79.ストレス発散は突然に。
八階層下。
空気が焼ける。
湿り気の名残と火の圧が混ざり合い、息をするだけで喉が痛む。
雷槍は笑っていた。
「いやー。相性悪いわ、これ。」
海翔の泥魔法は火属性に有効ではあるが、威力が足りない。
特にここの灼熱猿は動きが軽く、泥は当たらず拡散する。
当たっても蒸発し、腐食が有効打にならない。皮も硬く、お得意の弓も効果が薄い。
玄真の精密術式も、熱でわずかに歪む。
氷魔法も風属性の干渉が強く、すぐ蒸発する。弱体化はできるが、決定打に欠ける。
雷槍自身も、雷・風・土・水の複合属性という珍しい体質だが、単体展開ができない。
速度で当てることはできるが、火属性相手では水属性ほど有効にはならない。
戦えないわけではない。
だが――削られる。
「……! 意外に早いなぁ。」
雷槍が、轟々と上から響く音を感じ取った。
そして、次の瞬間。
圧。
「あぁ……姉さんか。」
自分の呟きに気づかない玄真と海翔に苦笑しながら、雷槍は防御姿勢を取る。
「………っ。」
背筋に冷たい汗が伝う。
空気が重くなる。
重く。
さらに重く。
立っているだけでも、圧し潰されそうになる。
これが――
ゴリラと名乗る、師であり、姉であり、仲間の殺意。
(珍しいなぁ。姉さんがここまで殺意むき出しなんて。)
遅れて、水の結界が展開される。
透明。
だが盾のように硬い。
そして――
結界の内側を、冷気が走った。
ゴリラ先生が、内部魔力干渉を上書きし、結界に温度緩衝と衝撃緩和の性質を付与したのだ。
耐熱服越しでも暑かった空気が、わずかに涼しくなる。
(魔物に同情するのもどうかと思うけど……。)
雷槍は、灼熱猿を見た。
(ウチのボスゴリラは、年に数回あるかないかの機嫌が悪い日みたいだ。運が悪かったな。)
圧に驚く海翔を横目に、混乱している灼熱猿たちに、雷槍は少しだけ同情した。
次の瞬間。
水。
濁流が、空から落ちた。
土砂降りではない。
滝。
いや――落下する水塊。
灼熱猿は判断を誤った。
殺意に当てられ、反応が遅れる。
火山エリアであることを無視するように、水は蒸発せず濁流となる。
炎が消える。
呼吸が奪われる。
完璧な制圧。
雷槍の結界上に、小さな影が落ちる。
ビー玉のような魔力収束点。
雷槍は即座に理解した。
「来るな。」
結界の端へ移動する。
その瞬間。
「ゴリちゃーん!危ない危ない!無理無理!?離して!!私は壁に魔導具のクナイ刺してゆっくり降りるから、ね!?お願い離し――てぇぇ!!」
ゴリラ先生が、都留海を抱えたまま落下してきた。
――弾む。
結界が弾性を持つ。
それは偶然ではない。
ゴリラ先生が衝撃吸収用に、結界構造を瞬時に書き換えた結果だった。
跳ね上がる直前。
ゴリラは、腕の中の都留海を雷槍へ投げる。
「うわっ!?」
雷槍は反射的に受け止める。
危険ではあるが、ゴリラ基準では安全圏だった。
そして。
二度目の落下。
今度は勢いを利用し、透明な足場を踏み台にして――
灼熱猿群へ跳躍。
すでに水流で圧縮された群れに、盾が叩き込まれる。
粉砕。
血が水に溶ける。
赤黒く染まった濁流から、洗われたように灼熱水晶が浮き上がる。
ゴリラ先生は、それらを全て空中で回収し、にっこり笑った。
「はい。合流完了!」
対照的に。
雷槍の腕の中では、都留海が立てず震えている。
「気……持ち悪……飛び降りるなんて……正気じゃ……ないって……。」
「ごめんごめん。」
ゴリラ先生は、やけにすっきりした顔だった。
雷槍は堪えきれず笑う。
「あはははは! ひでぇ! でもやっぱ最高、姉さん!」
「笑いゴトじゃないんですけど!!」
都留海が暴れる。
雷槍は安全を確認し、静かに地面へ降ろした。
⸻
海翔は、その光景を遠くから見ている気がしていた。
昔知っている柚須家の長女と、今のゴリラが――どうしても繋がらない。
あの子は。
騒がしい幼馴染たちの後ろで、止める側だった。
堅実で。
優しくて。
花が咲くように笑う人だった。
香椎源八の勘は鋭い。
スカウト時に見せた、玄真を気遣う仕草は昔と同じだった。
同じ人間だと、理解している。
それでも。
今、豪快に笑う姿は。
昔とは違うのに――
美しい花のように見えた。
⸻
玄真は頭を抱えた。
「……何をしている。」
「助けに来ただけ。」
「方法というものがあるだろう。」
「あるよ。今やった。」
「ゴリちゃん。派手なんよ!」
「反省してることにしておいて、ちゃんと灼熱水晶回収してるし!」
まったく反省していない声だった。
ゴリラ先生は、四人を覗き込む。
子供のような笑顔で言う。
「早く探索しようよー。未到達ダンジョンなんて中々味わえないんだから、楽しく調査しよう。」
無邪気な声が、静まり返ったダンジョンに響いた。




