佳代の部屋
エレベータ扉の前に立ち、ルビーはロックハートを無視してエレベータ扉に手を掛けた。
「な、なにする気だ」
カゴが到着しないと扉が開かない機構がある。
彼女は力づくでその機構ごと、破壊してエレベータ口を開けた。
「さよなら」
そう言うと、カゴが来てない真っ暗なエレベータシャフトに、ルビーは落ちていく。
「待て!」
ロックハートは人質を離して、ルビーを追った。
シャフトを落ちていき、一階の扉に飛び着いた。
そのまま力づくでエレベータ扉を開ける。
エレベータを待っていた客、数人が、目を丸くしてルビーを見つめる。
こじ開けた隙間から出てくる女性のために、道を開けた。
「このエレベータ壊れてるわよ」
真ん中を颯爽と抜けて出ていくルビー。
いつの間にか、通りには雨が降っていた。
雨のせいか、人通りも少なくなっている。
みるみるうちに白いドレスは濡れていき、体に張り付くように重くのしかかってくる。
「待て」
それはロックハートの声だった。
ルビーは振り返らず、顔だけ横に向けて言う。
「人質がいなければ勝負は見えてるわ」
「バカに」
『相手が吸血鬼なら全力で潰す』
ルビーの声と智子の意思が重なったものだった。
雨音に混じってその声が響くと、ロックハートは足が地面に埋まったかのように、動けなくなった。
圧倒的な力の差。
放たれたオーラに威圧され、ロックハートは血が固まるような衝撃を受けていた。
ルビーの視野に、車道の反対側で動く人間の影が映る。
男は傘もささず、ゴルフバックを二つも背負っていた。
彼はルビーとロックハートを視認して立ち止まる。
そしてバックから何か長いモノを取り出して、いきなり投擲する姿勢をとった。
狙っているのはロックハート。
ルビーは直感的にその『素材』を感じ取った。
「危ない!」
手が離れる前に蹴り出していたが、車道といっても距離はない。
その『長いモノ』を弾く余裕はない。ロックハートを突き飛ばしたら、通行人に刺さる。
ルビーは投げられた『長いモノ』に背中を向け、盾になった。
それは彼女の左肩の肉を削いだ。
そのまま勢いを失って、通りに落ち、音を立てた。
争っていたはずのロックハートは信じられない、という表情を浮かべる。
「おい!」
仕留めらてない、と思えば、すぐに次の投擲がくる。
車が動いているから、渡ってこないが、反対側にいるのは吸血鬼ハンターだ。おそらくダンピールと呼ばれるバンパイア・ハーフに違いない。
「早く逃げなさい!」
通りに落ちた長いモノを見る。
それは銛だった。先端に聖杯として使われた銀を打ち直して付けている。
肩の再生が始まらず、燃えるように痛いことからも間違い無いだろう。
動きに躊躇がないことからかなりの手練だ。
「なぜ助けた」
吸血鬼にはない発想、これは多分、智子の意思だ。
「いいから、消えろ」
通りの反対側で、男は銛を持って構えている。
車がいなくなった瞬間に渡ってくるかもしれない。
ロックハートは飛び上がると、体が黒い霧のように分解し、まるで空に吸い込まれるように分散していく。
髪が濡れて目にかかる。
人通りが少ないとはいえ、ルビーと銛を握った男、それぞれの周りに人が溜まってくる。
銀の銛を傘をさした群衆に向けて放り込まれたら大惨事になる。
「……」
ルビーは車道に向かって助走する。
ガードレールを踏み台にして、飛び上がると、走行中の車の屋根に着地した。
反対車線にいる奴は、銛を投げるふりをして、そこで止めた。
「助かった……」
燃えるように痛む肩は、血を流し続けている。
損傷した体を再生するにしても、血が足りない。
血を補給しなければ……
ルビーは車を飛び降りると、体を智子の姿に戻した。
えぐれた肩は回復したように見えるが、痛みは変わらない。
「!」
耐え難い激しい痛みで、智子は意識を失いかける。
意思だけのルビーが智子に語りかける。
『この近くに友達いない?』
どういう意味だろう。智子は考えた。
『この状態で通りをフラフラしていたら殺される。つけられて自宅がバレるのも危険だ。臨時で匿ってもらうんだ。わかるだろう』
智子はスマホを取り出してアドレス帳を見る。
近くかどうかは置いておき、今電話できるのは佳代しかいない。
車で運ばれてきたこの現住所と照らしても、自宅に戻るより近そうだ。
スマホを使って西田佳代の家に向かう。
一階で部屋番号を押すと、彼女の声が聞こえた。
「佳代? 突然、訪ねてごめんちょっと部屋に入れてくれない?」
『……こ、困るよ急に』
それは最初の声とは違いとても小さい声だった。
「雨降ってきてさ、全身ずぶ濡れで」
『こっちにだって都合があるのよ』
智子には、佳代の部屋から男性の声が混じって聞こえる気がした。
つまり、今、部屋に彼氏が来ているのか。
そんな状態でずぶ濡れの女友達が『入れてくれ』と来たら、そりゃ拒絶するだろう。
智子は諦めかけた。
『智子、ごめんね』
切られてしまうのだ、と思った瞬間だった。
『……今の声、智子さんじゃない?』
自分の名前を呼ばれ、その声の主を考える。音質は悪いが、この声は…… 黒峰くんだ。
完全に川島さんに落とされたと、勝手に想像して、勝手に諦めていた。
実は、佳代と付き合っていたのか。
『えっ、あ、そう、そうみたい。上がってもらっていい?』
一瞬の静寂。
やっぱりお邪魔なのだろう。
『もちろんだよ。 ……智子、上がってきて、今開けるから』
佳代の操作で、智子の前のオートドアが開く。
いやだよ、そんな部屋に入りたくないよ。
最初から諦めていたはずなのに、実際、誰か他の人と付き合っているのがわかるのが、こんなに辛いのか。
踏み出すのを拒んでいたが、智子の体は、ルビーの意思により佳代の部屋へと向かっていった。




