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火は人の心を落ち着かせる。

香椎防具店。


福岡のダンジョン探索者なら誰もが知る、老舗の工房だ。


店の奥に続く鍛冶工房では、ハンマーを打つ音が規則的に響いていた。


炉の熱気が満ちる中で、香椎海翔が黙々と作業台に向かっていた。


炉の中の火は轟々と音を立て燃えて、金属を打つ音は心を落ち着かせる。昔から香椎海翔は、この方法で混乱している頭を空にしていた。


真剣な眼差しで、細かな魔法陣をハンマーに乗せては叩き、道具になる金属に刻んでいく。



その一つひとつの線に、魂を込めるかのような精密さだった。しかし、彼の心は凪いでいない。



(あの人は、ゴリラ先生は何者なんだ?俺は、俺には、柚須家の長女にも違う女性にも見えた。)


片江沙綾という女を信じたわけではない。


ビジネスの場でっというとアレだが、社会人としてあんなによく酷いことが言えたっと片江沙綾に眉を歪ませる。


あそこまで追い込まれたのだというのに、玄真のフォローをしなかったゴリラ先生を彼女と思うのには抵抗がある。


ゴリラ先生が、柚須家の長女であっても、違っても、あまり嬉しくない。


彼の心は腑に落ちないまま、苦しく思う。


ゴリラ先生は、豪快で柚須家の長女とは似つかない。でも、ゴリ先生の時折見せた玄真を心配する繊細な表情は柚須家長女のようだった。


違うところの方が多いのに、彼がかつて想いを寄せていた女性の記憶と重なる。



あーでもないこーでもないっと頭の中で考え、ぐるぐるっと頭の中が疑念でいっぱいになっていた。


その海翔の背中に、ニヤニヤとした視線が突き刺さる。振り返ると、そこには彼の父であり、店の主である香椎源八が、腕を組みながら立っていた。


「お前、柚須のまだ、長女さんに惚れてるだろ?」


源八は、悪戯っぽい笑顔で直球の質問を投げかけた。海翔は、作業の手をぴたりと止め、顔を真っ赤に染める。


「ち、違う! なに言ってんだよ、親父!」


「昔から惚れ込んどったからなぁ。行方不明になっても、ゾッコンだったとはな」


源八は愉快そうに大笑いし、海翔はさらに顔を赤くして反論する。


「だから違うって! それに、あの人が、本当に本人かどうかも……」


海翔の言葉に、源八は笑いをぴたりと止めた。そして、ニヤリと口角を上げる。


「見た目も中身もそのまんまだろうが。そんなんでどうする?惚れた女に振り向いてもらえるわけないぞ」


その言葉は、海翔の心に深く突き刺さった。源八の瞳には、一切の迷いがなかった。


その確信に満ちた眼差しを見て、海翔の不安は少しづつきえてゆく。


(そうか……やっぱり、あの子は……)


海翔は、自身の直感が正しかったことを悟る。




「なぁ、親父。あの子がどんなことされても、正体隠すってどんな時だと思う?」


そして同時に、彼女が沙綾から兄である玄真を庇うこともせずに身を隠している理由が分からずに困惑する。


「そんなもん、優しいあの子のことだ。何かを守るため以外に何がある?」


そんなこともわからんのか馬鹿タレっと飛んでくる暴言に、苦笑いしつつ、自覚する。


俺や親父でも、保護対象なんだね。強い彼女が誰も彼も守ろうとすることで、彼女の抱える問題の深刻さも、漠然とだが理解した。


彼女が危険な状況にあるのなら、自分は何もできないのか。



「心配すんな。馬鹿タレ。あの子は他人のために頭下げに来るだろうよ。」


源八は、海翔の心を見透かすように言った。


「あの子は、子どもたちのために、必ず来る。お前が作った道具、きっとあの子が持ったら、もっと輝くぞ」


父の言葉は、海翔の胸に熱い火を灯した。


そうだ、自分は道具を作ることで、彼女を、そして彼女が守りたい子どもたちを支えることができる。


「それに弓使いの生徒もいる、お前の十八番だろ?ー弓ってやつは。」


自分を知り尽くしている父の言葉に、思考は晴れていく。


武器屋の倅で、親父の跡を継ぐには、上京して冒険者彼女達についていくなんて出来なかった。



そのせいで、大切な人たちは行方知れず、行方が唯一わかっている惚れた女には、保護対象として頼ってもらえない。


「俺は、あの子に……あいつらに追いついて、今度は隣で守りたいんだ。」


海翔は、心の底からの想いを口にした。源八は、何も言わずにただ笑っている。



「そうか。お前もようやく、一人前になったな」


源八は、跡取りになるからっという言葉で過去、仲間達と道を違え泣きながら鉄を打つ海翔を思い出す。


源八は自分の気持ちを後回しにしがちだった海翔の、決意のような言葉に、背中を思いっきり叩く。


「危ねぇ!まだ、炉に火はついてるし、鉄打ってる途中だぞ!」


吠える海翔に源八はがっはは!っと笑い声をあげ、海翔は、たくっと苦笑いする。


父、源八の優しさに、海翔は照れる心を霧散させ、熱心に道具作りに打ち込んだ。


彼のハンマーが放つ音は、工房の中に力強く響き渡っていた。

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