人間、自分の非は受け入れ難いもの
ナガスミテクノロジー本社・会長室。
福岡の魔道具業界を牽引する大企業の心臓部は、いつにも増して張り詰めた空気に満ちていた。
応接セットに座る長住香織は、手に持った報告書から一切顔を上げずに、静かに言葉を紡いだ。
その声は氷のように冷たく、そこに感情の揺れは微塵も感じられない。
「あなたの報告書は、まるで私怨で動いた者のようだわ」
その一言が、向かいに立つ片江沙綾の心臓を射抜く。
背中に冷たい汗が伝うのを感じながら、沙綾は必死に冷静を装った。
「長住会長、お言葉ですが、私は会社の利益を──」
「いいえ、片江さん。あなたの行動は会社の看板を傷つけた」
香織は報告書を静かにテーブルに置き、沙綾をまっすぐに見つめた。
その鋭い眼差しは、すべてを見透かすかのように、沙綾の心の中を覗き込んでいた。
「香椎武器防具専門店の香椎海翔さんから苦情が来たわ。見るに耐えなかった、、、、っと。」
「今後の取引は、片江殿は外して、違う人で、とまで言われたわよ。香椎防具店との長年の信頼関係に、あなたが出した泥だわ」
沙綾は、まさか香椎から直接苦情が来るとは思っておらず、屈辱に顔を歪める。
香椎武器防具専門店は、ナガスミテクノロジーの魔道具に匹敵する、福岡を代表する企業だ。
そこの後継者から取引停止を仄めかされるほどの苦情は、会社にとって致命的だ。
「そして、ダンジョン塾仲原校からも、いつ苦情が来てもおかしくない状況だと聞いているわ」
香織は、静かに続ける。
「確かに、私は『ゴリラ先生は、柚須玄真の妹で柚須家の長女であるか確認してきて』とあなたに頼んだ。」
「と同時に『分からないなら、それはスポンサー契約を結んだ後に探るから慎重に、かつ契約を優先するように』っと指示をしたはずよ」
沙綾は、言い返す言葉を見つけられなかった。
彼女は、柚須玄真にその妹であるゴリラ先生への個人的な感情に駆られて、契約を二の次にしてしまった。
「あなたと柚須家長女の、過去の因縁については知っているわ。あの子から当時直接聞いていたからね。」
少し懐かしむような優しい顔をふと覗かせた長住香織だが、すぐに表情を厳しいものに変化させる。
「人間だから、私的な感情が絡むのは仕方がないことだと私は考えているわ。それでも、私はあなたなら冷静に見れるようになったと思ったから任せた。」
「しかし、あなたは今回、私怨に囚われ会社の利益を顧みれなかった。今回の件は、会社としても問題視するつもりよ。」
香織の言葉は、沙綾の心の奥底に深く突き刺さる。沙綾は、自らの立場が危ういことを悟り、震えを抑えることができなかった。
「今回は、私が、あなたに対しての評価が正しくなかった。まだまだ貴女は未熟だったのに、見抜けなかったことが少なからずある。」
底冷えする冷たい目で香織は、沙綾を見つめる。
「でも会社は遊び場ではないわ。貴女のように新人ではなくなった者を育てるのに、営業職では無理よ。」
「良かったわね。貴女は魔術も魔導も精通しているから解雇はないわ。異動よ、貴女がその力を次でも生かせることを願っているわ。」
片江沙綾の顔色はだんだん青く変わっていく。香織の言う言葉が分かっているからだ。
「本日付で、片江沙綾を魔術部品部門 研究室塩原室に移動を命じます。
塩原 律塚先生とのお仕事を頼みますね。」
香織は、静かに、しかし厳しく言い渡す。
沙綾はナガスミテクノロジーの若手エース営業マンとしての自負が、黒く苦く塗り潰された気持ちになる。
塩原室。それは、無能な魔力持ちが、塩原によって使い潰される部署。完全な窓際族だと言われている部署である、っと沙綾は顔を真っ赤に染め上げた。
沙綾は屈辱で震え、香織の背後にある窓の外を睨みつけた。
彼女の怒りの矛先は、冷徹な会長ではなく、自身をここまで追い詰めた柚須玄真と、そして柚須家の長女に向けられていた。
(なぜ、あいつはいつまでも、私の足を引っ張るのよ!あんたが雲隠れなんてしなければ!)
彼女は心の中で、自分をここまで追い詰めた柚須家の長女に沸々と怒りが向く。
「長住会長、失礼します!」
扉は慎重に開けたはずなのに、勢いよく開いて、それにも沙綾はイラつきが抑えられず顔を顰める。
(不躾で失礼?アンタがでしょ!ビジネスの場として許容?許容する気なんてそもそもしてないでしょ?それっぽいこと言って、あいつの兄貴もあいつそっくりに逃げるだけ!)
できるだけ、慎重に締めるが、力は入りすぎて、バタンっとそこそこの音で扉は閉まる。
(ーーほんっとむかつく!!アンタがあのバカ妹を放り出して、手綱を引いてなかったから、私が学生時代に苦労したんじゃない!)
沙綾は、廊下をカツカツっと品がない力強く、早い音を奏でる。
(香椎海翔も何なのよ!言いつけ?小学生かよ。先生に言ってやろー?って?)
沙綾の復讐心は、怒りと共に燃え上がり、静かにその決意を固めていた。
その精神は子供の癇癪のようであった。




