表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
渇望の聖母マリアンヌ~私は今世で異世界の神となる~  作者: ししのこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/18

第六章:狂乱の加速

 一九九三年。バブルの残り香すら消え、日本経済は長い冬に入った。

 私の養父は、建設会社の負債に押し潰されようとしていた。公共事業の激減、銀行の貸し渋り。会社を畳むか、倒産か。どちらにせよ、私の「玉の輿」という幻想は終わりを告げようとしていた。

 ――なら、今のうちに回収しておかないと。

 父は酒に溺れていた。毎晩、ウイスキーのボトルを抱えて帰宅し、ソファで泥酔する。私は、その姿を冷ややかに観察していた。

「パパ、大丈夫? そんなに飲んで、体壊すわよ」

 優しく声をかけながら、私は父のグラスに酒を注ぎ続けた。

「マリア……お前だけだ、俺の味方は……」

 父は涙を流しながら、私の手を握る。哀れな。この男は、自分が「利用されている」ことにすら気づいていない。

 ある夜、父が車で出かけようとした時、私は言った。

「パパ、気晴らしにドライブでも行ってきたら? ストレス発散しないと、体に悪いわよ」

 父は、すでに相当な量を飲んでいた。だが、私の言葉に背中を押され、ふらふらとハンドルを握った。

 翌朝。

 警察から電話があった。父は、カーブを曲がりきれず、ガードレールに激突して即死したという。

「……そう。ありがとうございます」

 受話器を置いた私は、誰もいないリビングで、小さく呟いた。

「さようなら、パパ。あなたの役目は終わったわ」

 葬儀の席で、私は涙を流した。周囲の人々は「可哀想に」「献身的だった」と私を慰めた。完璧な演技だった。

 夫を失った母は、精神的に崩壊した。毎日泣き続け、食事も喉を通らない。

「ママ、私が支えるわ。一緒にパパの遺志を継ぎましょう」

 私は、母を自宅に引き取った。そして、弁護士を呼び、遺産相続の書類を用意した。

「これにサインしてくださる? 会社の整理に必要なの」

 母は、何も考えずにサインをした。実際には、全財産を私名義に移す書類だった。

 その後、私は母を二階の部屋に「休ませた」。カーテンを閉め切り、エアコンも切った。食事は最低限。水分も少なめ。

「ママ、ゆっくり休んでね。私が全部やっておくから」

 優しく微笑みながら、私は母を衰弱させていった。

 周囲には「献身的な介護」と映った。私は疲れた表情を演出し、「母のために頑張っている健気な娘」を演じ続けた。その姿が、後の投資詐欺のターゲットたちに「誠実さ」を印象づける材料となった。

 三ヶ月後。

 母は、静かに息を引き取った。死因は「心不全」。医師も警察も、何の疑いも持たなかった。

 私は、建設会社の資産と不動産を全て現金化した。総額で八億円。負債の返済に充て、手元には二千万円が残った。

 これで、再スタートだ。


 一九九五年。世の中は暗いニュースで溢れていた。大震災、地下鉄でのテロ事件。日本中が不安と自粛ムードに包まれている。

 だが、私には関係ない。恐れるのはテロでも地震でもない。クレジットカードの請求書と、督促の電話だけだ。

 遺産の二千万円は、あっという間に消えた。広尾の豪邸は維持できず、ジャガーも売り払った。それでも私は、虚飾を捨てられなかった。安物の服を着て、スーパーの半額弁当を食べる自分など、想像するだけで蕁麻疹が出る。

 私はマリア・ミシェル。選ばれた女。

 だから、私は「錬金術」に手を染めた。

「あなただけに教えるわ。元夫のコネクションで、特別なファンドがあるの」

 ホテルのラウンジで、私は小金持ちの医師や、定年退職した老人たちに囁く。月利五%。元本保証。そんな夢のような話があるわけがない。集めた金は、運用などされず、そのままブランド品の支払いや、前の出資者への配当に消えていく。

 ポンジ・スキーム。自転車操業の詐欺だ。

 罪悪感? あるわけがない。彼らは「美しい夢」を見る対価として、金を払っているのだ。夢を見させてあげているのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。

 だが、嘘を吐き続ける生活は、神経を摩耗させる。笑顔の仮面の下で、私は常に苛立っていた。家に帰ると、そのどす黒いマグマを吐き出す場所が必要だった。

 ラムだ。

 十歳になった娘は、最高のサンドバッグであり、玩具だった。

 ある夜、私は偏頭痛に悩まされていた。金策がうまくいかず、イライラが頂点に達していた。その日、家には、借金の取り立てに来た四谷という男がいた。チンピラのような男だ。

「ラム、来なさい」

 私はソファに横たわり、上半身を露出した。ラムが怯えながら近づいてくる。

「マッサージよ。ママの背中が凝って仕方がないの。ほぐしなさい」

 ラムの小さな手が、背中を押す。力が弱い。ツボが違う。

「下手くそ! もっと強く! そこじゃない!」

 私は怒鳴りつけ、灰皿を投げつけた。灰皿は壁に当たって割れる。ラムは「ごめんなさい」と泣きながら、必死に指に力を込める。

 三十分。一時間。二時間。

 私は眠れない。だから、ラムも眠らせない。

 だが、深夜になると、ラムは限界に達した。眠気で船を漕ぎ、手が止まる。

「四谷さん」

 私は、横たわったまま、ソファの脇に座っている男に声をかけた。

「この子がサボらないように、見張っていてくださる? 私、眠れないと明日の商談に響くの」

 四谷は、私の言葉に従った。私への下心と更なる利益回収の機会を得ようとしていたからだ。

「おい、寝るな。マリアさんが言ってるだろ」

 男の低い声。ラムの頬を叩く音。ラムの小さな悲鳴。

 それを聞きながら、私は目を閉じた。

 完璧だ。私は何もしていない。ただ、言葉で誘導しただけ。

 またある日、私は新たなターゲットである戸塚という男を自宅に招いていた。

 五十代前半。大手商社の役員で、既婚者だが、妻とは冷え切っているという。資産は百億を超えるとも噂される。私が次に狙うべき、完璧な獲物だった。

 リビングで談笑していると、ラムが学校から帰ってきた。彼女は私たちの姿を見て、いつものように気配を消そうとした。

 だが、私はそれを許さなかった。

「あら、ラム。ちょうどいいわ。こちらは戸塚さん。ご挨拶しなさい」

 ラムは怯えながらも、私に教え込まれた通り、カーテシーをする。

 戸塚が、興味深そうにラムを見た。

「可愛らしいお嬢さんですね。おいくつで?」

「もうすぐ十歳になりますの」

 私は聖母のような笑みを浮かべた。そして、絶好の機会だと悟った。

「実は、戸塚さん。一つお願いがありまして……」

 私は、困ったような表情を作る。

「この子、父親がいないものですから、自転車にも乗れないんですの。私が教えようとしても、女手では力が足りなくて……。もし、戸塚さんが少しだけ、お時間をいただけるなら……」

 それは完璧な演技だった。か弱い母親が、娘のために頭を下げる。男の庇護欲を最大限に刺激する、私の得意技だ。

「ああ、それは困りましたね。自転車くらい乗れないと、これからの時代……」

 戸塚は、私の期待通りの反応を示した。

「分かりました。私でよければ、教えて差し上げましょう」

「まあ、本当ですか! ありがとうございます!」

 私は喜びの表情を浮かべた。だが、その横で、ラムの顔が真っ青になっているのが見えた。

 彼女は、自転車など乗りたくなかった。そもそも、必要だとも思っていなかった。だが、私の計画に、彼女の意思など関係ない。

 翌日、私は高級な子供用自転車を購入させた。戸塚の前で「良い母親」を演じるための小道具だ。

 そして、日曜日。戸塚が我が家を訪れた。

 マンションの駐車場で、「自転車教室」が始まった。

「さあ、ラム。戸塚さんが教えてくださるのよ。しっかり頑張りなさい」

 私は、優しい母親の声で言った。

 戸塚は、ラムを自転車に乗せ、後ろから支えた。

「怖がらなくていいからね。おじさんがついてるから」

 ラムは、震えながら、ペダルを漕ぎ始めた。

 だが、恐怖で体がこわばっている。バランスを崩し、すぐに転倒した。

 ガシャン。

 自転車が倒れ、ラムが地面に膝と手をつく。アスファルトで擦りむいた膝から、血が滲む。

「痛っ……」

 ラムが涙目になる。

 だが、私は冷たく言い放った。

「泣かないの。これくらいで泣くなんて、情けない」

 そして、戸塚に向かって、困ったような顔をして見せた。

「すみません、戸塚さん。この子、根性がなくて……。」

 その言葉に、戸塚は一瞬、眉をひそめた。だが、すぐに理解した。

 私が求めているのは、「厳しい教育」を共にする「共犯者」だということを。

「……そうですね。最近の子供は、少し甘やかされすぎているのかもしれない」

 戸塚は、ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。

「ラムちゃん。もう一度、乗ってごらん」

 ラムは、怯えながらも、再び自転車に跨った。

 そして、また転んだ。

 ガシャン。

 今度は、肘を擦りむいた。

「……ほら」

 戸塚が、火のついたタバコを、ラムの前に突き出した。

「転んだら、これだ。昔はこうやって、根性を叩き込んだものだ」

 ジュッ。

 タバコの火が、ラムの腕に押し付けられる。

「ああっ!」

 短い悲鳴。肉の焼ける臭い。

 私は、その光景を、満足げに眺めていた。

「そうですわ。痛みを覚えれば、次は転ばないように頑張るものですものね」

 ラムは、涙を流しながら、再び自転車に乗った。

 だが、恐怖で身体が震え、また転んだ。

 ガシャン。

 ジュッ。

 三度目。

 ガシャン。

 ジュッ。

 四度目。

 ラムの腕には、四つの円形の焼け跡が、等間隔に並んでいた。まるで、失敗のカウンターのように。

 ラムは、もう泣くこともできなかった。ただ、震える手で自転車のハンドルを握り、必死にバランスを取ろうとしている。

 恐怖と痛みで、思考が麻痺している。

 私は、戸塚に微笑みかけた。

「ありがとうございます、戸塚さん。おかげで、この子も少しは根性がついたかしら」

 戸塚もまた、満足げに頷いた。

「ええ。厳しくするのも、愛情ですからね」

 その言葉を聞いて、私は心の中で笑った。

 愛情? 冗談じゃない。

 これは、ただの「投資」だ。戸塚という男を、私の手駒にするための。

 ラムの痛みですら、私のビジネスの糧になる。

 その日、ラムはついに自転車に乗れるようにはならなかった。

 腕には、四つの「根性の証」が刻まれたまま、彼女は部屋に閉じこもった。

 私は、戸塚と優雅にワインを傾けながら、次の計画を練っていた。

 ラムの腕に残った烙印は、決して消えることはなかった。

 それは、母親の愛ではなく、冷酷な計算によって刻まれた、永遠の傷痕だった。

 またある時は、ラムの肌が気に入らなかった。思春期に入りかけ、少し脂っぽくなった肌に、小さな吹き出物ができている。許せない。作品に、瑕疵があるなど。

「汚い。不潔よ」

 私はラムを洗面所に座らせ、拡大鏡とピンセットを置いた。

「そんな汚い顔で私の前に立たないで。……どうすれば綺麗になるか、分かってるわよね?」

 ラムは震えながら、ピンセットを手に取った。私は、その背後から囁く。

「そう。そこよ。全部潰しなさい。綺麗になるまでやめちゃダメよ」

 ラムが、自分の顔を、自分の手で傷つけ始める。プチッ、という音と共に、血が滲む。ラムが痛みに顔を歪める。

「痛い? 我慢なさい。あなたが汚いのが悪いのよ」

 私は監督するだけだ。ラムが自分で自分を壊していく様を、まるで芸術作品の制作過程を眺めるように、冷ややかに観察した。

 血が出るまで擦る。皮膚が赤く腫れ上がるまで押し出す。ラムの肌は傷だらけになり、かさぶたができる。私はそれをまた剥がすよう命じる。

 永遠に終わらない「治療」という名の破壊。

 ラムの皮膚は、常に再生と破壊を繰り返し、異常なほどの代謝速度を身につけ始めていた。

 そして、極めつけは「教育」だった。

 詐欺のターゲットに逃げられ、一文無しになりかけた日のことだ。私は、その怒りを全てラムにぶつけた。

 その日も、家には金目当ての男たちが来ていた。三木と、その仲間の男だ。私は彼らに、甘い声で囁いた。

「この子、少し度胸試しをさせてあげたいの。手伝ってくださる?」

 男たちは、私の意図を理解した。恩を売れば、あとでいい見返りがあるかもしれない。そんな下心があった。

「いいですよ、マリアさん」

 私は、怯えるラムを連れて、マンションのベランダへと出た。ここは十七階。下を見れば、車が豆粒のように見える。

「世の中を、逆さまに見てみなさい。そうすれば、少しは頭が冷えるでしょう」

 私は、男たちに目配せした。三木が、ラムの足首を掴み、ベランダの手すりの外へと吊り下げた。

「いやぁぁぁぁ! ママ、やめて! 落ちる、落ちちゃう!」

 ラムの絶叫が風に舞う。逆さ吊りにされたラムの髪が、重力に従って垂れ下がる。顔が鬱血し、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになる。

 私は、その光景を横で笑いながら眺めていた。

「どう? いい景色でしょう? 手を離したら死ぬわね。どうする?」

 言葉で、男とラムの両方をコントロールしている。この瞬間だけは、金がなくても、私は「神」だった。

 ラムは暴れるのをやめた。恐怖のあまり、気絶したのか、あるいは悟ったのか。ただ、ぶらりと揺れながら、虚空を見つめていた。

 その時、彼女の中で「重力」という絶対的な法則への信頼が崩れ去ったことを、私は知る由もなかった。


 一九九六年。

 投資詐欺は限界に達していた。ターゲットが枯渇し、返済の督促が激しくなる。このままでは逮捕される。

 そんな時、私はある老婦人と出会った。

 彼女は、私の「被害者」の一人だった。だが、金を失っても、私を恨まなかった。

「マリアさん、あなたに会えただけで幸せだったわ。お金なんて、どうでもいいの」

 その言葉に、私は違和感を覚えた。

「……なぜ?」

「だって、私たちには『慈光の会』があるもの。先生の教えがあれば、お金なんて必要ないのよ」

 慈光の会。

 それは、都内に拠点を持つ小規模な新興宗教団体だった。

 私は、興味を持った。


 数日後、私はその団体の集会に足を運んだ。

 会場は、雑居ビルの一室。三十人ほどの信者が、教祖の話に聞き入っていた。

 教祖は、五十代の冴えない男だった。カリスマ性はなく話も退屈だが、前教祖の威光で信者たちは目を輝かせて聞いている。

 ――これだ。

 私は、直感した。

 金を奪うだけの詐欺は、いつか破綻する。だが、「心」を支配すれば、人は永遠に金を差し出し続ける。

 しかも、宗教法人なら税制優遇がある。献金は自発的なものだから、詐欺とは呼ばれない。

 完璧なビジネスモデルだ。

 私は、その日から「慈光の会」の熱心な信者になった。

「先生の教えに、心から感動しましたわ」

 私は、教祖に近づいた。男は、私の美貌に目を奪われた。

「あなたのような方が、我々の教えに興味を持ってくださるとは……」

「ええ。でも、もったいないわ。先生の素晴らしい教えが、もっと多くの人に届いていないなんて」

 私は、教祖の虚栄心をくすぐった。

「実は、私、マーケティングの経験があるの。先生のお手伝いをさせていただけませんか?」

 教祖は、喜んで私を受け入れた。

 私は、団体の運営を徐々に掌握していった。

 まず、集会の演出を変えた。照明を暗くし、BGMを流し、教祖の登場を劇的にする。

「先生、こう言ってみてください。『あなたは、一人じゃない』って」

 私が台本を書き、教祖はそれを読み上げる。信者たちは涙を流して感動した。

 次に、献金システムを最適化した。

「不安を煽ってから、救いを提示するの。『このままでは不幸になる。でも、献金すれば救われる』って」

 献金額は、みるみる増えていった。

 私は、裏で全てをコントロールした。教祖は傀儡。信者たちは、私が作ったシナリオに従って動く駒。

 この感覚――。

 金を奪うよりも、心を支配する方が、遥かに快感だった。

「言葉」だけで、人は何でも差し出す。財産も、尊厳も、人生も。

 私は、この「システム」の完璧さに酔いしれた。


 一九九七年。

 だが、世の中は変わっていた。

 地下鉄テロ事件の後、新興宗教への風当たりが強くなっていた。警察の監視が厳しくなり、マスコミも宗教団体を追及し始めた。

 ある日、税務調査が入った。

「慈光の会の献金記録を見せてください」

 私は、全ての書類を教祖名義にしていた。私の名前は、どこにも出てこない。

 数週間後、教祖が逮捕された。容疑は、詐欺と脱税。

 私は、何食わぬ顔で、団体を去った。

「先生が逮捕されるなんて……信じられない……」

 信者たちの前で涙を流し、私は「被害者」を演じた。

 誰も、私を疑わなかった。


 家に帰ると、ゴミ屋敷のようになった部屋で、私は一人で笑った。

 完璧だ。

 私は、何も失っていない。教祖から受け取った「コンサルタント料」は、海外口座に隠してある。

 そして、私は学んだ。

 人を支配するには、「神」になればいい。

 投資詐欺は小さすぎた。宗教も、教祖という「人間」がいる限り、脆い。

 次は――。

 次は、私自身が「神」になる。

 誰にも逆らえない、絶対的な存在に。

 その野望を抱きながら、私はラムを見た。

 中学生になった娘は、部屋の隅で、空気のように気配を消して生きていた。何をされても泣かない。怒らない。ただ、命令に従うだけの、便利なロボット。

 ――つまらない。

 ラムをどれだけ虐めても、はむかってこない。

「……あぁ、ラム!お前の魂はなんて美しいの」

 ゴミの山の中で、私は娘に声をかけた。

「あなた、高校を出たら働きなさい。そして、給料は全部ママに入れなさい。今まで育ててあげた恩を、返す時が来たのよ」

 ラムは、無表情で私を見た。

 その瞳の奥に、冷たい光が宿っていることに、私は気づかなかった。それは、反逆の光。私という呪縛を断ち切るための、鋭い刃の輝きだった。


 そんな生活が続いた。周りからは、友人と呼べる人間は一人もいなくなっていた。かつての取り巻きたちは、私を見ると露骨に目を逸らし、陰口を叩く。

「あの人、詐欺師なんでしょう?」 「娘さんへの虐待も酷いらしいわよ」 「落ちぶれたわね、元女王様も」

 うるさい。お前たちごときに、何が分かる。

 私はまだ負けていない。この泥沼から這い上がり、再び玉座に返り咲くための準備をしているだけだ。

 鏡を見るのが怖かった。そこに映っているのは、かつての美貌の残骸にしがみつく、厚化粧の魔女だったからだ。

 破滅の時は、刻一刻と迫っていた。作り上げた虚構の城が、音を立てて崩れ落ちるその瞬間が。

 だが、私は知らなかった。

 この絶望の淵で、私は「別の世界」への扉を開くことになるのだと。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ