面会
明けて休日、笹川智子と西田佳代の二人は、スーパーで買いものをしていた。
「智子、他に必要な物あったっけ?」
智子がもつ買い物カゴに、佳代が商品を入れる。
智子はメモアプリを見て、チェックを入れた。
「うん、これで全部揃ったと思う。足りなかったら病院で買おう」
「ジム、大丈夫かな」
ジムは芸能事務所の名前で、二人の間で黒峰を呼ぶときのあだ名だ。
「入院自体が『念の為』だって、先生が言ってたじゃない」
そうは言ったものの、その医者について、智子は少し疑っていることがあった。
そもそも彼が『吸血鬼』であると知った時点で、信用がならないと感じていた。
ただ、佳代にそんなことは説明できないし、信じてももらえないだろう。
信じてもらうには、自らが吸血鬼であることを示すことになる。
そうすると自然に、黒峰が倒れた原因を作ったことも話さねばならない。
佳代は自分の部屋に黒峰を招いていた訳で、そんなことを話したら自分の秘密が黒峰くんにバレてしまうことになる。
だから、それだけは絶対に秘密にしなければならない。
先生については、吸血鬼でなくても疑わしいことはあって、それは救急で運び込まれた際、ルビーと何か内緒話をしていたことだった。
智子はルビーに意識を乗っ取られる前に、スマホで録画を始めていたのだが、後で見返してみると録画がバレていたようで、途中から声がほぼ聞こえなくなっていた。
何か、知られてはいけないことがある。
智子とルビーは、お互いが覚醒している時、記憶や意思を共有することがあるが、互いの心の奥底に隠れたことまではわからない。
もし彼とルビーが何か企んでいるのだとしたら……
再び人が死ぬようなことがあったら絶対に阻止しなければならない。
二人の乗ったバスが、病院に着く。
受付で黒峰の部屋番号を告げて面会証を受け取り、それを首から下げた。
院内を歩いて、佳代がフロアのマップを見て気づく。
「個室ね」
黒峰は、医師である前田の判断により、救急で運び込まれた病院にそのまま入院していた。医師として当然の判断ではあったのだが、アルバート復活の為に仕組まれたものでもあったが、二人はそんなことは知らない。
部屋の前に立つと、インターホンを鳴らす。
「どなた?」
黒峰の声がする。
「西田です」
「笹川です」
「今開けるね」
軽い電磁石の音がして、扉のロックが解ける。
扉を開いて、二人は部屋に入った。
黒峰のベッドが動いて、上体が起き上がる。
彼は点滴をしていた。
佳代が訊く。
「調子はどう?」
「お腹が減ったよ」
そう言って、お腹を当たりをさすって見せる。
「まだ食べれないの?」
智子はそう言った。
「衰弱し切ってたらしくてさ。いきなり胃が動かないだろうって」
「点滴していると不思議とお腹すかないっていうけど」
「俺が変なのかなぁ?」
智子は慌てて首を横に振った。
見舞いの花を花瓶に入れながら、佳代が心配そうな顔で黒峰に訊く。
「先生、何か原因のようなこと言ってた? どうしてこうなったとか」
「そもそも僕自身が何があったか覚えていないんだ。それと、体のどこにも外傷がないから、消化器系の癌とかで出血しているんじゃないか、とか。あらゆる場所をがっつり検査したよ」
「……」
二人は黒峰の言葉を待った。
「でも何もなかった。癌も、脳も。至って健康だって」
智子は口に指を当てて、考えた。
それにしても、ルビーの姿になった智子が、黒峰に噛みつき、血を吸ったせいで倒れたということは、黒峰自身の記憶にも残っていないようだった。前田が何か記憶を失わせる魔法を使ったのだろう。
記憶にはないが、外傷がないわけがない。倒れてしまうほどの血を吸い出したのだ。検査用の注射針なら、跡がつかない可能性はあるが、吸血鬼の噛み跡など残る方が普通に思える。
だが、目の前の黒峰を見ても、それらしい傷が見えない。入院用のゆるいパジャマを着ているのだから、噛みついたあたりは丸見えなのだが……
智子は、黒峰の襟元を見つめているうち、恥ずかしくなってしまった。
こんなに男性の首元をじっと見つめたことがなかったからだ。
「出張中の緊張とか食生活が良くなかったのかもしれないね。二人には、本当、心配かけちゃってごめんさい」
「全然、問題ないわよ。困った時は助け合い」
智子は言葉が出なかった。
佳代が言う。
「それより、これ。入院中に困りそうなものを買ってきたわよ」
無言のまま智子が買ってきたスーパーのレジ袋を、ベッド横のテーブルに置いた。
それを開いて、佳代が黒峰に買ってきたものを見せる。
「ありがとう。家の両親がすぐ来れるようなところに住んでれば、こんなこと頼まなくて良かったんだけど」
「だから困った時は助け合いなんだって。元気になって、私が病気の時に助けてね」
「ああ、約束するよ」
そんな風に佳代と黒峰が話している間、智子は別のことを考えていた。
吸血鬼に血を吸われると吸血鬼になるという。
もしかして彼にもそういうことが起こっているのではないだろうか。
しかし、そんなことを遠回しに聞くにはどうしたらいいだろう。
智子は黒峰の顔を見ながら、考え込んでしまった。
「笹川さん、どうしたの?」
「え、いえ、なんでも」
「智子、何か用事があるなら……」
隙を見せると佳代に都合よく追い出されてしまう。
「違うの、病院の個室ってこんな豪華なんだって」
「そうだね。俺もこんなに豪華だとは思ってなかったよ。けど食事がこれだし、寝てることしかできないんだけどね」
そう言って恨めしそうに吊り下げらた点滴の袋を見つめる。
「ここなら私も入院してみたいな」
あれ、変なこと言っちゃったかな? 智子は視線を下に外した。
「歓迎するよ」
「智子が入院するなら、私もここに泊まる〜」
「そうだよね、皆んなで、あの夜の続きをしないと。せっかく集まってもらったのに、ごめん」
黒峰がすまなそうに謝った。
いや、あの晩の続きと言われても…… と智子は思った。
私は誘われてない。故意なのか、本当に忘れていたのか、佳代は私にその集まりについて、情報を流してもらっていないのだ。
あの時私は突然の訪問者であって、出張お土産晩餐会に招かれた客ではない。
智子はまた黙ってしまった。
「智子、さっきから変だよ」
「そのモコってなんなの?」
「ああ、『ともこ』だとよそよそしいから短くしてモコだよ」
智子は強引に笑顔を作って答える。
「モコって呼ばれるのはトモコあるあるだよ」
黒峰も釣られたように笑った。
「けど、前田さんはどうするの? カヨだから縮めようがないね」
「黒峰さんが、何かいい呼び方作ってくださいよ」
「う〜ん、カヨカヨ?」
喜んだ前田が黄色い声をあげた。
黒峰は片目を閉じて耳を抑えるような仕草をする。
「カヨカヨ素敵です、響きも可愛いし!」
「えっ、あの、ごめん」
「呼んでみて」
黒峰くん困ってるから、と智子は思った。
その時、智子のスマホに着信があった。
なんだろう、と思うと画面には『前田』と書かれていた。
救急でこの病院に運ばれてきた時、黒峰を見た医師だ。
「ごめん」
智子は個室を出て、窓際で通話した。
「あの、なんのご用でしょう」
『彼女を出してくれ』
「えっと、ですから……」
ルビーを呼んでいるのはわかるが、智子も自分の意思で人格を入れ替えられるわけではなかった。
『わかった、後で連絡する』
徐々に傾いていく陽の光を窓から見ていると、漠然とした不安が広がってきた。




