1.「イナサ、寄せてござれ!」
晩秋にさしかかったというのに、日中は強い差しが白浜を照り付けていた。
村人たちが一列になり、裏山に続くつづら折りの道を登っていく。
老若男女、誰もが息も絶え絶えだ。
一行は、どうにかアカマツに囲まれた広場にたどり着いた。
その場にへたばり、息を整えるのに、しばらく時間を要した。
広場の端は小高い丘になっており、絶景を見渡すことができる。
眼下をのぞけば、貧相な民家が瘡蓋のようにへばりつく漁村が見えた。
その前には白浜、さらにその向こうには、平和そのものの海原が広がっていた。
空まで嘘のように青く、刷毛で撫でたような薄い雲がかかっている。そこだけは霜月(陰暦11月)らしい空模様であった。
左の沖の彼方から、いくつものさざ波が寄せている。
海は太陽の照り返しでキラキラと輝いている一方、いくつもの凶暴な岩礁が、イタチザメの牙のように突き出ているのが眼についた。地元の網舟は、さぞかし用心して漁をしなければ船底を砕きかねないだろう。
ところどころに潮の激しい流れが合わさり、小さな渦巻が発生していた。
そこは東三河の南にある半島だった。
一羽の年老いた鳶が、ゆったりと旋回している。
その鳶が飛ぶ高度よりも、はるか上空から見おろせば、返しのついた釣り針のような形をしている地域であった。
その返しの外側にあたる岬の浜沿いに、この漁村があり、西の志摩半島と向かい合っているのだ。
互いの半島の間を伊良湖水道が流れ、本来は豊かな漁場となっているはずだった。この狭い海門では伝統的な蛸漁が盛んだった。
かたや北には伊勢湾が広がり、南を遠州灘が御前崎まで延々と続く海域であった。
半島の歴史を遡れば古い。およそ二五,〇〇〇年ほど前から、多くの人々が行き来していたとされている。
陸路の開発が進んでいない時代、物資の運送のほとんどは海路が利用された。
海を渡って志摩半島などから文物が伝わりやすく、また伊勢神宮と隣接していることから政治・経済・文化の中心地として栄えたという。
にもかかわらず、漁村はその恩恵にありつけず、ひたすら貧しかった。
ましてや一昨年、寛永十八(1641)年のことである。
初夏に畿内、中国、四国地方で日照りによる旱魃が起こったのを皮切りに、秋には大雨が続き、北陸では長雨、冷風などによる被害が続出。
大雨による洪水のみならず、虫害が猛威をふるい、全国的に異常気象となった。
不作はさらに翌十九年(1642)年も続く。
百姓の逃散や身売など、飢饉の影響が各地で暗い影を落とし、事ここに至り幕府は多様な対策に着手したのだった。
寛永十九年末から今年にあたる二〇(1643)年にかけて、餓死者は軒並み増大。江戸をはじめ、三都への人口流動が活発になった年であった。
漁村も例外ではなく、寛永の大飢饉の余波に飲み込まれた。
村では海を相手にする生業の者がほとんどだが、どういうわけか今年はさっぱり魚が獲れず、貝類や海藻すら例年より少ないと、人々は嘆いた。
村の生活は、そんな海の幸や精製した塩を隣町まで売りに行き、穀物と交換することで成り立っていたのだ。
とはいえ売る物品が少なければ、当然主食も口にできなくなる。そもそも市場に満足な米すら売られていない異常な年であった。
裏山を開拓した棚田で稗、粟、麦を作ってみたものの、いくら肥しを施しても土地は豊かにならず、糊口をしのぐことはできなかった。
山菜を求めて山中に分け入る者もいた。それも難しく、途中で絶望し、山奥で首を吊る一家もいた。
いずれにしろ漁村の暮らしは、集落がはじまって以来の困窮ぶりを示していた。
いくつものアカマツに囲まれた広場だった。木洩れ日がさし込み、そこに集まった村人たちを光と影の迷彩色に染めている。
誰も彼もが頬はこけ、眼は落ちくぼみ、土気色の肌をしていた。
腕と脚も細すぎた。栄養失調をきたし、フグみたいに腹部の突き出た者もいる。腹水がたまっているのだ。
集まった三〇人近くの村人の前に、小さな社があった。粗末な造りで、屋根は朽ちかけ、地震が来ればたちまち倒壊しそうである。
片目の古老が観音扉を開けた。
いくつもの卵状の丸い石が供えられ、その中央には人の形をした木彫りの像が安置してあるではないか。
横座りした、いかにも身体の線が優しい女の像。琵琶を抱え、撥を弦に当てている意匠であった。
七福神のうちの女神、弁財天であろう。まるで潮の流れのなかで揉まれでもしたか、荒々しく彫刻が削られ、経年劣化で色も落ちていた。
ざんばら髪の村長が、中年男性に支えられながら社の前に進み出た。
しゃがみ、弁財天に向かって合掌する。
「七福神さま、このように浦の人々は困り果てとりまする。獲物もとれず、食べ物もありません。今や風前の灯火でございます」と、眼を閉じたままつぶやいた。咳の発作が起き、ひとしきり咳き込んだあと、息を整えて言った。「……そこでお願いです、七福神さま。どうか……どうか、海の彼方より、お船さまを寄こしてくだせえ。わしらはそれに縋らにゃ、生きていけにゃところまで来とります」
と、切羽詰まった口調で言った。
人垣のなかで、壮年の男がわめいた。
「お船さまに来てもらうにゃ、イナサが吹いてくれにゃなんね!」
「そうだい、イナサ!」呼応するように、乳飲み子を背負った女が甲高い声を放った。「六年前に来たときもイナサが吹き荒れたんだわ!」
「あれから六年になるか」と、村長は当時の喧騒を思い出したかのように、遠い眼をした。「最近の船は用心深くなったせいで、なかなか岬に近寄らんなった。なんとか近くを掠めて欲しいのに」
「ほいだで、イナサだ!」
別の村人が言った。
それを合図に、支持する声が、そこかしこであがった。
「イナサ! イナサよぉ!」
「イナサ、寄せてござれ!」
「イナサ来いやれ、デンゴロリン!」と、村長が手を叩きながら、おかしな音頭を取って囃し立てた。「そうとも。悪風が船を誘う。船なんか、かんたんに!」
「デンゴロリン!」
と、村人たちは唱和した。
イナサとは東南から吹いてくる暴風のことを指した。
デンゴロリン!と叫ぶたびに、両腕を広げ、相撲で相手をひっくり返すような仕草をする。
傍から見れば滑稽に映りそうだが、どの面々も悲愴感に充ち、それこそ神仏に必死で祈るごとき顔つきである。とても失笑できる雰囲気ではない。
大人たちに寄り添う子どもたちの健康状態は、とりわけ悪かった。
手足は牛蒡そこのけで、口からよだれを垂らし、眼の虚ろな者も少なくない。
ひとしきり村人たちがデンゴロリン、とくり返したときだった。
奇蹟が起きた。
しだいに弁財天が明るくなったと思ったら、社ごと目も眩むばかりの後光を放ったのである。
大人たちの口々から、いっせいにうめき声があがった。
それを制するかのように、どこからともなく若い女の声が響きわたった。その楚々たる娘の声は、直接みんなの脳に響き渡った。
「――よろしい、みなの者よ。それほどお困りなら、救いの手を差しのべましょう」
村人たちはどよめき、そして金色に光る弁財天を食い入るように見た。
そしてひざまずき、合掌し、一心に祈った。
「お願えします、七福神さま!」
そのとたん、光はもとに戻したかのごとく、社の中心に向かって集束した。
そこには丸石などのガラクタしか残されていなかった。
弁財天の像は忽然と消えていた。