手の者
前田歴彦は手術室を手配した。
患者の容体が変わった為に、緊急で手術を行うことになったからだ。
容体が変わったのは『黒峰』だった。
実際、容体は変わっていないが患者の『痛み』と言う、計器で測れないものを理由にしたのだ。
そもそもかなり難しい手術を、緊急で手配すると相当の人間が配置される。
麻酔科の医師や手術室看護師などを臨時で招集し、それらの人間を長時間拘束する訳だ。
黒峰はこの前田に直接払う金だけでなく、これら手術に必要な代金全てを払うことになる。ハートリッジ家の執事へ依頼は、この金額も含めてのものだった。
手術が始まると、前田は医師の顔になった。
医療器具を駆使して『聖杯の銀』をつかみ取るのであれば、吸血鬼である前田であっても影響は受けない。
長時間にわたる手術であっても、吸血鬼の血が流れている黒峰が耐えられることはわかっている。
意識の中でそれがある為、通常は慎重になるところを、大胆に行うことができた。
手術は順調に進んでいき、そして終わった。
「……」
黒峰は手術室を出た時には麻酔が切れ、目を開いていた。
「誰かくる」
黒峰の声を聞いた看護師は慌てる。
「黒峰さん、落ち着いて。心配ないですから。まだ喋ったり、起きたりしないでください。あなたは手術が終わったばかりなんですよ」
回復室に移し、しばらく術後に起こるトラブルがないか様子を見ていた。
一時間ほどすると、黒峰はようやく彼の個室へ移動した。
いつもより、モニタリングする機器が沢山つけられてはいたが、黒峰はようやく一人になることができた。
彼は状態を起こした。
「くる……」
吸血鬼の気配だ。
体の中の銀が抜け、アルバートが完全に復活できるのなら、ノクター家は何も用事はないはずだ。
体の中に残っていた『聖杯の銀』が抜けたことで、アルバートが黒峰に話しかけてきた。
『考えられることとしては、そもそも俺を殺そうとしていた可能性があるな』
「どういうことだ? ノクター家は人間が邪魔だから、人の体を壊して君がこの体を支配することを望んでいたのではないのか?」
『そう言う意見の者もいただろうが、ノクター家は大きい。一枚岩ではない』
ルビーだではなく、アルバートがハートリッジと繋がることを恐れる連中がいると言うことか。
黒峰はそう考えた。
「警戒はしよう」
人間だけの時にはなかった、不思議な感覚やってくる。
沸騰するような、怒りの感覚。
『どうやら強い吸血鬼のようだ』
「やり合った場合、勝てるのか?」
『俺に任せろ、と言いたいところだが……』
アルバートは言い淀む。
黒峰は考える。手術後に輸血は受けているとはいえ、かなり失血している。
この体で吸血鬼本来の力が発揮できるとは思えない。
「血がいる、と言うことか」
『そうだ』
黒峰は躊躇なくナースコールをする。
『黒峰さん、どうかなさいましたか?』
「誰か一人、部屋に来てもらえませんか?」
『体調に関することですか? 先生をお呼びした方がいいですか?』
余計な質問をしてくる。黒峰は言った。
「先生は大丈夫なんですが、その説明しにくいことなので来ていただけると助かります」
『……わかりました』
看護師はそういうと通話を切った。
部屋のインターホンが操作される。
「どうぞ」
扉が開いて、女性の看護師が入ってくる。
「明かりをつけないで」
黒峰はそう言うと、手招きした。
彼はベッドの上で上体を起こし、近づいてきた看護師に縋るように抱きつく。
看護師は抵抗するでも、慌てるわけでもなく冷静に対応する。
「どうしましたか? 先生を呼びますか?」
「違うんだ…… こうしていたいんだ」
襟元を広げ、アルバートの顔になった黒峰が、看護師の首元に噛み付く。
声も出せないまま、看護師の意識はなくなり、体は脱力していく。
黒峰はまるで血を絞り出すかのように、看護師の体を強く抱きしめる。
『おい! 彼女が死んでしまうぞ』
「ここで躊躇して、俺が死んだらも元も子もない」
『……お前、本当に人間なのか?』
黒峰は答えぬまま、淡々と血を啜っていた。
静かになった病室の扉が開いた。
大きなシルエットが、真っ暗な病室に入っていく。
毛布を顔までかけ、ベッドに横たわっている人物の顔が見えない。
病室に入ってきた影は、右手の指をまっすぐに伸ばし、それを寝ているものに向けて振り上げた。
シルエットと身のこなしから、その者がもつ強靭な体と卓越した能力がわかる。
一瞬の間ののち、ベッドに寝ている者の胸と思われる部分へ指先が突き込まれた。
「!」
指先はベッドで寝ていた者の背骨を折って、体を突き抜けていた。
抜いた指を目の前に掲げると、その影は言った。
「違う」
「その通りだ」
背後に、深く碧い瞳が現れた。その瞳は夜空の星をたたえているようだ。
それは吸血鬼、アルバート・ノクターだった。
「俺はもうアルバートに戻ったぞ」
「そ、そうだったのか。先に言ってくれれば」
「もし俺がそこで寝ていたら、その全力の突きの意味はなんだ?」
ベッド横にいる者は舌打ちした。
「いや、本当に誤解だ」
アルバートは返事をする代わりに、拳を打ち込んでいた。
「なっ……」
「この場で灰になれ。哀れなノクター家の刺客!」
右拳は、相手の胸を突き出ていた。その先にはその者の心臓が握られている。
「!」
男の顔は恐怖に歪んでいた。
握りつぶされた心臓が血飛沫をあげると、その者の体は、細かく分解されていく。
広がっていく粒子は、一つ一つ、さらに小さくなって消えていった。
アルバートはベッドの横に進むと、顔を覆っていた毛布を外した。
そこには黒峰の呼び出しに応じてやってきた看護師がいた。
彼女はベッドの上で、目を見開いている。
アルバートは彼女の瞼に触れると、そっと閉じた。
指で触れながら、苦痛に歪んだ表情を、可能な限り整える。
『何をしている。早く逃げよう』
「この者を利用する意味はあったのか」
アルバートは死んだ看護師を見つめていた。
『奴の背後をとって、一撃で倒せたのはこの作戦があったからだろうが』
アルバートは恐ろしくなった。
「背後を取らずとも戦えた。その前に、必要以上に血も奪った」
『ノクター家の刺客が、強力な吸血鬼だと言ったのはお前だ』
「……臆病なのだな」
言葉に反応して、血が騒ぐのがわかる。
黒峰が一番言われたくない表現を選んでしまったようだった。
『うるさい! 早くここを出るぞ!』
アルバートは窓を開けると、そのまま外に飛び降りた。




