36、タケシの子育て
タケシの店は以前は高齢の独り身男性が理髪店を経営しており、その男性が引退すると聞いて物件と顧客をタケシがそのまま引き継いだ。
その話を最初に持ってきたのは秀さんでそれを教えられた時、まだ有紀のお腹には鈴がいた。
ふたりでこの店を下見に来た時、有紀は建物が古いことを気にしていたが、タケシはこの町の人達の人柄や街の雰囲気が自分に合っているとすぐに直感した。
客の大半は地元の男たちなのでその男たちに馴染めなければ商売は成り立たない。住民の年齢にばらつきがある事も良かったし、ほどほどに住宅が多く、商店街も古いながらにも活気があった。
この店で理髪店を始めてすぐに有紀はこの家から出て行った。
最初はその事を住民たちは心配したり噂もしたが、タケシは初めからシングルファーザーの悲壮感をまったく漂わせなかった。
店で生まれて半年の鈴の面倒を見ながら働く姿とその潔い覚悟が住民たちから好感を持たれ、若いのにしっかりとしているという理由で周りの年配者たちにしきりにお見合いを勧められた時期もあったがタケシはそれにまったく興味を持たなかった。
タケシは仕事をしながら鈴を看るために理髪店の中に鈴のスペースを作った。
それは普通のベビーベッドなどではなく、店の天井からロープを吊るし、それに抱っこ紐をひっかけて仕事中のタケシと対面になるようにした。
最初はタケシや客が時々手で揺らしてやっていたがそのうち鈴は自分自身で上手に揺らすようになった。
一度だけ鈴が病気の日、鈴は一日中不機嫌でどんなにあやしても機嫌が悪い日があった。その日はタケシは一日中、鈴を背中に背負って仕事をすることになったが、しかしその日以外は常に鈴は大人しくいろんな客に抱かれたり、つつかれたりしながらタケシの仕事を見ている。
また哺乳瓶と抱っこ紐を繋げて置けば鈴はお腹がすけば自分で哺乳瓶を持ってミルクを飲んだ。その様子が面白いとわざわざそれを見に来る近所の主婦たちまで理髪店を訪れた。
タケシはまるでパンダみたいだなと思ってそれを見ながら楽しく仕事していた。
今はこの近所で鈴は人気者で、鈴を見たいが為にシャンプーや顔剃りに来る女性客もいるくらいだ。
しかしタケシはそれをあんまり喜んでいない。
女性客が店を訪れると男性客は明らかに居心地が悪そうになるからだ。この店は頑固で繊細な地元の男性客たちに支えられて成り立っている。
床屋という仕事は非常によくできた職業で中年男性客のほとんどは心変わりせずに一か所の床屋を髪の毛がなくなる日まで使い続ける。
男性は女性とは違って新しい店や物、初対面の店主との会話が苦手な為、多くの男性は気心の知れた店主にしか髪を触らせたがらない。そして髪は必ず伸びる物で毎月、同じ客が同じ間隔で定期的に通い続けてくれる。
週末よりは平日の方が客の入りは少ないというくらいの閑散日はあるものの、季節や景気に大きく左右されて客足が遠のくということもない。
理容組合で料金や定休日、サービス内容などをすべての店で一定に設定しているので、よその町の床屋に客を取られるという心配もなかった。
またタケシは散髪技術も優れていたがそれ以上に人の触り方が上手かった。
昔の人には話せない経験の数々から人の肌の感覚が本能的に理解できており、どうしても人に髪を触られることに抵抗がある人でもタケシならば大丈夫だという人が多い。
そういう人たちがわざわざ遠くからでも来店してくれる。
そういう客たちや地域住民たちと上手に付き合いながら子育てが出来ているこの町の環境にタケシは満足していた。
〈〈 次回、マリは学校でいじめにあう。ご期待ください。〉〉
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