甘いものは世界を救う。
玄真塾長はふっと優しい笑みを浮かべた。
普段の冷たい声音からは想像できない、柔らかで包み込むような声色――女なら惚れそうなくらいの甘さで囁く。
「……いつもみたいに、兄上とお呼び」
その瞬間。
「っ……!」
弓菜の顔が一気に真っ赤になり、口を両手で塞いだ。
「な、なんか……ずるい声……」
魔李は耳まで真っ赤になって俯き、机に額をゴンとぶつけて呻く。
「……あの声……ずるすぎる……」
槍真はガタッと椅子を引き、窓の外を見ながら小さく呻いた。
「俺……あれ女の人に言われたら死ぬ……」
剣吾は視線を逸らしつつ頭をかきむしり、
「や、やば……今の声……強すぎる……」
――教室にいる全員、年齢も性別も関係なく照れさせられていた。
唯一、ゴリラ先生を除いて。
「…………」
(来たな、この流れ……!)
兄が“からかいモード”に入ったのを知り尽くしている彼女は、ぷくっと頬を膨らませ、腕を組み、子供のようにプイと顔を背ける。
その仕草が、妙に可愛らしく見えたのか――
魔李が小声でつぶやいた。
「ゴリラ先生……なんか可愛い……」
槍真も赤面しながら同意する。
「子供っぽいのに……女の人っぽい……」
剣吾まで視線を逸らしながら、
「……普通にドキッとした……」
弓菜は真っ赤な顔でぼそり。
「……ゴリラ先生、前よりゴリラっぽい……」
(※彼女なりの最大限の褒め言葉である)
だが、当の本人には聞こえていなかった。
玄真を真っ直ぐ睨みつけ、怒り混じりに言葉を刻む。
「あ、に、う、え?」
玄真はその声音に満足げに笑みを浮かべる。
「……はは。いい響きだ」
「アイアンスパイダーの魔核と糸は、もう他の探索者にお願いしてください! 私は不貞腐れましたから! 今度の休みはひとりでパフェを食べに行きます!」
「いやそれは困る!」
玄真は即座に首を振った。
「アイアンスパイダーを日帰りで狩れる探索者は、福岡でも君とあと数人しかいない。私に頼める相手は君しかいないんだ!」
「兄上は……お友達を増やしたらいかがですか!」
「……兄にも、ちゃんと友人はいる」
「はいはい」
二人のやり取りは、完全に兄妹喧嘩である。
子供たちはぽかんと口を開けて見ていた。
そこで、駕与丁澪が口を開いた。
「――混乱してるようだから、少し説明するわね」
子供たちが一斉に彼女に注目する。
澪自身、さきほど玄真の甘い声を聞いた瞬間に胸が熱くなり、頬が赤らむのを止められなかったが――必死で教員らしく振る舞う。
「実は、この塾で一番の実力者は……ゴリラ先生なのよ」
「「えええええっ!?」」
弓菜と剣吾が同時に叫ぶ。
槍真は机を叩いて身を乗り出した。
「マジっすか!? じゃあ、なんでそんな強い人が先生なんですか!?」
「それはさておき――今話題のアイアンスパイダーは、中位天神迷宮の深層にしかいない魔物なの。普通なら狩りに二週間はかかるし、中級探索者五人パーティでやっと倒せる相手よ」
「……でも、なんでゴリラ先生は日帰りで行けるんですか?」
今度は魔李が恐る恐る手を挙げた。
「いい質問ね!」澪はにっこり微笑む。
「それは“ダンジョンムーブ”というスキルのおかげ。ボス部屋をソロで突破した探索者だけが得られるスキルで、その階層の入口やボス部屋に瞬時に移動できるの」
「なるほど……」剣吾が腕を組んで唸る。
「でも、それなら他の探索者でもいいんじゃないっすか?」
澪はゆっくり首を振った。
「天神迷宮みたいに“中位”とつくダンジョンは特殊でね。ボスをソロで倒さないとスキルを得られないし、しかも二人までしか同伴できない。だから、普通は地道に潜るしかないの」
「え……じゃあ日帰りできるのは……」
槍真がごくりと唾を飲む。
「――そう。ゴリラ先生のような、例外だけ」
「すっげぇぇぇ……」魔李は口を開けたまま絶句。
「ゴリラ先生、ただの盾役じゃなかったんだ……」
澪は続ける。
「しかもアイアンスパイダーは斬撃や弓が効きにくい。魔法攻撃はできるけれど、核や糸を傷つけやすいの。だから盾の打撃が有効――つまり福岡で一番適任なのは、ゴリラ先生」
「ゴリラ先生……やっぱすげぇ……」剣吾が呟く。
「いやでも……さっきのぷくー顔、やっぱゴリラ……」弓菜が続ける。
その間も前では兄妹の応酬が止まらない。
「兄上がどうしても頼むなら、正規依頼料をいただきます」
「待ってくれ、それは私のボーナス一年分が消える! ごめん! 揶揄ったの謝るから!」
「許しません!」
「ほ、欲しいものは?」
「――ホテルココクラのデザートブュッフェのチケット!!」
「……つてで取ってあげる」
「わーい!」
「……喧嘩、終わった……?」槍真がぽかんと呟く。
「兄妹ゲンカで最終的にデザートで和解……」魔李が小声で笑う。
澪が深いため息をつき、バナナ組に視線を戻す。
「まぁ、そういうわけで。どう? 見直した?」
「実力は見直しました!」剣吾が拳を握る。
「でも……親しみやすさが増して……」魔李が笑いながら続ける。
「見直すっていうより……もっとゴリラ先生っぽいって感じ」
「そうそう、前よりゴリラっぽい!」弓菜が堂々と宣言した。
「???」と首をかしげるゴリラ先生の横で、玄真塾長は平然と微笑んでいた。




