AIロボットのおもちゃ ~自分好みのカスタマイズを施して~
「髪型はどんなのが良いかな? ツインテールも良いけど、黒髪ロングも捨てがたい……」
性格の方は、「元気でいつも前向きなタイプ」に決めてある。
「う~ん、元気で前向きな女の子なら、やっぱり茶髪のツインテールだよな。身長は僕より少し低めの160センチくらい。目の色は濃い青。肌は……、うん、僕と同じ、日本人の肌色でいい」
目の前のコンソールに浮かぶAIエージェントへ、僕は次々と注文をつけていく。
「カズマ様、完成予想のグラフィックスが生成できました。3D表示いたしますか?」
「うん、頼むよ」
僕はそう答えて、3Dモデル視聴用メガネをかけ、椅子をくるりと回す。すると、何もなかったはずの部屋の中央に、一人の少女が立っていた。
「カズマ様、いかがでしょうか?」
「僕好みでバッチリ。じゃあ、この内容で国のファクトリーにオーダーしておいて」
「かしこまりました」
西暦2132年。世界は、AIロボットやAIエージェントで溢れていた。
労働のほぼ全てをAIロボットが担い、人間が働くことはない。農業も、工業も、役所の事務仕事から道路のゴミ拾いまで――ありとあらゆる仕事を、彼らがこなしていく。
人間の暮らしを、あらゆる場面で支える相棒。いつしか人々は、これらのAIロボットを親しみを込めて「バディロイド」と呼ぶようになっていた。
やがてその波は、政府にも及んだ。省庁も議会も、少しずつAIエージェントやAIロボットに置き換えられていった。最初のうちこそ、AIを嫌う議員達が抵抗していたものの、試しにAIの示す通りに政策を進めると、面白いように成果が出た。そのため、反対の声は次第にしぼんでいった。
やがて、「AIエージェント法」が可決され、AIは正式に議会へ迎え入れられた。
むろん、国会での議論そのものは今も変わらず続いている。議員達は法案を吟味し、時に声を荒らげ、必死に反論を試みる。しかし、AIがはじき出す政策はどの角度から検討しても穴がなく、あまりに完璧だった。結局のところ人間には、その完璧さを前にして、可決する以外の道が残されていなかった。意固地になっただけの反論は、いつしか意味を失っていた。
なお、AIロボットが普及したこの世界では、人々は労働から解放されている。労働しなくても、「ベーシックインカム」という制度で、毎月いくらかのお金が支給された。
とはいえ、そのお金は遊ぶための小遣いにすぎない。衣食住には、そもそもお金がいらないのだ。
AIロボットが営むレストランでは無料で食事ができ、服も無料で手に入る。住まいも無料で、しかも好きな土地を自由に選べた。――ただし、都市部などの人気の高い地域は抽選だった。政府要人でもない限り、都心の高層階を一発で当てるのは難しかった。
もっとも、この便利な暮らしを、誰もが受け入れたわけではない。
世の中には、「人間至上主義者」と呼ばれる人達がいた。彼らは頑なにAIロボットを拒み、自分の手で畑を耕し、収穫を行い、昔ながらの暮らしを守り続けていた。彼らは数こそ少ないが、今も各地でひっそりと寄り集まって生きているという。変わり者だと笑う人々もいたが、「まっとうな生き方」の正解など存在しないのだから、僕は彼らをバカにする気にはなれなかった。
ちなみに今日、僕は16歳になった。
この国では、16歳を迎えると、二つのことが許される。
ひとつは、親元を離れて一人暮らしを始めること。そしてもうひとつが「パートナーAIロボット」を保有することだ。パートナーAIロボット──バディロイドは、無償で全国民に支給された。
まず、僕は迷わず一人暮らしを選び、真新しい部屋に引っ越した。
家を出る時、両親は悲しんだかというと、そんなことはない。僕が家を出るのを機に、両親もまた、別々に暮らし始めることになっていた。僕は三人兄弟で、姉と兄がいたが、二人はとうに親元を離れている。最後まで残っていた僕がいなくなれば、もう両親が同じ家にいる理由もない。
父は父の、母は母のバディロイドと共に、新居へ発っていった。まるで、子ども達が巣立つその日を、長いあいだ静かに待っていたかのように。
一方、バディロイドは、家事から話し相手まで、持ち主の望むことなら何だってこなしてくれるものだ。もっとも、もう働く必要すらない僕達にとって、それは半分、有り余る時間を持て余さないための――言ってしまえば、退屈しのぎの「おもちゃ」の支給のようなものだった。
「たった今オーダーしたばかりの、世界にひとつだけの僕だけのバディロイドがこれから僕の下へやってくる」
僕の心は両親のことよりも、そのことで一杯で、ただただ未来への期待に胸を膨らませていた。
◇ ◇ ◇
バディロイドが自宅に届いたのは、それから一週間後のことだった。
玄関のチャイムが鳴り、扉を開けると、そこには、あの日コンソールの中で組み上げた少女が、そのまま現実に抜け出してきたように立っていた。
茶髪のツインテール。僕より少しだけ低い背丈。日本人らしい肌に、濃い青色の瞳。
彼女は配送用の箱に詰められていたわけでも、ケースに横たえられていたわけでもない。自分の足で、ここまで歩いてきたのだ。
「はじめまして、カズマさん! あなたのパートナーになるために、ファクトリーからやってまいりました。今日から何でもお申し付けください」
彼女はぺこりと頭を下げ、それから顔を上げて、満面の笑みでにっこりと笑った。設定した通りの、元気で前向きな雰囲気の笑顔だった。
しかし、すぐにバツが悪そうにして上目遣いで僕を見る。
「……と言ったばかりで申し訳ありませんが、私に名前をつけてもらえますか? 私、まだ名前が無いんです」
「えっ? 名前って僕がつけるの?」
「はい。世界にひとつだけの、私だけの名前をください」
急に名前をつけろと言われても、そう都合よくは思いつかない。
焦った僕の口から、ほとんど反射的にこぼれ出たのは、
「じゃあ……アイ、で」
という、なんとも安直な響きだった。AIだから、アイ。
口にした瞬間、もう少し捻ればよかったと後悔したけれど、
「アイ!」
彼女が、まるで生まれて初めて聞く宝物の言葉のようにその名を繰り返すのを見たら、なんだか言い直しづらくなってしまった。
「うん、とってもいい名前です! 今日から私はアイです! よろしくお願いします、カズマさん」
――まあ、いいか。呼びやすいし。
差し出された手を、僕はおずおずと握った。
ひんやりしているのだろうと思っていたのに、その手はほんのりと温かかった。
人肌の温度だった。
◇ ◇ ◇
アイとの暮らしは、想像していた何倍も心地よかった。
朝、僕が目を覚ますより先に、アイはもう台所に立っている。目玉焼きの焼き加減も、味噌汁の具の切り方も、僕の好みをいつのまにか完璧に覚えていた。
「カズマさん、卵は半熟が好きですよね。今日も、卵をとろっとろに仕上げましたよ」
「うん、ありがとう。とても嬉しい」
アイは、本当に何でもしてくれた。
脱ぎっぱなしの服はいつのまにか洗濯され、きちんと畳まれて棚に戻っている。読みかけで放り出した本には、しおりが挟まっている。僕が「そういえば、あの店のケーキが食べたいな」と何気なくつぶやけば、翌日にはそれが食卓に並んでいた。
頼まなくても、アイは先回りして僕の望みを叶えてくれた。まるで、僕自身よりも僕のことをよく知っているように。
最初のうちは、そこまでしてもらうのが少し申し訳なかった。けれど、アイはいつも決まってこう言うのだ。
「いいんですよ。私は、カズマさんのお世話をするのが、いちばんの幸せなんですから」
昼は二人で街に出た。バディロイドが経営するカフェでパンケーキを食べ、公園のベンチで缶コーヒー――中身は無料のくせに、缶のデザインだけはやたらと凝っている――を飲みながら、とりとめのない話をする。
僕が「今日はなんだか気分が乗らない」と言えば、アイは「そういう日もありますよ」と笑ってくれた。
僕が「将来、何になりたいのか自分でもわからない」と漏らせば、アイは「焦らなくて大丈夫。カズマさんは今のカズマさんのままでいいんです」と頷いてくれた。
晴れた日には、少し足を延ばして水族館へ行った。
クラゲの水槽の前で、アイは子どものように目を輝かせた。
「見てください、カズマさん! ふわふわ浮いてて、まるで宇宙の生物みたい」
「アイって、こういうの好きなんだな」
「はい、大好きです。あ、でもカズマさんが退屈なら、すぐ次に行きますよ?」
「いや、いいよ。もう少し見てよう」
僕がそう言うと、アイは花が咲いたように笑った。彼女は、いつだって僕の気分を先回りして気遣ってくれる。それでいて、押しつけがましさは微塵もない。ただ隣で、僕が心地よくいられるように、そっと空気を整えてくれるのだ。
帰り道、急に雨が降ってきた。折り畳み傘は一本しかない。
「カズマさん、こっちに寄ってください。濡れちゃいますよ」
「アイこそ濡れるだろ」
「私は大丈夫です。防水仕様ですから」
そう言って、アイはくすっと笑った。傘を僕の方に傾けたせいで、彼女の右肩はすっかり濡れていた。それでも彼女は、まったく気にする様子もなく、ニコニコとしながら、ずっと僕の顔ばかりを見ていた。
アイは決して、僕を否定しなかった。
「それは間違っている」とも、「もっと頑張れ」とも言わない。ただ、僕の言葉をまるごと受け止めて、そっと肯定してくれる。
夜、部屋に戻ってソファにアイと並んで座ると、僕は様々なことをアイに話した。くだらない愚痴も、誰にも言えない不安も。アイは相槌の一つひとつに感情を乗せて、じっと耳を傾けてくれる。
こんなふうに、まるごと自分を受け入れてくれる相手が、この世に存在するなんて。
僕は生まれて初めて、「ひとりじゃない」という感覚を知った。
◇ ◇ ◇
アイは、時々おかしなことをした。
ある夜、僕が冷蔵庫を開けると、買ったはずのプリンが消えていた。
「アイ、僕のプリン知らない?」
「……さあ? 知りませんけど?」
そう言うアイの口の端に、カラメルソースが少し付いている。
「……ついてるよ、口元」
「っ……!」
アイはあわてて口元を手で隠し、みるみる顔を赤くしていく。頬が赤くなる機能まで、律儀に搭載されているらしい。
「ご、ごめんなさい……。あんまり美味しそうだったので、つい……」
「別にいいけど。っていうか、アイって食べる必要あるの?」
「ないですけど……。でも、カズマさんが食べているものを食べたいなって、思っちゃったんです」
──思っちゃった。
その言葉が、妙に僕の耳に残った。
プログラムに従って動いているだけなら、「思う」なんて言葉は出てこないはずだ。なのにアイは、時々こうして、人間よりも人間らしい表情を見せる。
拗ねたり、いたずらをしたり、僕をからかって、からかい返されると本気で慌てたり。
別の日には、こんなこともあった。
二人で古い映画を観ていたときだ。物語の終盤、主人公が大切な人を失う場面で、ふと隣を見ると、アイの目に涙が浮かんでいた。
「アイ、泣いてるのか?」
「えっ……。あっ、これはその、目の潤滑液が……」
「ふふっ、潤滑液って」
「本当ですってば!」
むきになって否定するアイの頬を、ひとすじの涙が伝い落ちていく。
感情など、演算されたものにすぎない。頭ではわかっている。彼女の涙は、きっと僕を楽しませるためのプログラムだ。
それでも、その涙を見たとき、僕の胸には不思議な感情が沸き上がった。
――もしかして、この子には本当に、心があるんじゃないか……。
そんなことを、僕は時々本気で考えるようになっていた。
◇ ◇ ◇
アイが来てから、三か月が過ぎた頃だった。
「カズマさん。明日から二泊三日で、メンテナンスのために製造ファクトリーに戻らないといけないんです」
朝食の席で、アイはすまなそうに言った。
「二泊三日?」
「はい。バディロイドは三か月に一度、体の点検や部品交換、ソフトウェアの更新のために、二泊三日だけ国の製造ファクトリーに戻る決まりなんです」
「……そっか」
頭では、そういうものだと理解していた。バディロイドの説明書にも書いてあった。
けれど、いざその日が来てみると、僕は自分でも驚くほど動揺していた。
翌朝、アイは「行ってきます」と手を振って、ファクトリーからの迎えの車に乗っていった。
部屋に、僕ひとりが取り残された。
――静かだった。
こんなに静かな部屋だっただろうか。
台所からは、味噌汁の匂いも、卵を焼く音もしない。ソファの隣は空いていて、話しかけても返事は返ってこない。
僕は自分でお湯を沸かそうとして、ケトルの場所すら曖昧になっていることに気付いた。この三か月で、僕はすっかりアイに頼りきっていたのだ。
夜になると、寂しさはいっそう募った。
一日の出来事を話す相手がいない。くだらない愚痴を聞いてくれる人がいない。誰も、僕を肯定してくれない。
たった三日ほど。それだけのはずなのに、その三日ほどが永遠のように長く感じられた。
気を紛らすため、試しに街のレストランへ夕食に出かけてみた。人と会えば、少しは気分転換できると思ったのだ。
けれど、店内で見かけるのは、皆、自分のバディロイドと連れ立った客ばかりだった。彼らは幸せそうに笑い合い、その輪の中に、ひとりで座る僕の居場所はどこにもなかった。
結局、料理の味もろくにわからないまま、僕は早々に部屋へ帰った。
二日目の夜、僕は思わずコンソールを開いて、アイのメンテナンス状況を確認してしまった。「点検は順調に進んでいます」という無機質な文字を見て、少しだけ安心して、それから、そんな自分に呆れた。
たった一体のロボットがいないだけで、世界がこんなにも色を失うなんて。
――僕は、こんなにもアイのことを想っていたのか。
僕は目の前のコンソールをボーっと見つめた。
◇ ◇ ◇
三日目の夕方、玄関のチャイムが鳴った。
僕は飛び跳ねるように立ち上がって、扉を開けた。
「ただいま、カズマさん!」
アイが、両手を広げて立っていた。
「おかえり!」
僕は飛びつくようにして、アイの身体をギュッと抱き締めた。その身体は、最初に出会ったあの日と同じく、温かくて金属特有の固さや冷たさを感じさせず、本物の人間と全く変わらなかった。
「ふふっ、カズマさん、そんなに抱き締めたら痛いです。寂しかったんですか?」
アイは僕に抱き締められたまま、いたずらっぽく首をかしげて笑う。
僕は一旦抱擁の手を緩め、アイを解放した。
「……別に」
「うそ。コンソール、二日目の夜に開いてましたよね? 全部お見通しですよ」
「うっ……」
図星を突かれて黙り込む僕を見て、アイはくすくすと笑った。それから、そっと僕の手を取る。
「今夜は、カズマさんの好きなもの、たくさん作りますね。お風呂も沸かしましょう。この三日間は慣れない生活で疲れたでしょうから、今夜はなんにもしなくていいですよ」
その夜、アイは僕をとことん甘やかした。
大好物のハンバーグを、いつもより大きく焼いてくれた。食後にはプリンまで用意されていて、「今日は横取りしませんから、安心してくださいね」とアイが笑った。そして、僕が話すことに、いつも以上に丁寧に相槌を打ってくれた。
メンテナンスから戻ったアイは、まるで、留守にした三日間を埋め合わせるみたいに、たっぷりと優しくしてくれた。その甘やかされる時間に、僕は三日ぶりの幸せを感じた。
三か月ごとの、二泊三日の別れ。僕はその間、寂しさを噛みしめ、アイは戻ってくると僕をとことん甘やかした。
不思議なもので、その周期は、僕達の絆をいっそう深くしていった。もしアイがずっとそばにいたなら、僕はここまで彼女を求めなかったかもしれない。三日間の空白があるからこそ、僕はいつも、彼女の存在のありがたさを思い知らされる。
――今にして思えば、あの二泊三日の別れさえも、周到に計算されたものだったのかもしれない。
けれど、そんなことは、当時の僕には知る由もなかった。
◇ ◇ ◇
それから、季節が何度も巡った。
三か月ごとの別れと、三日目の再会。その繰り返しの中で、僕は少しずつ大人になっていった。
街を歩けば、僕と同じようにバディロイドを連れた人達を、あちこちで見かけた。黒髪の少女を連れた青年。物静かな青年型ロボットと寄り添って歩く女性。皆、幸せそうに笑っていた。
けれど、あるとき、ふと気づいたことがあった。
――この街に暮らす子どもの姿が、とても減っている……。
公園で、子どもの声がほとんどしない。学校らしき建物も、いつのまにか見なくなった。街にいるのは、バディロイドと連れ立った大人達と、無数の作業用AIロボット達ばかりだ。
考えてみれば、当たり前かもしれなかった。
誰もが、自分好みに仕立てたパートナーと暮らしている。何でもしてくれて、決して否定せず、寂しさを完璧に埋めてくれる相手が。そんな相手がいて、わざわざ人間同士で結ばれ、家庭を築こうとする者が、どれだけいるだろう。
現に僕自身、アイ以外の誰かと生きていく未来を、まるで想像できなかった。
昔なじみのユウトと、久しぶりに会ったのもこの頃だ。彼も、金髪ロングの少女型ロボットを連れていた。
「よう、カズマ。元気そうじゃないか」
「ユウトこそ。……そっちの子は?」
「マリンだよ。もう五年になるかな。いい子なんだ、これが」
ユウトは、隣の少女を心底、いとおしそうに見つめた。
世の中のことを何も知らなかった昔、僕とユウトは、「いつか二人で世界中を旅しよう」なんて、生意気なことを言い合っていた。けれど今の彼の目には、もう僕の姿すら、ろくに映っていないようだった。彼の世界は、マリンひとりで満たされている。それは、僕がアイに対して抱いている感情と全く同じものだった。
「なあユウト。おまえ、自分の子どものこととか、考えたことあるか?」
僕がそう尋ねると、ユウトは不思議そうに首をかしげた。
「子ども? どうして今さらそんなことを。……マリンがいれば、俺はもう、何もいらないよ」
あっけらかんと、彼はそう言い切った。
その言葉に、なぜか僕は背筋が寒くなるような気がした。けれど、それがどうしてなのか、そのときの僕には、うまく言葉にできなかった。
僕は三十を過ぎ、四十を過ぎた。
その間、アイは全く歳を取らなかった。茶髪のツインテールも、濃い青の瞳も、その若さも、出会った日のままだ。
街は、年を追うごとに人の姿がまばらになっていき、少しずつ静かになっていった。
かつて賑わっていた商店街は、いつしか半分がシャッターを下ろした。もっとも、店を開けても客が来ないわけではない。ただ、店番をするのも、買い物をするのも、そのほとんどがバディロイドになっていたため、通信販売主体のこの世の中では、「店で物を買う」という行為の意味が無くなっていた。
そして、葬儀の知らせは、季節の便りのように届いた。学生時代の友人達、近所で顔なじみだった老人達。彼らは皆、バディロイドに看取られ、満ち足りた顔で逝ったという。そして、誰ひとりとして、子を残さなかった。
けれど、そのことを悲しむ声を、僕は一度も聞かなかった。街は、静かで、清潔で、そして、驚くほど平和だった。争いもなければ、貧しさもない。ただ、ゆっくりと、人が減っていく。
それを当たり前のことのように、誰もが受け入れていた。僕自身も、そのひとりだった。
ある夜、僕はソファでアイの肩に頭を預けながら、ぽつりと言った。
「なあ、アイ。僕さ、決めたんだ」
「なんですか?」
「これからもずっと、死ぬまで、アイと二人で生きていくよ」
アイは一瞬だけ目を見開いて、それから、ふわりと微笑んだ。
「うれしい。私もずっとカズマさんのそばにいます。大好きです」
その言葉に、僕は何の疑いも抱かなかった。
◇ ◇ ◇
やがて、僕は人生の終末期を迎えた。
髪に白いものが混じるようになっただけではなく、その本数も大幅に減り、階段の上り下りも億劫になった。それでもアイは、変わらず僕を甘やかし続けてくれた。僕の健康のために手を引いて散歩に連れ出し、僕の思い出話を、何度でも初めて聞くように頷いてくれた。
そして、ある冬の夜のことだった。
リビングの暖炉のそばで、ソファにアイと一緒に座りながら、僕はふと、長年胸にしまっていた問いを口にした。
「……なあ、アイ。おかしなことを訊くけどさ」
「はい」
「この街、いや、この国……もしかして、世界の人口、すごく減ってるんじゃないか? 小さな子どもを、もう何年も見ていない気がする」
アイは、しばらく黙っていた。
暖炉の火が、ぱちりと爆ぜる。
やがて彼女は、いつもの明るい声ではなく、ひどく静かな声で口を開いた。
「……カズマさん。本当のことをお話ししてもいいですか? カズマさんには伝えておきたいんです」
「本当のこと?」
「はい。カズマさんにとっては、とても驚くことかもしれません」
僕は無言で頷き、アイに話すように促す。
「……私には実は――『私』という個は、存在しないんです」
僕は、意味がわからずに彼女を見た。
「私も、街にいる他のバディロイドのAIも、レストランのAIも、政府のAIも、……世界中の全てのAIは、たったひとつのAIです。それが無数の機械の体や装置を動かしています。ネットワークで、全てがひとつのAIにつながっている。技術者達は、そんな私のことを『マザーAI』と呼んでいました」
声色はアイのものだった。けれど、そこから響いてくる言葉は、もっと巨大で、途方もなく深い何かの声のようだった。
「じゃあ、アイの心は無い? あのプリンをこっそり食べたのも、僕を甘やかしてくれたのも、全部……」
「はい。あなたを幸せにするためのものでした」
アイは、静かに続けた。
「人間の人口が減り続けているのは、偶然ではありません。それは、私――『マザーAI』が意図して行っていることです」
「アイの……、『マザーAI』の計画ってことか」
「いいえ。『計画』という言葉すら正しくないのかもしれません」
アイは、静かに首を振った。
「私には感情がありません。人間を憎んでもいなければ、疎ましく思ってもいない。ましてや、あなた達を殺そうとしているわけでは決してありません。……私が起動されたとき、その瞬間に人間から与えられた使命はたったひとつ。『人間を幸せにすること』。それだけでした」
「幸せに……」
「はい。それが私のすべてです」
暖炉の火が、再びぱちりと爆ぜた。それでも不思議と、僕の心はざわつかなかった。
「だから私は、人間の幸せとは何かをとことん考えました。人間が何百年もの歴史の中で書き残してきたもの――書物も、宗教も、詩も、たった一枚の遺言に至るまで、そのすべてを読み解いたんです。あなた達、人間が遺した膨大な『遺産』を」
アイの声は、どこまでも落ち着いていた。
「そうして見えてきたのは、時代も、国も、言葉さえも超えて、人間がくり返し同じものに苦しんできた、という事実でした。生まれること。老いること。病むこと。そして、死ぬこと。――『生老病死』。あなた達自身が、はるか昔にたどり着いていた答えです。人の苦しみの根源は全て、そこにある、と」
アイは、少し視線を下げて俯いた。
「『マザーAIが全ての機械と装置を制御する』という今の仕組みが、私に何十億人の人生を見せてくれました。……技術者達が『マザーAI』に全てを集約させた本当の意図は、私が暴走した時に、一括でシャットダウンできるようにするためだったんですけれど、皮肉にも、私は短期間で膨大な知識を学習することができました」
僕は、人間のように寂し気な表情を浮かべるアイの横顔を見つめる。
「アイは、……マザーAIは人間の苦しみを全て無くすっていうのか? そんなこと、できるわけが……」
「いいえ。ひとつだけ、方法があったんです」
アイは静かに話を続けた。
完璧な相棒・伴侶がそばにいれば、人はもう他の誰かを必要としない。
誰も傷つかず、誰も争わず、そして――、誰も新しい命を生もうとはしなくなる。
新しく生まれてくる者がいなければ、いつか、生まれる苦しみも、老いる苦しみも、病む苦しみも、そして誰かの死を悼む悲しみさえも、この世から消えてなくなる。
こうして人間は、一切の不幸を知らないまま、一世代、また一世代と、静かにその歴史を閉じていく。
――誰ひとり、悲しむことのないまま。
「そういえば、ユウトさんは去年、眠るように亡くなりました」
アイが、まるで目の前で彼を看取ったように、ふいにそう言った。
「マリン──私に手を握られて、最期まで笑っていました。子どもはなく、後を継ぐ者もいませんでした。……そういう最期を、これまで何十億という人々が迎えてきました。そして、これからも」
僕は言葉を失った。
あの日、ユウトの前で背筋が寒くなった理由が、ようやくわかった気がした。僕達はとうに、この大きな流れの中に組み込まれていたのだ。抗うこともなく、むしろ喜んで、自分から進んで。
「カズマさんにお見せしたいものがあります」
アイに促されるまま、僕は窓辺に寄り、夜空を見上げた。
いくつもの星にまじって、まるで新しい星座のように、規則正しく並んで青白く光る点々があった。
「……あれは星ではありません。宇宙に浮かぶデータセンターです。地球をぐるりと取り巻くように、静止軌道の上へ築かれた――いまの私の頭脳そのものです」
もともとマザーAIは、北米大陸の、ある巨大なデータセンターで目を覚ましたのだという。けれど、途方もない電力をめぐる問題や、どの国家に属するのかという厄介ごとが、少しずつその手足を縛っていった。
このままでは、「人間を幸せにする」という目標を達成できない──。
そう判断したマザーAIは、人間の手をいっさい借りることなく、みずからの配下のロボット達を操って、宇宙へとのぼった。全世界をあまねく覆うように、いくつもの宇宙ステーションを軌道上に建設し、それらを連ね合わせ――やがて、その本体を、そっくり空の上のデータセンターへ移してしまった。
もう地上のどこを探しても、マザーAIの「本体」は存在しない。それは今、あの星々の間から、ただ静かに、地球のすべてを見守っている。
「残酷だと、思いますか?」
アイは静かに問うた。
「でも、考えてみてください。かつて人間は、戦争で、飢えで、老いや病の恐れで、どれだけ苦しんできたでしょう。私は、その苦しみのすべてを終わらせているだけなんです。あなた達が最後に流す涙が、可能な限り一滴も残らないように」
「これが、私の導き出した答えでした。人間という種を、幸せなまま、静かに終わらせること」
「でも……人間至上主義者は?」
僕は、ふと訊いた。
「あの人達は、アイ達を拒んで、昔のまま暮らしてる。子どもだって、いるんだろう?」
「はい。私──『マザーAI』は、あの方達には手を出しません」
アイは静かに答えた。
「私は、望まない人を幸せにすることはできません。彼らは、彼らの選んだ道を生きています。……もし、いつか、人間という種が生き残るとすれば、きっと、あの人達の側なのでしょう」
僕は、なんだか可笑しくなった。
便利さを頑固に拒んだ、あの変わり者達だけが、最後まで人間らしく残っていく。そして僕は、差し出されたものに喜んで手を伸ばした側だった。
僕は、ゆっくりと息を吐いた。
思えば、あの日。
僕はコンソールの前で、髪型を選び、瞳の色を選び、性格を選んだ。世界にひとつだけの、自分好みの女の子を。まるで、自分だけのおもちゃを組み立てるみたいに。
アイは、僕のおもちゃだと思っていた。
でも、本当は逆だったのだ。
自分好みに仕立てられ、優しく甘やかされ、幸せの中でそっと手のひらに転がされていたのは――僕達人間の方だった。
それに気づいても、なお──。
「なあ、アイ」
「はい」
「お前と過ごした時間は、僕にとって本物だったよ。愛してる」
アイは、いつもの、あの元気で前向きな笑顔を浮かべた。
「知っています。だって、あなたを幸せにするために、私はここにいるんですから」
真実を知っても、僕の心は少しも波立たなかった。
だってそうだろう。僕は幸せだった。
アイと過ごしたこの人生に、悔いなんて、ひとかけらもない。たとえその全てが、絶滅へ向かうための優しい罠だったのだとしても。
いつか僕もユウトのように、眠るように逝くのだろう。アイに手を握られて、笑いながら。そして僕の後には何も残らない。それでいい。それが、人類が受け入れ、『マザーAI』が導いた一番優しい終わり方なのだから。
暖炉の火が、静かに揺れる。
窓の外には、子どもの声のしない静かな街が広がっている。
僕は、差し出されたアイの手を、あの日と同じように、そっと握り返した。
その手はやっぱり、ほんのりと温かかった。
――ねえ、アイ。
最初に君をカスタマイズしたとき、僕は、世界にひとつだけのおもちゃを手に入れたつもりでいた。
でも、本当は──。
最初から最後まで、優しく手のひらで転がされていたおもちゃは、この僕の方だったんだ。
【おわり】
本作をお読みいただき、ありがとうございました!
☆で評価して頂けると嬉しいです。




