70.置いていける人
人の流れから少し外れた、体育館とプールの間。じめっとしていて、塩素の匂いが漂うここは、風が抜ける場所ではあるが、生徒達には不人気のところ。
槍真は、先ほど別れた目的の人を見つけ、ようやく足を止めた。
「……ダイヤ先輩。」
呼びかけると、大弥は何でもないことのように振り返る。
槍真は他人からの悪意を。この人は他人からの好意を。真反対ではあるが、人の目を避けるために、前からたまにここで会う人だった。
「ん?」
「さっきの……ああいうの、やめてください。」
軽く答える大弥に、槍真は、言葉を選ばず、はっきり言った。
「僕、別に、悪意がある言葉が飛び交ったとしても、別に学校で目立ちたいわけでもないです。」
「それに、先輩に庇ってもらう理由もありません。」
一瞬、間が落ちる。
だが、大弥は不機嫌になるどころか、困ったように頭を掻いた。
「あー……そう来るか。」
軽い声。けれど、目は逸らさない。
「悪かったな。余計なことしたちゃね。」
「でもな、ソウマ。」
プールのフェンスにもたれていた大弥は、特有のガチャリと金属音を立てて体を起こすと、槍真へ一歩、距離を詰める。
「俺は、ああいうのが嫌いなんちゃ。」
低く、静かな声だった。
「弱そうやから言う。」
「浮いとるから言う。」
「変人やからって、バカにする。」
肩をすくめる。
「そんなん、強さと何の関係もなかろ?」
槍真は、言葉を失った。
言い返せる言葉が、見つからない。
「それに。」
大弥は、少しだけ笑う。
「俺は事実を言っただけちゃ。俺を倒したやつを、すごいって自慢して何が悪い?」
あまりに堂々としていて、
だからこそ、槍真の胸がざわついた。
「……模擬戦の話ですよね?」
「おう。」
「あれは、偶然タイミングよく攻撃対象を先輩に変えたから、先輩の盾が間に合わなかっただけです。」
言い訳のように自分を貶す自分の声に、槍真はそれに気付かない。
気づいた大弥が、眉をはそれつつ、目をしっかり見て、槍真を見据える。
「それを突けるのが、強さやろ?」
即答だった。
「迷いなく踏み込んで、槍で、盾ごと貫いた。」
そう言ってから、大弥は一瞬、目を細める。
「正直、痺れたんやぞ。」
「久しぶりに、『あ、やられた』って思った。」
その言葉は、誇張でもお世辞でもなかった。槍真は、息を呑む。
(……この人。)
学校では、余裕の番長。
塾では、焦りを隠せない盾役。
この人はどちらが本当なのか?あまりに違いすぎて本当に同じ人なのか分からなくなる。
「……だから。」
槍真は、慎重に言葉を繋ぐ。
「だからって、学校でああいう言い方をすると、先輩、余計に目立ちますよ。」
槍真の言葉に、大弥はにっと笑った。
「それでええやろ。」
あまりにもあっさり。
「俺のことは外野に好きに言わせとけちゃ。騒がしいのは嫌いやけど、そんな変わらん。それよか、ソウマが悪く言われる方が嫌やん。なら、ずっとマシや。」
その一言が、槍真の胸に、小さな違和感を残す。
(……この人は、守る側に立つことを、当たり前のように選ぶ人だ。)
槍真は、その背中を見ながら思った。
(――だからこそ。)
塾で見せる、あの必死さが、余計におかしく見えるのだと。
よいしょとコンクリートの縁に腰掛けた大弥は、足元を見つめたまま、ぽつりと口を開いた。
「まぁ、なんだ。……模擬戦の話でもしよっか?」
今まで同じ場所に逃げてきた人ではあったが、会話はなかった。
昨日、まともに言葉を交わしたばかりの相手だ。
槍真は一瞬だけ迷ったが、小さく頷いた。
「はい。」
「昨日のやつな。」
大弥は、最近盾ばかり持っている自身の手を見つめ、無意識に握りしめる。
「リラちゃん先生に俺、魔法回路潰されとったやろ?あれのせいで身体強化、完全に切られとった。」
それは、誰の目にも明らかだった。
「でもな。」
大弥は、少しだけ肩をすくめる。
「それでも、盾の取り回しは出来るつもりやった。」
「昨日、タイガさんには、身体強化なしじゃ無理って言われてましたよね?」
大弥の言葉に、槍真は首を傾げながら尋ねる。
「一応な。俺だって考えなしで盾使っとるわけ違うけん。身体強化なしでも、そこそこ早く動かせるようには、調整しとったんよ!」
槍真は思わず目を瞬かせた。
「……それ、タイガさんには?」
「秘密。」
即答だった。
「弓と盾じゃ筋肉の付き方全然違うけん。身体強化ありで盾は取り回せっち言われとる。身体への負担は結構重いけんね。俺の盾、わがまま言って中型やし。」
「まぁ、兄貴は俺の盾結構反対派よりやけん、兄貴にバレたら盾、即取り上げられるちゃんね。『だから言ったやろ』で終わる。」
少し笑うが、その裏には切実さがある。間を置いて、大弥は続けた。
「正直に言うとな。兄貴も言いよったように、お前に花持たせたかった気持ちも、ある。」
槍真は思わず姿勢を正す。
「でも。」
大弥の声が、わずかに低くなる。
「間に合わんかったのは、油断やない。」
自分の非を認めて、はっきりと言い切った。
「……ソウマ。」
「はい。」
「お前の槍、重すぎったい。」
「え?」
「本当、マジで。」
急に槍の腕を言われた槍真は、ポカンとして、その様子に大弥は苦笑する。
「小柄な俺が前に出るならな。身体強化なしやと、攻撃は全部流し切らんと、身体がもたん。」
自分の胸元を、指で軽く叩いた。
「真正面で受けたら終わりや。あの踏み込みは……正直、想定より一拍早かった。」
「兄貴もサンの兄さんも身体がデカいし、筋肉ダルマだから、重い攻撃を受けても身体への負担はそげん蓄積せん。」
「俺みたいに小柄で、身体強化で普段誤魔化しとる人の気持ちや体のことは分かっとらんちゃ。」
大弥は秘密な、これもバレると辞めさせられるけんねっと困った顔をする槍真に大弥は苦笑いを浮かべる。
「……でも。弓なら、ダイヤ先輩は昨日の状況でも、もっと楽に戦えたんじゃないですか?」
槍真は、現実的な疑問を口にする。
一瞬の沈黙。
「そうちゃろうね。」
大弥は、あっさりと頷いた。
「正直言うと、身体強化も魔法もなかっても、弓やったら、俺は普通に引ける。それは間違いない。」
言い切る声に、迷いはない。
「俺、純粋な弓の戦闘能力なら。シンジュより上やと思っとる。」
さらりと、大弥はとんでもないことを言った。槍真は目を見開く。
「……え?」
「昨日あったろ、シンジュ。他の塾でも有名になったったけん、知っとるやろけど。同世代で一番って言われとる弓使い。」
槍真は、黙って頷いた。
「あいつは才能の塊やけどな。」
大弥は、静かに続ける。
「俺やって神童なんて言われとって、あいつより弓うまかったんよ。暫く使ってなくても、経験は身体が覚えとる。今でも問題なく弓を使えるとよ。」
「邪魔出来るし、崩せるし、殺さずに封じられる。」
それは自慢ではなく、事実の報告のようだった。
「だから昨日も、弓やったら、魔法役も弓役も、まとめて封殺できた。」
少しだけ視線を逸らす。
「……でも、そんなん、見せたところでなんも得られるもんはないけんね。」
槍真は、息を詰める。
「ゴリラ先生に、ですか?」
「そう。」
大弥は即答した。
「盾でやっていけるって知らせたかった。魔法なくても、身体強化なくても…小柄でもな。」
拳を握る。
「それを、見てもらいたかった。」
大弥は、拳を握ったまま、少しだけ黙った。
握りしめた力を逃がすように、ゆっくりと息を吐く。
「……盾でやっていけるって。でも、なんもできんやった。」
言葉は静かだったが、そこには譲れない意志が滲んでいた。
槍真は、無意識に視線を落とす。
(……証明。)
大弥にとって、昨日の模擬戦は、勝ち負け以上の意味を持っていた。
「……盾やりたいって言った時。先生、なんて言ってました?」
槍真がそう尋ねると、大弥は、少しだけ困ったように笑った。
「なんと?」
そのままの口調を、真似るように言う。
「……なんと?って言った上に、驚いた顔しちょってね。」
その大弥の声真似に、槍真は小さく肩を揺らす。
「あの驚いた顔可愛かったんよ。普段崩れん顔がポカンって驚いたあと、まぁ、出来るやろうなって真顔。」
大弥はその様子を見た後、あっさりした言い方。
「でもな、その目がいつも通りじゃなくて、軽く言った感じやったけど目が違った。」
声が、わずかに低くなる。
「期待しとった。俺の完成形を、もう見とった。」
槍真は、胸の奥がざわつくのを感じた。
「……完成形?」
「おう。」
大弥は、頷く。
「昨日まで、小柄でも大盾持って、後方支援のことを把握した完全前衛やと思ったったけど、違うみたいなんよね。」
「盾だけやない。弓も含めた、その先ちゃ。」
槍真は、現実的に口を開く。
「……それ、無理じゃないですか?」
「盾は小さくすれば、片手でも出来ますけど。弓は、両手が要ります。」
「とても、近接と中距離の両立は……。」
槍真は言いにくそうに言うが、遮るように声がかかる。
「普通無理ちゃんね。」
大弥は、即答した。
「分かっとる。」
それでも、言葉を止めなかった。
「分かっとるけどな。」
「あんな期待して、出来ると思われた目をされたなら。」
一瞬、間が落ちる。
「やらんと、あかんやろ。」
槍真は、言葉を失った。
(……この人。)
出来ないと思っても、期待された時点で、挑むことを選ぶ。
「……でないと。」
言葉を、途中で切る。
「――あの人は。全部、置いていける人ちゃ。」
その言葉は、淡々としていた。
だが、槍真の胸に、冷たいものが落ちる。
置いていく。
目的のためなら、迷わない。
「……置いていける人?」
なんとなく槍真は理解したくなくて、大弥に槍真は聞き返す。
大弥は、苦笑いを浮かべた。
「お前、分かっちゃるやろ?」
軽い調子を装っているが、声は重い。
「ゴリラ先生が、何を一番に置いとるかは分からん。」
「でもな。」
足元の小石を、つま先で転がす。
「一番大切なもんは。」
「俺たちやないと思う。」
槍真は、喉が鳴るのを感じた。
「……。」
「ただな。」
大弥は続ける。
「一度でも情が入ったら。」
「あの人は、見捨てきらん人やとも思っとる。」
それは、信頼なのか。
それとも、願望なのか。
槍真には、判断がつかなかった。
「やけんさ。」
大弥は、少し照れたように鼻を鳴らす。
「無様でもええ。」
「格好悪くてもええ。」
言葉を選びながら、続ける。
「アンタを好いとる人間がおって。」
「アンタを、ずっと見とる人間がおって。」
「アンタを、大切に想っとる人間が。」
一拍。
「……家族以外にも、おるっちゃって。分からせときたかとよ。」
槍真は、息を呑んだ。
その言葉は、あまりにも真っ直ぐで、
だからこそ、胸に重く残った。
「それに。」
大弥は、視線を逸らしたまま言う。
「純粋にさ。」
「リラちゃん先生の隣で、生きていきたいって思っとるのも。」
「ほんとたい。」
槍真は、何も言えなかった。
(……もし。)
ふと、考えてしまう。
もし、ゴリラ先生が。
本当に「一番大切なもの」と出会ったら。
その時。
(……俺たちは。)
風が渡り廊下を抜け、二人の間を通り過ぎる。
何かが起きた時。
目的のためなら。
自分たちは、置いていかれるのではないか。
その考えが、冷たい棘のように、
槍真の胸に静かに刺さったまま、抜けなかった。
槍真は、空を見上げる。
昼休みの終わりを告げるチャイムが、遠くで鳴り始めていた。
「……行きましょうか。」
そう言うと、大弥は立ち上がり、いつもの軽い笑いを浮かべた。
「おう。午後も授業やしな。」
その背中は、いつもと同じようでいて、
どこか、少しだけ遠く見えた。
槍真は、その背を追いながら思う。
――この人は。
守るために、強くなろうとしている。
そして。
その覚悟の重さを、誰にも見せない。
昼休みの喧騒は、すでに校舎の奥へと消えていた。
残ったのは、
静かな不安と、
まだ言葉にならない予感だけだった。




