11.「それが古くから伝わる、村の掟だ」
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前ノ浜で松明をかかげたまま、善七と為吉親子は呆気にとられて岩礁地帯を見つめていた。
昨夜深夜すぎから浜歩きをした効果が、こうもあらわれたとは驚きだった。
それにしても、村人総出で、お船さまから瀬取りしている光景は壮絶すぎた。
ふつう、廻船はよほど急ぎの船旅でもないかぎり、荒天のなかを無理をおして走らせはしない。
なのに、よりによって今日は、合計四艘もの船を続けざまに座礁させた。――いや、お船さまに寄っていただいた。
一度に四艘――。
浦の村にとっては、奇蹟に近い記録であった。まさしくあのとき、忽然と消えた弁財天の像が、なんらかの便宜を図ってくれたにちがいない、と人々は口をそろえて言ったものだ。
一方の村長は、はじめこそ手を叩いて喜んだのに、次々と船が難破するたび、ひどく困惑しはじめた。
とくに四艘目が罠にかかったころには、さすがに落ち着かないそぶりを見せた……。
六年前は、五百石(75t)積みの婆丸が岩礁で船底を砕き、沈没しかけていたのを、すんでのところで荷物を掠め取った。
それでも三割は海底に沈み、回収するのに四苦八苦したのを善七は憶えている。
とりわけ大量の壷で儲けることができた。回収した常滑焼の焼き物を、伊良湖焼と偽って売りさばいたのだ。さすがに良心は痛めたが……。
やがて、東の沖合から光が射してきた。
灯りは不要と思い、親子は波打ち際で松明を消した。
為吉は、しきりに眼を輝かせている。
これで夢にまで見た白米を口にすることができると、父親を見あげ、歯列を見せた。
善七も涙ぐみながら、息子の頭を抱き、四つのお船さまを見守った。
数えきれぬほどの網舟が浜を離れ、岩礁地帯をかいくぐり、難破船に取り付く。
次々に積み荷を奪い、横付けした舟に移している。
村人たちは鳶口やら鎌のみならず、戦国時代のあと、うまく隠して没収を免れた槍や脇差で武装していた。
抵抗する水主は、これらの得物でことごとく打ち殺していた。
座礁した船のうち、ひと際大きな千石積みの弁才船は、真っ二つに折れかかっていた。
甲板にはみ出るほど山積みにされた米俵から、幕府の御城米船だと推し量ることができる。白地に赤い日の丸の旗印がはためいていたから、子どもでも容易に判別できた。
幕府のそれに手をつけたのが発覚すれば、お上から厳しい刑罰を課せられるだろう。見つかれば、村の代表者たちは、死罪になるのは必定であった。
しかし三年にわたる大飢饉のあいだ、飢えに痛めつけられた人々にとっては、願ってもいない食料が手に入るのだ。
村長が御城米だけは手をつけるな、と言い付けたのに、いざ座礁した船に乗り込み、山のような米俵を前にすれば、欲の前に勝てなかったらしい。
あまりの空腹からか、俵に無理やり手をねじ込み、硬い玄米を直接口に入れる者がいた。
一人がやると、他の者も続いた。我先に米俵を奪った。
それで後には退けなくなった。
事ここに至ったら、やり遂げるしかあるまい。
とはいえ、略奪するための人手が足りない。
だからこそ、片目の古老、甚八が善七に声をかけた。
「善七、男手がいる。今から四番目に漂着した廻船に向かう。おれといっしょに来い」
「おれも?」善七は自身の顔を指さし、素っ頓狂な声をあげた。はじめは前ノ浜での見張りの役を仰せつかっていたのに、急きょ変更されたので、戸惑いの色を隠せない。根っから他人を傷つけられる性質ではなかったのだ。「なら、武器がいるな。水主に抵抗されたら、やっぱり――?」
「殺すのだ。一人たりとも逃がすな。それが古くから伝わる、村の掟だ」
甚八は真っ向から善七を見据え、言い聞かせた。
「あい承知……。人が足りんのなら、行かな、しゃあない。腹括るわ」
善七が強がってみせたときだった。
かたわらの為吉が、こう宣言した。
「父ちゃん、おれも行かせてくれ! おれだって、一人前に働けるわ!」
さっきまで眠気と空腹のため、畑の案山子みたいに、風に揺られてふらふらしていた九歳児がまくし立てた。
善七にしがみつき、それがだめならと、甚八にもつめ寄った。
ひとしきり一緒に行かせてくれと懇願した。
甚八は少年の気迫を買った。
グズグズしている場合ではなかった。瀬取りは迅速に行わないといけないのだ。人海戦術を要した。
「おまえも立派な海の男だ。よし、善七と、ついてこい」と、甚八は言うと、浜にとまった小舟に両手をかけた。「金治、久助らも舟を出せ。一緒に来い!」
「へ!」
壮年の男と若いのが答えると、同じく網舟を押して乗り込んだ。顔がそっくりの親子だった。
ちょうどそこへ、女たちの人垣を分けて、村長が現れた。
「及ばずながら、わしも手伝おう」
杖を突きながら病身をおして、舟に跨ろうとする。
甚八は止めはしなかった。事は一刻を争った。
本来ならば、日が明けきらぬうちに難破船の荷をすべて奪うべきだった。
略奪した品は陸へ運び、あらゆる手段を講じて隠さなくてはならない。
そして水主を皆殺しにし、遺体を裏山か岬の洞窟に捨てるのだ。
いちばんの問題は、外部に目撃される前に、座礁した船をバラバラに解体する必要があった。
船材は家屋の修繕や、新居を建てるのに使えるし、焚き木にもなる。――とにかく、すべての証拠を消し去らねばならなかった。
それなのに、物理的にも時間的にも限界があった。
一艘ならともかく、まさか四艘もの船が罠にかかるとは、予想だにしなかったのだ。
ただでさえ、この渥美半島と志摩半島の沖合は、廻船がひっきりなしに往来する。村ぐるみの犯行を見られ、それを通報される恐れがあった。
「とにかく、やれるだけのことは、やるべきだ」
村長は舟に揺られながら言った。
金治と久助が櫂と櫓を操っている。
岩礁地帯の惨状を尻目に、新たに座礁した、三百石積みの弁才船へと近づく。――彦兵衛らの乗った福徳丸にである。
並走する形で、甚八が櫓を漕ぎながら、こう洩らした。
「どうせイナサを利用し、浜歩きで、船をおびき寄せた。言い逃れはできまい。すでに幕府の米に手をつけてしまった者がいる手前、今さら後戻りはできん」
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福徳丸の船底を調べにいった彦兵衛を、今や遅しと弥助たちは待っていた。
腹這いになり、垣立のすき間から、座礁した他の三艘の様子を固唾を飲んで窺っていた。
見るも無残、串本行きと尾道行きの船には、矢継ぎ早村人が押し寄せ、蟻が砂糖粒を運ぶかのように俵を強奪していく。略奪者の顔は、どれもが奇怪な笑みをこぼしていた。
そばにつけた小舟に荷物を移しては、積みきれなくなると、浜へ取って返し、別の新たな舟がやってきては、荷物を根こそぎ回収することをくり返す。
なかにはねじり鉢巻きをした半裸の男たちに混じって、女の姿もあった。
着物のすき間から乳房や太ももをのぞかせ、恥じらいもなんのその、眼の色を変えて荷を運ぶのに忙しい。声高らかに、舟唄を歌っている。笑い声も湧いた。
誰も彼もが土気色の肌をし、異様に腹の突き出た者も少なくない。
どこにそんな細腕に力が残されているのか、軽々と三斗五升の米俵を肩に担いでは、小舟に移す作業をくり返した。
地獄の餓鬼もかくやとばかりに、せっせと働いている。
抵抗する水主たちは、ことごとく殺害された。
命乞いもむなしく、槍で突かれ、刀で撫で斬りにされ、船上はまさに血の海と化していた。
死体は筵にくるみ、縄で縛ったあと、それ用の小舟に積み替えている。
死体入りの粽はうず高く積みあげられていた。あとでどこかへ埋めるか、遺棄するつもりだろう。
福徳丸の四人は、怖気をふるっていた。
菊之丞など、小便をちびり、着物の股を濡らすほどだ。