第十七章:石の代償
私の体から、魂を奪い続けてできた膨大な魔力が、悲鳴のような音を立てて霧散していく。石の力が、にえの槍によって、完全に破壊されていく。
同時に、私の記憶が、溶けていく。
前世の記憶。ラムの顔。元夫の顔。バブルの狂乱。全て。
私が「私」であるための、全ての記憶が、白い靄の中に消えていく。
私の美しい顔は、聖女でも、ただの女でもない、誰が見てもマリアンヌだとは認識できない、美醜の区別さえつかない、無個性な貌へと変貌していく。
槍が引き抜かれると、私は、呆然と自分の両手を見つめた。
これは、誰の手?
ここは、どこ?
私は、誰?
「……わたしは、だれ……? ここは、どこ……?」
幼子のような言葉が、口から漏れる。
にえが、私を見ている。その瞳には、憐れみも、憎しみもない。ただ、静かな悲しみだけがあった。
「……おかあ、さん……? どこ……?」
その言葉を最後に、私は、ふらりと立ち上がった。
何かを探すように、手を伸ばしながら、私は、部屋から続く廊下の暗闇へと、おぼつかない足取りで、さまよい始めた。
もう、マリア・ミシェルも、聖女マリアンヌも、そこにはいなかった。
記憶を失い、魂を失い、ただ、無個性な貌を持つ、名前のない存在。
それが、私の最期だった。
聖女マリアンヌの消滅と共に、洗脳されていた人々は正気を取り戻した。
『救済の家』の子供たちも解放された。
だが、不思議なことに、マリアンヌを激しく憎み、石を投げる者は少なかった。
「私たちを見ていたけれど、本当は誰も見ていなかった気がする」
子供たちは、マリアンヌという怪物の内側にあった、空っぽの孤独を敏感に感じ取っていたのかもしれない。
彼女は、誰からも愛されず、誰をも愛せず、ただ飢え続けた哀れな生き物だった。
戦いは終わった。
だが、彼女の心に晴れやかな達成感はなかった。
どれだけ奪っても、どれだけ支配しても、マリアンヌの穴は埋まらなかった。
それは、にえ自身が陥るかもしれなかった、もう一つの未来の姿でもあった。
「私は……私を生きる」
にえは、隣に立つガレンとエリスを見た。
彼らは、心配そうににえを見守っている。
奪うのではなく、与え合うこと。
支配するのではなく、信じ合うこと。
その温かさだけが、心の穴を埋める唯一の方法なのだと、にえは知っていた。
にえは、仲間たちの元へと歩き出した。
その足取りは軽く、もう二度と、過去の亡霊に縛られることはない。
【後日談】
その後、数ヶ月が経った。
王都の片隅で、一人の女性が保護された。
彼女は、記憶を完全に失っており、自分の名前すら答えられなかった。
その顔は、誰が見ても特定できないほど、特徴のない、無個性なものだった。
保護した兵士たちは、彼女を王都郊外の修道院に預けた。
そこで、彼女は「マリー」という仮の名前を与えられ、他のシスターたちと共に、静かに暮らし始めた。
彼女は、時折、窓の外を見つめながら、何かを探すように手を伸ばしていた。
だが、その手が何を求めているのか、彼女自身にも分からなかった。
ただ、胸の奥に、埋まらない穴だけが、確かに残っていた。
(完)




