扇橋蓮のことが苦手である。
職員室の窓から夕暮れの光が差し込む中、ゴリラ先生はパソコンの画面に目を落とし、無言で動画の編集作業を進めていた。キーボードを打つカタカタという音が、静かな部屋に響く。
「……これ、面白いね。バズるんじゃない?」
するりと、ゴリラ先生の机の橋に腰掛ける扇橋蓮は、ゴリラ先生が今し方編集するパソコンを覗き込んで言う。彼は、自動販売機から買ってきたであろうコーヒーを片手に、ゴリラ先生の机へミルクコーヒーの缶をコトンと置いた。
ゴリラ先生は眉をひそめ、行儀悪いです。あと、ミルクコーヒーは飲みませんっと少しだけ肩を動かして反応し、淡々とパソコンへ視線を移す。
扇橋蓮など始めからいなかったと、目は画面に向けて、ゴリラ先生は作業を再開する。
「いやー、でもさ、ゴリラちゃん、今まで編集してバズった動画とかあるの? 冒険者時代の話とか、面白そうじゃない?」
蓮は笑みを浮かべながらも、ゴリラ先生の机から尻を退けルカとなく、目の端で先生の反応を窺う。
ゴリラ先生は手を止めず、短く「私の力など、微々たるもの、そんなものありませんよ。」と返す。肩の力も抜けないまま、キーボードを打つ指先だけが動いている。
「へぇー、そうなのか。まあ、東京で冒険者やってたんだよね? 君の兄上、あぁ、塾長ではなく、長男の方の、楓真の同級生としても、彼からいろいろ聞いたんだよ。すごかったんでしょ?」
蓮の声には軽い挑発が混ざる。ゴリラ先生は手を止めず、ほんの僅かだけ視線を上げ、「楓真兄上が、大袈裟なだけでは?」とだけ答えた。
「楓真がいっていたけど、君、小学生高学年から寮に入ったんでしょ? しかもあの名門校、福岡県立博多区総合学園のダンジョン学科特待生でしょ?すごいのね!」
蓮は一歩前に身を乗り出し、言葉を重ねる。目は画面に集中する先生の手元をちらりと見ながら、揺さぶるように話す。
ゴリラ先生は一瞬指先を止めるが、すぐに「そうでしたっけ?あまり、学生の頃のことを覚えていません。スタンピートに巻き込まれて大変でしたから」とだけ返し、キーボードに戻る。表情は変わらない。
「なるほどなるほど、ゴリラちゃん、飛び級もしたらしいから、覚えてないかもね?卒業したら、すぐ上京して、東京まで行ったんだって?その辺覚えている?そういう話、聞いてみたかったなぁ。冒険者としての経験とかさ」
蓮は少し声を低くして、さらに距離を詰めるように話す。
ゴリラ先生は手元を見つめたまま、「べつに、探索者と特に変わりませんよ。」と冷静に返す。手の動きに僅かな緊張も混ざらない。
「ふーん、でも冒険者って、配信は必須だったんじゃない? あんた、バナナ組の動画で見せ方うまいもんね。気づいてなかったの?」
蓮はニヤリと笑い、ゴリラ先生の肩越しに画面を覗き込む。
ゴリラ先生は少しだけ口元を引き結び、黙々と編集を続ける。わずかに手を止め、画面の音声を確認する仕草。
「……動画必須でも、動画嫌いは治りませんよ。攻略動画はあげたことありましたが、メインは攻略で良かったので、編集して姿を消してましたし、仲間がイケメンや美女で、映りたがりだったから苦労はさほどありませんでした。彼らのおかげの人気です。」
その声は静かだが、揺るがない。
「ほほう、なるほどねぇ……でも、君の技術は確かに目を引くなぁ」
蓮は声を落とし、画面に反射するパソコンの光を見つめながら、少し笑った。
「でも、強かったから、人気だったでしょう?」
ニヤリとわらい、蓮は長髪を続ける。
「……冒険者だから、そうでもないですよ。あちらは強いからではなく、動画や映像は目立てば人気になりました。無縁ですよ。」
ゴリラ先生は言葉少なに釘を刺す。
「そっかそっか。でも、編集で楽しそうにしてると、ちょっと思わずくすりとしちゃうね」
蓮は挑発を続けるが、ゴリラ先生は手元だけを動かし、顔を上げない。
「……単純作業ですから、特には?」
鼻で笑うように、ゴリラ先生は蓮に興味なさげに放置する。
「……目立ちたがらない君は、矛盾を感じないのかい?君のその体躯はとても目立つし、冒険者受けしたのでは?」
蓮の声に、ゴリラ先生は手を止めず、わずかに体を硬くする。表情は変わらないが、思わず視線を画面から蓮に向ける。
「……はい?」
短く、しかし確かな返答。
蓮は少し間を置いて、軽く鼻で笑う。
「君は本当に、兄上に似てるね?」
予期せぬ指摘に固まってしまうところとか、反応しちゃうところとか、、、。
「そんな筋肉まみれの女性なんて、珍しいんだけど?自覚なかった?」
「そうですね、確かに言われてみれば、、、。私は楓真兄上のように、筋肉が付きやすかったので、自分が男とは思っていませんが、身体は男性のように筋肉がつきやすい。それだけだと思ってましたよ。」
一瞬、蓮のペースになったと蓮は思った。だが、このゴリラはそんなことっと言わんばかりに興味をなくし、また、パソコンを見出す。
そして、蓮に視線を向けることなく、締切近いので、集中しますねっと、ゴリラ先生は指先をまたキーボードに滑らせ、画面を見つめるだけ。
蓮も理解する。これ以上話しかけても意味がないと。
二人は言葉少なに、しかし互いの存在を読み合うように、時間を共にした。
仕方ないと蓮は、ゴリラ先生の机から腰を下ろし、缶を捨てに行くため、職員室を出る。
キーボードを打つカタカタという音だけが、沈黙の中で静かに響き、夕暮れの光が画面に反射する。




