表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/14

13.黒い災厄

 ピュ――――――――ッ!


 頭上で鋭い笛が鳴った。

 器用に帆柱をのぼり、先ほどの琵琶を鳴らした謎の女同様、帆の先端で身を隠していた弥助のしわざだった。

 いったい、なにごとか?


 あの白き髪の水主は、人外の力を発揮してくれるのではないか。

 彦兵衛が帆柱を見あげ、眼を凝らした。

 自身に帆にのぼらせろと迫るものだから、一縷いちるの望みをかけて別行動をとらせたのである。


 ピュ――――――――ッ!


 青空を背景に、なかば影絵となった弥助が指笛を吹いている。

 それが集合(、、)の合図であった。

 俄かに空がかげった。陸地側から、雪崩のように岩礁地帯の真上に流れてきたのだ。

 黒雲が湧いたのかと思いきや、ちがう。その不吉な集合体は、おのおのが独立した動きを見せ、密度が濃くなったり、淡くなったりして変化する。


 そして空一面に黒いもので埋め尽くされ、あたかも日食のように、周囲が暗くなったときだった。

 三度みたび、菅笠をかぶった青年が指笛を吹いた。

 それが攻撃の指示か――。


 いっせいにからすの大群が急降下してきた。

 羽をたたんで、流線形となり、恐るべき速度で福徳丸に集中する。

 異常な数の烏は、弥助本人をはじめ、水主仲間には手を出さず、瀬取りにきた侵略者のみに襲いかかった。

 それを命じるとは、人間業とは思えなかった――。




 金治と久助の親子の身体に群がり、黒々とした塊になる。

 親子はともに、くすぐられて笑うかのような声をあげた。

 じきにそれは苦悶のうめき声に変わる。


 おびただしい数の烏に憑りつかれ、嘴で突き刺された。

 顔じゅうえぐられ、眼球までくり抜かれた。血みどろになって絶叫する。

 苦しまぎれに久助は、竹槍で突こうとした。


 その鋭い先端が、運悪く父親の腹に埋没してしまうとは。

 竹の先には人糞を塗りつけているので、かすり傷を負っても破傷風にさせることができるだろう。

 が、金治はすでに虫の息。破傷風になるまでもない。

 

 二人の抵抗がやみ、悲鳴もとだえると、ようやく烏は立ち去り、次なる獲物をさがした。

 穴だらけの、血まみれの死体だけが残された。


 烏の群れは、村長や甚八、善七と為吉にも襲いかかっていた。

 村長は胎児のように身体をまるめ、急所をつつかれまいとした。

 甚八は鳶口をふりまわして、そのうち何羽かをはたき落としたが、あまりにも数が多すぎた。

 同じく顔じゅう嘴の洗礼を受け、たちまち血まみれになった。


 善七も為吉を守るために、我が子を抱いて防御の姿勢をとった。

 烏は容赦なく親子を襲い、とりわけ柔らかい部位を執拗に狙う。

 善七は片方の耳をかじり取られ、背中も穴だらけにされた。


 父親が我が身をていしていたが、そのすき間から為吉もつつかれる。

 とりわけ、突き出た腹を狙われた。

 子どもの悲鳴は聞くに堪えない。




 烏の大群は、岩礁地帯一面にも攻撃を浴びせていた。

 三艘に殺到していた略奪者らに、容赦なく襲いかかる。

 のみならず白浜で待機していた女や病人、子どもにまで被害が及んだ。


 なかには、生きたままついばまれ食われている者もいる。

 まさに、お船さまと称して大義名分をふりかざし、積み荷を奪うことを正当化する人間に、災厄をもたらすかのごとく――。


 人々は逃げ惑い、うめき、怯え、悶絶し、断末魔をあげるか、むしろ命乞いをしている。

 瀬取りの現場が鬼の所業なら、それを罰するのも同義であった。

 どれほどの時間、烏の群れが裁きを加えたことか。


 福徳丸の帆柱で、ふたたび指笛が鳴った。

 すると、いっせいに烏は海域から離れ、もと来た山へ帰っていく。

 襲撃のあいだ、烏たちはほとんど鳴くこともなく、また帰っていくときも声すらあげなかった。不気味な羽音だけがくり返されただけだった。

 黒い雲となって、はるか遠くの山間へと去っていった……。




 呪われた日食は明けた。廻船を罠にかけた漁場だけが、白日の下にさらされた。

 さっきの賑わいとは打って変わって、あたりには血まみれの死体が累々(るいるい)と倒れていた。

 嘴でさいなまれ、絶命した者も多いが、なかには軽症ですんだ者もいた。うまく物陰に隠れ、難を逃れた男女もいる。


 福徳丸の船上では、甚八が念入りに蜂の巣にされ、事切れていた。

 村長は傷ついたものの、命を落とさずにすんだ。

 善七は片方の耳をちぎられたうえ、身体じゅう傷だらけになっていた。少なくとも死は免れた。

 為吉は腹部を軽くつつかれただけで、これも大事には至っていないようだった。ただ、ひどく怯え、ベソをかいている。


 村長は這いつくばり、金治の死骸のそばに落ちた弓と矢を手にした。

 頭上の菅笠をかぶった水主めがけ、弓をつがえ、引き絞る。


「よくもやったな、悪神め……」


 村長はふるえる腕で、つるを目いっぱい絞り、そして矢を放った。

 矢は一直線にうなり、弥助の右肩に突き刺さった。

 鳥を操るのに集中していた弥助は、とたんに苦悶の顔を浮かべ、身を折る。

 均衡を失い、そのまま真下へ転落した。


 その高さから甲板に叩き付けられたら、ひとたまりもあるまい。

 見ていたのが定吉と菊之丞だった。

 これも我が身を挺し、二人して背中を向けて帆柱の真下に入った。


 間髪を入れず、ほぼ同時に直撃し、下敷きにした。

 水主は地面に叩かれ、横たわった。

 が、すぐに弥助は身をよじって、よろよろと立ちあがった。

 菅笠はすでに脱げ、白い肌と白い髪がむき出しになる。肩に突き刺さった矢は途中で折れ、破片だけが残っていた。


 あわてて、定吉らに手を差しのべる。

 しかしながら二人は頭を打ち付け、背骨を折っていた。菊之丞は即死であった。

 定吉は全身を突っ張らせ、口から泡を噴いてうめいていたが、しだいに動きは緩慢になっていく。

 じきに眼を開けたまま、絶命した。




「弥助」と、伝馬船の影に隠れていた彦兵衛はすかさず飛び出し、弥助にしがみついた。「よくぞ無事だった!」


「こうまでされて、生かさへんで!」傷だらけの善七が脇差を手に、二人に迫った。その顔には、以前の善良そうな色はない。憤怒の形相で歪んでいた。「よくも、村の人間、痛めつけてくれたな!」


「よせ!」


 彦兵衛の制止もむなしく、善七は脇差をふりかざして、踏み込んだ。

 彦兵衛もまた、弥助を殺させまいとしてかばい、肩からわき腹めがけ、斬りつけられた。

 声もなく、くずおれる。


 弥助は烏の援軍を操ったはいいが、精根を使い果たしていた。

 その場にしゃがみ込み、後ずさりするだけで、反撃の意志は残されていない。

 甲板上に尻餅をついたまま、顔の前に両手をかざし、頭をふって嫌々(、、)をする。


「あううう……」


 残るは水主は、弥助一人となった。

 村長は気力をふり絞って立ちあがり、弥助にゆっくりと近づいた。甚八の死体が握っていた鳶口を手にしている。

 鬼神のごとき形相の善七は、かたわらに為吉を従えたまま、それに続く。

 生存者は皆殺しにするまで手を緩めてはならない掟だった。親の代から言い聞かされてきたのだ。


「ううーっ!」


 弥助は嫌々をくり返し、船べりまで後ずさりすると、逃げきれないと観念したか、顔をくしゃくしゃにして涙をこぼした。

 それにしても、新雪のような白い肌。そして眼を瞠るほどの白髪に、村長は、


白子しらこだな、この水主は。前に江戸で見たことがある。稀に野生動物でも見られるという。白いカモシカは、マタギの世界では神の使いだと聞く。狩ると災いがあるそうだ」


 と言い、鳶口をおろした。

 弥助はうずくまったまま、身をよじるだけだ。戦意のかけらも見当たらない。


「どうするつもりなんや、村長。おれたちをこんな目に遭わせたんやぞ。仇を討たねば」


「父ちゃん」と、為吉が鍬を捨て、しがみついた。「許してあげようや。この人、かわいそうやないか!」


「しかも口が利けぬとは不憫な」と、村長はため息をついた。眼をそらしたあと、ふと思いつき、もう一度弥助の顔を見た。「――もしや、この人こそ、福子ふくごではないか?」


「なんやて、福子?」


「これこそ、神仏の導きなのか……。やしろの弁財天さまが消えてしまったから、今後どうなることやらと心配していた。わしらの女神さまに代わり、別の七福神の一人を遣わせてくれたのかもしれぬ」


「するってえと、つまり」


「わしらの生き神として、これを立てる」


 と、村長は決然と言った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] あぁ 急展開に次ぐ急展開! がんばれ弥助ー!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ