吸血鬼の宴
前田と黒峰が病院に戻り、黒峰は緊急で診察された。
傷口や臓器の機能は『アルバート』が憑依し吸血鬼の再生能力で治っていたが、大量に失血しているため、輸血を行っていた。
黒峰にアルバートを憑依させようとした計画を知り、智子は怒っていた。
だがルビーは何も説明せず、沈黙したままだった。
前田も仕事が忙しいといい、智子の質問には答えなかった。
事情が事情のため、佳代に連絡することも出来ず、病院で一人泣いていた。
思い出してみると、智子自らが黒峰を助けたいと強く願ってしまったために、アルバートを呼び寄せ、黒峰の体に憑けてしまったのだ。
結果的に智子も手を貸したことになるが、儀式自体をやらなければルビーを察知したバンパイア・ハンターに追いかけられることもなく、バンパイア・ハンターが来なければ銀の銛を投げることもなかった。
やはり儀式自体を計画しなければこの結果にはならなかったのだ。
智子にはそれを知る術はなかったし、妨害もできなかった。
「……どうして」
どうして黒峰くんばかりに迷惑をかけてしまうのだろう。
智子は後悔してもしきれない。
とにかく、明日会社は休もう。彼が嫌というのでなければ、近くにいてあげよう。全ては私の責任なのだから。
処置室近くの廊下の椅子に座り、智子は泣きながら寝てしまった。
しばらくすると、前田がやってきて智子をの肩を叩いた。
「ルビーも起きてくれ」
智子は目を覚ました。
「やっと血液量が足りてきたのか、容体が安定した。今は技師がいなくて体の中の様子がわかっていない。俺の予想通りだと、少し厄介なことになる」
「厄介なことって?」
智子の目の前に、白い猫が現れた。
『アルバートのことも聞きなさいよ』
「おそらく、聖杯の銀が、体の中に残っているじゃないかと思っている」
智子は椅子から立ち上がった。
「今すぐ手術して取ってよ」
「今輸血して容体が安定したところなんだぞ。今、これ以上血を使うようなことできるか。やるとしても、体力が回復してからだ」
「アルバートは?」
前田は周りを見回す。
「さっき言った通り、厄介な性質のものが体の中に残っているせいで、アルバートは黒峰くんの体を完全に吸血鬼の姿にすることが出来ない。逆に、黒峰くんも体の中に残っている異物による体の変調をカバーするため、吸血鬼の再生能力も必要だ。どっちか百パーセントになることが出来ない体になってしまっている」
「私のように完全にルビーの姿になれないということね」
「能力が酷く半端だ」
前田が、何かに気づいて。口を閉じた。
すると二人のところへ看護師がやってきた。
「あとのことはこちらの看護師から聞いてくれ」
「前田先生からはどこまでお話されたのですか?」
「明日、精密検査が必要なことまでだ」
看護師は頷いた。
前田が去っていくと、看護師は言った。
「黒峰さんの退院は未定になりました。明日の検査の結果次第になります。病室は継続して同じ個室を使っていただきます」
「あの、付き添いで寝泊まりできませんか」
「申し訳ございませんが、それは出来ません」
それなら、退院するまで、私も会社を休んで日中の付き添いをしよう。
智子はそう考えた。
「夜間時間帯は、面会は出来ませんので、そろそろお引き取りいたけますか」
頭を下げて、智子は病院を出た。
バスは当然止まっている。タクシーはいたが、ファミレスの明かりに気付き、看板をみると、最近にしては珍しく、二十四時間営業でありそのままファミレスに入った。
智子は四人席に一人で座って食事を頼んで待っていた。
『笹川さん』
突然、呼びかけられた。
声が聞こえる訳ではない。意識に直接語りかけてくるものだった。
左手の窓ガラスをみると、智子の前の席に白い猫が映って見えた。
「今のはルビー?」
深夜のファミレスで、周囲に客はいないが、聞かれるのも嫌なので小さい声で囁いた。
『そんなわけないでしょ。病院にいる黒峰とかいう男よ』
「彼が吸血鬼の能力を使った?」
『そういうことになるわね。そんなことより答えてあげなさいよ』
智子にはどうやって黒峰に答えていいのかわからなかった。
意思を伝えるやり方そのものもそうだが、何んて返事をして良いのかも、何もかもだった。
『あなたたち、どういう関係だったの? 私が覗いた限り、いい関係になっているのだとばかり……』
智子は動揺した。
「覗いた!? 私の気持ちを覗いたの?」
『声が大きいわよ』
当たり前と言えば当たり前の話だった。二人は同じ体の中にいるのだ。智子もルビーの彼、アルバートとの関係について全く知らない訳ではない。同様に智子が黒峰のことをどう思っているのか、ルビーに知られているのだ。
淡くて恋愛と呼べないほど仄かで、曖昧な関係。
知られただけで赤面するような恥ずかしさが伴う。
『笹川さん、今どこにいるの?』
智子が迷っている間に、ルビーが答えてしまう。
『病院近くのファミレス』
『えっ、今の笹川さん?』
ルビーと意思の疎通を行い、急いで黒峰とやりとりする方法を学ぶ。
『違う、今のはルビー』
いや、そんなそっけない言い方……
『そうか、なんか感じが違うと思ったんだ』
少しまが開くと、再び意思が届く。
『そっちに行ってもいい?』
『待って、黒峰くん輸血して安静状態なのでは?』
『大丈夫、こっそり抜け出すから』
そういうことじゃない、そもそも体を動かして大丈夫なのかどうかなのに。
『黒峰くんの体が心配だよ』
『それとも、そっちに行ったら迷惑?』
『そんなことない』
窓に映る白い猫はあくびをしている。
『じゃあ、いくね。僕がいくまで帰らないで待ってて』
『黒峰くん……』
白い猫が伸びをしてから、とぼとぼと歩きながら姿を消した。
「ルビー?」
『邪魔者はしばらく消えるわ』
「待ってよ、私何していいかわからない」
智子がそう言った時には、ルビーがいる感覚がなくなっていた。
呆然と窓の外を見ていると、黒峰が服を着替えてファミレスにやってきた。
入り口のあたりで智子を見つけると、手を振ってきた。
向かいの席に座ると、言った。
「やっと普通に話せる」
「本当に体大丈夫なの?」
「うん、アルバートが入ってくれたせいか、お酒でも飲んだような、気分が高揚している感じ」
智子は思った。今の私にその感覚はない。勝手に高揚した感覚になるのは、ルビーの体になっている時だ。
さっき前田が話していたように、黒峰とアルバートは常に吸血鬼と人間が混じり合っているのかもしれない。
「あのさ。僕、一つ思い出しちゃった」
「えっ、なんのこと?」
「僕がこの病院に入院した経緯」
まさか、前田がかけた魔法が解けたのだろうか。
すでに私が吸血鬼であることはバレている。今更、血を吸ったことがバレたからと言ってどうなるものでもないのだが、智子はそれを知られたくなかった。
「どうやら、吸血鬼には吸血鬼の魔法って効かないみたい」
「そ、そうなんだ」
「僕の血を吸って、どんな気持ちだった?」
彼は、どういうつもりでこの質問をしているのだろう。
美味しかったとか、気持ちよかったとか、そういう答えを期待しているのだろうか。
「それは……」
「僕だから吸ってくれたんだよね、西田さんじゃなく僕だから」
智子は黒峰のまっすぐな視線を受け止めることができなかった。
あれは、ルビーが、勝手に……
『気持ちよかったでしょ』
智子は首を振る。
『智子に血の感覚がないのはわかる。けど抱きしめた感覚はあるでしょ』
智子は自身の顔が熱くなるのがわかる。
『血の感覚だって、伝わってない訳ないし』
「やめて……」
「わかった。じゃあ、せっかく僕も吸血鬼になったんだから、笹川さんの血を吸わせてよ」
背筋がゾクゾクする感覚と、お腹の下がムズムズするような、不思議な感覚が同時に、智子の体を駆け巡った。
「だって僕は勝手にやられたんだから、やり返す資格はあるよね」
「そんな……」
脱がされていないのに、彼の前で脱いでいるような感じがする。
「ほら、他の客もいないし、店員だって奥で寝てるさ。そっちの席に行くからさ、いい?」
彼は立ち上がると、席を回って智子の隣に滑り込んできた。
強引に体を引き寄せられ、体が密着する。
他の感覚が一切飛んでしまって、黒峰の体と接している場所の感覚だけが研ぎ澄まされているようだった。
黒峰の瞳を見つめていると、彼の瞳の中に夜空が見えた。
夢で見たあるアルバートの瞳と同じだ。
やっぱり全体の外見は黒峰なのだが、ところどころ吸血鬼が現れている。
「じゃあ、いいかな」
顔が近づき、互いのゆっくり静かに行う呼吸が、至近距離で触れ合う。
顔が近づいてきて、血を吸われる、と思った瞬間、彼の唇と智子の唇が触れ合った。
「!」
血を吸うのではないのか? 彼の意外な行動に智子の鼓動が速くなった。
一瞬、窓に白い猫がやってきて、ニヤリと笑った気がした。
ディープなキスが終わると、キツく抱きしめられて、そのまま首筋に鋭い牙が立った。
ただ首筋にキスされているだけなのか、血を抜かれているのか。
感覚が混同して、はっきりと意識できない。
与えらえた快楽だけが彼女を支配していた。




