34. 暴政の始まり
嫌な予感はしていた。
国王陛下がお倒れになったという知らせが社交界を駆け巡り、ラフィム殿下とタニヤ嬢の結婚が早まるのではないかと言われていた。ただでさえ妃教育など全く受けていなかったはずの伯爵家のご令嬢が婚約者になったことを受け入れられずにいる高位貴族も多くいる中、あのラフィム殿下がどう出るのだろうかと。
そしてやはりその嫌な予感は当たったのだ。
ラフィム殿下は国王陛下の国葬が終わるやいなや、タニヤ嬢を妻に迎えた。そしてご自分の国王即位式と同時に、タニヤ嬢のお披露目をし王妃即位を宣言したのだった。
「イレーヌ嬢の様子はどうだい?」
「ええ、問題ないわ。全く平気そうよ。多少なりとも複雑そうな顔はしていたけれど、何と言ってもあのグレン様がおそばについているから。“早かったわね~結婚。あの方が王妃で大丈夫なのかしら”なんて言っていたぐらい。完全に他人事よ」
「ふ……、そう。それならよかった」
マルセル様もずっとイレーヌのことを気にかけてくれていたから、そういった意味では安心したようだ。
だけど別の意味で心配はつきない。それはマルセル様も同じようで、眉間に皺を寄せている。
「タニヤ嬢……いや、王妃陛下は学園を中退なさったからね。これから公務で忙しくなるから勉強は王宮で教育係たちとともにやっていくと仰って。……とはいえ、元々成績優秀だったわけでもないし勤勉な方だったという話も聞いたことがない。これから自覚を持って王妃としての務めを果たしてくださるのならいいのだけれど」
「……ええ……」
マルセル様の心配ももっともだった。
タニヤ王妃も、そしてラフィム殿下、いや国王陛下も、とても勤勉とは言い難い人だった。私が王太子妃だった時も随分と苦労させられたものだ。どれほどあの人を陰でフォローしてきたことか。学生の時から叱咤激励したりなだめすかしたりしながらどうにか机に向かってもらい、時にはレポートなどの作業も肩代わりさせられていた。嫁いでからも私ができる限り公務を補佐していたものだった。その間あの男が何をしていたかというと、タニヤ嬢との怠惰で不埒な時を楽しむことだけ。……思い出すだけで腹立たしい。
案の定、即位式から数ヶ月後には国王と王妃の醜聞があちこちから聞こえはじめた。
「公務を放棄している状態だそうですわ、王妃陛下は。毎日贅の限りを尽くして遊び回っていらっしゃるとか」
「ええ。最初こそお招きいただくお茶会にも喜んで参加しましたけれど、あまりにもその回数が多くて……」
「本当ですわ!何か有益なお話ができるのかと思いきや、ただただ王妃陛下の知識のなさに驚かされるばかりですし」
「ええ、大陸の他言語でさえほとんど覚えていらっしゃらないようでしたから、じゃあ習得をお急ぎにならなければいけませんわねって、失礼を百も承知で進言したんですのよ、私。そしたら王妃陛下、通訳がいるんだから大丈夫でしょうって」
「まぁ……」
「本気で……?」
社交界のご婦人方、ご令嬢方も皆唖然としている。最近は集まれば皆両陛下への不安や不満を口にするばかりだ。
「王妃陛下の浪費が止まらないそうだ。兄も陛下に進言したそうだが、逆に怒られたと。伯爵令嬢だった妻が王妃という国のトップの重圧に耐えながら必死で公務をこなそうとしているのに、多少小遣いを使ったぐらいで目くじらを立てるのかと。……しかし公務などまだほとんど何もこなしていらっしゃらないばかりか、浪費の額が多少なんてレベルではないんだそうだ」
マルセル様の表情も日に日に険しくなる。マルセル様のお兄様である次期ランチェスター公爵は王宮の文官として務めている。
「……本当に、困りましたわね……。いつかその皺寄せが民や私たちに向く前に、どうにか目を覚ましてくださればいいのですが……」
しかし私のその一言がまるで予言であったかのように、その後すぐに国民へ徴税額変更の通達が出た。王妃陛下の浪費分をここで賄おうとしているのか。何度もじわじわと繰り返される税金の値上げが始まり、次第に民や貴族たちからの不満の声は大きくなってきた。
周囲の助言や不満に一切耳を貸さず、怠惰な浪費の日々を送る国王と王妃。民たちの中には飢える者まで出はじめているというのに、全く意に介さない愚かな君主。
税金の負担はワースディール王国の国民全てに重くのしかかり、皆の生活を苦しめ続けた。やがて収入の半分の額を納税するよう通達が出た頃、一部の平民たちが結託して王宮の前で暴動を起こしたのだった。
「……首謀者らが王宮前の広場で磔にされていた。こんな暴政があるか。あんまりだ……」
「……そんな……」
マルセル様は怒りを抑えきれずに拳を握り締め、歯を食いしばっている。これからこの国はどうなるのだろう。治安はどんどん悪化し、人々は飢え、まるで別の国になってしまったようだ。
そしてついに徴税額を収入の六割にするという横暴を極めた通達が出され、皆が立ち上がった。
ある夜、ランチェスター公爵家で行われた高位貴族の当主たちを中心とする長い話し合いの場から帰ってきたマルセル様の顔には、かつてないほどの強い覚悟の色が見てとれた。
「……あなた……」
「……決行の日が決まった」
「っ!……そうですか」
恐ろしさと不安で、強く握りしめた自分の手にじわりと汗が浮かんだのを感じた。抑えようとしても震えが止まらない。マルセル様はそんな私のそばに来ると、そっと優しく肩に手を触れる。
「大丈夫だ、ステファニー。皆で一致団結するのだから。……神は見ている。前にも言っただろう?」
「……はい」
あの男のことなど、どうでもいい。どうなろうとも。
私の願いは、夫が、立ち上がった皆が、無事に帰ってきてくれることだけだった。




