永久の点綴
寝汗の気持ち悪さで目が覚める。
(学校に行きたくない。)
まず思ったのはこれだった。なぜならこの私、青空涼子は先日めでたく高校一年生の駆け出しにして所属していた友達グループから仲間外れにされたのだ。理由なんてないのだろう。女子だけで構成されているグループ独特の持ち回りで訪れる気まぐれな嫌がらせのようなものだ。考えても状況は変わらないので登校の支度をして家を出る。
少し早めに登校してしまい手持ち無沙汰になる。どこからか向けられている悪意を無視するために窓から空を眺める。今日も空は高く太陽は燦燦とこちらに差している。
「おはよう、青空さん。ごめんね、カーテン閉めて欲しい。」
声を掛けてきたのは隣の席の星川光里である。ほとんど話したことはない。色白で寡黙で一人で読書ばかりしている学級委員長だ。
「おはよう。わかった。」
せっかくの逃避もできなくなってしまった。やることもないので地学の資料集を開く。
こんな陰鬱な時は天体に思いを馳せるに限る。スケールの大きな話に触れていれば、私が仲間外れにされたことなんて小さいことなのだろうか。午前の休み時間はトイレに行く以外は地学の資料集を見ながら過ごした。
昼休みにまた隣から声がかかった。
「青空さん、一緒にお昼食べない?」
どんな風の吹き回しか星川から食事のお誘いである。なんとなく断りづらいので受けてみることにした。
「いいよ。今日は天気も良いし屋上で食べよう。」
正午の屋上は白い壁や床が太陽光を反射し、座ってゆっくり食事をするには日差しが強すぎた。なんとか日陰を見つけ、そこに腰掛ける。
「青空さん、最近変だよね。一人でいること多くなった。」
「よくそんなセンシティブなことを率直に聞けたね。そんなに仲が良くない私に。」
「心配しているのだけど、委員長として。」
「女子によくある気まぐれな仲間外れってやつだよ。しばらくしたら勝手に終わるよ。」
「終わったら戻るの?糸魚川さん達といて楽しいの?」
糸魚川冴姫というのは私の所属していたグループのリーダー的な存在だ。お金持ち、容姿端麗、カリスマで高飛車、絵に描いた女帝のような女子である。
「楽しいとかそういうことじゃない。入学した時最初に声かけてくれたのが冴姫だっただけだよ。」
「聞けば聞くほど戻る魅力はなさそうね。」
二人で示し合わせたわけでもなく晩春の空を仰ぐ。空はただただ高く青かった。
その後は黙々と食事を済ませて、予鈴とともに教室に戻る。
星川と糸魚川には確執がある。
それは入学して間もない頃、学級委員長を決めるホームルームでのことだった。
「誰かやりたい者はいないか?」
教師の問いかけに対して元気な返答が戻ってくる。
「糸魚川さんが良いと思います。」
もちろん取り巻きの一人である。これは台本のような一コマなのだ。
糸魚川は笑みを浮かべながら状況を静観している。
文句を述べられる者はいない。なぜなら糸魚川は持ち前の人格でクラスを掌握しつつあったからだ。
そこに青天の霹靂が起こる。
「私、委員長やりたいです。中学では生徒会長も務めました。みなさんのお役に立てるように尽力します。」
星川が自薦で手を挙げたのだ。
陰でひそひそと話し声がする。
「星川さん、誰にも言われないのに毎日クラスの花瓶の水替えてるんだよ。」
「入試も推薦じゃないけど一番だったんだって。」
クラス全体に様々な思惑が巡り始める。
教師がそれを察し声を上げる。
「自薦は星川、他薦で糸魚川だが、どうする?まだ一学期だからみんな人となりがわからんだろうし、自薦の星川でどうだろうか。」
ここで糸魚川は自ら委員長をやりたいなどとは絶対に言えないのだろう。こんな他薦という茶番と作り上げるのだから、他人から選ばれる自分こそが優等で魅力的だと信じて止まないのだと思う。
糸魚川は顔に出さないようにしているが表情を強張らせながら星川に拍手を送っている。
「クラス全員でいろんなことに意見を出し合って悩んで行動してたくさんの経験をできるように過ごしましょう。」
糸魚川とは対極に星川は顔を赤らめながら目に期待を潤ませている。
その日の放課後の人気のない教室で事件は起こる。
時間を持て余して窓から空を眺めていると、職員室から教室に帰ってきた星川に糸魚川が因縁をつけたのだ。
「どうして委員長に立候補したのよ!?私がやるつもりだったのに!!」
糸魚川は星川を壁まで追い詰め、星川の背後にある壁を足底で蹴る。
その音と糸魚川の声に驚き、私は職員室に駆け出した。
「そんなにやりたいのなら糸魚川さんも立候補したら良かったじゃない?」
「私は他人に必要とされているんだから立候補なんてしなくていいの!それを、みんなの期待をあんたが邪魔したの!」
「それはあなたが作ったものでしょ?先生もそれがわかっていたから自薦の私を委員長に選んだんじゃないの?」
「うるさい!そんなわけない!」
再び糸魚川は足を上げた。
「そこの二人、何をしているんだ!」
駆け付けた教師によりその場は治められた。
午後の授業も淡々と過ぎ、気づけば放課後である。
「青空さん、一緒に帰ろう。」
またもや星川から声が掛かった。
「あまりにも世話焼きが過ぎるんじゃない?」
「いいのよ。早く帰りましょう。」
糸魚川達からの視線が容赦なく注がれている。きっと良くは思われていないだろう。その視線から逃げるため星川の誘いに乗った。
星川と校門を過ぎたところで立ち止まってみる。糸魚川もついてきていないようだ。
「これから寄りたい所があるんだ。今日は気遣ってくれてありがとう。それじゃあ、ここで。」
このまま別れを告げてみる。
「どこに行くの?予定もないし私も行きたい。」
意外な返答がきた。またもや私は申し出を断れなかった。
学校の最寄り駅から電車で二駅のところにあるショッピングモールに来た。この中にある本屋に用事があったのだ。
「本屋さん?そういえば地学の資料集をしきりに読んでいたよね。」
「よく見ていたね。好きなんだ、天体観測とか。家には望遠鏡もある。」
「天体観測か。小学校の頃の夏休みの宿題以来したことない。」
「その宿題の時に学校からもらわなかった?星座早見盤。」
「ああ、もらったかも。でももう捨てちゃったかな。この夏に天体観測する予定はあるの?」
「毎年天の川を観ているんだ。今年も観ようと思う。」
「どこで観るの?」
「私の家から自転車で三十分位行った所に山があって山頂付近が公園なんだ。そこが夜は明かりがあまりないし開けているから行こうかなと思ってる。」
「じゃあ、私も行く。」
「え、遠いかもしれないし夜だし危ないよ。」
「危ないのは青空さんも一緒でしょ?今度私の家で計画を立てましょう。で、欲しい本は見つかったの?」
欲しい本はすでに見つかっていた。でも私は彼女の申し出を断る術だけは見つけられないでいた。
「涼子って呼ぶわね。私は冴姫でいいわ。」
糸魚川のグループに入ってすぐのことだった。
まだ親密でない相手を呼び捨てで呼ぶのには抵抗があった。
でも、どうしてか断れない。
「う、うん。わかった。」
笑顔を貼り付けてなんとか返事をする。
「涼子、今日これからみんなでファミレス行こうよ。」
別に行きたくはない。
「うん、行く行く。」
私はいつもこうやって集団のために自分を曖昧にする。
「いらっしゃい。」
星川が玄関先で迎えてくれる。通された部屋はぬいぐるみや人形が並べられていたがきれいにまとまっていた。星川らしさが感じられた。不躾に本棚を眺める。一冊だけ彼女の趣味とは違うであろう本に目が留まる。
「これ、買ったの?」
「せっかく天体観測に行くのだから知識はあった方が良いと思ってね。」
「意外と凝り性なんだね。」
「青空さんみたいに好きなことに関して流暢になるタイプではないけどね。」
テーブルに向かって当日の予定を書き始める星川の字を見つめる。予定を書き留めながら星川は本で知った天の川の知識を披露してくれた。
「涼子ちゃんはどうして天の川が好きなの?」
「下の名前教えたっけ?」
「クラス名簿見ればわかるじゃない。それにもう友達でしょ、私達。」
友達という言葉が今の私達にふさわしいか、その時の私にはわからなかった。でもそんなに考えることでもないのかもしれないと気に留めないことにした。
「私は光里。さあ、どうぞ?」
「え?光里ちゃん?」
「あはは。なんか変だね。」
来週は光里と天の川を観に行く。
私は小さい頃から親の仕事の影響で転校が多かった。そのため友達というものが長続きしたことがなかった。仲良くなった頃にはすぐ転校で、引っ越してからはやりとりがどんどん減っていき次第になくなる。そんな繰り返しであった。
親が放任主義であり、私の学校生活にはほとんど干渉してこないことが救いだった。いつしか友達をつくることは諦めていた。だが、これは寂しさなのか、見栄なのかわからないが所属欲のようなものはあり、気は進まないがよく知らないグループに所属するようになっていた。
受け取るだけのグループ連絡、みんなが集まるからと集うファミレス、ひたすら聞き手にまわり相槌を打つだけの会話。
満たされることはなくむしろ伽藍堂で、ただ過ぎていくだけの退屈な時間だった。
でも傷つくことはなく、寂しい思いもしない。
趣味だってそうである。誰かと趣味を共有することや多人数でなければできない趣味を扱うのは苦手だった。
天体観測なら一人でできるし、同世代で嗜んでいる人も少ないから共有する機会もなく孤独に没頭できる。
これで良いと自分に言い聞かせた。
その日は光里のお父さんが車を出してくれた。窓から見る空は生憎の曇天であった。駐車場から公園までの階段を二人で上がる。
「七夕っていつも曇りか雨だよね。」
「観測上そうなることが多いみたいだね。」
「今日は天の川観たかったのに。」
「もう少し待ってみよう。」
公園の芝生にビニールシートを敷いて光里が持ってきたホットココアを二人で飲む。
「自主的に天体観測に来るなんて初めてだからドキドキしっぱなしだよ。」
「浮かれすぎてココアこぼさないようにね。」
光里の浮かれた気持ちとは正反対に天気は曇天のままであった。
結局どれだけ待っても、私達は天の川を観ることはできなかった。
「来年は涼子ちゃんと天の川観たいな。」
「天気が良いことを祈ろう。」
公園から眼下に広がる街の明かりに二人で目をやる。隣にいる光里は夜に出歩けることが嬉しいのか少し高揚しているようである。
「あっちの川は小さい頃に家族でバーベキューをした。向こうの奥の方に光っているのはこの前行ったショッピングモールかな?まだ二人で行ったことない所ばっかりだよね。夏休みにいろんな所に行こうね、涼子ちゃん。」
私は漠然としたもどかしさに支配されていて、光里と同じ気持ちを抱くことができなかった。
私のクラスには二人の有名人がいる。
一人は星川光里、もう一人は糸魚川冴姫である。
星川は学年首席、博愛主義でとてつもないお人好しである。
誰に言われるでもなくクラスの花瓶の水を替え、困っている人がいれば誰にでも分け隔てなく声を掛けられる。
慕われているかというとそうでもない。それは糸魚川から嫌悪の対象にされているからである。加えて頼めば何でもしてもらえると都合良く使われることも多い。
誰とでも話せるが誰かと特別仲良くするでもなく一人で本を読むことが好きなようである。
糸魚川は学年上位の成績だが星川と比べると一枚落ちる。賢いというよりは聡いという言葉がふさわしいと思う。
自らを筆頭にする集団を作る傾向があり、その影響はクラス全体に及びつつある。
糸魚川もまた慕われているかというとそうでもない。それは糸魚川のその気さくさとカリスマ性はどこか人を惹きつけるが最終的には人を支配しようとする心根が透けて見えてしまうからである。
委員長選抜の件で星川を恨んでおり、いつか仕返しを画策している。
成績表を受け取り、補習がない夏休みが確定したことに安堵した。
こちらを見つめる視線には悪意があるようだ。これまでより強くなっているかもしれない悪意を直視できないまま成績表に目を戻す。
「涼子ちゃん、帰ろう。」
「ああ、行こうか。」
無言のまま歩き続け、二人の帰り道が分岐する所で光里が足を止める。
「夏休みはスピカを観察しようよ。」
「スピカなんて知ってたんだ。」
「本買って勉強してるんだから。」
「さすがは凝り性だね。」
私はそのまま光里の家に遊びに行き、日が暮れるまで話をした。
「今日から涼子は私のグループじゃないから。」
五月初旬の早朝、教室に入るなり糸魚川から告げられる。
一体私が何をしたのかわからない。嫌われないように努めてきた結果がこれかと視界が歪んだ。
でもそれを拒む術を私は持ち合わせていない。
「う、うん。わかった。」
「じゃあね、涼子。」
糸魚川は静かに席に着く私を見ながら笑っている。
「星川さん、おはよう。」
その日なぜか糸魚川は普段挨拶なんてしない星川に挨拶をしていた。
私達は夏休みのほとんどを一緒に過ごした。お互いの家に行ったり、深夜まで電話をしたり、飽きることもなく二人で話し続けた。
話題がなくなってしまうなんてことはなく、むしろどうしてこんなにも話し続けられるか不思議なくらいだった。
光里は自分のことをよく話すし、私の趣味にとても興味をもってくれた。積極的に勉強してくれて、その姿勢は眩しかった。
あと光里はお揃いの物を持ちたがった。駅前の商店街やショッピングモールで私とお揃いの物を選ぶことに必死になっている光里は可愛らしかった。
ベッドの中で携帯を触る。メッセージアプリはいつの間にか光里からのメッセージでいっぱいになっている。スクロールすると糸魚川やそのグループとのやりとりもまだ残っている。
もう寂しい思いはしたくない。
だからきっぱり消してしまえば良いのに、どうしてか私はいつまで経ってもそれができない。
自らの愚かさに対してなのか、光里のメッセージの温かさにのぼせたからなのか、いつの間にか涙が出ていた。
そして夏休みの終盤、私達はスピカを観察するために前回の公園を訪れていた。
「今日は星がよく観える。」
「あれがスピカ?」
「そうそう、あれ。明るいから見つけやすいね。」
「全然本に書いてあったように観えない。」
「かなり性能の良い望遠鏡でもないと無理だよ。」
「スピカってさ、連星っていうものでいくつかの星が重力でつかず離れずしながらぐるぐる回ってるんだよね。それに太陽よりも温度が高いから青く光るんだよね。さすが一等星。」
「その通り。」
「初めて本で見た時にスピカって私と涼子ちゃんみたいだなって思ったんだ。」
「どうしたの、急に?」
「お互いが楽しくて、趣味を共有できて、私はあの日涼子ちゃんに声を掛けて良かったと思ってる。」
気恥ずかしかったのだと思う。私はその光里の言葉に感謝も共感の言葉もかけてあげられなかった。光里もそれ以上にその話題に触れてこなかった。
夏休み最終日、いつものように光里から電話があった。
「宿題は私と一緒に片付けたから問題ないよね?」
「持っていくのを忘れなければ大丈夫だよ。」
「明日ね、涼子ちゃんに見せたいものがあるの。」
「何?気になるじゃん。」
「内緒。明日学校で見せてあげる。それじゃあ、また明日学校でね。」
二学期の登校日。最近なかった寝汗の気持ち悪さで目を覚ます。
前のような学校に行きたくないという気持ちはもう微塵もない。
光里が見せてくれるであろうものが何か気になりながら登校の支度をする。光里とお揃いの髪ゴムが切れる。
(文句を言われそうだ。)
少し憂鬱になりながら家を出た。
校門を入った所で背中を刺す悪意を感じる。
「涼子、おはよう。夏休み楽しかった?」
糸魚川が冷たい笑顔を私に向ける。
「私達の所に戻っておいでよ。また楽しくやろうよ。私達友達でしょ?」
糸魚川の取り巻き達が私を囲み始める。
「そうだよ、またみんなで遊ぼうよ。今までごめんね。」
「わかった、許すよ。また仲良くしよう。」
「じゃあさ、星川さんとは絶交してきてよ。私があの子嫌いなの知ってるでしょ?」
言葉が出ない私を余所に糸魚川が捲し立てる。
「逆らうなんてしないよね、友達だよね?」
糸魚川に後ろを取られながら教室に入る。
「涼子ちゃん、おはよう。ねえ、これ、見て。」
私しか見えておらず、光里が緩んだ笑顔を浮かべながら星座早見盤を私に見せてくる。しかし次第に後ろにいる糸魚川が目に入りおかしいと感じたのだろう。
「どうして糸魚川さん達と一緒なの?」
「おはよう。それは、」
糸魚川が今日一番の笑顔で私を遮る。
「ほら、涼子言ってあげなよ。さっき言ってたよね?私達のグループに戻ってくるって。」
糸魚川に背中を押される。押された体はどうしてか私の思うように動かない。私は糸魚川を拒絶できなかった。
「あ、あの、糸魚川さんの言う通り。」
「ほらね。涼子は星川さんといるより私達といる方が楽しいんだって。それなに?星座?高校生にもなってそんなことしてるの?寂しいわね。」
「そう。ごめんなさい。」
光里は呆然と下を向いてしまう。静かに自らの席に戻り、星座早見盤を一心不乱に眺め始める。私との思い出に浸っているのか、現状を受け入れられず逃避しているのかはわからない。
ただ声を押し殺して泣いている。
光里の泣いている姿を見て初めて気付いた。私はずっと友達が欲しかった。共有の趣味をもてることや、特別なことがなくても笑って過ごせる関係に憧れていた。そしてそれは光里が私に与えてくれていた。
光里の気持ちを受け取ってしまって、それがある日突然砂のように指の間から落ちてしまうのが嫌で気づかないようにしていた。
私は自らの中にある自分でもよくわからない気持ちで糸魚川の誘いを断れず、大切な友達を蔑ろにしてしまった。それに気が付いた今でも私は光里に弁解することもできないままである。それどころか、私がいることでどんどん光里が踏みにじられていく。
私は何もできないまま席に着く。窓から見る秋の空はさっきまで澄んでいたはずなのに、今はぼやけてぐちゃぐちゃだった。
あの日、私達はスピカだと言っていた光里と私の距離はこんなに近いままなのにとても遠くなってしまった。
この日以来、私は空を見上げることをやめた。
読んでくださって方にまずはお礼を申し上げます。
ありがとうございます。
初めて筆を執りましたので作品としては稚拙です。
今回書いてみたことで気づけたことも多いので処女作として向き合い続けたいです。
関わってくださった全ての方に感謝致します。