78. 嫉妬は見せずに魅せるもの。
ダンジョンの奥で、空気がふっと張りつめた。
魔物の気配が完全に消え、討伐完了を示す反応が魔導計測器に表示される。
数値は安定し、属性干渉も沈静化している。
通常であれば、ここから先の選択肢は決まっている。
ボス討伐後に生成される簡易通路を使うか。
あるいは、来た道を引き返して入口へ戻るか。
それ以外の帰還方法は存在しない。
――少なくとも、表向きは。
「Sight Link……ok。」
静かな声が響いた。
百道都留海が、魔導観測カメラに手を添えたまま淡々と呟く。
その瞬間、彼女の視線と装置の映像が完全に重なったのが、ゴリラ先生にも分かった。
――へぇ。
ゴリラの内心で、そんな間の抜けた感想が浮かぶ。
(百道は、英語で起動するんだ。)
冒険者の中にも、これに近いことができる者はいる。
東日本の方で、数人だけ顔を知っている。
だが、彼らは日本語だった。
「観測接続、開始。」「座標同期、問題なし。」
いかにも官製教育らしい整った言い回しだったのを、覚えている。
才能のある者をスカウトして、冒険省が丁寧に教え育てていたと聞いた。
(まぁ、この距離だし……流派もあるよね。)
そんなことを考えているうちに、都留海は次の言葉を続けた。
「|Observation Gate Deployment System 《オブザベーション・ゲート・デプロイメント・システム》。」
長い。やたらと長い。
心の中で復唱して、思わず眉をひそめる。
ああ、なるほど。
これ、たぶん――あの人だ。
福岡でこの手の魔導技術を仕込める人間は、心当たりが一人しかいない。
魔導の生みの親で、子供の時に、お狐師匠と親しげに呼んでいた人。
術香の母やら星魔女やら呼ばれる人。
ナガスミテクノロジー会長で、とても頼りにしていた大人。
長住香織その人である。
横文字が好きで、響き優先で魔導を組んで、お茶目に笑って、かっこいいでしょ?と真面目に言う人。
本当に英語が好きだっただけなのかは、今でも分からない。
……弟子、取ってたのね。
ほんの一瞬、胸の奥がちくりとした。
気のせいだと、すぐに切り捨てる。
あれから3年以上も経っているのだ。
弟子ぐらい居て当たり前だし、弟子が似ていてもおかしくない。
(……真似しすぎじゃない?)
それでも、黒々とした何かが、心にとぐろを巻いて締め付ける。
ゴリラ先生には、都留海の声と姿が、昔、洋楽を歌い笑っていた長住香織の姿と重なった。
ずるりと、何重にも纏った心の壁が、一気に剥がされたような気持ちになる。
いや、でも。弟子筋なら納得ではある。
そう思い留めようとして――失敗する。
納得はできても、感情が追いつくかは別だ。
都留海の前方で、空間がわずかに歪む。
透明な水面に指を突っ込んだように波紋が広がり――次の瞬間、そこに“門”が現れた。
恒久ゲートではない。唯一の救いなのかもしれないそれに、少し胸を撫で下ろす。
一生使えて設置できるものであれば、今ゴリラの嫉妬は爆発したかもしれなかった。
嫉妬を爆発させそうなほど、魔導回路は簡略化され美しさがあった。
観測情報を元に地形を洗い、逆探知で座標を確定し、
探索魔法で立体構造を把握して、ようやく成立する術式。
手順は大変そうだが、情報を圧縮し尽くされている魔導に胸がざわつく。
学生に教えられる代物ではない。
それどころか、大人だからといって、そう簡単に出来るものでもない。
努力は必要だろう。
だが、そもそも天才的な才能がなければ成立しない代物だ。
この魔法を扱える人間は、この世界でもほんの一握りしかいない。
なんなら、この魔法を初めて見るベテラン組もいるだろう。
今後一生見ることのないルーキーだっているはずだ。
ゴリラ先生は、その門を見つめながら静かに息を吐いた。
「……できる人間が限られる、魔法……ねぇ。」
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだつもりだった。
だが思考は、ずっとぐるぐると沈んでいく。
魔力量がなければ出来ない。
あったとしても、才能がなければ出来ない。
(魔導の分野は、才能だけじゃできない。理解し、組み上げ、責任を負えなければ使えない。百道だって努力したはず。)
それでも――天才。
頭のどこかで、そんな声がする。
便利だ。
素直に、そう思う。
(こんなこと考えているとバレたら……私にだって似たようなことはできるだろうって、突っ込まれて怒られるかな。)
ダンジョンムーブ。
完全踏破したダンジョンに限り、階層入口やボス部屋直前まで移動できる特殊技能。
必要なのは、ただ一つ。
――実際に踏破したという事実だけ。
凡才な私は、踏破さえすればいい。
一階層ずつ潜り、
逃げず、誤魔化さず、
全部、自分の足で越えてきた記録があれば。
(私には、それしか、なかった。)
(否――環境に、それしか、許されなかった。)
都留海の才能とは、方向が違う。
あちらは、未知を理解して繋ぐ。
こちらは、歩いた記憶を再現する。
どちらが上という話じゃない。
……ない、はずだ。
凡才な私よ。
嫉妬している暇があるなら歩け。動け。
お前には、誰にも負けぬ強さを身につければ良いだけだ。
そう思いながら、同時に胸の奥で――自分に言い聞かせ切れない理由を、ゴリラ先生は自覚していた。
――長住香織の弟子。
その言葉が、思考の隅で引っかかる。
自分の無能さが引き起こしたことが、頭をよぎる。
見せるつもりのない面だ。
だからこそ。
今は、目を逸らす。
ゴリラ先生は肩をすくめ、次の準備へと意識を切り替えた。
ゲートを抜け、ルーキーたちが地上へ戻ってくる。
顔には疲労が浮かんでいるが、混乱はない。
誰一人、取り残されてもいない。
ゴリラ先生は、さっきまでとは違う声で言った。
「お疲れ様。よくやったわ。」
その一言で、張りつめていた空気がほどける。
肩の力が抜け、ほっと息を吐く音があちこちから聞こえた。
都留海は、THダンジョン塾の生徒たちを見回してから笑った。
「正直、凄かったわよ。特進組も四年生も!判断も連携も、十分に通用してた。」
生徒たちの表情が、ぱっと明るくなる。
「ただし。」
都留海は指を立てる。
その声に、生徒たちは表情を引き締めた。
「明日の自由時間はレポート提出ね。今のうちに頭の中のことを書き出して、覚え込んじゃおうね!テーマはダンジョン構造と魔物行動。今日見たこと、全部書き出しなさい。」
「うええ……。」
小さな悲鳴が、子供たちから漏れる。
「大丈夫。」
見かねたゴリラ先生が淡々と続けた。
「違う塾講師には言われたくないだろうが、書けないなら、分かってなかっただけ。でも、君たちは違うだろ?書けるよ。ちゃんと身についてる。」
それ以上は言わない。
だが、子供たちは色めき立った。
「じゃあ、今日はここまで。学生でない、ルーキー達。先導役を決めて帰還。生徒達を頼むぞ。」
指示は簡潔だった。
ルーキーたちは互いに顔を見合わせ、頷き合いながら帰路につく。
その背中を見送りながら、都留海が小さく呟いた。
「……ちゃんと育ってるわね。」
「でしょう?そっちだけじゃないのよ!」
「見てればわかるよ。」
ゴリラ先生は短く答え、視線をダンジョンの奥へ向けた。




