表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

12.水主たちと略奪者の交錯

 そのときだった。


「今戻ったぜ」


 と、ようやく彦兵衛は甲板の上に這いあがってきた。


「親方、船の具合はどうですかい?」


 定吉がふり返って聞いた。

 弥助らも、船頭の次の言葉を待った。


「幸いにして水押みよし(船首下にある、波を切る部材)に異常はない。水押だけが、平らな浅瀬に乗りあげているにすぎん。おれたちの真下は無事だ。浸水している気配はないから、破船はしてはいまい。舵の羽板もちゃんと生きている」


 彦兵衛は声をひそめて、みんなに聞こえるように言った。


「だったら――」


「今は大潮で、ちょうど潮が引いている頃合だ。潮が満ちてくれば、もしかしたら逃げ出せるかもしれん」


「どれぐらい、待てばいいんで?」


 巳之吉が身を乗り出して言った。


「早くて、あと二刻ふたとき(4時間)」


「悠長な! そんなに待っていられないよ!」と、菊之丞は悲鳴をあげた。「伝馬船てんまぶね(廻船に搭載された小舟)があるじゃないですか。船尾側から、こっそり舟をおろして逃げましょう。うしろ側なら浜に対し、死角になってます。急いで漕げば、ふり切れるかもしれない」


「馬鹿言え。多勢に無勢だ。五人も乗れば速度は出ない。たちまち囲まれて、結局は殺さちまう」


「なら、バラバラに泳いで逃げて、追手を散らすってのは――」


「ここで辛抱していてもはじまらねえ。いっそのこと、おれは戦う。最後にひと暴れしてやる」と、いつの間にか定吉は頭に鉢巻をしめていた。櫂をたぐり寄せる。刺子着の懐から小刀を取り出して、刃をきらめかせた。「それで駄目なら、ひと思いに自決してやら」


「おれも同じだ。じゃないと、死んだ益次郎に申し訳が立たん」


 巳之吉は汗の浮かんだ坊主頭を、ぴしゃりと叩いた。


「待て、おまえら。早まるんじゃない。おれが交渉してみるさ。それで時間を稼ぐ」


 彦兵衛はあぐらをかいて、手をさし出した。

 それで水主たちは、やや落ち着きを取り戻した。


 弥助は腹這いになったまま、菅笠の影から上空を見ていた。

 さっきの鳶が広い青空で大きく旋回し、まるで仲間を呼ぶかのように、甲高い声を放っている。


 ――頼む、鳶よ! 急いで応援をよこしてくれ!


◆◆◆◆◆


 難破した三艘を尻目に見ながら、甚八と善七、為吉親子が乗る小舟が、ゆっくりと四艘目に近づいていった。

 遅れて金治と久助、村長らの乗った舟も続く。互いに、長くて幅広の板木を積んでいる。

 罠にかかった新参の船は、福徳丸と書かれた旗印の、三百石積みの弁才船である。


 見たところ、他のそれにくらべて、船体に損害は見られない。

 浅瀬に水押を乗せ、身動きがとれなくなっているにすぎないようだ。

 潮が満ちるか、網舟を総動員させて引っ張れば、瀬から離せられるかもしれない。


 甚八は櫓をあやつって、福徳丸に横付けした。いかりを海に投じる。

 合図とともに、善七が幅の広い板木を、相手の船に斜めに渡した。さすがに三百石積みの方が上甲板が高いので、傾斜がきつい。

 反対側から、同じく村長らの舟も板木を福徳丸にかけた。


「それ行け!」


 甚八が鳶口とびくちを手に、先に板木をのぼった。とても老体とは思えぬ身のこなしであった。


「タメ公、無茶したらあかんぞ! なんかあったら、父ちゃんが守ったるからな!」


 善七はふり返って息子に言うと、抜身ぬきみの脇差を引っさげて続いた。親父が秀吉に徴兵されて、城攻めで使ったとされる遺品だった。かわやの屋根裏に隠して、刀狩りから逃れた。役人も臭がって、そこまで調べなかったのだ。


「うん!」


 為吉はくわを肩にかついで板を渡った。

 為吉が福徳丸の甲板にたどり着くのと、反対側から村長が杖を突きながら現れたのは、ほぼ同時であった。


 胴の間には船頭とおぼしき壮年の男と、若い水主三人(、、)くらまんじゅうをするかのように、尻を向け合ってひざをついていた。

 しきりに手を合わせ、憐れみを乞うている。


「よしてくれ! この船にゃ、積み荷はなんもねえ! 大坂を出て、江戸でおろしたその帰りなんだ。だから空船さ。見逃してくれ!」


 彦兵衛は丁髷を揺らして、コメツキバッタのように何度も平身低頭した。


「だったら、本当かどうか検分する!」


 金治が弓をつがえ、狙いを定めたまま言った。


「ぜんぶの甲板を剥がしてみようぜ。金目のものを積んでいるかもしれね」


 と、金治の長男である久助が舌舐めずりしながら言った。手には竹槍。先端には茶色いものが付着している。人糞をなすりつけてあるのだ。


「そんなの、あるわけねえさ」彦兵衛は追従笑ついしょうわらいを浮かべた。「……そうだ。おれたちのひと月分の米ぐらいならせてある。野菜も少しばかりな。酒樽だってあらぁ。せめて、それだけでも持っていけ。……な、だから、勘弁してくれよ」


 包囲した村人たちは、少しでもおかしな動きを示したら、容赦なく斬りかかるべく、武器を構えた。


「金治、久助、胴の間の下をめくれ」


 村長がしゃがれた声で指示した。

 親子はへい、と返事し、甲板の一枚板に手をかけ、めくった。

 金治が弓を構えて見張りをし、息子が胴の間の下にもぐり込んで、内部をあらためた。

 ほどなく、息子が姿を見せた。


「積み荷はほとんどない。けど、こんなお宝があったぜ」


 久助は花瓶のようなものを手に、あがってきた。

 なんの変哲もない伊万里焼いまりやきに見えた。ただし色とりどりの彩色は美しく、値打ちはありそうに映った。

 

「……あ、そりゃ、お清から三両で売りつけられ……じゃなく、買った壷でして」と、彦兵衛は言い淀んでから、眼を細めた。「おかしい。その壷は、フタをして、厳重に紐で縛っていたはずだが?」


「はじめから紐もはずれ、フタもそのへんに転がっていたぜ。おれは知らね」


 と、久助。

 金治が眉間にしわを寄せて、矢を向けた。


「中になにが入っていた? 積み荷にこれ一つだけってのは怪しい。よからぬ麻薬の類ではあるまいな?」


「……いや、お清いわく、『私の、彦兵衛さまに対する愛情という名の性根(、、)が入っていますから、絶対に割ったりしてくださるな』と、念を押されたが……。まさか、独りでにお清の性根とやらが……」


 と言いかけて、彦兵衛はようやく合点のいく顔つきになり、それ以上は口をつぐんだ。


「わけわからん言い逃れ、しよってからに!」


 脇差を両手で担いだ善七が言った。

 彦兵衛は昂奮させるまいとして、両手で制したときだった。

 逆上した巳之吉が、善七に向かって突進した。


 思いがけない反撃に、善七は泡を食った。

 しかしここで覚悟を決めなくては、飢えに苦しむ我が子を救うことができない。

 背後に為吉がいる手前、ぶざまな姿を見せるわけにはいかなかった。


 巳之吉の頭からの突進に対し、八相はっそうの構えで抜身をふりおろす。

 袈裟懸けさがけに、巳之吉の肩から下腹にかけて斬りつけた。

 赤銅色に日焼けした巳之吉の肌に、無残な切り口が開いた。


 善七に体当たりが叶わず、福徳丸の船べりにぶつかり、地べたに突っ伏した。

 かたわらの為吉が鍬を担いだまま、「うわ!」と叫んだ。

 巳之吉はうつ伏せで横たわり、喉から大量の血液が流出している。見る見る血の池が広がっていく。

 やがて身体が小刻みに震えはじめた。死の痙攣に相違あるまい。


「ああくそっ! 双子を死なせちまうとは!」彦兵衛は頭を抱えて言った。「……な、頼むよ。あんたらの犯行は見なかったことにする。お上に報告したりはしないと約束するから、おれたちだけでも助けてくれ!」


「ついに、人を殺しちまった……」と、善七は脇差をかまえたまま洩らした。両脚がひどくふるえていた。切っ先からつばにかけて、赤黒い鮮血がゆっくりと伝ってくる。「しゃあなかったんや……。せっかくお船さまに寄ってもらったからには、あんたらは生かしちゃなんねえ。お船さまは神仏の遣いでも、あんたらはちがう」


「神仏は、ひもじい思いをするわしらを哀れみ、お恵みを寄こしてくださった。おまえたちは操られたにすぎぬ」


 と、村長が言った。


「ものは言いようだわな!」と、定吉が仇討ちしようと前に進み出た。櫂を手に、正眼に構える。あれほど命乞いの演技をしろと船頭に指示されていたのに、早くも鍍金めっきがはげた。「許さねえ、今度はおれが相手だ!」


 彦兵衛がなんとか時間を引き伸ばそうと、頭を回転させているときだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ