No.21 もう一度キミに
ナオ、もう一度キミに逢いたい――。
ナオの事を語るのに、僕が何者か、なんてのは関係ない。ただ、ほんの少し彼女の事を世間で騒がれるより知っているだけだ。
ナオは昔から夢と理想が高くって。そしてこっちが呆れる位の自信過剰。それに伴う才気に溢れていたから、誰もが彼女のそれを煙たがらずに何処か一目置いていた。
『あたしはこんな田舎でくすぶって終わる器じゃないんだよ』
それがナオの口癖だった。そこそこに金持ちの家に生まれて、何不自由ない生活をしている癖に、なんて、正直あの頃の僕は、彼女の恵まれた環境に嫉妬していた。いろんな事に興味を持ってチャレンジ出来るのは、キミ自身の力じゃないだろう、なんてね。その頃ナオが関心を持っていた夢と僕のそれが一緒だったものだから、そして丁度思春期の頃でもあったから、後からスタートを切った癖に、どんどん僕を追い越して先を行くナオに嫉妬していたんだ。
嫉妬してしまう位、何をやらせても巧くやりこなしていくのが、ナオのナオたる所以だった。
気紛れで子供の心を持ったままのナオ。
互いが大学に進んだ頃には、彼女の夢はバンドから写真へと変わっていた。僕らが男と女の関係になったのも、丁度この頃だったと思う。
デビューが決まって、そのジャケット撮影とやらで写真に興味を持ったナオは、いきなり初テレビ出演をばっくれて、僕のところへ逃げ込んで来た。
『ファインダーから覗く世界って、すごい。別世界。音楽よりこっちの方が、あたしの才能を活かせそう』
なんて子供みたいな理由で、僕のアパートに逃げ込んで来た。僕が喉から手が出るほど切に願ったものを、そんな理由で捨ててしまったんだ。あんなにあっさりと簡単に僕の夢をかっさらった癖に。
組み敷く様な思いで彼女を抱いた。だけど、彼女はそんな僕の黒い思いに気づきもせずに、ただひたすら自分の夢と理想だけを見つめていた。僕の事も、世間の噂も、自分が社会でどういう位置に置かれているのかも、何にも興味がなかったんだ。
憎たらしい位我儘なのに、何処か憎めずサヨナラも言えず。名もなき僕は、ナオが世間を賑わすトップアーティストになってからも、彼女の逃げ場になり続けていた。ずっと『幼馴染』として、彼女の隣にあり続けていた。
「今世紀最初で最後の歌姫」「時代が生んだ音楽神の寵児」「美貌と才能を併せ持つ、才色兼備の天才音楽家」と呼ばれ、それを演じる彼女が、唯一素の『ナオ』でいられる場所は、僕の腕の中だけだと知っていた。
そんな生活だったから、少しだけ僕は勘違いしたんだ。セックスをしても、恋人ではなかったのに、そんな風に勘違いをしていたんだ。
彼女は、罪を犯した。
『サイアク。しくじったなぁ。ねえ、これに署名しておいて』
そう言って彼女が僕に差し出したのは、堕胎に関する父親の署名欄が空白になった紙切れだった。当然僕は断って。罵り合うの中でプロポーズなんて、不自然極まりない修羅場を演じた。あの時の彼女の言葉は、今でも忘れられないでいる。
『あたしは、こんなものなんかの為に、凡人に成り下がる訳にはいかないのよ!』
僕らは愛し合っていたと思っていたんだ。だからこそ、嫉妬のくすぶりもおさまっていったと思うんだ。最低な女だと思った、この時ばかりは。僕らの分身を「こんなもの」と言ったナオを赦せなかったんだ。
だから、僕らは生きる道を異にした。
ナオは「時代の寵児」のままに、生きる道を。
僕は「普通で平凡で、ちょっと貧しい兼業ストリートミュージシャン」の道を。
まだ若かったから、未経験の事を我が事として想像する、ということの大切さを、当時の僕には解らなかったのだ。
過剰な周囲の期待の重さとか、理想と現実のギャップの苦しさとか、想いを巧く言葉に乗せられないからこそ、音とシャウトで表していたのが彼女の本質だったこと、とか。
あの頃は、ただ、本当は父親になれたかも知れないのに、他の男に署名してもらって、何事もなかったみたいに笑っている、モニタの向こうのナオを憎んで暮らしていた。心の中で、ナオの未来を「殺人鬼。どん底に堕ちろ」と呪っていた。
年を重ねて、性格にも丸みを持てる年になり、僕は完全に音楽の道を諦めた。若い頃のつけが回って、派遣の肉体労働程度でしか働けないが、自分ひとりが生きていく分には、ぎりぎりどうにか凌いでいけた。
その頃には、電気街のテレビでナオを見ても、憎悪の泡が弾ける事もなくなっていた。
子供の頃から解っていたことじゃないか。
彼女は、大人になりたくなかっただけ。あの純粋な心が、才能を表現させてくれている。音楽にしても、写真にしても。
以前より露出が少なくなったナオは、作曲の傍らでアマチュアカメラマンとしての活動もしていた。まだ一緒に暮らしていた頃に彼女が知り合った、とある女優と一緒に海外への撮影にも同行して作品を生み出している様だ。
食うための音楽、夢としての写真。そんな感じが僕には解った。音楽の質が変わって来た。昔のピュアで独創的なキレが鈍って来ている。一方写真の方は、非常に彼女らしいと好感を持った。人の心の奥底まで打つ様な、生の人間の表情を映し出す。「おばかキャラ」で有名なアイドルタレントの知的な横顔。誰もが見過ごしてしまうに違いない、ゴミ箱から悲しげにはみ出た雑誌のよれた哀愁の欠片。――数年後の写真集は、戦火に怯える子供達ばかりを写した作品が爆発的に売れていた。まるで、自分の過去の罪を償う様に、子供の写真を撮っていた。
夢と理想ばかりを追い掛けて、世間に疎いナオの傍を、僕は離れるべきじゃなかったのだ。今頃気づいても遅過ぎるのだが。
懲りもせず、彼女はまた、罪を犯した。有り余る金にモノを言わせたのか、激戦区に不法入国をして囚われた。それがその国の政府機関なら、馬鹿な奴だ、相変わらず、とやり過ごしていたかも知れない。だけどナオを捕らえた奴は、その国の反政府組織のテロリスト達だった。ネットで調べたら、強硬派らしい。解らない言語だけれど、彼らのウェブサイトも見つけ、彼女の拘束された映像も公開されていて……。
背筋が凍った。なんてものではないのだが、凡人の僕には、ほかに巧い表現が見つからない。
殴打で腫れ上がった顔の彼女の瞳は、それでも暴力に屈しない強い瞳を保っていた。
日本語で、言い放っていた。
『日本政府、あたしを助けなさい。こんな暴力がまかり通っているこの国を助ける為にも、あたしを助けなさいよ。あたしがこの国の現実を伝えなきゃ、誰が伝えるっていうのよ』
暫くの時間を置いて、彼女の背を思い切りテロリストと思しき男の足が蹴り飛ばす。彼女が勢いよく前方に倒れ、彼女の映像からテロリストの翻訳不可能な言葉に切り替わった。ブラウザを閉じたのは、聞いても解らないから意味がない、という理由からだけではないと思う。
世論は、ナオへの糾弾の嵐だった。
あれだけ「時代の寵児」「歌姫」「平和を唱える伝導士」と、音楽の面でも写真の面でも取り上げていたマスコミが、今では街頭インタビューで統計を取ってまで、彼女の愚行を糾弾している。
個人の我儘の為に、血税を使うなんて言語道断、と世間をマスコミが煽っている。
かつて世論がもてはやしたとおり、ナオは時代が生んだ寵児だから。金なんてもの、あいつなら後でいつでも返せる。否、返す奴なのだ。不器用な位にプライドの高い子供だから、妥協する事なんて出来ない。人に借りを作ったままなんて事が出来ない奴だ。
彼女の傲慢な口調から、何故それを推測出来ないのだろう?
――結局、他人だからなのだろうか。でも、それなら僕も世間と一緒だ。今のナオの事なんて解らないし、かつてのナオよりもっとずっと変化しているのだろうし。
日本にいるのが苦痛になった。親を拝み倒して、彼女が捕らえられた国の隣国に飛んだ。
心の支えにと持ち込んだのは、ナオの写真集と、一緒に暮らしていた頃、彼女がコピーしてくれた一枚の写真。
『ねえ、見て。あたし達が住んでいる地球って、本当はこんなに綺麗なんだよ』
それは、例のとある女優がコピーしてくれたという写真であり、彼女とナオが、平和を訴える活動を始めるきっかけとなった「地球」の写真だった。
『平和な場所で百の御託を並べるよりも、動かなくちゃ何も変わりはしないよね。あんたもさ、どうせ自分は、なんて言ってないで、まずはオーディションを数こなしてみなってば』
あの時の僕は、彼女の言葉が僕に関するのがその一言だけで、後は自分の夢を語るナオに『他人事だと思って』と拗ねていた。
今になって、彼女の言葉が蘇る。
『あたしなら、広めていけるかも知れない。皆があたしを時代の寵児と呼んで注目してるから』
『あたしじゃなきゃ出来ないじゃない。ほかに誰がやるっていうのよ』
『彼女は駄目よ。顔が売りの女優なんだから、下手に激戦区なんかに行って傷でも作ったら、仕事ほされちゃうでしょう?』
聞き流すんじゃなく、諭せばよかった。夢と理想に向かって暴走する彼女に、大人の部分を併せ持っても、子供の心で寵児のままであり続けることも出来るんだ、という事を。
僕は、探す。彼女の心の欠片を探す。彼女の才気には遥か及ばないけれど、志半ばで砕け散った彼女に代わって、ピュアなメッセージを伝え続ける。
彼女の様に、罪を犯す形を取らずに伝えることが出来る、とナオに証明してみせる。
今なら解る。僕自身の本当の気持ちも。
愛してる。キミの声も、歌も、曲も、映像も、そしてその子供のままの純粋な心も。失いたくなくて、キミの理想や夢や憧れを憎んだ。僕は、矛盾していたんだ。止めたりサヨナラしたりせず、導いていけばよかったのだ。
今更気づいても遅いけれど……。
幾年月流れてもまだ、心にナオが息づいている。
僕は、少しはキミの理想に貢献出来ているだろうか。戦地の凄まじさを世に訴え、世論を動かせているだろうか。
キミが成し得なかったことを、代わって助ける事が出来ているだろうか。
僕はずっと此処にいる、キミが血の涙を流した場所。キミ自身の背に置かれたキミの瞳は、虚ろながらもはっきりとした意思を秘めていた。
『最後まで見届けろ』
という強い光を放っていた。
キミがそんな最期を遂げた事は、世界的にニュースで取り上げられた。キミがたくさんの大物アーティストに楽曲を提供していたお陰で、彼らが署名運動やデモを行い、あの大国が動いたのだ。
日本のナオを糾弾する動きも、急になりを潜めてしまい、その掌を返す様な世論の動きに、失笑したのが懐かしい。
でも、此処の戦火が「弱まった」だけじゃあ、キミは満足しないだろう。
だから、僕は撮り続ける。キミの瞳の強さをようやく理解したから。キミの夢を受け継ごう。キミには遠く及ばないけれど。
ナオ。
いつかまたキミに巡り逢えるかな。その時は、僕を認めてくれるかい?
キミと同じ夢を見れた僕を、キミはそうと認めてくれるかい?
今はまだ、「終わって」はいないから、無理だろうと思うけれど。
ナオ。もう一度、キミに逢いたい。
今度こそ、きちんと夢を語り合いたい。キミにとっての、僕にとっての『肩書き』なんてどうでもいいから、きちんとキミと向き合いたい。
ナオ、もう一度キミに逢いたい。
その想いを胸に、僕は今日も写真を撮る。
悲しみにくれた子供達の瞳を。
夫を亡くした妻の悲嘆を。
飢えに苦しむ戦争と無関係な人々の心の叫びを、今日も僕は伝え続ける――。