密会
智子は、黒峰の病院をでたところで佳代に言った。
「ちょっと用事があるからここで」
少なくとも電車に乗るまでは智子と佳代が帰る方向は一緒だ。
佳代は聞き返した。
「用事って?」
もし、何か理由をつけて、もう一度黒峰の病室に戻るというのなら、阻止しなければと佳代は思った。
「よく覚えていなんだけど、人と会う用事があるの」
「……」
分かりやすい嘘だ、と佳代は思った。よく覚えていない人と会う用事、という文書は普通の人間が話す内容ではない。誰かが勝手に約束していた、とてもいうのだろうか。
佳代はここに突っ込まず、こっそり智子の行動を見張ってやろうと考えた。
「わかった、じゃあね」
「うん」
智子はそのまま病院近くのファミレスに入っていく。
佳代はバス停に行くふりをしてファミレスの窓から中を覗く。
智子は席に着かずにそのまま奥へと行ってしまう。
トイレだろうか、と思って様子を見ていると、智子がいつまで経っても席の側に戻ってこない。
「……」
変装したか、顔を隠して既に出ていたのだろうか。
だが、マスクやサングラスをしたのであれば確実にわかるだろう。
他人に変装できるとしても、背格好までは変えられない。
佳代はこれ以上待っても得るものはないと判断して、バス停に向かった。
「まったく、油断も隙もない」
ファミレスを出ると、ルビーは自分に言い聞かせるようにそう言った。
『佳代が見張ってたというの?』
「流石に、私の姿には気づかなかったようだが」
もしかしたら、病院に戻って黒峰くんと会うのではないかと思っているんだ。
智子はそう思った。自分ならやるだろうから、他人も同じことをするとは限らないのに。
『それより、ルビーは吸血鬼なんだから、日の光を浴びたら死んでしまわないの?』
「今の私は半端だから、問題ない」
だからと言って、いいとこ取りというわけでもなさそうだ。ロックハートと戦った時に手こずったように、弱点は補強されるかもしれないが、能力もフルには発揮できないのだ。
ルビーは佳代がバスに乗るのを確かめると、再びファミレスに戻ってきた。
今度はすぐに席に座ると、料理をオーダーした。
配膳ロボが、次々に皿を運んでくる。
食事の途中で、智子が気がつく。
『何この皿数?』
テーブル全体に料理が並び、端に回転寿司のようにファミレスの皿が重なっている。
「何か問題でも?」
『色々問題あるでしょ』
あなたはどうか知らないけど、私は太りやすいんだから、こんなに食べないでよ。
「費用のことなら気にするな」
『相手に奢らせる気?』
「そう言っていたからな」
テーブルの横に男の人が立っていた。
『確かこの人前田』
「眠っていろ」
ルビーがそう言うと、智子の意識は急速に薄れていき、眠りについてしまった。
「派手に食ってるな」
「この体にいる限りこの娘に血を作ってもらわねばならないからな」
前田は笑いながらルビーの対面に座った。
「不便だな」
「だが、昼も動ける。血の支配すら受けない。こんなに自由だとは思わなかった」
「強い血族の下に生まれるとそう思うことがあるのかもな」
前田はマックムール家だ。
彼の家のように、そもそも家系に現世代しかいなければ、支配も何も発生しない。
「使える魔法は限られているし、身体能力も限界がある」
「それは吸血鬼に取って致命的だな」
アルバートが罪に問われたように、正当な理由なく吸血鬼を殺してはいけない。だが、逆に言えば正当な理由があれば吸血鬼は殺しあうのだ。殺し合いになった時に魔法や身体能力の限界が低いことは致命的になる。
ルビーは周囲に『吸血鬼』という言葉が意識されないことに驚いた。
「その単語、使っても平気なの?」
前田は人差し指を上に向け、そのまま水平にくるりと回した。
「周囲にはここを意識させないよう、魔法をかけている」
ここで発する言葉は『智子』にさえ聞こえなければ誰にもバレないということか。
ルビーは安心して口を開いた。
「吸血鬼社会にいる場合においては、能力低下は致命的ね」
「社会から外れていればということかい? けど、能力が足らないなら当然、不老不死と呼ばれる能力だって同じだろう?」
「私の存在はダンピール、つまりバンパイア・ハーフとは違うから、私の寿命がどこまで人間に近いのかは、誰も分からない。そこそこ長いかもしれないし、もしかしたら、人間と全く同じかもしれないけど……」
前田はテーブルに肘をつき、手に顎を乗せた。
「それは不幸ではないのか?」
「アルバートがいない事が不幸よ」
彼は今、生と死、この世とあの世の狭間のラビリンスで苦しんでいる。
早く体を与えないと……
「方法を知っているって」
「ああ、今夜実施しよう。その前に、私が何を受け取るかだ」
「……」
ルビーは考えていた。確かに『ただ』で『善意』でやるとは一言も言っていない。
何か代償が必要だ。
この男は人間社会に溶け込んでいる。人を殺すわけでもないから、目立たず吸血鬼のハンターにも狙われない。
そんな男が、何を欲しがっている?
「何が欲しいの」
テーブルに肘をついたまま、口元を隠すように手を組む。
「一人なんだよ」
ルビーは前田が何を言い出すのか予想がつかず、身構えた。
「俺にもさ、子孫が必要だとは思わないか?」
「意味が分からない」
「俺の子を産んで欲しいと言ったら?」
この男、真面目に言っているのだろうか。ルビーは警戒した。
もしそうなら、すぐにここを離れないと。
口元を隠していた手の隙間から、笑ったように歯が見えた。
「冗談だよ」
「……」
「冗談じゃ済まないって顔だ。悪かった」
冗談と言えば、この発言を完全に撤回できると思っているのか。
「ハートリッジから金を引き出してくれよ。この国の通貨は安いから巨額この国の通貨で一千万といったところだ」
智子の月給から考えると、途方もない金額に思える。だが、生き死にが関わっているのだ。費用は莫大でも、用意しないわけにはいかない。死んだ人間を蘇らせるに等しい行為だ、億を出す者だっているだろう。
「吸血鬼同士だから、この金額だってかなり破格だぜ」
ルビーはハートリッジ家のツテを頼って、お金を借りれないか思いを巡らせた。
「ダメならダメで、この件はなかったことに……」
「受けるわ」
テーブルから引き上げようとする前田の腕を、ルビーが引き留めた。
「ただ、すぐにお金を渡すことができない」
「これは吸血鬼の約束になるからな、守れなかった時は……」
ルビーは頷く。
「じゃあ、さっくこの夜、儀式を行う。アルバートを強く引き寄せられる場が必要だ。彼と共通の思い出があるとか、そういう場所だ」
「……」
ルビーはフラミンゴの庭のことを思い出していた。
「後、本当に彼でいいんだな?」
今から別の者を用意できる訳もない。
ルビーはゆっくりと頷いた。




