先生とは
夜の帳が下り、住宅街はどこか落ち着いた空気に包まれていた。
探索塾の車が停まり、助手席では剣吾がシートベルトに体を預け、ぐっすりと眠っている。
練習で燃え尽きた子供らしい寝顔に、ゴリラ先生はそっと目を細めた。
玄関先まで送り届けると、そこには剣吾の父が待っていた。
大柄で、無骨な剣士の面影をそのまま残した男。
息子を抱きかかえようとした瞬間、ゴリラ先生が軽く声をかける。
「……今日の修行でのことを、少しお話ししてもいいですか?」
父は頷き、二人は玄関先に並んだ。
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「剣吾くんは、すごく誇らしげにお父さんのことを語っていましたよ」
ゴリラ先生の声は穏やかで、どこか柔らかさを帯びていた。
「力強い剣筋を持つ父に憧れて、自分も大きくなったことを喜んでいました」
父の顔にわずかに笑みが浮かぶ。その笑みを受け継ぐように、先生は続けた。
「でも、それだけじゃない。あの子が敵の動きを見て、合わせながら戦う癖は――チームにとって大きな助けになります。普通なら高校生や大人になってから身につくものです。剣を持つ子供は得てして『自分が!』と前に出がちですから」
父の瞳に驚きと、そしてかすかな誇らしさが揺らめいた。
だがその後、少し苦いものを噛みしめるように言葉を返した。
「……そうですね。俺は逆でした。チームを組めないほど、先に首を刎ねる戦い方をしていた。援護する仲間が大変だと、妻によく言われました」
「だから剣吾には、自分の得意を押しつける戦い方じゃなく、相手を見て凌ぐ戦いを教えたんです」
彼は一度、眠る剣吾を見下ろして、深く息を吐いた。
「でも……それはつまり、一人では戦えない子にしたのかもしれない。剣吾が前の塾を追い出された時、俺は……酷いことをした、酷い親だと、そう思ったんです。探索者の両親から、探索者になれない子を作ってしまったんだと」
その声には自責の念がにじんでいた。
⸻
ゴリラ先生はしばし黙り、しかし真剣な眼差しで口を開いた。
「……ここだけの話にしてください」
「?」
「私はダンジョンTHハイスクールの講師、百道の友人です。彼女は剣吾くんの才能に惚れ惚れしていました。『凄い子だ』と何度も言っていましたよ」
父の目が大きく見開かれる。
「ただ、決まったカリキュラムの中では、才能を伸ばせないと……悔しがっていました。いずれ退塾になると分かって、どうにかしたい、とも」
ゴリラ先生の声がわずかに震える。
「私がたまたま福岡に戻り、探索塾の講師になると話したとき、彼女は……『剣吾くんを任せたい』と」
父は言葉を失ったように立ち尽くす。
「本当なら、先に親である貴方方に伝えるべきでした。でも、他の塾から『退塾だからここはどうか』と言うのは……無責任すぎると思ったんです」
先生は視線を落とし、微かに笑った。
「だから私は、道で出会ったふりをしてチラシを渡し、そのまま見送るつもりでした。けれど……実際に剣吾くんたちを見たとき、身体が勝手に動いてしまった」
彼女の声は熱を帯びていた。
「確かに、可哀想という同情もありました。ですが、それ以上に――仕草、足運び、体の使い方……重心がずれていても、積み重ねたものがある動きでした。四人とも努力できる子で、四人の連携が……私の冷静さを奪ったんです」
父は拳を握りしめ、目頭を押さえる。
「お父さん。誇ってください。これは、あなたが息子さんを思って修行をつけた結果です」
ゴリラ先生は一歩近づき、真っ直ぐな瞳で告げる。
「福岡中級・中位ダンジョン覇者の私が言います。彼らには積み重ねた実力があります。宝石の原石です。どうか、私に磨かせてください」
その言葉に、剣吾の父はついに堪えきれず、声を上げて泣き崩れた。
「……先生、お願いします……! この子を、どうか……!」
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その後。
剣吾を布団に寝かせ、寝息を確認した母は、夫の顔を見た。
「いい先生ね……」
「……あぁ。本当に」
父の目はまだ赤かった。
母は微笑みながらも、ふと遠い目をする。
「思えば、百道先生も何か言いたげだったわね。今なら分かる。探索者の世界は……繋がってるのね」
父は頷き、剣吾の寝顔を見つめた。
「願わくば……剣吾に、いい探索者人生を……」
夫婦は静かに寄り添い、眠る息子の頭を撫でた。
その寝顔には、不思議なほどの安心感と未来への希望が宿っていた。




