71、気持ち
「マリちゃんはすごい人だ。俺がこの世界で一番尊敬できる人間だよ。そんなすごいマリちゃんから好意を寄せてもらえて、そのうえ俺の子供が欲しいとまで言ってもらえた。その言葉は今まで人から言われた言葉のなかで最も嬉しい言葉だったよ。だけど今の俺はそう言ってくれたマリちゃんに幻滅されたくないという気持ちの方が大きいんだよ。」
といって自分の過去の女性関係や女性に対してどう思ってどう接して来たかを話し出した。
タケシは今まで関係を持った女性に対して性の対象としての好奇心しか持てなかった。
また鈴の母親に対しては自分の子供を得る為に孕んでもらった女性という気持ち以上は持てなくて、それが最後まで彼女を苦しめたのだろうと言った。
自分の今までの行為は決して紳士ではなかったし、自分の中から沸き起こる性欲を抑えきれずにいろんな女性の体の中でその欲求を発散させてもらったという事をマリに赤裸々に語った。
自分に興味がない女や落とすのが難しい女であればあるほど、攻略して落とすまでの過程に興奮して楽しんでいたことは女性を卑下した最低な行為だった。
その行為に愛情がないことをいつだって自分だけははっきりと認識しており、行為の最中もどこか別のところから客観視して、その戦利品を眺めているようなことを繰り返していた。
優しい振りをする事は簡単にできたが、本当に優しい気持ちを持ったことはなかった。
そういう自分勝手な考えでも少し前までは罪悪感を感じた事はなかったし、むしろ自分のそういう所は他の男より勝っているとさえ思っていた。
だけどマリの偉業を目の前で見た時、突然自分の器の小ささに気付き、はじめて今までの自分のだらしない行為を恥じた。
そして俺はマリには一生かなわないと落胆もした。
それは同じ子を持つ親としての嫉妬の気持ちもあるし、大きな偉業を成し遂げた者への憧れの気持ちだってある。
「だけどやっぱり俺はマリちゃんのような聖人のような生き方はできない。
俺の手癖の悪さは何をやっても治らない生まれ持っての物なんだ。それがわかっているからこそ、マリちゃんを傷付けないように一定の距離を保ちながらもマリちゃんの一番近い存在としてずっと側にいたいんだよ。」
あの島を出る時、タケシはマリの将来を自分ですべて責任を持つと決めた。
しかし、いつの頃からかマリは一人で生きて行けるほどの強い人間になってしまった。
そこにはもう自分の存在は必要ないんじゃないかという気がした時、タケシの方がもうマリから離れられなくなっていることに気が付いた。
「マリちゃんに対してだけは俺もちゃんと格好つけていたいし、いい加減な自分を晒して幻滅されたくない。
だからこういう風にしか愛してあげられなくてごめんよ。」
タケシのその言葉とタケシから伝わる心の声はタケシに女として愛されているのと同じくらいの重みと感動をマリに与えた。
やっぱり今回もタケシの全てを手に入れる事はできなかったけど、タケシを好きになった自分が今、初めて報われたような気がした。
夜、マリが居間で鈴の学習内容をチェックしていると庭先からドンっという大きな物音がした。正直もうこういった音にいちいち驚かされない。
犬の次郎が吠えないという事はそこに危険はないはずだし、畑を荒らされたりするような悪さをする動物ではないという事だろう。
この山奥ではすべての物に対して警戒していても切りがないのだ。
また何かの動物が敷地に入って来て遊んでいるのだろうと思いながら動物を脅かさないようにそっと窓から外をのぞくと、めずらしいことにそれはクマの子供だった。
2匹の子グマが椎の木に括り付けられたのロープで遊んでいる。
そしてその隣では母グマが地面に座って足を広げ、自分の毛繕いをしながら子供たちが遊ぶのを見守っている。
マリにはその親子グマがこの間の川べりでのキャンプの日に見かけたクマであるとすぐに分かった。
しばらくそのクマの親子を温かい気持ちで見守っていたが、そのうちにこの家族の平和な時間を邪魔しているような気になり、静かに自分の自室に戻って電気を消して布団に入った。
朝起きて昨日子グマが遊んでいた辺りを見てまわるとクマ特有の泥と獣臭の混じった匂いがした。
その匂いを嗅ぐと昨夜遅くのあの出来事は実際に起こった事だったのだと改めて温かい気持ちになる。
鈴と師子もその匂いにすぐに気付き、マリから夜中にクマの子供が遊びに来たと聞くと大喜びをした。
鈴はあれだけ雌イノシシの時に怖い思いをしたにもかかわらず、相変わらず動物を好きでいてくれた。
野生動物に対して愛情は持ちながらも目の前で獲物として捕らえられた獣たちが肉に姿を変わっていく様子も冷静にきちんと受け入れるようになり、肉になればその肉を感謝して美味しく頂くという礼儀も自然と身に付いた。
獣が肉に変わる姿を見て可哀そうだと思う感情は持ち続ける事はかまわないが、気持ち悪いだとか残酷だと言う感情は絶対に持って欲しくなかった。
その感情の中には動物に対しての尊敬の念はない。
マリが幼い頃、自然から学んだすべての動物が同じ命の重みを持っており、自分の生命維持のために、他者の肉体を貪り生きながらせて頂いているという感覚はこの自然環境の中で必ず持っていて欲しい感覚であった。
この愛らしいクマの親子であっても、自分や自分の身内に危険を及ぼす時やどうしても生命維持が必要になった時にはためらいなく命を頂戴するくらいの覚悟を持っていなければ、この環境で生活していく覚悟はできない。
幼い鈴と師子には難しい倫理や感情は理解できなくても、感覚としてそういった物を本能的に理解していて欲しかった。
そしてもし自分が他者に食われる立場になった時でも、それをきちんと納得して受け入れて欲しいと思った。
〈〈 次回、最終話。ご期待ください。〉〉
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