23. 父への説得
話せることだけでも話してほしい、とマルセル様は言った。
「結婚したことで全てが解決した、というわけでもどうやらなさそうだし、まだ何か困っているんだよね。僕にできることなら何でも助けてあげるから、よかったら話してくれるかい。どうすれば、君の抱えている苦しみはなくなるんだろうか」
何かにつけて休んでばかりの私がこれ以上講義を休むわけにもいかないからと、私たちは昼休みが終わると急いで学園の講義室に戻った。私のせいで結局マルセル様までほとんど食事ができなかった。真っ赤になった目をできるだけ人に見られないように顔を伏せながらどうにか放課後まで乗り切ると、私はマルセル様と二人で空いていた講義室にひそかにこもりお昼の話の続きをした。
「……実は、その……、……り……留学、したいのです。……一年間」
「うん……。……うん?」
予想外の言葉だったのだろう。ふんふんと頷いていたマルセル様が、目を丸くして私を見ている。
「一年間だけ、ここを離れたいのです」
「……。そうすれば、君が今抱えている問題は今度こそ解決するということ?」
「……お……おそらく……」
「……。」
ああ、もどかしい。「実はこの今の人生は、私にとって時間が巻き戻った二度目の人生なんです。前の人生ではラフィム殿下と強引に結婚させられた上に、他の女性に目移りして私のことが邪魔になった殿下から冤罪を被せられ処刑されました。あの男は今、人妻となった私のことをどうにかして我が物にしようと目論んでいます。次に目移りするはずの女性があと一年したら入学してくるので、それまでひとまず殿下の手が届かない場所にいたいんです」……これを説明できたらどんなにすっきりするか。だけどさすがに相手がマルセル様だとしても、これは言えない。私なら大切な人からこんな相談をされたらまず心の病を疑い医者を呼ぶだろう。
「……ふむ……」
「あ、あまりにも、身勝手ですわよね……。分かっているんです。父にも話してみたのですが……ひどく叱られました」
「……誰を避けているの?」
「…………。」
それも気付かれてしまった。
「正直に言うと、ここまで君を苦しめている人間がいるのだとすれば、僕も君と一緒に頭を悩ませて解決策を探したいのだけど」
「……。そ……それは……」
無理です、マルセル様。相手はあの王太子殿下。あの男の逆鱗に触れでもすれば、あなたが何をされるか……。
私は何も言えずに口ごもる。
「……分かってる。それは聞いてほしくないんだね。だけど君にとって、ここを一年離れることは、それほど重要な意味を持つわけだ」
「……ごめんなさい、マルセル様。あまりにもひどい話ですわよね。あんなに無理を押して結婚を急いだのに、今度はあなたを放って一年もよそへ行こうなどと……」
私がマルセル様の立場だったらたまらないだろう。こんなに振り回して、愛想を尽かされてしまっても仕方がないくらいだ。
だけど。
「大丈夫。僕は君を信じているから。それが君のためになることなら、協力させてもらうよ」
マルセル様はどこまでも優しかった。
「僕にとっては納得ずくのことなのです。実は僕は前々から、ステファニー嬢のクレアルーダへ留学したいという夢を聞いておりましたので。もう数年も前からです」
数日後の週末。
マルセル様はわざわざうちまで出向いて、私の両親を説得しに来てくださった。
そしてあたかも、実は私が以前からずっと隣国クレアルーダへ芸術を学びに留学したいと言っていたかのように話してくれている。
「……だがそれなら、なぜ今まで一言も言わなかったのだ、ステファニー」
父は腑に落ちない様子で私に向かってそう尋ねる。
「ステファニー嬢は、ご両親にずっと遠慮しているようでした。貴族学園を卒業し、しかるべき相手と結婚する。それがカニンガム公爵家の一人娘である自分の生きる道だと分かっていたから。……ですが、彼女はいつも学園の図書室でクレアルーダの美術品に関する書物を読み漁っていたし、かの国の画家や芸術家の作品が本当に好きで、よく僕にもその魅力を熱弁してくれていました。そんな様子をずっと見てきたから、僕の方から切り出したんです」
実直なマルセル様がスラスラと淀みなく嘘をついていく。
ただひとえに、私のために。
「こうして結婚した今、ステファニー嬢が自分の夢についてどう思っているのか気になりました。彼女はこのまま諦めるつもりでいるようでしたが、僕はこれから先の結婚生活を始める前に未練を残して欲しくなくて……。お父上に相談してみてはどうかと提案したんです。勝手な真似をして申し訳ありませんでした、カニンガム公爵」
「……ふむ……」
完全に納得したわけではなさそうだけれど、父は顎を撫でながら思案している。マルセル様の援護射撃を得て勇気をもらった私は再度父に頼み込んだ。
「……これが私の最後の我が儘です、お父様。どうかお願いします。留学中もきちんと勉強して、学園の進級試験に支障のないようにいたします。留年なんかしませんから」
うちの学園は在学中の留学期間に関しては出席日数を考慮してもらえ、年度の終わりに他の生徒たちと同じように進級試験を受け合格すれば、次の学年に進級させてもらえるのだ。
父はしばらく難しい顔をしていたが、やがてぽつりと言った。
「……。考えてみよう」
数日後、毎週末にその一週間勉強した内容について報告の手紙を書くこと、不必要な外出や夜間の外出は一切しないことなど、他にも様々な細かい決まり事を守ることを条件に父から留学の許可が降りた。
ランチェスター公爵にはマルセル様が事前に話してくれていたけれど、両親と私からもご挨拶に伺い、その時に真摯に謝罪した。
「ふふ、結婚と留学の順番が前後してしまっただけだよ。ステファニー嬢は元々クレアルーダ王国へ行く夢があったのだから」
たびたび私をフォローしてくださるマルセル様の言葉を信じたランチェスター公爵は、
「互いに納得していることでカニンガム公爵の許しも得ているのなら、こちらは構わないさ。……それにしても結婚のことといい、今回の留学のことといい、ステファニー嬢は案外情熱的で行動派なのだな。はははは」
と言い、その言葉に私は赤面したのだった。




