SM探偵事務所
動物園でルビーを仕留め損なった冴島雅人は前田の奇襲を受け、肋骨が六本ほど折れる怪我をしていた。
彼も動物園に不法侵入しており、そもそも体を検査されると様々な異常が見つかってしまうため、救急車も呼べず、怪我を負いながらも自力で動物園を脱出していた。
近所の廃屋、その薄暗い物陰で耐えた。
肩や足の出血が治ると、バスと電車でSM探偵事務所に戻った。
一眠りして、全身の興奮状態が収まると、彼は動物園の夜を思い出していた。
考えれば考えるほど、おかしなことばかりだった。
まず、依頼されたターゲットであるルビーという吸血鬼だ。
血の気配からすると、かなり強力な力を感じるものの、あの晩は防戦一方で、一切攻撃に転じて来なかったこと。
ただ、ルビーに関しては路上で出会った時も他の吸血鬼を庇うという吸血鬼らしからぬ行動をしていた為、一貫した行動ではある。
次はあの場所に関してだった。
依頼の電話で『動物園』だと聞いた時からおかしいと思っていた。
吸血鬼の行動原理からすると、人気のいないところに現れる意味がないのだ。当然見つかってはいけないから人気のない場所は選ぶのだが、閉園している動物園の中では、人を襲う気すら感じられない。せめてナイトサファリなどが実施されていれば納得ができるが。
最後は銛が当たってしまった男のことだ。
距離があって暗かったが、バンパイア・ハーフである彼にはその男の顔が見えたのだ。
「どうして奴が……」
紙のタバコを咥えると、机の上にいくつかあった使い捨てライターを一つ、手にとる。
彼が親指を動かすと、フリントの上を回転式のやすりが回って擦りあげる。
火花が飛ぶが、炎は出ない。
一方、同時に左手でスマホを操作して、アドレス帳から知り合いを探す。
右手でライター、左手でスマホをいじっていると、スマホが相手先に繋がる。
『香山だが』
同時に、炎が出るライターが見つかり、タバコに火がついた。
思わず、煙を大きく吸い込み、天井に向かって吐き上げる。
待ちきれないのか、スマホから声がする。
『おい、冴島、自分で掛けてきて無言とはどういうことだ?』
「すんません、香山さん。ちょっと調べて欲しいことがあって」
冴島は男の名前と、住所を話す。
本人に前科や逮捕歴がないか、肉親や関係者に逮捕歴があるものがいないか。
簡単な人物の照会だった。
時間がかかると思ったが、やけに早く答えが返ってくる。
『ちょっと待て、どこからこの男の情報を?』
「……」
香山と冴島は、少し突っ込んだ話をしたのち言った。
「どうしてこの男に興味を持ったのかなんて、業務上、話すことは出来ない」
『とにかく気をつけるんだな』
通話が切れたスマホをテーブルに放り出すと、新しい紙タバコを開けて、口に咥え、また着火しないライターの中から、火がつくものを探し続けた。
火がつくと部屋の中に煙が立ち上る。
「面倒だが……」
咥えたまま喋るので、灰がヒラヒラと宙を舞う。
「調べてみるか」
スマホを拾い上げると、横向きに持って、大きなキーボードを表示させた。そして続けて何か打ち込み始めた。
人が一人死んだ。
ただ死んだのではない。殺されたのだ。殺したと目されている容疑者が、冴島が香山に言った人物だった。
問題は、その人物を殺さねばならない理由だった。
何もアイディアがなかったが、動物園でルビーが手にしていたのが『血』であることを思い出した。
彼は殺された人物に関わる何かが、ネットに落ちていないか、調べ続けた。
タバコを吸っては捨て、火をつけては床に落とし、と数時間が経過していた。
首を傾げながら、何度か入力しているうち、スマホに映像が表示された。
「……」
ようやく、殺された人に関係する不審人物が浮かび上がってきた。
これが鍵となる人物だろう。
冴島は吐き出すようにタバコを床に落とす。
落としたタバコを靴で潰して消しながら、思う。
この人物、言動、行動や、撮られているいくつかの写真から判断して、吸血鬼に違いない。
この吸血鬼は、食するわけでも、殺すためでも、眷属を作るためでもなく、若い男女の個人情報を調べ上げた上で、その人の血を集めていた。
今回の、事の発端に関わっていると思われる。
だが、その吸血鬼がどこにいるかまではわからなかった。
どこまで推測が正しいかわからないが、あの動物園でルビーが叫んでいた『アルバート』と何か関係があるに違いない。
この吸血鬼が集めた血。
血を集めた人物のリストを手に入れたい。
おそらくそこにこの謎を解く鍵がある。
冴島は、表向きの職業である探偵業界では有名なクローズドネットワークに依頼をかけた。
それは入るのに資格もない、低俗な情報の取引ネットワークだが、思わぬ情報を安く手に入れることもあるものだった。
完全にその本人の自己顕示欲を満たすためだけに存在する為、ハッキング出来ないオフラインの資料を写メって流出させてしまったりが平気で行われている世界だ。
だが、得た情報が真実か嘘かの判断は、受け手側に委ねられている。
非常に脆くて、怪しい情報網。
そこに依頼をかけ、彼はソファーに仰向けになった。
誰かが依頼に食いついて、調べ上げてくれるかもしれない。
あとは待ってみるだけだった。
冴島は、疲れもあってか、そのまま眠ってしまっていた。




