82. 実戦ってのは、教科書通りにはいかないものだ。
灰火猿が最初に動いた。
灼熱大猿の両脇を固めるようにしていた灰火猿二体が、低く喉を鳴らし、左右へ散る。
狭い通路を広く使うような動きだった。
逃げ道はなくなったことで、灰火猿がただ前に出るだけではないと皆理解する。
そして、灰火猿が、朝日 大我たちの前衛と津波黒 凪たち後衛の間に、身体をねじ込んだことで、誰がどこを通りたいのかを理解した上で、その進路だけを潰しに来たことが理解される。
朝日大我が大剣を来る攻撃に対応できるよう構えながら、眉を顰め舌打ちを付きそうになるのを飲み込む。
(――くそ、猿のくせに賢い。)
そう思ったのは、大我だけではなかった。
木戸 琥珀も余裕そうな笑顔が引きつらないように、頭を回転させる。
(灼熱大猿は真正面でその両脇に灰火猿。しかも通路は狭く、壁際は熱で歪み、足場も平坦ではない。)
(前衛だけが前に出て、後衛は安全圏から撃つ。そんな教科書通りの形を、最初から取らせる気がないね。)
(来るのがわかってたから、中距離にルリが下がれた。それにうまく僕とダイヤが中距離寄りにいたからうまくいったが、出なければ、後衛を先につぶされて全滅していたな。)
「タイガー、シュガービー、正面来るよ。」
同じように前衛を任された日暮 陽が、短く告げる。
「分かってる。」
大我は大剣を握り直した。
掌が汗ばむ。
だが、それ以上に熱い。
空気そのものが濃く、呼吸のたびに肺の内側を炙られているようだった。
灼熱大猿が一歩踏み出す。
その一歩だけで床石が砕けた。
踏みしめるというより、地面を押し割って前へ出るような動きだ。
赤く光る腕がゆっくりと持ち上がる。
「ウルフサン、左から。」
「了解。」
陽の長剣に水が纏わりつく。
詠唱はない。
心の中で魔力を流し込むだけだ。
刃に沿って水が薄く膜のように走り、青白い光を帯びる。
大我が先に入る。
正面から。
迷いなく。
大剣を肩口から振り下ろす。
ドォンッ!!
金属と硬質な岩がぶつかったような音が通路に響く。
灼熱大猿は大剣を腕で受けた。
毛皮の炎が爆ぜ、火花が飛ぶ。
重い。
大我の両足がずるりと後ろへ滑る。
その瞬間、陽が横から斬り込んだ。
水を纏った長剣が、灼熱大猿の左肩へ吸い込まれる。
ジュウッ、と蒸気が立つ。
切れている。
浅いが、確かに通った。
「入った!」
陽が叫ぶ。
だが、灼熱大猿は怯まない。
むしろ肩を捻って陽の剣を外へ弾くと、そのまま反対の腕で大我の胴を薙ぎ払おうとする。
中距離から水の槍が飛んだ。
琥珀である。
杖を前に滑らせ、魔力で組み上げた中級水魔法を三連で放つ。
一本目が肘関節。
二本目が喉元。
三本目が膝裏。
大我と陽の動きに合わせ、灼熱大猿の体勢を一瞬だけ崩すための配分だった。
蒸気が爆ぜる。
そのわずかな乱れに、大我が身体を開いて一歩外れ、陽が再び入り込む。
「シュガービー、助かる!」
「まだまだ行けるよ。」
琥珀はそう言ったが、心の底では冷静に計算していた。
――効いていないわけじゃない。
確実に削れている。
水魔法は通っている。
陽の斬撃も、大我の一撃も、表皮だけでは終わっていない。
だが、思ったより深くない。
そして何より、相手の熱量が想定より高い。
(まずいな。)
琥珀は内心で呟く。
(これ、想定していた火属性強化の幅を超えてる。)
だが、そこで焦りを表に出しても意味はない。
琥珀は杖を返し、今度は広がる蒸気の向こうへ補助魔法を通す。
前線だけではない。
その一つ後ろ。朝日 大弥は変形弓を握り、身体を低くしていた。
片腕には魔導盾。
弓主体。
だが盾も捨てていない。
視線は広い。
灼熱大猿だけではなく、灰火猿の動き、琥珀の立ち位置、後方の城戸 真珠と金出 響、地面に立つ津波黒 凪の様子まで追っている。
「モンド、右の灰火猿が上がる!」
瑠璃の短い声。
「見えてる!」
大弥は即座に矢を放った。
詠唱はない。
ただ、魔力を練ろうとして、少しだけ顔を顰める。
――まだ、上手くいかない。
二日前に魔法核を撃ち抜かれた影響は、思った以上にしつこかった。
身体強化はほぼ使えない。
魔力の流れを無理に速めると、途中で引っかかる。
だが、弓を引くことそのものは体に染み込んでいる。
矢は灰火猿の目元を狙って飛ぶ。
ガキンッ!!
灰火猿は腕で受けた。
だが狙いは命中ではなく牽制。
その間に瑠璃が床を蹴る。
乙犬 瑠璃は、通路の壁と壁の間を使うようにして戦っていた。
真正面から受けない。
止め続けない。
噛み合う前に位置を変える。
灰火猿の足元に先ほど仕掛けていた魔道具の罠が発動する。
足首に巻き付く金属線。
遅延。
拘束。
火属性魔物相手なので、通常の糸型ではなく、熱耐性を持つ短時間拘束用のものだ。
灰火猿がそれを引きちぎるより先に、瑠璃の短剣が脇腹へ走る。
浅い。
だが、動きを止めるには十分。
「ラピス、左!」
今度は響の矢。
響は壁上にいた。
高所から狙いを絞る。
真珠と並んでいるが、撃ち方は違う。
響の矢は、矢そのものを水魔法で形成している。
一点集中し、貫通重視。
真珠の矢より、威力はある。
だが練度が足りず、刺さることは刺さっても、奥まで持っていききれない。
「すまん、貫通しきれない!」
「それでいい、トパーズ!気にせず、そのまま矢を連弾!」
矢とともに、琥珀の指示が飛ぶ。
矢は続けて、灰火猿の肩口へ向かう。水で形成された矢が、炎を抉りながら突き刺さり、灰火猿が唸る。
「……水よ。」
その隣で真珠が小さく呟く。
声に出してしまうのは、彼女のよくない癖ではあるが、大仰な詠唱ではない。
ただ、属性に意識を向けるための小さな喝で、本人も無意識に近い。その口を魔物に読まれることもあるが、うまい具合に響の矢の攻撃と被る為、猿たちには気づかれていない。
「いけ。」
真珠によって、放たれた矢は薄い水膜が乗る。
瑠璃が上手く作った隙間へ真珠の矢は吸い込まれ、灰火猿の首元を掠める。
ジュッ、と白い煙が上がった。
「続けます!」
当たったことに、喜びの声が出そうになる真珠は、声に少しだけ明るさが混じりつつ、次の矢を準備する。
(威力は弱いけど、私の矢でも効いている!浅いが、効いているのであればこのまま続けるのみ!)
響の弓矢や琥珀の魔法より威力は劣るが、精密さは確実で、真珠にとって、それが救いだった。
響も同じように思う。
(俺の矢はそこそこの威力のはずだ。実際、効いてないわけじゃないし、真珠よりも聞いているが…ほんと硬い皮だ。倒し切れない!)
(焦るな。威力の弱い昔と同じ!ただ正確にひたすら、当て続ければいい!焦るな、冷静に!)
真珠よりも、響に焦る気持ちが湧き上がる。それもそのはずで、高校2年生の響は5年間ダンジョンの学生の見習い探索者をしている。高校2年生ともなると、正式に探索者になるものも多く、響もまた、ルーキーと呼ばれる探索者と引けを取らない。
学生推奨の魔物を相手にし、ここ最近では1発貫通の敵ばかりであった。
だからこそ、ベテラン探索者やダンジョンマスター手前クラスの灼熱大猿や灰火猿などの自分より強い相手との戦闘は久々で、普段と違う結果に焦りを感じているのだ。
(硬い。)
(思ったより、ずっと、硬い!)
(これ、灰火猿だけでも普通に厄介だぞ、どうすれば!)
後方の地面。
そこに一人、杖を構えているのが凪だった。
津波黒凪は、この中では最年少であり、見習い探索者として最低年齢でこの場にいる。
最年少で調査探索に呼ばれるとあって、支援役としての能力は高く、彼女の魔法が今のダンジョン塾仲原校と猿たちの均衡を作っていた。
凪は炎の向こうで戦う仲間を見ながら、杖を持つ手に力を込める。
「風よ、巡り巡れ。」
淡い光が前線へ流れる。
機動補助により、陽の踏み込みが軽くなる。
間を置かず、次の魔法。
「火よ、終息せよ。」
灼熱大猿の周囲に絡みつくように風が巡り、熱の流れを少しだけ乱す。
完全な封殺にはならないが、陽と大我が踏み込むための一拍は稼げる。
さらに、灰火猿へ
「動きを鈍らせて、水性デバフ!」
すぐに瑠璃にも、補助魔法をかける。
「颯の如く、動け!」
瑠璃が動きやすくなったことで、真珠の矢が、通りやすくなる。
真珠の矢の影に合わせて、響が矢を放つ。
瑠璃が補助魔法や妨害魔法を行うたびに、攻撃はなめらかに、回避はすべらかに、次々と連鎖していく。
その様子に、凪は自分の魔法がきちんと作用していることを確認し、少しだけ息を吐いた。
(まだ、大丈夫。)
(まだ戦えてる。)
(ちゃんと役に立ててる。)
そう思ったのに。
次の瞬間ー。
胸の奥が、ずるりと重くなる。
(……え。)
杖を持つ指先に力が入りづらい。
呼吸が少し浅い。
(、何?)
(なんか……変かも、?)
凪は眉を寄せる。
(熱い……?)
(いや、元から熱いけど。)
(違う。なんか、内側から?)
魔力を回そうとした瞬間、いつもよりごっそり削られた感覚があった。
魔法一つ分ではない。
もう少し大きい。
支援を二重に重ねた時くらいの消耗に近い。
(なんで?、暑いから?)
(今の魔法、魔力、そこまで使ってないのに…なんで?)
だが、凪の思考する時間はなかった。
戦闘は上手いように、止まってくれない。
だから、凪は不安よりも先に、補助魔法を放つしかなかった。
前線では大我が灼熱大猿の拳を受け、陽が横から斬り込み、琥珀がその二人に合わせて水魔法を差し込んでいる。
灰火猿も、瑠璃と大弥の牽制、響と真珠の援護で辛うじて通していない。
凪が止まれば、崩れる。
「風よ、巡れ。」
もう一度、凪は詠唱する。
その声は、熱に少し掠れていた。
だが本人は気付いていない。
(変だ。なんか、体調悪い……?)
(でも、でも!今、こんなの考えてる場合じゃないんだよ!)
凪は精一杯の無表情で、不安を押し隠した。
そのおかげか、仲間はまだ気付いてない。それに少し胸を撫で下ろす。
ーしかし、それは悪手である。
誰よりも知られたくない相手。
そう、他でもない灼熱大猿は気付いていた。
赤い眼が細くなる。
前線の二人は厄介で、中距離の水魔法も邪魔。
壁上の射手も鬱陶しい。
しかし、それらを繋いでいる核は別にいる。
後方の地面。
杖を持つ小柄な支援役。
あれがいる限り、動きが揃い、あれがいる限り、連携が保たれる。
思考回路は人の言葉ではないが、しっかりしている灼熱大猿。
灼熱大猿の狩りの視線が、一瞬だけ凪へ向いた。
それを最初に察したのは、大弥だった。
「……っ。」
矢を番えながら、ほんの少しだけ顔色を変える。
視線の流れ。
体の向き。
誰を次に見たのか、、、。
元々、弓使いだった大弥は静かに視線を晴らせ、どこに隙があり、どこが狙われるか。誰が一番危険で、どこまで攻撃は想定されるのか?
弓使いの癖は、武器を変えたくらいでは抜けない。
(まずい。)
だが、大弥はそれを声にしない。
言った瞬間、全員がそちらを見る。
灼熱大猿ほど賢い相手なら、その混乱を見逃さない。
だから代わりに、灰火猿へ矢を撃ち込む。
牽制。 二射。 三射。
瑠璃がその隙に位置を変え、灰火猿をさらに通路端へ誘導する。
床に新しい魔道具罠を投げる。
起動。
炎耐性のある小型爆裂杭。
足止め。
傷は浅いが、進路を歪めるには十分。
「ラピス、まだ行けるか?」
響が叫ぶ。
「行ける。」
瑠璃は短く返し、短剣を返し、その声は静かだが、汗が首筋を伝っている。
ここで、琥珀も気付く。
(凪の魔力の流れが、少しおかしくないか?)
(支援の質は落ちていないが、回転が荒い。無駄に削れているのか?)
(どうしんだ?、緊張のしすぎ……じゃないな。)
(この熱の中で、何か引っ張られてるのか?)
琥珀は大我の背中へ補助を送りながら、ちらりと凪を見る。
凪は杖を握り、まだ立っている。
だが呼吸が浅い。
熱にやられた時の赤さではなく、体の中を無理やり削られているような顔色だった。
「タイガー、三歩下がって。次、正面来る。」
「了解!」
陽の指示に、大我が一度退き、陽が前へ出る。
水を纏わせた長剣が灼熱大猿の膝を狙う。
その瞬間、灰火猿の一体が横から飛び出した。
「ウルフサン、横!」
「分かってる!」
琥珀は慌てて、声をかけ、陽が体を捻ってかわす。
だがそのせいで灼熱大猿への斬撃が浅くなる。
真珠が思わず声を漏らす。
「火よ……っ。」
火属性の付与矢を今度は灰火猿の横腹へ。
流れの違う火の矢は、灰火猿の腹で爆ぜ、少しだけ体勢が揺れる。
すかさず、響が続けて水矢を撃ち込む。
目ではなく膝なのは、動きを少しでも止めるための射撃。
「止まれ……!」
矢が膝に刺さり、灰火猿の動きが鈍る。
だが倒れず、手で走り止まらない。
――あと一歩。
全員が同じことを思う。
あと一歩押せば、灰火猿の片方は崩せる。
片方が崩れれば、灼熱大猿へ集中できる。
そうなれば、まだ勝ち筋はある。
その希望があるから、誰も下がらない。
そして、その希望があることを、灼熱大猿も理解していた。
咆哮の前触れのように、胸が大きく膨らむ。
熱が集まる。
凪の背筋が、ぞわりと粟立つ。
(……なに?)
(なんか、すごく嫌な……。)
だが、その正体を考えるより先に、前線で大我が踏み込み、陽が斬り込み、琥珀が水魔法を重ねる。
瑠璃が灰火猿を翻弄し、響と真珠がその僅かな隙へ矢を通す。
大弥は中距離から瑠璃を助けつつ、灼熱大猿の視線だけは見失わない。
戦えている。
確かに押されつつある。
それでも、まだ戦えている。
――だからこそ。
次に均衡が崩れた瞬間が、あまりに鮮明だった。
灼熱大猿が、喉の奥を震わせた。
ただの威嚇ではない。
音というより、火属性の魔力を帯びた衝撃そのもの。
その赤い眼が、まっすぐに凪を捉える。
そして、灼熱大猿は笑うように口を開いた。




