侵入者
ルビーは夜の動物園に侵入し、誰もいない園内を歩いていた。
彼女は自身の姿が監視カメラに映らないよう、自らに魔法をかけた。
カメラに映ると、遠隔監視している警備員に見つかってしまうし、動物の世話をするために残っている当直の職員に気づかれてしまうからだ。
彼女の目的は『フラミンゴ』の展示場所でアルバート復活の儀式を行うことだった。
ここに来る前、ファミレスで前田歴彦は言った。
『まず場所だが、強く覚えている場所がいい。そうしないとアルバートが彷徨ってしまう。さっき聞いた、夢で逢ったというフラミンゴの庭がいいだろう』
その場で小さな筒状のものを手渡された。
ルビーはこれが『黒峰の血だと感じた。
黒峰の体は病院にあるが、アルバートをこの血を使い導き、血の主である彼に取り憑かせるのだ。
『これには強い祈りがいる。初めて会った時のように人間の意識と混濁しているような状態ではダメだ。彼女には儀式が終わるまではしっかり寝ていてもらわねばならない』
ルビーは頷く。
『病院にいる彼、つまり取り憑かれる方も、覚醒している状態ではダメだ。幸い今日の彼は、検査やら、君たちの面会やらで、疲れているだろうから、夜はぐっすり寝てくれるはずだ』
対象の意識がある状態で取り憑くことができるなら、そんな簡単なことはないが、どのみち日中に吸血鬼を取り憑かせるのは危険な行為となる。
『これだけは覚えていてくれ。俺は手助けをするだけだ。君の意識でしかアルバートを呼び込むことは出来ない』
儀式を始める時刻にはまだ間がある。
一箇所に止まって存在に気づかれないよう、ルビーは無作為に園内を歩き続けた。
歩いているうち、彼女は人ではない血の匂いの存在に気づいた。
正確に言うと『匂い』というのは例えだ。
吸血鬼には人にない血を感じる特別な感覚があるのだ。動物園から智子がずっと跡を付けられたのと同じで、吸血鬼同士が血の存在を感じることができるのだ。
以前この場所で追跡されたノクター家の執事でも、ロックハートのものでもない。
だが、完全に知らない感覚でもない。
ルビーは月の光、その光が作り出す影の中に潜み、園内にいるもう一人の人物に意識を集中する。
雨…… 足元に落ちた銀の銛……
そうだ。この匂いは……
ルビーは思い出した。
プレッシャーで動けないロックハートを見逃さず、素早く、正確に銛を投げ込んだ男。
これはあのバンパイア・ハンターで、吸血鬼と人のハーフなのだ。
儀式が始まるまで気配を消すか、始まる前に殺すか……
誰かを殺そうとすれば智子の意識が浮き上がってきてしまう。
気配を消しても、園内で出会えばハンターは容赦なく智子を殺すだろう。
吸血鬼の力で結界を張るとしても、対人ならともかく、それがダンピールに通用するだろうか。
前田にLINKでメッセージを送る。
ルビーが持っているスマホは智子のものだ。入れる情報には注意しなければならない。
『ダンピールがいる』
すぐに既読がついた。
『やり方を変えるしかないか』
『けど、連れ出せないでしょう? そんなことをしたら覚醒してしまう』
『このままずっと寝ている前提で、こちら側の儀式を先に済ませて、俺が助けにいくということだ』
細かい表現を避けるために、曖昧なメッセージになっているが、つまり、黒峰を寝かせたまま、儀式を先行して行い前田本人はこっちに助けに来てくれるということだ。
『お願い』
前田とルビー、どちらが強いかは別として、ルビーが吸血鬼の力を使って『人を殺そう』とすれば、智子の意識が目覚めてしまう。なんとしても儀式を成功させる為、智子には寝ていてもらわねばならない。
隠れていると、坂の下に見える通路に、ゴルフクラブを入れるキャディーバックを二つも担いだ男が歩いていた。
間違いない。ロックハートに銛を投げ込んだ男だ。
跡もなく傷は癒えていたが、あの時銛が当たったルビーの肩が軽く痙攣した。
「……」
目を逸らし、呼吸を整える。
強い殺気を纏うと、智子の意識を刺激してしまう。
男の通っているルートだと、ルビーが隠れている場所にはまだ遠い。
しばらくここで待機して、さらに近づいた時に場所を変えようと考えた。
時間が経過していくが、ダンピールが近づいてくる気配がない。
ルビーは自分側だけが情報を遮断されているような錯覚を覚えた。
飛んでいる野生のコウモリを見つけると、コウモリに向けて彼女は意識を飛ばした。
人差し指を水平に差し出すと、コウモリは器用にルビーの指にぶら下がった。
声に出さず、コウモリに呼びかける。
『ダンピールがいる。私に居場所を教えて』
指から落ちるように離れると、再びコウモリはフラフラと夜空を飛んでいった。
もしコウモリが戻ってくるところをつけられたら……
返って悪手だったかもしれない。
ルビーは警戒を強めた。
偵察を頼んだコウモリも戻ってこない。
不安だけが大きくなってきた。
スマホの画面に通知が入り、服のポケットが明るくなった。
『ちょっと困ったことが起きた』
イラっとしたルビーはすぐに返す。
『何があったの? 今どこ?』
『何があったかは書けない。それと、そこにつくには、まだ時間がかかる』
儀式中止をすることは、アルバートの復帰をさらに困難にしてしまう。
前田と智子の都合があう今日、このチャンスを逃すわけにはいかない。
『とにかく早くきて』
スマホに入力したと同時に、視野の隅で何かが動いた。
ルビーは『勘』で後ろに飛び退いた。
すぐに何か光るものが目の前に落ち、金属音がした。
かなり上空から放物線を描いたと思われる。
周囲の紹介物などの状況から、直線的に投げれなかった違いない。だが、敵のバンパイア・ハンターは確実にルビーがいる場所を把握していると思われた。
計算なのかは分からないが、山なりに投げることで返って死角をつくことになったわけだ。
ルビーは悟られないよう影から影に動き、ダンピールの居場所を探す。
一方的に位置を把握されている状況はあまりに危険だ。
スマホの光で気付かれた感もあり、あまり頻繁にメッセージを確認できなくなってしまった。
それともコウモリを使わせたのが失敗だったか。
ルビーはフラミンゴの展示場所を避けるように、移動を続ける。
どれだけ目を凝らしてもダンピールの居場所がわからない。
近づかれているのか、遠ざかっているのかもわからず、恐怖感だけが高まっていく。
ひらひら、と舞う黒い紙のように、コウモリが近づいてくる。
ルビーはさらに警戒した。
人差し指を水平に突き出し、やって来たコウモリがクルリと回って彼女の指にぶら下がった。
『ダンピールは?』
コウモリは答えない。
まさか。
ルビーがそう考えた時には、コウモリは彼女の指から落ちていた。
死んでいる状態で飛んで帰ってきた、ということは……
周囲を見渡したルビーは、正面の闇に潜む目の光を察知した。
「!」
動かないその目の下から、銛が突き出てくる。
マシンのように正確で、素早い動き。
ルビーは触れそうになる直前、鋭く地面を蹴って、後方に大きく飛んだ。
まるでそれを見越したように、反対側の手から一本、銛が投げられる。
空間で避けれないことを見越しての二次攻撃だった。
ルビーは体を捩り、体勢を変えながらその銛の柄の部分を蹴った。
その間も、ルビーは闇に潜む瞳に注意を払い続けた。
ダンピールはまだ、あの闇に隠れたままだ。
なぜ、闇を支配する吸血鬼に奴の姿が見えないのか、理由も不明なままだ。
完全に見くびっていた、とルビーは思った。
彼女は着地するなり、完全にダンピールに背を向けて走った。
それは、現時点での敗北を意味した。




