瀕死
スマホの明るさを最小限にし、通知をオフにした。
通知がないので、定期的に意識をスマホに向けなければならないが、振動で気づかれるよりマシだった。
すでにこの園内を何周しただろうか。
身を隠せるポイントにも限界がある。
バンパイアハンターは位置を掴んでいるか、掴んでいないに関わらず、常にプレッシャーをかけるような行動をする。
完全にこの園内から撤退しない限り、有利なのは追いかける方だ。
そう考えると、時折強い殺意が浮かび上がる。
全力で仕留めにかかれば、逃げ回る必要など一つもないのに……
だが、ルビーはその衝動を抑えなければならなかった。
智子の意識を覚醒させてしまうからだ。智子がこの状態で覚醒すると、秘密にしていたことを知られる可能性がある。知られると、間違いなく邪魔を受けるだろう。それによってアルバート復活が阻まれることが、何より耐え難い。
息を整えながら、ルビーは気持ちを抑え込む。
スマホを見るが前田はまだ着く様子がない。
とにかく時間を稼がねばならない。
ルビーは夜空を見て、走り出す。
人差し指を空に突き出すと立ち止まり、その指を水平に差し伸べた。
彼女の指にコウモリがぶら下がる。
『仲間を呼んで』
コウモリが飛び去っていく。
ルビーは園内を逃げ回りながら、コウモリがやって来るのを待った。
星あかりを覆い尽くすばかりのコウモリがやってくると、彼女はまた指を突き出した。
一匹のコウモリがやってきてぶら下がると、ルビーはもう一方の手の指を自ら噛み、傷つけ、血を出した。
出した血をコウモリに与えると、コウモリは飛び去っていく。
突き出した指に、別のコウモリがやってきてぶら下がり、それにも血を与える。
やって来るコウモリは代わる代わる指にぶら下がり、血を与えられると飛び去っていく。
『できるだけ分散して』
奴は吸血鬼の血を感知しているに違いない。
拡散するコウモリがもつ血を私だと判断すれば、混乱するだろう。
どれが本物か分からなくなれば、こっちからも奴を見つけやすくなる。
ルビーは最後のコウモリが飛び去っていくと、自らも闇に身を潜めた。
ルビーとハンターは、互いに互いを認識出来なくなってしまった。
そして夜は更けていく。
一方、前田も動物園周辺にやってきて、目立たぬよう車を停めた。
前田は目出し帽を被った。
彼は動物園から感じるルビーの血の気配から、ただならぬものを感じていた。
「まずいな」
前田は動物園の柵を乗り越え、中に侵入した。
しばらく中を歩いていくと、ルビーの気配はあるのに、姿が見えなかった。
彼女の気配が、実はコウモリだとわかると、彼は何が起こっているのかを理解した。
このまま、強引に儀式を進めるしかない。
彼は園内のマップを確かめ、目的のフラミンゴの展示場所に向かった。
ダンピールは全てのコウモリを殺すつもりだ。
ルビーは園内を回っていく中で、いくつか死骸を見つけていた。
疑わしい影を全て倒せば、残りが私だということになる。
ルビーは近くにもう一人吸血鬼がいることに気がついた。
今なら前田、いや、吸血鬼フィオン・マックムールが加勢してくれる。
ならば、早くフラミンゴの庭に向かい、アルバートを迎え入れる儀式を行わなくては……
ルビーはフラミンゴの展示場所に向かい、園内の最短ルートを走った。
前田は暗闇に血の気配を感じ、呼びかける。
「ルビーか?」
反応がない。
慎重に一歩踏み出すと、ヒラヒラとコウモリが飛び去っていく。
またか……
早く会って、事情を伝えないと危険なことになる。
一箇所に固まるのは危険だが、フラミンゴのところへ向かうべきか。
決断が出来ないでいると、彼は周囲の変化に気づいた。
「いない。さっきまでいたのに……」
ルビーはフラミンゴの展示場所に着くと、様子を目に焼き付けた後、前田から受け取った血を取り出して、儀式を始めた。
フラミンゴの展示の前で膝をつき、祈るように瞼を閉じた。
彼女は前田に受けた説明を思い出していた。
『強くイメージすることだ。我々吸血鬼の思念なら、生と死の狭間に語りかけることができる。渡した血液を通じて、彼の肉体に降霊するようにアルバートが取り憑く』
ルビーはアルバートと過ごした時間をいくつも思い出し、彼の姿を頭に思い描いた。
夜空を飛び、人の住まない古城に忍び込んだこと。
白夜の森で、ウサギ狩をした思い出。
見つめ合う彼の瞳の中に星が流れる度、何度も祈った。
二人でいるこの時間が永遠に続きますようにと。
『ルビー!』
「アルバート!」
彼女が目を開いたが、アルバートはいない。
殺気を感じて周囲を見回した。
目出し帽をかぶった前田が何か、必死に訴えている。
「危ない!」
ルビーは何者かに抱きつかれた。
彼女の顔に、血が掛かる。
抱きついてきた者の背中に、銀の銛が突き立っている。
ダンピールの姿が、銛の延長線上に遠く見えた。
ルビーは抱きつかれた者の顔を、そっと確認する。
全てを理解した瞬間、彼女は叫んだ。
「黒峰くん、死なないで!!」
智子が覚醒してしまった。
ルビーは彼の背中に刺さっている銀の銛を握った。
聖杯の銀により、触れた場所から彼女の肉体が燃え始める。
なんとか引き抜いたが、彼の背中からは大量の血が吹き出してしまっている。
狂ったように背中を抑え続ける。
そしてルビーの強い感情と智子の祈りが共鳴した。
『やめて! 死なないで!』
その時、小さな小さな流れ星が、抑えている彼の背中に落ちてきた。
『大丈夫』
ルビーと智子は背中の傷口が閉じるのを感じた。
「えっ……」
黒峰の体が動いて、ルビーは飛び退いた。
彼女は仰向けに黒峰を抱き抱えている。
瞳が開き彼の口が動く。
「ルビー、心配ない。僕は戻ってきたよ」
黒峰の瞳の中に夜空が見え、小さな小さな流れ星が動いて見える。
「アルバート!」
黒峰は目を閉じて反応がなくなってしまう。
「黒峰くん!」
ルビーの姿のまま、智子が言った。
黒峰の体は反応するものの、目を開けることはなかった。
「どうしよう!!」
困って周りを見るが、フィオンもバンパイア・ハンターであるダンピールもいなくなっている。
おそらく前田がバンパイア・ハンターをなんとかしてくれているに違いない。
ルビーはこのままの状態でアルバートがいられるのか不安だったし、智子は医師である前田の判断が欲しい。
黒峰の体から声ではない意思が聞こえてくる。
『前田の車が、動物園の外に停まっている。車で病院で戻り、治療してもらおう』
「アルバート!」
ルビーは黒峰の体を背負うと、園内を走り、外壁を飛んだ。
車に乗り込み、彼女は黒峰の頭を抱えるようにして後ろの座席に座った。
しばらくすると、運転席に目出し帽を被った男がやってきた。
「急いで病院に戻ろう」
声で、前田と分かった。
エンジンをかけた時、ルームミラー越しに前田が片手で目出し帽を取るのが見えた。




