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第三章 裏側の物語の起動
1. 献策の投函と狂気の配達人
荒れ果てた別邸の一室。わたしは、コルテスに命じられたとおり、ルイス王子の次の窮地を救うための献策を手紙に記した。今回は、王子の資金難を解消するための、国営鉱山の新事業提案だ。
「……できたわ。これを、ルイス王子の信頼する側近に届くように手配して、コルテス様」
わたしは羊皮紙を丸め、コルテスに手渡した。
コルテスはメモを受け取ると、いつものようにヴィオラ様の祭壇の前に立った。彼には特殊な能力などないから、この手紙を「瞬間転送」することはできない。
わたしはてっきり、彼がどこかの怪しい業者を使うのかと思っていた。しかし、コルテスはヨレヨレのコートの上に、さらに奇妙なフード付きの外套を羽織り始めた。
「デュフフフ。我が『知の刃』が生み出したこの『運命の書き換えの書』は、我自身が『呪詛解体の配達人』となり、責任をもって投函するでござる」
「え? あなたが?」
「当然であろう。このヴィオラ様救済の最重要情報を、凡庸な運送業者などに任せられるか! 我が汚れた肉体など、ルイス王子の周囲に潜む『呪詛の眷属』の視線を逸らす囮として役立つのならば本望である。我は今から王都へ行く」
わたしは絶句した。「ヴィオラへの狂信的な愛」が、肉体的苦痛や社会的な危険を顧みないという、一種の絶対的な忠誠心へと転換されている。彼は、献策メモを抱え、まるで秘宝を守るかのように、悪臭を放つ馬車で王都へと向かった。
(あの変人が、自分の汚い身体をルイス様を救うための道具として使っている……。こんなにも純粋に狂った献身を、わたしは初めて見たわ)
2. 観測の日常と精神の摩耗
コルテスが王都に赴いているあいだ、別邸は静寂に包まれた。わたしは一瞬の安堵を覚えたが、すぐにその安堵は消え失せた。
わたしの生活は、「情報分析」と「劣悪な環境との戦い」、そして「コルテスの帰りを待つ精神的な緊張」の三つに支配されていた。
· 情報分析: コルテスが残していった王都の噂話や新聞記事の膨大なメモを読み解く。メモには、彼の厨二病的な注釈(例:「これは『兄王子の呪詛』の末端現象である」)がびっしりと書かれており、読解に途方もない労力を要する。
· 環境との戦い: 誰もいない別邸では、水汲みや薪集め、最低限の掃除もわたし自身が行わなければならなかった。公爵令嬢だったわたしにとって、それは肉体的な屈辱であり、「王都での輝き」が急速に失われていくことを意味した。
二日後、泥と血の汚れた傷が治りきっていないコルテスが帰還した。彼は成功を告げる。
「投函完了。誰も我の『深淵の配達人』の姿を捉えることはできんかった。成功でござる。貴様の『情報』に狂いはなかった」
彼は労いの言葉一つなく、ただわたしの「情報品質」が落ちていないかを心配した。わたしは、彼に一切の感情がないことに、一種の信頼と、深い孤独感を覚えた。
3. 歪んだ自立と自己肯定感
コルテスとの共同作業が日常となるにつれ、わたしの自己認識は歪んでいった。
わたしは、「ルイス様を救う」という使命と、「コルテスの狂信的な探求を満足させる」という目的のために、自分の知性をフル活用しなければならない。
· かつて: わたしは、王子のアクセサリーを盗むなど、くだらない悪事を繰り返していた。それは、誰からも注目されない自分への、歪んだ承認欲求だった。
· 今: わたしの知恵は、一国の運命に関わる献策を生み出している。
(この狂人に利用されているとはいえ、わたしは世界を動かしている。私の知恵は、誰よりも優れているわ……!)
コルテスはわたしを「道具」として、徹底的に必要とした。この「道具」としての価値が、「人間」としての愛を失ったわたしの、唯一の自己肯定感になっていた。コルテスは、最も不快な方法で、わたしに「君は必要だ」と伝え続けていたのだ。
4. 王都の波紋とルイスの困惑
数日後、王都の新聞には、ルイス王子が鉱山事業の画期的な献策を実行に移し、財政難を脱したという記事が載った。
ルイス王子は困惑していた。
「この献策は、あまりにも的確だ。まるで、未来を知っている者が書いたようだ……。以前の財政問題も解決した。これは、アリシアではないのか? だが、彼女は追放されたはず……」
王都では、「追放されたはずの悪役令嬢アリシアが、王都の影からルイス王子を救っているのではないか」という新たな噂が流れ始める。
わたしの汚名(悪役令嬢)は、「不気味だが有能な影の策士」という、さらに異質な汚名に塗り替えられ始めた。
わたしの努力は、「名誉回復」というお約束とは程遠い、「異端な存在」としての道を歩み始めていた。
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第四章 運命の連鎖と、狂気の綻び
1. ルイス王子の「影の策士」捜索
ルイス王子は、届き続ける匿名の献策により、絶望的な窮地を脱していた。しかし、彼はこの「影の策士」の正体が気になって仕方がない。
「この知恵は、国家の未来を見通しているようだ。しかし、その手紙には、どこか冷たさと苦渋が滲んでいる……」
ルイスは、この献策が追放された元婚約者であるわたしのものではないかと疑い始めていた。彼は、私的な情報網を使い、手紙の筆跡や使用されている羊皮紙の出処を秘密裏に調べ始めた。
ルイスのこの行動こそが、コルテスの狂信的な観測が的中させた「呪詛の連鎖」だった。
2. コルテスの苛立ちと「道具」への嫉妬
ルイス王子が策士を捜索し始めたことを、コルテスは独自の情報網(新聞の小さな記事や王都の噂)から察知した。
「デュフフフ……ルイス王子が『呪詛の根源』たる匿名の手紙に、人間的な興味を抱き始めた! これは『運命の法則』に対する重大な干渉である! 貴様の『情報』が、ルイス王子の『自己の欲望』を引き出してしまったでござるよ!」
コルテスは激しく苛立ち、わたしに詰め寄った。
「貴様、手紙に『過剰な感情』を乗せたのではないか? 貴様の使命は、ルイス王子を救い、ヴィオラ様を幸福な運命へと導くこと。貴様の個人的な『推しへの愛』を混ぜるな!」
「わたしの個人的な感情ですって? あなたこそ、ヴィオラ様への狂信的な愛しか持たないくせに!」わたしも思わず反発した。
「愚かなり! 我の愛は『真理の探究』という合理的な使命に昇華されている! 貴様の感情は、運命の軌道を乱すノイズである!」
コルテスは、わたしのルイスへの献身が、自分のヴィオラへの狂信と同じくらい純粋で強烈なものであることに気づき、「道具」であるはずのわたしに、ルイスへの「愛」というノイズが生まれていることに嫉妬と焦燥を感じていた。
3. 共同作業の限界と次の難題
わたしとコルテスの関係は、より緊迫したものになった。コルテスはわたしの「知恵」を渇望し、わたしは彼の「情報網」と「実行力(手紙の投函と護衛の配備)」に依存している。
しかし、二人の目標は一致していても、動機は永久に交わらない。
次の難題は、ヴィオラを陥れようとする、レオンハルト王子側の巧妙な罠だった。
ルイス王子が追っている「匿名の手紙の差出人」を、逆に罠にかけて捕まえようという計画が密かに進行していた。罠が発動すれば、手紙を投函しに来たコルテスが捕まるか、あるいはわたしが提供した情報が、ルイス王子を裏切った証拠として利用されてしまう。
「コルテス様、この情報によれば、次の手紙を投函すれば、あなたは間違いなく捕まります。そして、もしあなたが捕まれば、ルイス様を救う道は永遠に閉ざされる」
わたしは震える声で告げた。わたしの心には、ルイス王子への使命と、自分の唯一の協力者を失うことへの恐怖が同居していた。
4. 狂気の綻びと一瞬の選択
コルテスは、ルイスの裏に潜む陰謀の情報を聞いても、デュフフフと笑うだけで、冷静だった。
「ククク……我の『汚れた肉体』が捕まっても、『真理の探究』は続く。我は、この情報をヴィオラ様の祭壇に供えるでござる。貴様は次の手を考えろ。貴様の知恵は、我が命より重い『道具』である」
そう言いながらも、コルテスは自分の血と泥のついた傷を、無意識に触れていた。あの山賊に殴られた傷は、「情報」を守るために負った、彼の狂信の勲章だった。
わたしは決断を迫られた。
· A. 献策を中止し、ルイスの救済を一時断念する。
· B. 献策を続行し、コルテスが捕まるリスクを負う。
(ルイス様を救うためには、コルテス様が必要。この狂人が、ただのキモオタではなく、世界で唯一、わたしの知恵を理解し、命を懸けて実行してくれる人物だと、わたしは気づいてしまったのよ……!)
わたしは、自分の使命と、協力者への依存という、新たな葛藤に直面するのだった。
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