誰かが噓をついているんじゃないですか。
死んでしまったテトラを見て、僕は声が出なかった。まさか、テトラが勇者だったなんて。まさか、テトラがこんなところで死んでしまうなんて。僕の感情はぐちゃぐちゃで、心が壊れそうな心地がした。
「これが、彼が勇者であることを証明する指輪です。」
商人と一緒にいた男が言った。彼は、勇者パーティーの1人で、剣士をしているとのことだった。
テトラの右手には白い宝石の付いた指輪が光を集め、今でも綺麗に輝いていた。前にテトラに会った時、僕は指輪の存在に気付くことができなかった。
テトラの顔にはべったりとスライムの体液が張り付いてしまっている。スライムのコアは見当たらない。戦いの後、本体はどこかへ逃げたのだろう。
スライムに運悪く顔を攻撃され、息ができなくなり、窒息死。それが彼の最期だったのか。頭の中ではそう理解していても、僕はどうしても納得ができない。僕にスライムの戦いを教えてくれたテトラが、まさかスライムに殺されてしまうなんて。笑えない冗談だ。
「すまないが、街に戻って騎士団を呼んできてくれないか。このあたりには他のモンスターもいるから、勇者様の遺体を安全な場所に避難させたい。僕も彼女も戦いでケガをしてしまって、あまり遠くへ歩けないんだ」
剣士が言った。一緒にいた女性は右の手首を抑え、その顔は痛みと悲しみで歪んでいる。さっき聞こえた大きな泣き声はどうやら彼女の声だったらしい。 彼女も勇者パーティーの1人で魔法使いをしているそうだ。
「わしももう年で体力が無くてな。君なら走って街に戻れるんじゃないかと思って探していたんじゃ」
商人も畳みかけるように言った。
しかし、ライムの心にはどうしても拭えない違和感が募る。テトラが、勇者が、こんなところで。
「…テトラが、勇者様が、こんなところで死ぬわけがない!」
ダンジョン一階の空気が、大きく揺れた。思わず口から出た言葉に、3人は目を大きく開け、驚いた顔をした。
「…名前を知っているということは、テトラと知り合いだったんだね。残念だが、勇者様は死んでしまったんだ。こんなところで死ぬわけがない、と僕達だって思っていた。」
悔しそうな顔で、剣士は僕の言葉に冷静に答える。
これ以上、何かを言っても仕方がない。僕が考えても意味がない。ただ疲れるだけだ。死んでしまった人は生きて帰らない。僕の頭の中で思考がめぐる。
「…誰かが、誰かが嘘をついているんじゃないですか。」
僕は心の中にあった違和感を、なんとか口に出した。
その言葉の後、4人の間には少しの沈黙が訪れた。突如、剣士の顔に笑みがこぼれる。
「面白いことを言うね。じゃあ誰が嘘をついているんだい?」
「剣士様、今はそれどころじゃ…。この緊急事態、早く騎士団を呼ぶべきです!」
商人は焦りながら、早く騎士団を呼ぶべきだと促す。
だが、剣士は聞く耳を持たない。彼は笑顔のまま、僕に告げた。
「このまま騎士団を呼んでも、君も僕もモヤモヤしてしまう。僕達の誰かを疑っているなら、好きなだけ疑ってみればいい。」
その言葉の後、剣士の表情は凍ったように冷たくなり、言葉に明確な怒りがこもる。
「ただし、僕達の誰も嘘をついていなかった場合、僕達勇者パーティーに対する不敬罪として君を刑務所に入れてもらう。あまり子供の戯言に付き合っている時間もない。探偵ごっこは10分で終わらせてくれ」
僕はここで殺されてしまうんじゃないか、と思うくらいの迫力だった。
「…わかりました」
僕はそう答えた。そう答えるしかなかった。今更前言撤回はできない。
僕は酷いことを言ってしまったのではないか、という不安と後悔の念が胸をよぎる。刑務所にだって入りたくない。刑務所での暮らしは、奴隷の頃の暮らしよりも酷いものかもしれない。剣士は淡々と話しているが、明らかに怒っている。しかし、一度抱いた疑念は、そう簡単に消えはしない。
僕はつばをごくりと飲み込む。テトラは、ダンジョン一階で死んだりはしない。僕はそれを証明すると心に決めた。
僕に与えられた時間はたったの10分だった。10分で、この中の誰かが嘘をついていることを証明しなければならない。誰かが嘘をついている確証もない。自身の心臓の鼓動が早くなっていることが胸を触らずとも分かる。
僕はまず、勇者の遺体に近づくことにした。まずは現状の把握からだ。何か少しでもいいから、手がかりを見つけたい。
「勇者様の状態を見てもいいですか?」
「かまわない。ただ、勝手に触ったりはしないでくれ。後で騎士団が来た時に現場の状況が変わっていると困るからな」
僕は、分かりましたと言った後に、勇者様の体をじっくりと眺める。仰向けになっている遺体は、確かに右手に勇者専用の指輪を付けている。そして、指輪には純白の宝石が光を集めて輝いている。僕は宝石には詳しくないが、この神々しさは素人にも分かるくらいだ。死んでしまったテトラと、綺麗な指輪の対比が痛々しくも感じた。
テトラの顔にはスライムのゼリー状の体液が張り付き、口と鼻を覆っている。スライムのコアは残されていない。テトラが死んでしまった後、本体はどこかに行ってしまったのだろう。スライムの体は、コアから離れると少しずつ蒸発するから、このスライムと戦ってからそんなに時間は経っていないはずだ。そして体にはその他の外傷は見られず、綺麗なままだ。死因は窒息死で間違いないだろう。いくら勇者様でも、スライムで呼吸ができなくなってしまっては死んでしまう。
剣士は僕の様子を見ながら、「ここはダンジョン1階だから、勇者様も油断してしまっていたんだ。まさか顔を狙われるなんてね」と言った。
遺体の様子を見るだけでは、まだ何とも言えない。僕は焦る気持ちを抑えて冷静に考察を続ける。テトラがスライムに殺されたのでなければ、誰かが嘘をついているはずだ。第一目撃者が「勇者はスライムに殺された」と嘘をついて、他の2人に嘘の情報を広めた可能性もある。まず怪しいのは第一目撃者だ。僕は自分なりに推理を進めた。
次に、僕は3人に勇者が死んだしまった時の状況を聞くことにした。
1人目は商人に話を聞いた。
商人は事件の現場にはいなかったそうだ。勇者が死んでしまったことは、後で助けを求め通りかかった剣士と魔法使いから話を聞き知ったという。
勇者が死んだ時間は商人としての仕事をしており、普段と変わらず過ごしていたそうだ。探せば証言してくれる客もいるはずだという。
「ライムなら分かると思うが、わしには勇者を殺す能力もないし、スライムに殺されたと嘘をつく理由もない」
商人にそう言われ、僕は確かにその通りだと思った。足腰の弱っている商人が勇者を殺すことは現実的に不可能だし、勇者が死んだと嘘をつくメリットは思い当たらない。
2人目は剣士に話を聞いた。
剣士は、勇者がスライムに殺される瞬間を見たという。ダンジョン内を3人で歩いている途中、いきなりスライムが勇者の顔に攻撃をして張り付いてきたらしい。
剣士は勇者を助けようとスライムを攻撃しようと考えたが、気付いた時にはスライムは勇者の顔を飲み込んでおり、攻撃しようにもできない状況だったと言う。
「僕は優秀な剣士ではあるが、自身の力では勇者様を殺すことはできない。そして、僕は自ら騎士団を呼ぼうとしていた。もし仮に僕が勇者を殺したとしたら、騎士団を呼ぼうとしていることの辻褄が合わないだろう。」
剣士が勇者を殺したのであれば、騎士団を呼ぶ必要はなく、すぐにその場から逃げるはずだ。騎士団を呼ぶと問題が大きくなってしまうし、その場で捕まってしまうリスクさえある。少なくとも事情聴取は受けることになるだろう。剣士の態度からどことなく怪しさも感じていたが、剣士の説明には納得するしかない。
3人目は魔法使いに話を聞いた。最初に会った時から泣き続けていた魔法使いだが、少し落ち着いたようで話を聞くことができた。
魔法使いは、剣士と同様に勇者がスライムに殺される瞬間を見たそうだ。
傷ついた勇者を回復しようとしたが、スライムに不意打ちの攻撃をされ怪我をしてしまい、回復魔法が使えない状態になってしまったという。
魔法使いも、剣士同様に自身の力だけでは勇者を殺すことはできない。だが、毒の魔法など他の方法で勇者を殺すことは不可能ではない。ただ、自身で勇者を殺して、果たしてあそこまで泣くことができるだろうか。勇者がスライムに殺されたという、不名誉な嘘をつくだろうか。魔法使いは、勇者が死んでしまって本当に悲しんでいるように見えた。
3人の話に矛盾はないようにも感じる。勇者であっても、呼吸ができなくなればスライムに殺される可能性もゼロではない。剣士はスライムを倒そうとしたが、勇者の顔に張り付いたスライムを倒すことは難しかった。魔法使いは回復魔法を使おうとしたが、怪我をしてしまってできなかった。商人は事件現場におらず、剣士と魔法使いから話を聞いただけだ。…うまく説明はできないが、何かがおかしい気がする。