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欲求不満

 新しい週が始まると、やっぱり単調な通勤と繰り返しの業務が智子(ともこ)を待っていた。

 少しだけ違うのは彼女の体の中に吸血鬼が住んでいると分かったことだが、それが通勤や日常業務を変えるなんてことはない。

 次々と与えられるショート動画を見て通勤時間をやり過ごし、業務中に眠くなったら強いミントのタブレットを口に放り込むだけ。

「……」

 ふと振り返ると、黒峰(くろみね)の席が空いていた。

 社員同士はグループウェアのようなものがあって、情報を共有していているのだが、智子たち派遣にアクセス権はないので、分からないのだ。

「まさか、異動とか……」

 誰にも聞こえない小さな声でそういうと、不安になり立ち上がって黒峰のテーブルを見た。

 大きめの付箋紙が貼ってあり、日付が書かれている。

 今週は出張か……

 智子は大きなため息を吐く。

「何、その明らかに残念そうなため息は」

 黒峰の隣の男性社員が、椅子を回して彼女に言った。

「残念ついでにもう一つ情報を言っておこうかな。黒峰と一緒に出張行ってるのは『あの』川島ひろこだぜ」

 オフィスにしては露出過剰のファッションをする、黒峰を狙っている女性社員だ。

 あからさまに智子が動揺する。

 言いすぎた、と思ったのか彼は慌てて言葉を足す。

「まあ、やつは真面目だから、何もないと思うけど」

 智子は思う。

 彼を信じるべきだ。出張だからと言ってハメを外すような男性(ひと)ではないと。

 彼女は祈るように繰り返し考えた。

 だが、次第に疑心暗鬼が広がっていく。

 初日、二日目。

 智子は外から見る分には、普通だった。

 川島がわざとモノを落として、胸の谷間やお尻を見せたりしているが、黒峰が耐えている姿を想い浮かべ、自らそれをかき消した。

 三日目、四日目。

 笑ったり泣いたり、喜怒哀楽が激しくなっていた。

 仕事終わりの飲み会を開き、妙にボディタッチが多い川島。黒峰も少しずつその気になってしまう。一瞬、二人の顔が重なるほど近づく。

 耐えていると見るか、落とされかかっていると見るか、彼女の心は激しく揺れる。

 そして五日目。

 佳代とも口をきかず、智子は昼ごはんを抜いてしまった。

 川島の家飲みの提案に、黒峰が頷いてしまう。

 空港からの帰りに、そのまま川島のマンションに入っていく二人の影。

 初日から、どれもこれも智子の勝手な想像なのだ。

 だが、想像の中の黒峰は川島の誘惑に負けてしまっている。

 あくまで彼女の勝手な思い込みなのに、それが事実のように頭に焼き付いてしまう。

 そして会社を離れ、帰りの電車でも想いは高まっていき、アパートに着いてお酒を飲むと彼女の想いはピークに達した。

「なんで! なんで、こんなに心配しなきゃならないの!!」

 黒峰のことを気にしたってしょうがない。黒峰はアラサーの私のことなんて見てはいないんだ、などと自虐も止まらなくなっている。

 マイナスな考えを、何度も何度も否定して気持ちを抑えようとするが、アルコールによって、たがが外れた智子はさらにアルコールを求めて繁華街に足を向けていた。

 大声で独り言を話しながら、居酒屋に入っていくと、デキャンタでワインを頼んだ。

 何も食べず、淡々と赤のワインを流し込む。

『貴方の飲み方、あぶなすぎるわ』

「何よ、急に現れて」

 普通なら、周囲の視線を集めてしまうような発言だった。

 だが、店に入った時から異様な雰囲気だったせいで、今更独り言を言っても周りは彼女を無視している。

『体のコントロールを任せられないってことよ』

「うるさい!」

 智子は、テーブルに置いたグラスを手の甲で弾き、床に落としてしまう。

 ついにやったか、という視線が彼女に注がれる。

「お客様、どうなされましたか?」

「どうもしないけど」

 彼女を見に来た店員は、責任者らしかった。

「店内で乱暴されますと、警察を呼ぶことがあります」

「警察でも、自衛隊でも、好きなのを呼べばいいわ。相手になってあげる」

「他のお客様のご迷惑にならないようにお願いします」

 そう言うと、会釈をして責任者が下がっていく。

 ……が、直後に異変を感じ、責任者は同じ方を向きながら、後ろ歩きで戻って来た。

 責任者が、チラリと智子の方を見ると、そこに彼女はいなかった。

 いや、いるにはいたが、姿が全く違う。

 人が入れ替わったとしか思えないが、そんな時間はなかったはずだ。

 赤い瞳、西洋風の顔立ち、白く透き通る肌。

 身長も伸び、白いドレスと赤いハイヒールを身につけている。

 何より強力なオーラを纏っていて、圧を感じる。

 智子がいた場所に座っている女性は、その店の責任者に向かって言葉を放った。

「貴方が食い止めてきなさい」

 言い終えると、手を伸ばし、入り口方向へはらうように動かした。

 店の責任者は(まぶた)が半分落ち、瞳からは意志が消えている。

 そして、足をするようにしながら入り口方向へ戻っていった。

『ルビー、私を返して』

「止めたのに、酔っ払うからこういうことになる。自業自得でしょ?」

 ルビー・ハートリッジ。

 吸血鬼である彼女は、酔っ払った智子の体を乗っ取ったのだ。

 そんなことより、厄介な相手が近づいてくる、とルビーは思った。

 日中も動ける使者のレベルではない。昼は棺桶で寝ていなければならない、本格的な奴だ。

 ノクター家の者か、ハートリッジの者か。そのどちらでもない第三勢力の可能性もある。

 ルビーは立ち上がると、店の責任者の背中を見つめた。

 店の責任者の先にはエレベータのドアがあった。

 ()れる程度の相手か、そうではないか。見極めるだけの距離はある。

 カゴがあるフロアの数値が変化し、近づいてくるのがわかった。

「四…… 五!」

 エレベータのドアが開く。

 店の責任者が止めようと両手を開いた。

「!」

 カゴから出てくる者が見えない。

 なぜ見えない。そこの責任者と同じ背格好なのか、体をすくめているのか。

 ルビーは氷のような表情で、エレベータ方向を警戒する。

 責任者の手が、だらりと下がった。

 ルビーの指示が打ち消される何かがあったと言うことになる。

 そして後ろによろめくと、エレベータのドアが閉まった。

『逃げて! あの人を盾にする気よ』

 人が一人死んだところで問題ない。ルビーはそう思った。

『ダメ、絶対に人は殺させない!』

「まったく、つまらない割り込みをしてこないで」

 ルビーが、左手を右から左に動かすと、その手の動きの通り責任者が倒れてしまった。

 倒れた者の陰に隠れていた敵があらわになる。

 男は黒いフード付きのスエットを着ていた。

 そのフードのせいで表情ははっきりと分からないが、光を強く反射する虹彩をしていて、目が金色に光って見える。

「金色の瞳…… って、確か」

 ロックハート家の者に違いない。

 男は歯を見せ笑った。




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