1. 王太子のアプローチ
「ステファニー!おはよう。やっと姿を見ることができた。…今日も一際美しいな」
「っ、……おはようございます、ラフィム殿下。……あ、ありがとうございます…」
学園の廊下を歩いていた私、ステファニー・カニンガムは、向かいからやって来たラフィム・ワースディール王太子殿下にそう声をかけられた。金髪碧眼の爽やかな容姿を持つこの王国の王子様は、私に会う度にこうして私を褒めそやしてくださる。
だけど、私はそれがとても居心地が悪かった。なぜなら…………、
「……っ、」
ラフィム殿下のお側には、大抵殿下の婚約者のイレーヌ・ロドニー侯爵令嬢がいらっしゃるからだ。今も私を見つめながらずっと話しかけてくるラフィム殿下の後ろで、その艶やかな黒髪と同じ色の瞳を伏せたまま、背筋を伸ばして静かに立っておられる。
「君のこの美しいプラチナブロンドは遠くからでも目立つな。視界に入った瞬間君だと分かって心が躍ったよ」
「……は、……こ、光栄ですわ、殿下…」
(今どのように思われているだろう、イレーヌ嬢は……。きっと不愉快でたまらないだろうな。婚約者である自分の目の前で、殿下がこうして他の女性を褒めそやしているなんて……。殿下も少しはイレーヌ嬢のお気持ちを気遣って差し上げればいいものを……)
かと言って、この王国の王太子であるこの方を無下にして無礼な態度で立ち去るわけにもいかず、私も毎回困り果てていた。
「……本当に美しいな。目の保養だ。できればもっと俺のクラスに顔を出してくれないか。学園では思うように君に会えない時があるから、俺は寂しいよ、ステファニー」
あろうことか、殿下は私の髪をご自分の指に絡めながらそんなことを仰る。早く行ってほしい……。ごめんなさい、イレーヌ嬢、決して私の本意では……。
気まずい思いをしながら立ち尽くしていると、次の講義の時間が迫り殿下はようやく立ち去ってくれた。イレーヌ嬢は一度もこちらを見ることなく殿下について行ってしまった。
「……はぁ……」
短い時間でどっと疲れが押し寄せ、思わず深い溜息をついた。この貴族学園に入学して以来、ラフィム殿下はああして私への過ぎた干渉を続けていた。
ラフィム殿下とイレーヌ嬢は幼少の頃からの婚約者同士だ。そのことはこの国の貴族ならば皆が知っている。だけど殿下は人目を憚ることなく私への熱烈とも言えるアプローチを繰り返していた。正直迷惑以外の何ものでもない。おかげで時々会っていた子どもの頃から入学当初までは仲の良かったイレーヌ嬢とはすっかり気まずくなってしまい、もう話しかけることもできないし、他の人たちに何と噂されているのかと考えると胃が痛くなる。
それに私にも、婚約の話が進みつつある男性がいるのだ。
「おはよう、ステファニー嬢」
「……マルセル様!おはようございます」
ちょうどそこへ現れた男性、この人こそが私と近い将来婚約するであろう人だった。赤みがかった明るい栗色の髪と優しい茶色の瞳。一目見ただけで誰もが好印象を抱くであろう温厚そのもののオーラを放っている。
マルセル・ランチェスター公爵令息。ランチェスター公爵家の次男で、文武両道の優しい方だ。カニンガム公爵家の一人娘である私の結婚に、両親は慎重だった。熟考の末ようやく選ばれたお相手がこの素敵な方というわけだ。
「ステファニー嬢、週末の予定は?もし空いているなら、一緒に勉強してお茶でもしませんか?隣国から戻った父が土産に買ってきた珍しい菓子があるのですよ。あなたが好きそうだと思って。伺ってもいいですか?」
「まぁ、ありがとうございます!ええ、喜んで。屋敷でお待ちしてますわ」
まだこの方に対して恋愛感情はないものの、誠実で優しく細やかな気遣いをしてくださるマルセル様に、私は昔から好感を持っていた。
この方となら、きっと夫婦となっても仲睦まじくやっていけるだろう。
私はそう信じていた。