智子を救う者
扉を開け、部屋で待っている佳代に、智子は近づいていく。
濡れたパンツが足全体を押さえ付け、重くしていた。
今は智子の体になっているが、ルビーの姿をしている時に左肩に銀の銛が当たり、大怪我をしているのだ。フル回転で再生しているが、彼女は極度の貧血状態になっていた。
「どうしたの? 智子?」
佳代はオートロックの扉を黒峰に預け、部屋を飛び出した。
「こんなに具合が悪いなら、そう言ってよ」
佳代が肩を貸してくれる。
「冷たっ!」
ゆっくりと歩いて、智子はようやく部屋に入った。
智子はそのままシャワールームに入り、服を脱ぐ。
佳代がやってきて部屋着を置くと、中にいる智子に言う。
「ゆっくり温まって、これに着替えて」
「ありがとう」
そうは言ったが、体を温めても何も解決しない。ルビーはそう思った。
だが、智子に悟られてはいけない。ギリギリまで考えを読まれないようにしなければ。
一通り汚れを洗い流しシャワーで温まると、体を拭った。
佳代に渡された部屋着を身につけ、壁に寄りかかりながらリビングへ入る。
見かねた黒峰が、肩を貸してくれる。
それを見て、嫌そうな顔をする佳代。
「ねぇ、智子一体どうなってるの? 体調悪いの?」
「どうだろう。お腹が減ってるだけかも」
智子を椅子に座らせると、黒峰が言った。
「体調悪かったらこの会は延期したのに」
「この会って?」
「ほら、先週末確認したじゃない。今日のこと」
『来週来るよね?』
帰り際、エレベータホールで言われたことだった。
あのことをうやむやにしていたが、このことだったのだ。
「出張の最終日にお土産渡す会を開くって」
いや、だが、そんな連絡は来てない。
そもそも黒峰くんと直接の連絡手段はないのだ。
そう思って智子は、佳代の方を向いた。
「……」
佳代は智子と目が合いそうになると、踵を返してキッチンに向かう。
智子に背中を向けたまま言う。
「お腹減ってるなら、いっぱい食べていって」
佳代は私に連絡をするのを忘れたのだろうか。それとも、故意にしたこと?
黒峰がにっこり笑って部屋の隅にいき、紙袋持って帰ってくる。
「お土産。すぐに食べれるものもあるから、お腹減ってるなら、ぜひ食べてみてよ」
「ありが……」
立ち上がって受け取ろうとした智子は、そのまま立ちくらみが起きる。
そんな、よろける智子を黒峰が抱き止めた。
智子の顔が、彼の肩の上にのる。
今だ。
ルビーが智子の体を支配し、姿を変える。
吸血鬼の牙が、黒峰の血を抜き奪っていく。
『やめて!』
やめたら自分が死ぬ。自分の死は智子の死でもある。二人を助けるか、一人を救うか。ならば人数が多い方を選ぶ。
彼の血が体を満たしていく。
痛みや疲れで緊張していた意識が、緩やかに、穏やかになっていく。
『もうやめてったら!』
まだ足りない。
まだ、もう少し。
『お願い!』
黒峰の体から、力が抜けていくのを感じる。
「まずい」
ルビーは彼をソファーに寝かし、噛みついた場所の出血を指で拭うと、その血も舐めた。
素早く体を智子へ戻すと、言う。
「佳代! 黒峰くんが倒れた!」
「えっ!?」
「救急車。早く救急車を呼んで!!」
キッチンから、リビングに戻ってくる佳代。
「なんで!? 一体どうなってるの?」
「急に倒れて」
佳代がスマホで救急と連絡をとっている。
状況を話すところで、智子と替わり、事情を説明する。
部屋で待っていると、隊員がやってきて黒峰を運ぶ。
搬送先が決まると、彼女たちも連絡を受けてタクシーで同じ病院へと向かった。
「彼の親族にも連絡しないと」
「そこまでわからないよ。智子だって知らないでしょ」
二人が救急外来へいくと、女性の看護師がいた。
「黒峰さんのお知り合いの方?」
「ええ」
突然、処置室の扉が開いて医師が一人、中から三人を見ている。
看護師が振り返る。
「先生、何かありましたか?」
「いや、なんでもない」
智子と医師の目があった。
何かピリピリする緊張感が伝わってくる。
智子は医師に向かって声を出す。
「あの、彼は大丈夫でしょうか?」
「彼?」
「えっ、とそういう意味じゃなくて、黒峰くん、助かるんでしょうか?」
医師は処置室から出てくる。
「容態は安定しているよ、簡単に言えば貧血だね。なんか今週忙しかったとかそう言うことじゃないのかい?」
「今週はずっと出張で」
手を広げるようにして、智子が答えた。
「そう。じゃあ、ストレスとかで胃の中で出血してたのかもね。原因はわからないけど、現状の問題は貧血だから、すぐになんとかなる」
やけに近い位置に入ってくるので、智子は壁側に避けるが、医師はさらに追ってくる。
「患者の話ではなく、ちょっとだけ、君と個人的に話がしたいんだけど」
壁ドンのように追い詰められ、動けなくなる。
すると、ルビーが智子に伝えてくる。
『気をつけて。こいつ吸血鬼だから』
看護師が呆れ顔で言う。
「前田先生。また救急が入るかもしれませんから、そういうの、ほどほどにお願いしますよ」
「君だって、俺が『早い』のは知ってるだろ」
看護師は顔を真っ赤にして言う。
「知りません!」
前田医師は智子の手を引いて、連れ出そうとする。
「私も行きます」
佳代がそう言うと、前田は手のひらを彼女に向け、その手を処置室の方へ動かした。
と、同時に言う。
「君は彼についていなきゃダメだろう」
「ハイ、ワカリマシタ」
佳代は処置室の前に進み、立ち止まった。
智子は直感的にこのやり方が、居酒屋でルビーが店の責任者を追い返した時に似ていると感じた。
吸血鬼が使う魔法なのだろうか。
前田という医師に、ぐいぐい腕を引っ張られ、倉庫のような場所に連れ込まれた。
医師はそのまま扉を閉め、完全な闇が作られた。
「ちょっと電気じゃなくて、灯りをつけてください」
智子は慌ててそう言った。
「君なら見えるだろう?」
智子はスマホのライトをつけた。
医師のグレーの瞳が、綺麗に光を反射した。
医師は困ったような表情を浮かべ、自分の髪を後ろに撫でつけた。
「どういうことだ? どう考えても君は……」
「吸血鬼だというの?」
真ん中のちょっとした髪だけ、前に垂れてくる。
彼はもう一度、後ろに撫でつけた。
「いるでしょ? 医療記録には適当に書いておいたけど、あの患者は吸血鬼に血を抜かれている。どう考えても血を抜いたのは君だ。だから、この国で人から血を抜くのは得策じゃないってことを伝えたいんだけど」
『退きなさい』
ルビーが智子に伝える。
『この男に話がある』
智子は最後の力を振り絞って、スマホの録画を開始した。
思考が奪われ、次に体の形が変わっていく。
「赤い瞳だ。記憶があるぞ。有名人だ。ルビー? ルビー・ハートリッジだね」
医師は指をさしながら、そう言った。
ルビーは頷く。
「あなたは?」
「フィオン・マックムール。この通り、夜勤専門で医者をしてる。医者としての名前は前田歴彦だ。名刺を渡しておこう」
ポケットから取り出した名刺を、ルビーの手の平に押し込んできた。
「血が必要なときは俺に言うんだ」
「一つ相談があるの」
「いきなりなんだい」
ルビーは小さい声で言った。
「アルバート・ノクターを地上に復活させたいの」
「……まさか。彼はまだ意識があるのかい」
ルビーは小さく頷いた。




