閉じたセカイで獣は吠える 5
「父はどうやら祖父から外道と聡明の内、聡明だけを金玉袋の中に置いてきたのか、主流派である鎖国派の恩恵だけを享受すべく婚約という形で私を売り、BFDも金や権利、有力華族への媚びに変えようと売っぱらった。全く愚かとしか言いようがない。練馬家は当然私にいくつかの舶来物の原理を解明させ、独占し強力な力を得た。ばら撒かれたBFDが勢力図を変えるのはまだ良いシナリオで、BFDの製法を解明されたら一宮の僅かな優位は消し飛ぶ。私もずいぶん安く見積もられたものだよ。『私が素材のBFD』を創れば私の頭脳が量産できるということにも気づいてないんだからなあ、あの俗物は」
ぼくの鼻に硝煙の匂いが届く。
「ユウキ、火薬の匂いがする。追手だ」
「犬の特性か。便利だな」
「策はある?」
「……ない。私たちは華族が街中で使える規模の軍勢なら蹴散らせるが、また次の追手がくるだろう。消耗戦になったら終わりだ……終わりだが、策を練る時間が欲しい」
「じゃあ、戦おうか。君が先を見据えられるまで」
「ああ。守ってくれたまえよ、君。私に先を見せてくれ」
打ち捨てられた工事現場のマンションから飛び降りて、あえて相手の軍勢の方に突っ込む。銃弾を警戒しているのだ。殺気は遠ざかるほど感知しにくくなる。後ろから撃たれるより銃口を視認したほうが回避しやすい。
それこそ銃弾のように突っ込んでくる二匹の獣に、金ボタンの軍服を着た男達がアサルトライフルを掃射する。それを避けながら気づいたのだが、ぼくが野生の勘に頼っているのに対し、ユウキはトリガーの指、マズルフラッシュ、銃弾そのものを認識することだけで銃弾を回避しているため、刹那のレベルで僕より反射が遅い。ぼくはユウキに対する殺気にも気を配らなくてはならない。
ぼくは死ぬ気でユウキより先に軍勢に辿りつき、嵐のように暴れ回る。車を投げ飛ばし、肉を嚙みちぎり、爪で引き裂き、殴りつけ蹴り飛ばし叫ぶ、吠える。もっと、もっと力を。秩序に対する野生を。理不尽への理不尽を。無限循環の咆哮を。
ユウキは宙を舞いながら黒い銃を乱射する。あの銃はなんだ?どう見てもあのサイズに収まる装弾数以上に発砲している。リングにセキュリティで隠して持っていたのだろうか。というよりぼくの分の武器はないのだろうか。ちょっとズルではないか。
軍勢を退け、退け続けるたびに相手がレベルアップして襲ってくる。軍服の次は防弾装備、防弾装備の次は明らかに対人用では無いマシンガンをくくりつけた攻駆装。力任せに捩じり、地面に叩きつけ、足で壁に吹き飛ばすとスーツの隙間からとろとろと血が流れる。
「このまま進めば反鎖国派の武家の領地に入る!私の解明した舶来物の理論を交渉のダシにして匿わせる!」
「それ、話だけ聞いて売られない!?」
「ポーカーのようなものだよ。相手は私の手札を知らない。あることないこと匂わせて少しづつ知識を切り売りし家賃代わりにする!」
戦車が出てきた当たりで限界が見えてきた。酸欠で頭痛がする。視界が定まらない。くらった銃弾だって十発や二十発では無い。へし折った電柱で最後の戦車を叩き潰すと、運よくガソリンタンクに引火し爆発炎上して中の兵士が出てくる恐れが無くなった。
静寂が落ちる。
一瞬の気のゆるみで、ぼくは膝をつきうつ伏せに倒れた。
瞬間、全身に激痛が走る。
「があああああああああ!!!!!!」
怪我をしていない場所どころか身体の表面から内臓、頭の奥深くまでとんでもない痛みが叫びだした。
「マ、こ、ト」
ほとんどの銃撃はぼくがかばったが、殺気を感じられないほど遠くから対物ライフルで左の脇腹をふっ飛ばされたユウキが口から血を出しながらぼくに歩みよる。
「なんだあ?バケモノが内戦みてえな包囲網ぶち抜きながらこっちに向かってるっていうから来たら、一宮の家紋じゃねえか」
蒼い髪の少年。右手に光る指輪は華族のものと見紛うが、その腰に差さっている日本刀で違うことがはっきりわかる。
この数時間、目に映るものは全て敵だった。ぼくは本物のバケモノに堕ちかけていた。
いつのまにか形を変え、硬くすることが出来るようになった爪でぼくは少年に襲いかかった。
刀で受けられ、足を払われる。
「ぎゃあああ!」
「お、おい、そんなに強く蹴ってないだろ」
ぼくは痛みから正気を守るのに必死だった。荒い、細かい呼吸を意識的に続けることが唯一の綱だった。
「――ああ、ああはいはいなるほどね。俺のなった奴か」
「武家の者と、お見受けするが、わかるのか?彼は、どうなっている?」
「こいつ、BFD接種してから一日、いや半日もたってないだろ。BFDが造り替えた身体が耐えられる以上に獣の力を引き出したんだよ。俺もガキの頃馬鹿やってなったなあ」
「どうすれば」
「どうすればも、どうしようもねえよ。いや、どうする必要もないっていうのが正しいかな。意思の力で引き出された獣の力に身体が耐えられるよう、BFDが体内で暴れてる」
「そうか。力自体はすぐに使えるが、身体の全細胞がまだ造り変えられてない。浸透圧と血流を考えると、半日か。つまりあと2、3時間」
「お嬢さん、頭良いの?まあいいや。とにかくどうしようもねえし、じきに収まる。クオリア遮断系の強力な痛み止めでも飲ませば楽になるだろうよ」
ユウキはぼくの服を漁り、黄色い粉の入った瓶を取り出すと一瞬愛おしそうに眺め、すぐにぼくに飲ませた。
痛みが引いていく。薄い膜の外でとんでもない痛みが暴れているが、膜に守られているイメージ。
「よっこらせっと。お嬢さんも能力者だろ?自分で歩け」
ぼくは言う。
「歩けって……どこに」
「おれんちだよ」
「ちょっと待て。ボクたちは東京にほとんどまっすぐ戦場の線を引いた人間だぞ」
「ニュースで見たよ。自動検閲越しだけどな」
「なんで、ぼく達を匿う」
蒼い髪の少年は笑う。
「なんでって、お前ら怪我してるだろうが」
ユウキがポカンと口を開ける
「君、頭が悪いのか?」
少年は片方の口角を上げ、ニヒルに言う。
「そう。俺は『稀代のただの大うつけ』、織田信長ってんだ。よろしくな」