結構な回数井戸を往復することになるだろうし、俺も手伝わせてくれ」

「え、いえ。キョウさんはお客様ですし……その、悪いです」


 キョウの予想通り、断ってきたミリアーナを無視して空の桶を両手に持つと、納屋から外に出る。

 井戸はどこだと周囲を見渡していると、慌ててミリアーナが飛び出してきた。何かを言おうとするも、ミリアーナは無駄だと感じて、その代わりに頭を下げる。


「すみません、キョウさん。助かります」

「暫く世話になるんだし、こちらとしても何かしら手伝わせて貰ったほうが気兼ねなく泊まらせて貰える。だから、何かあったら言ってくれ」 

「はい!!」


 それで井戸はどっちだと聞くと、ミリアーナが村の中心の方へと歩いて行く。

 すると一分もしないうちに目的の井戸を発見するも、その周囲で話し込んでいた年配の女性達が、近づいてくるキョウに気づき頬を引き攣らせた。震える声で挨拶だけを残し、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。


「あ、あの……申し訳ないです。その、皆さんも悪気があってこんなことをしているわけじゃないんです……」

「ああ。気にしていないから大丈夫だ」


 心底申し訳なさそうに謝って来るミリアーナに、一言述べる。

 実際気にしていないのだが、ミリアーナはそうは捉えていないようで、沈痛な面持ちで井戸から水を組み上げていく。

 こういったとき何かしら上手くフォローできたらいいのだが、キョウにそこまで求めるのは酷だろう。 


 桶を水で満たし、納屋と井戸を何度か往復すると、猪を冷やせるだけの水量が溜まっていた。

 一仕事を終えた二人は、そこに蓋をしてから家へと戻る。扉を開ければ、眼をこすりながら廊下から土間に出てきたミリスと鉢合わせた。起きたばかりなのか、眠たげに眼を指でこすり、欠伸をしている姿だった。そんな姿を、丁度二人に見られて彫像のように固まる。微妙な雰囲気が流れる中で、ミリアーナがミリスに近づき、パシンっと額を軽くたたく。


「も、もう、ミリスってば。お客様の前でそんな格好を見せないの!!」

「う……ご、ごめんなさい」


 恥ずかしさと、額に浴びた衝撃で、眼を完全に覚ましたミリスが顔を隠しながら、炊事場に置いてある水瓶にそそくさと移動した。蓋をあけて、中に入っている水を掬い顔を洗う。パシャパシャっと水音を響かせながら、顔を洗ったミリスは傍にあった手拭いで濡れた顔を拭う。


 一体何度目になるかわからないが、ミリアーナが申し訳なさそうにしているのを見て、また謝罪が飛び出すと予想したキョウが先に首を横に振った。


「この家に住んでいるキミ達への配慮が俺も足りていなかった。出来るだけ気をつけるから、今回は許してくれ」

「え? あ……はい」


 先手を打たれ謝罪されたミリアーナは、キョウの言葉の勢いに飲まれ、反射的にそれを受け入れてしまった。どこか納得いっていない彼女を置いて、キョウはディーティニアを起こしに部屋へと向かう。

 現在お世話になっているこの家は、そこまで大きくはないが、既に亡くなっている両親含め子供三人で暮らしていただけに、部屋数は多めであるようだった。といっても、土間から抜けた先に扉が四つ。一番奥が風呂場へと通じる扉である。その手前にある三つの扉のうち、風呂場の横が物置となっている。

 その横がミリアーナとミリスが寝る部屋であり、一番手前の部屋―――つまり土間に近い扉が、亡き両親が使用していた部屋に繋がっているというわけだ。今は空き部屋となっており、キョウとディーティニアは昨日は二人でそこを使用させて貰った。

 本当はディーティニアも、ミリアーナ達の部屋で一緒に寝るかどうか聞かれたのだがそれを断って、キョウと二人で一部屋を使うことにした。別段たいした理由でもないが、できるだけ内密の話をしたい時はその方が便利だと考えたためである。


 現在自分たちが使用している部屋の扉をあけ、中を見渡す。

 田舎の村らしく、手狭な広さだ。泊まらせて貰っている以上失礼なことは言えないのだが、キョウの感想としてはそうとしか言えない。


 部屋の隅にはベッドが二つ。粗末といってもいいできの、年季が入った木造の品だ。

 そのベッドの奥の方に、ディーティニアが布団を丸く抱きしめるように寝ている。流石にトレードマークともいえる三角帽子は脱いでおり、ベッドの横に杖にひっかけるようにして置いていた。


 すぅすぅと寝息が聞こえる。眼を瞑り、静かに呼吸を繰り返す姿は、眠っているお姫様にも見えなくは無い。

 誰もが見惚れるような可愛らしさを放ってはいるが、キョウは疲れたようにため息一つ。


「おーい、もう朝だぞ。そろそろ起きろ」

「……うにぅ……」


 肩に手を置き、まずは軽く揺さぶった。

 反応は薄いが、それくらいは予想済みである。

 半月近くも一緒に旅をした身として気づいたことだが、ディーティニアは朝が異常に弱い。放っておいたら昼過ぎまで平然と寝ている。最初の頃はあまりの起きなさに、両手と背中が荷物で塞がれていたため、腹にくくりつけて有袋類みたいに移動したこともあったくらいだ。

 しかし、そんな状態でも敵意には敏感のため、危険生物が近づいてきた時は一瞬で眼を覚まし、普段通りの姿になるのだから驚けばいいのか呆れればいいのか、悩む所である。


 今度は大きく揺さぶってみるが、眼を覚ます様子は見られない。

 久々のベッドで寝れているのというのが大きいのだろう。当分これは無理だなと考えたキョウは、大人しくディーティニアの隣のベッドに腰をおろす。

 彼女が眼を覚ますまでとりあえず横にいようと決めたキョウだったが、一時間ほどして我慢できなくなり、ベッドから放り出した。だが、床に転がりながらも眼を覚まさないディーティニアを、少しだけ凄いと思ったキョウであった。

 



 




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