フラミンゴの庭
この動物園のフラミンゴの泉は、どこか実際のものを模して作ったものなのだろうか。
確かに夢で見た泉によく似ている。
元になるモチーフがあり、それを真似ているかのようだ。
智子はスマホを構え、フラミンゴの展示の全景をゆっくりと撮影した。
だが、大きさは決定的に違うようだった。
智子は展示にある解説を読むと、空が開いているのにフラミンゴが逃げないのは、助走には十分な距離が必要だと書かれていた。つまりここはフラミンゴには窮屈で、狭すぎるのだ。
しばらく、フラミンゴを見ていて、夢の中のことを思い出した。
本当にこの場に立っているかのような光景だった。
だが、この動物園のように周りの仕切りはなく、浅瀬がもっと広がっていた。
フラミンゴも降りてくるものも、飛び立っていくものもいた。
つまりこの大きさではあり得ない光景だったのだ。
フラミンゴを見ていると、夢に出て来た男の姿も、はっきりと蘇ってくる。
深い青色の瞳。星明かりのような模様に、流れ星のような光の動き。
あれは人間の瞳ではないのかもしれない。
フラミンゴたちを見るのに飽きると、智子は気がむくままに動物園を歩き回った。
そしてスーツの男のことも、完全に忘れていた。
園の奥、岡の頂上にある、眺めの良いレストランで食事をとることに決め、中に入った。
丁度、タイミングが良かったようで、窓際の席に座れた。
窓際は、動物園のほぼ全景が見える。
食事は少々値段が高かったが、眺めを楽しむための費用と割り切った。
食事をとって、十分な休憩が取れたところで、再び園内を歩き始めた。
彼女が小動物と触れ合いができるゾーンに差し掛かると、再び視線を感じた。
「……」
振り返るとスーツの男がいた。
スリーピースをしっかり羽織って、服装に乱れひとつない。
何か不自然なものを感じる。
智子は道の流れに反して動くことで、相手をまこうと考えた。
この道の流れからすると、園を出る方向に走ったフリをして、横にはる夜行性動物たちがいる室内展示側に曲がればいい。
智子は、時間を気にしている風にして急足にしてスーツ男がついてくるのを見ると、死角を使って室内展示側に避けた。
身を潜めて待つと、スーツの男は園の出入り口へと向かっていった。
智子は壁に背中を預け、ため息をついた。
相手が気づいたとして、出入り口で待たれてしまう可能性がある。
彼女は、それなら室内展示を回って時間を潰そうと考えた。
室内展示を見て歩いていると、何もないと思っていたガラスの向こうに飛んでいる生き物を見つけ、智子は激しく動揺した。
「!」
見ると表示にはコウモリと書かれていた。
室内で、微妙に昼と夜をずらしておき、夜活発に飛び回る姿を見せているのだ。
器用に木の枝を避けながら飛び回るコウモリたち。
興味を持ってガラスに近づいていくと、飛んでいたコウモリたちが智子の前にある木の枝に溜まり始めた。
「な、なんなの……」
正直、フラミンゴを見に来たのであって、コウモリに会いに来たのではない。
彼女は怖くなって、その場所を離れると、コウモリたちも追うようにガラスの反対側で飛び、智子を追うように移動した。
智子はコウモリの奇妙な行動に対し、走り出したい衝動を抑えるので必死だった。他の客もいるし、そもそも、こういった場所で走るわけにはいかない。
コウモリの展示が終わると、智子はため息をついた。
室内展示を出る時、後ろと外を十分に確認した。
スーツ男の目的も分からないが、出入り口で待っている可能性は十分にある。
智子は出入り口近くのお土産売り場に入り、出入り口周辺を確認することにした。
お土産を見るふりをして、出入り口を十分に確認すると、彼女は動物園を抜け出した。
待っているバスに乗り込むと、運転手の後ろあたりで身を潜めた。
主にカップルでの乗車が多かったが、彼女を見ていたと思われるスーツの男はいなかった。
バスは出発し、何も問題なく駅についた。
智子は駅でも疑いながら周囲を気にしていたが、電車に乗り込むと、席に座れたこともあって、寝てしまった。
大きなターミナル駅で一度おり、駅周辺にあるショッピングモールに向かう。
彼女は気になっていた服や小物を見てまわった。
駅ビルの二階にあるカフェで一息つく頃にには、陽が傾いていた。
何気なく窓の外を見ていると、何かが横切った。
智子は別段気にしなかったが、窓にゴミがついているような気がしてもう一度よく見ると、雨除けに張り出しているひさしにコウモリがぶら下がっていた。
「!」
驚く彼女に、たまたま近くにいた店員が気づくと、言った。
「ああ、ここには、よくくるんですよ。大体、いつもこの時間帯ですね。都心にもコウモリいるんだって驚かれます」
「そうなんで……」
智子は店員の背後に『スーツの男』を目撃し、顔が引き攣った。
店員が首を傾げると、スーツの男は枠にはまった『絵』であることに気づく。
何度も瞬きし、絵であることを確認すると、智子の反応を見て固まっている店員に言う。
「……そ、そうなんですね。今日、動物園で見てきたばかりなので、それが抜け出したのかと思っちゃいまいした」
店員は、優しい笑顔を浮かべた。
「心配なさらずとも、大丈夫ですよ」
そう言うと店員はポニーテールを揺らしながらテーブルを消毒して、カウンターへ戻っていってしまった。
あまりに退屈な生活を繰り返していて、頭が変になりかけているのかも。
いや、こんなことでおかしくなっていたら、いったいどれくらいの人が変になっているだろう。
智子は帰ろうと食器を片付けると、店内に飾られている絵を一通り見まわした。
「ない」
思わず声に出していた。
さっき見たと思ったスーツを来た男性を描いた絵画がないのだ。
コウモリの話をしてきた店員をつかまえると、智子は絵について訊ねる。
「いえ、そんな絵は…… 私がここで仕事を始めてからの記憶ですが」
「そうですか……」
智子はそう言うと、慌てて店を飛び出した。
周りを見回しながら、帰りの電車に乗り込んだ。
吊り革につかまって立っていた。
夜の街を見るように電車の窓を見ていると、反対側の棚に白い猫が写って見える。
振り返るがそこに猫はいない。
「もう、いや……」
智子がそう呟くと、音声とは違う『声』が聞こえる。
『あなたの頭がおかしくなっている訳ではないの』
声に合わせて、窓に映る猫の口が動く。
「だって」
思わず声を出してしまい周囲の視線を感じる。
『いいから、黙って言うことを聞いて』
彼女の頬を涙が伝って落ちた。