1
1
屈辱と、汚れた花婿
第一章 断罪の婚約破棄
公爵令嬢アリシア・フォン・コートランドは、人生で最も屈辱的な瞬間に立たされていた。
王城の謁見の間。中央には、冷酷な表情を浮かべた第一王子レオンハルトが立っている。
「アリシア・フォン・コートランド! 貴様との婚約を破棄し、直ちに領地追放とする!」
――ああ、推し!
中身は前世の乙女ゲームオタクであるアリシアにとって、レオンハルト王子は最高のヒーローだった。だが彼の冷徹な宣告は、濡れ衣を着せられた彼女を一切信じていない証拠だった。
(仕方ないわ。わたくしが悪役令嬢として断罪されるのは、運命通り……)
彼女の真の目的は、この後悲劇的な運命を辿る第二王子ルイスの救済だ。アリシアは気丈に顔を上げ、静かに一礼した。
「承知いたしました、殿下。わたくしはただ、静かにこの国を去ります」
潔く受け入れたことで、王子は戸惑いを滲ませたが、アリシアはもう彼の顔を見なかった。彼女の視線は、群衆の陰にいる、いつも影が薄い第二王子ルイスに向けられていた。
---
第二章 変人との強制結婚
追放の命令が下された直後、事態はアリシアの予測を遥かに超える方向に転じた。
レオンハルト王子に代わって、宮廷書記官が震える声で告げる。
「追放先は、魔物が出没する国境近くの荒地、コートランド領内とする! しかし……公爵令嬢たる貴女を、平民の身で放り出すわけにはいかない。王家は、貴女の身分維持のため、結婚を命じる!」
アリシアは息を呑んだ。「け、結婚!? いったい誰と!」
書記官は顔を青くしながら、王子の後ろに控える一人の男を指した。
「婚約者は、コルテス・フォン・コートランド伯爵令息殿である!」
謁見の間に、ざわめきと、露骨な嫌悪の空気が広がった。
そこに立っていたのは、アリシアの知る限りの貴族社会で最も忌み嫌われている人物だった。ボロボロのコートを着て、無精髭を伸ばし、悪臭を漂わせる男――コルテス・フォン・コートランド。
アリシアは思わず声を上げた。
「こ、コルテス……わたくしと同じ、コートランド!? まさか、あの傍流の者と!?」
書記官は辛そうに頷いた。「然り。その領地は、コートランド家の分家であるコルテス伯爵家の所領。貴女の追放と同時に、彼の元へ嫁がせるのが、家門の汚点を最も少なくする最善の方法と判断されました!」
王子は冷たく言い放った。
「貴様は、彼の妻として領地へ赴け。貴族として死ぬこともなく、我々も貴様を二度と王都に呼び戻す必要もない。これは、貴様への慈悲である」
最悪の変人と同姓のまま結ばれる、生きたままの社会的な抹殺。アリシアは絶望に打ちのめされながら、その不潔な男――コルテスを見つめた。
---
第三章 汚れた花婿の狂笑
コルテスは一歩前に出ると、その無精髭の下で口角を歪めた。
「デュフフフフ! 最高の配役である。まさか、我が本家筋の特異点が、こんな形で嫁いでくるとはな!」
彼の悪臭と、その異様な狂気に満ちた笑いが、謁見の間に響き渡る。
「では、我が妻よ。さあ行こう。ルイス王子を救いたいという貴様の『執着』、その深淵の呪詛を解くために、共にこの世界の『裏側の物語』を紡ぐでござるよ!」
「デュフフフフ!」
こうして、断罪された悪役令嬢アリシアは、同姓のキモオタな狂信者であるコルテスの妻として、最果ての荒地へと旅立つことを強制されたのだった。
---
第四章 荒野の結婚と、歪んだ契約の履行
1. 荷馬車の悪夢と変人の暴走
謁見の間を出た瞬間、アリシアの公爵令嬢としての地位も、最後の尊厳も剥奪された。
コルテスが用意したのは、異様に古びた荷馬車だった。荷台にはガラクタや変色した羊皮紙が積み重ねられ、周囲には酸っぱいような悪臭が立ち込めていた。
「デュフフフフ。貴様のような『特異点』を乗せるには、この『真理探究の移動要塞』が最適である。さあ、乗るでござるよ」
コルテスはヨレヨレのコートをまとい、無精髭の下で気持ちの悪い笑い声をあげた。アリシアは生理的嫌悪で顔を顰めながら、これがルイス王子を救う唯一の道だと自分に言い聞かせ、かろうじて乗り込んだ。
道中、コルテスは手帳を弄びながら、アリシアに延々と語り続けた。
「ルイス王子に刻まれた『深淵の呪詛』は、貴様の持つ『情報』なしには解体できん。貴様は我が知の刃である。最高の切れ味を維持するでござるよ、デュフフ!」
彼は、自分がチートな力を持っているという妄想に終始しており、その狂信的な言葉と、絶え間ない悪臭と、荷馬車の激しい揺れが、アリシアの神経を極限まですり減らした。
(この男は本当に、気持ちの悪い狂人だわ。自分の命綱が、こんなにも不潔で異常な人間だなんて……)
2. 山賊の襲撃と狂信的な醜態
山賊が出没する危険な荒野に差し掛かったとき、十数人の山賊が馬車を取り囲んだ。
「動くな! 持っているものを全て置いていけ!」
アリシアは恐怖で硬直したが、すぐに覚悟を決めた。ここで頼りになるのは、自分の知恵だけだ。
咄嗟に大声で叫んだ。「触れるな!この馬車には、王都を追放された伝染病の実験体が乗っているのよ!近づけば、貴方たちも呪われて死ぬわ!」
しかし、山賊の頭領は予想外に強欲で凶暴だった。「へっ、悪役令嬢様じゃねえか。呪いなんざ知るか!貴様らの金目のものと、その小娘の持ってるメモを置いていきやがれ!」
絶望的な状況。山賊の一人が、アリシアが肌身離さず持っていた「ルイス王子への献策のメモ」を奪おうと手を伸ばした。
その瞬間、物理的な戦闘能力が皆無なはずのコルテスが動いた。
「そこを退け、取るに足らぬッ! その情報こそ、ヴィオラ様の運命を書き換える『神の書』であるッ!」
彼は武器ではなく、そのメモを抱え込み、山賊に向かって醜態を晒しながら飛びかかった。アリシアの身体を庇うどころか、メモ(情報)を最優先した行動だった。
山賊はコルテスの狂気に一瞬怯んだが、すぐに怒号を上げて汚れた拳を振り下ろした。コルテスはメモを腹部に抱きしめたまま、無残に殴打され、顔や手に泥と血まみれの醜い傷を負った。
3. 認識の反転と別邸の現実
コルテスが予想外の抵抗で時間を稼いだこと、そして彼の「呪われた変人」としての噂が功を奏し、たまたま通りかかった自警団の別働隊が山賊に気づき、山賊は退散した。
コルテスは息も絶え絶えになりながらも、メモを確認した。
「……メモは無事。呪詛解体は続行可能。貴様、道具のメンテナンスは怠るな」
アリシアは、感謝ではなく、生理的嫌悪と憐憫を抱いた。彼は自分を助けたのではない。情報という「道具」を守るためだけに、自分の肉体を「汚れたゴミ」として投げ出したのだ。
しかし、その狂信的な献身は、アリシアの心を深く揺さぶった。
(彼は、私の命よりも、私の使命を達成するための情報を守ることに命を賭けた。この狂気は、自分の保身しか考えない臆病な王子たちとは比べ物にならない……。この男は、私を裏切らない)
アリシアは、コルテスへの嫌悪を「信頼」という歪んだ形に変え始めた。
そして、ようやくたどり着いたのは、「コルテス伯爵家」の居城とは名ばかりの、荒れた森に囲まれた古い石造りの別邸だった。
4. ヴィオラ祭壇と歪んだ契約の履行
別邸の「呪詛観測室」に入ると、アリシアは再び息を呑んだ。部屋の壁と棚の全てが、ヴィオラ――ゲームヒロインのグッズで埋め尽くされていた。
コルテスはアリシアに、汚い手でメモを渡すことすら拒否し、清潔なトレイに載せて差し出した。
「貴様を抱くなど、我の『真理の探究』の邪魔でござる。我の愛すべきは、ヴィオラ様の救済という『使命』と、貴様の持つ『情報』のみである」
「貴様の身体など、汚らわしい。貴様は隣の小部屋へ行け。我はここでヴィオラ様と共に寝袋で夜を過ごす」
コルテスは、ルイスが現在抱える危機を告げ、「貴様は、この問題の解決策を記した『匿名の献策の手紙』を、ルイス王子に送り続けろ。貴様の知恵は、この世界で最も貴重な呪詛の解毒薬となる」と命じた。
アリシアは、吐き気を催すほどの悪臭の中で、ヴィオラの祭壇を見上げ、ペンを握りしめた。
(コルテス様は狂信的だが、その狂気を利用し、私はルイス様を救う。そして、この男は私の使命を決して裏切らない。この結婚は地獄だが、私の知恵と努力で、この狂人の枷を乗り越えてみせる!)
こうして、断罪された悪役令嬢は、キモオタな狂信者の妻として、「ヴィオラ様を救うため」の、歪んだ匿名推し活を開始したのだった。




