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第九章 醜聞の成就と、呪詛の終焉
1. 「醜聞の配達人」の再臨
コルテスは、わたしが作成した「ルイス王子とヴィオラ嬢は、愛人関係ではなく、純粋な兄妹のような庇護関係にある」という内容を、緻密な情報操作によって王都中に流布した。
彼は、単なる噂として広めるだけでなく、「ルイス王子の私的な発言を盗み聞きした」という形で、真実味を帯びた情報を貴族たちのゴシップ好きな奥様方や、社交界の権威ある新聞記者たちへ、不潔な変装で接触し、匿名で撒き散らした。
その狂信的な実行力は、もはや恐怖すら超えていた。
「デュフフフ。この『真理の醜聞』こそが、彼らの『呪いの愛』を『無害な慈悲』へと書き換える究極の術式である! 我の肉体が、汚れた情報のメディウムとなるでござる!」
わたしは、誰よりも自分の知恵と策を、狂信的なまでに完璧に実行してくれるこの男に、もはや生理的嫌悪ではなく、戦友としての絶対的な信頼を抱き始めていた。
2. 王都の反応と運命の書き換え
わたしの献策は、王都で猛烈な効果を発揮した。
· 貴族社会: 「ルイス王子が真に愛しているのはヴィオラではない」という噂は、彼らの関係を恋愛の領域から引きずり下ろし、「高貴な王子が、没落した美少女を哀れんでいる」という、政治的に無難な構図へと落ち着かせた。
· ヴィオラ: 彼女は、ルイスの庇護を受ける立場に甘んじ、「恋愛対象ではなく、大切な妹」という安定した地位を獲得した。彼女自身も、ルイスの隣で「愛の毒」に蝕まれる未来を回避した。
· ルイス王子: 彼は、世間の噂を否定することはせず、ヴィオラを「家族同然の存在」として扱い始めた。この瞬間、「愛の毒」が活性化する条件である「愛の確信」が崩れ去り、彼の精神を蝕んでいた呪詛は、沈静化ではなく、真の消滅へと向かった。
3. 呪詛の終焉と「呪いのブローチ」
コルテスが別邸に戻ったとき、彼はすぐに「真の研究室」へ向かった。わたしもついていく。
コルテスは、ルイスからヴィオラへ贈られた「呪いのブローチ」が保管されているクリスタルケースの前に立った。
「観測完了。呪詛は完全に消滅したでござる。ルイス王子の精神は、『愛の毒』から解放された」
ブローチは、もはや呪いの触媒としての力を失い、ただの美しい金細工へと戻っていた。
「貴様は、この世界で唯一、私の狂信的な論理を理解し、実行した知性である。貴様のおかげで、ヴィオラ様は救われた。我の『深淵の解体計画』は、これで最終段階を終えた」
コルテスは、わたしに向き直った。彼の顔には、ヴィオラへの狂信的な勝利の喜びと、何かを終えた後の虚脱感が同居していた。
4. 契約の完了と、真の崩壊
「契約は完了した。ルイス王子は救われた。貴様の『推し活』は、究極の形で達成されたでござるよ」
コルテスはそう告げると、ヴィオラの祭壇がある、不潔な方の研究室へ向かい、ヴィオラ人形たちを、一つ残らずゴミ袋に詰め始めた。
わたしは驚愕した。「何を……? ヴィオラ様が救われたのに、どうして……?」
「もはや、『観測対象』としての役割を終えたからでござる。この『汚れた祭壇』は、貴様を『狂信的な道具』として維持するための環境装置にすぎん。そして、我自身の『狂気のカモフラージュ』も、もはや不要である」
コルテスは、ヴィオラ人形たちをゴミとして扱うことに、一切の躊躇がなかった。彼の「愛」は、「救済」という目的にのみ向けられており、目的達成後の「対象物」には一切価値を見出していなかったのだ。
そして彼は、わたしに向かって、これまでで最も静かで、冷酷な言葉を告げた。
「貴様の役割も終えた。貴様はもはや、ルイス王子の『救済者』である必要はない。そして、我の『道具』としての価値も、もはや存在しない。貴様の自由である」
わたしは、「推し活」の達成という至上の喜びと、「狂信的な夫からの完全な拒絶」という絶望を、同時に突きつけられた。彼女は、地獄のような日々の中で得た、唯一の自己肯定感(コルテスの道具としての価値)を、完全に失った。
(わたしの地獄は、これから始まる……。この男は、私をゴミとして、この荒野に捨てるつもりだわ!)
わたしは、推しを救うという使命を失い、狂人のパートナーという地位も失い、完全に一人になった。この絶望こそが、悪役令嬢としての最後の崩壊であり、真の「コルテス」を呼び覚ます、唯一の引き金となる。
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最終章 真理の扉と、光沢のある伴侶
1. 究極の虚無とゴミ
ヴィオラ人形がゴミ袋に詰められた後、コルテスはわたしに向かって言った。
「貴様は自由である。貴様の自由の行使は、我が探求の範囲外。貴様の知恵は、王都で自立し、貴族社会で生きるには十分すぎる。行くがよい」
わたしは、絶望的な虚無感に襲われた。ルイス王子は救われた。しかし、彼女は今、誰にも必要とされない、真に孤立した存在となった。公爵令嬢としての名誉も、元婚約者の温情もない。あるのは、変人コルテスの元妻という、さらに醜い汚名だけだ。
「わたしは、どこへ行けばいいのですか……? あなたに道具として利用されることが、私の唯一の価値だったのに」
わたしは、初めて自己の存在意義を失った絶望を露わにした。その姿は、かつての意地悪な悪役令嬢ではなく、壊れた少女だった。
コルテスは、わたしのその崩壊した姿を、冷徹な分析の目で観測していた。
「デュフフフ。貴様が『愛の毒』からルイス王子を救い、『自己の役割』を喪失した。これこそ、真の呪詛の解体である。貴様の『役割への執着』は、呪詛の残りカスでござるよ」
2. コルテスの最後の実験
コルテスは、わたしの絶望を完全に無視し、最後に「真の研究室」の床下に隠されていた一つの小さな箱を取り出した。
「これこそが、我の『呪詛解体の真の目的』である」
箱の中には、ヴィオラ人形やブローチではなく、古びた一枚の写真が入っていた。そこには、美しい女性と、幼い少女が写っている。
「彼女は、我の母である。そして、彼女は、『世界の摂理』に抗おうとしたため、狂信的な実験者として社会的に抹殺された」
コルテスは、初めて「ヴィオラへの狂信」とは全く異なる、人間的な怒りを露わにした。
「我の探求は、ヴィオラ様という『ヒロイン』を通して、『世界の摂理』を観測し、『物語という運命のシステム』を書き換える『理論』を確立することだった。ヴィオラの救済は、母の復権のための『実験の成功証明』にすぎん」
「貴様。最後の質問である。貴様は、この狂信的で、貴様を道具としか見なさなかった男の元に残るか? それとも、自由という名の孤独を選ぶか?」
「この狂信が、貴様の『知恵』と『精神』を、誰よりも強くしたことは真実である」
わたしは、コルテスが自分のためではなく、母の復讐という究極の合理性で動いていたことに、戦慄と、究極の感動を覚えた。
(彼は、誰かを裏切ることはあっても、自分の信念と目的に対しては、絶対に裏切らない。この狂信こそ、私が求めていた絶対的な安定だった!)
3. 告白と「コウタ」の覚醒
わたしは涙を拭い、コルテスに真実を告げた。
「わたしは……残ります。あなたを、道具としてではなく、私の運命を委ねる、唯一の共犯者として選びます」
「あなたこそ、私の知恵を、誰よりも必要とし、評価してくれた。あなたの狂気は、私の知恵と組み合わさることで、世界を動かす真理となる。わたしは、もう孤独には戻れないわ!」
わたしが、「推しへの愛」でも「名誉回復」でもない、「狂信者との共犯関係」という歪んだ愛を選んだ瞬間、コルテスの「観測」は完了した。
コルテスの周囲に、淡い光が溢れ出した。
その光は、コルテスの無精髭や汚れを全て払い落とし、ヨレヨレのコートも上質なスーツへと変わった。
そして、そこに立っていたのは、光沢のある髪と、シャープな顔立ち、理知的な瞳を持つ、ラノベ主人公のようなイケメンだった。
「デュフ……いや」
イケメンとなったコルテスは、穏やかな、しかしどこか見慣れた声で言った。
「システム書き換え完了。君を、孤独な『悪役令嬢』という運命から、『真理の探求者』という伴侶の隣へと導いた。アリシア、君の知恵は、本当に素晴らしかった」
わたしは、その光沢のある姿を見つめ、涙を流しながら笑った。
「ああ、もう。そういうところが、本当にラノベ主人公なんだから。もう、コルテスとは呼ばないわ」
わたしは、彼の真の姿と愛を受け入れ、その名を呼んだ。
「ようこそ、コウタ」
4. エピローグ:二人の探求
こうして、悪役令嬢アリシアは、キモオタで狂信的な変人として追放された夫、コウタ・フォン・コートランドと、「世界の摂理を解剖し、書き換える」という、究極の歪んだパートナーシップを結んだ。
ルイス王子とヴィオラ嬢は、穏やかな兄妹愛を育み、幸せな日々を送っている。そして、王都の貴族たちは、コルテス伯爵家が「謎の超富豪」として、再び社交界に名を連ね始めたことに、困惑している。
二人の研究室は、不潔な「ヴィオラ祭壇」から、わたしの知恵とコウタの探求心が融合した、「真理の聖域」へと生まれ変わった。
「次の『世界の摂理』への献策は、これだ。コウタ」
「承知したよ、アリシア。君の知恵が、僕の『光ある未来』を切り開く」
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